ちょっとしたコラム      
               
03.4.12付


野茂(近鉄)、日本球界への訣別

 1994年4月9日、西武−近鉄の好カードで開幕戦が行われた。近鉄の先発はエース・野茂英雄。史上最多8球団による1位指名の末に新日鉄堺から入団したこの右腕投手は、1年目に18勝と287奪三振を記録してMVP、新人王などタイトルを総なめにする素晴らしいスタートを切ると、以後前年まで4年連続で最多勝と奪三振王のタイトルに輝く恐るべきパワーピッチャーとして球界に君臨していた。

 しかし、その4年間のチーム成績は3位・2位・2位・4位。常に王者・西武ライオンズの軍門に下ってきた4年間だった。野茂自身は4年間で対西武19勝16敗と健闘してはいたものの、90年4月10日のデビュー戦での敗戦、91年8月8日首位攻防戦での伊東のサヨナラ打、92年7月10日の5者連続含む14四球のリーグ新(当時)など、苦い思い出も多かった。

 いずれにしても打倒西武なくしてリーグVはありえず、開幕戦での対決にこれ以上ない意気込みでマウンドに上がった野茂は圧倒的な投球で西武打線を沈黙させる。初回、四球を挟んで3三振、2回も2四球を与えるが後続を断ち、3回は三者三振、そして4回も四球の後は3連続三振。4回終って12アウトのうち11三振。このまま行けば日本記録である17奪三振(当時)の更新も、とスタンドはざわめいた。
 しかし5回から奪三振ペースは激減する。8回までの4イニングで1個を追加したのみで毎回奪三振すら途切れた。8回まで12奪三振、もはや奪三振記録は不可能になったが、もう一つの大記録に向けてカウントダウンは進んでいた。ノーヒットノーラン・・・、野茂自身93年4月17日のダイエー戦で7回までノーヒットに抑えた事があったが、すでにそれを上回る自己最長の無安打投球が続いていた。

 エースがこれだけの投球を見せていたのだから、楽勝ペースかと言えばそうではなかった。西武の先発郭泰源も8回まで近鉄打線を無得点に抑え、スコアは0−0だったからである。だが9回の攻防を迎え、試合の流れは大きなうねりを見せ始める。まず9回表の近鉄がチャンスをつかみ、野茂とプロ入り同期の石井浩郎が走者2人を置いて先制の1号3ランをレフトスタンドに叩き込んだのだ。3−0、均衡は一気に破れて近鉄のリードは3点。野茂の投球から見て近鉄の勝利は安全圏、興味は史上初の開幕戦ノーヒットノーランなるかに注がれた。

 しかし9回裏の西武の攻撃は、先頭の清原がいきなりライト右を破る二塁打を放ち、ノーヒットノーランの夢を打ち砕く。野茂は続く鈴木にこの試合通算7個目の四球。石毛はレフトフライに討ち取るが代打・ブリューワのセカンドゴロを大石が痛恨のエラーで一死満塁。
 打席に7番・伊東を迎えると、鈴木啓示監督はここで1安打無失点の野茂を代え、赤堀をマウンドに送った。野茂は伊東と相性が悪く、前年も18打数7安打と打たれていた。90年4月10日のデビュー戦では3打数3安打、91年8月8日の試合ではサヨナラ安打を喫しており、そういったイメージが残るのかこの試合も3打席連続四球と相性の悪さを覗かせていた。一方、赤堀は伊東を完全にカモにしており、通算20打数ノーヒットと完璧に封じていた。近鉄サイドにとっては万全を期したリレーであった事だろう。

 だが、勝負というものはわからない。カウント2−2から3球ファウルで粘る伊東。そして8球目−。快音を残して打球は高々と舞い上がった。レフトスタンドに飛び込む史上21本目の逆転サヨナラ満塁ホームラン。しかも、開幕戦では史上初の快挙だった。敗戦投手は赤堀。野茂に黒星がつかなかったのがせめてもの救いだった。

近鉄 0 0 0 0 0 0 0 0 3   3
西武 0 0 0 0 0 0 0 0 4x   4

 継投失敗は結果論である。だが、無失点のままの交代に野茂は釈然としない思いを抱いたのではないだろうか。近鉄の屋台骨を背負った現役時代の鈴木監督と言えば先発完投。78年に年間30完投のパ・リーグ新記録と10試合連続完投勝利の日本新記録(当時)を達成。82年から83年にかけては23試合連続完投(この間の成績は15勝6敗2分け)という、近代野球においては信じられないような記録まで残している。鈴木監督は通算で577試合に先発して340完投しており完投率は.589。野茂はその上を行き、93年まで117試合に先発して74完投で、完投率は実に.632に達していた。

 先発完投にこだわり、エースのブライドと共に生きてきた鈴木監督が、なぜこの場面で野茂交代を告げたのか。それはおそらく、「開幕戦だったから」ではないのだろうか?。シーズン中の、ある1試合であったなら打者との相性に関係なく、無失点の野茂を続投させたのではないか?。特別な日、特別な試合と意識する余り、エースのプライドより、慎重な策を選んだのではないか?。
 この年の野茂はその後勝ち星に恵まれず、6月初めまで3勝6敗と負け越していた。だが、そこは野茂英雄。7月8日まで5連勝してハーラートップに並ぶ8勝目を挙げる。しかし、その後は肩の不調を訴え後半戦を棒に振る。結局この年も近鉄は2位に終わり、西武王国の牙城を崩す事は出来なかった。そして、この年が野茂英雄の近鉄バファローズでの、また日本プロ野球でのラストイヤーとなった。

 開幕前の鈴木監督は「野茂が投げる試合は野茂に任せる」とエースの自覚をさらに促す発言を繰り返していた。現役時代、人一倍エースのプライドにこだわってきた鈴木監督ならではの、野茂に対する気遣いにも取れた。
 しかし、開幕戦と言う舞台での野茂の扱いはそれとは異なるものだった。野茂のプライドが大きく傷付いた事は想像に難くない。「俺に任せる、その言葉は嘘だったのか!?」、そういう思いが頭をよぎったのではないだろうか。そして、それがきっかけとなり日本野球への訣別につながったのではないか?野茂英雄の日本でのラストイヤーとなったこの年の、この開幕戦を振り返る度にそんな気がしてならないのである。

 野茂英雄・投球内容 8回1/3 打者34人 投球数147 被安打1 奪三振12 四球7 失点3 自責点2
 勝敗なし

    1回 2回 3回 4回 5回 6回 7回 8回 9回
1 佐々木 空振三振   空振三振   一ゴ     二飛  
2 苫篠 見逃三振   空振三振   三ゴ     二ゴ  
3 パグリアルーロ 四球   空振三振     見逃三振   遊飛  
4 清原 空振三振     四球   右飛     右2
5 鈴木   右飛   見逃三振   一ゴ     四球
6 石毛   空振三振   見逃三振     遊ゴ   左飛
7 吉竹   四球   空振三振     二ゴ    
ブリューワ                 二失
垣内                  
8 伊東   四球     四球   四球   左本
9 田辺   空振三振     投手犠打   一ゴ    

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