落合(ロッテ)、史上初となる3度目の三冠王
1986年、落合はこの年も「三冠王宣言」をしてシーズンに臨んだ。すでに1982年に打率.325、32本塁打、99打点で史上最年少三冠王。そして前年の85年には打率.367、52本塁打、146打点で王貞治と並ぶ2度目の三冠王に輝いており、だれもが大風呂敷などとは思っていなかった。これまで王貞治が74年、75年と二度三冠王となっていたが、落合はその記録を抜く3度目の三冠王を取ると宣言したのだ。
シーズンが始まった。4月6日の開幕戦、3打席目に二塁打を放つと第4打席には1号本塁打が出る幸先のいいスタートを切った。しかしここからが長かった。24日の南海戦まで10試合ホームランなし。この時点で41打数9安打、打率は.220のスローペースである。
26日の西武戦で11試合ぶりの本塁打を放つとその後2試合も続けて打って3試合連続本塁打。これで大丈夫かと思われたが、30日の阪急戦から再び10試合ホームランなしが続く。しかし前回の10試合ホームランなしが37打数7安打の.189と打率も悪かったのに対し、今度は42打数14安打の.333とヒットは出ていた。5月8日の南海戦と10日の西武戦では猛打賞も記録して打率は2割8分台まで上がっていた。
5月21日の近鉄戦にシーズン初の1試合2本塁打をマークして、打率も.311と開幕日以来の3割復帰を果たした。これ以後の落合は閉幕まで2度と3割を切る事はなかった。5月最後の近鉄戦でも2本塁打したが、まだ通算9号。リーグ5位に上がったが、前年パ・リーグタイ記録の52本を放った落合にしては寂しい数字だった。
その後、6月11日の近鉄戦で2本塁打した落合は13日の南海戦で3打数2安打して.355でトップに立った。しかし翌日4打数ノーヒットに終わり1日でトップから陥落した。一方、ホームランでは19日の阪急戦から3試合連続本塁打して量産体勢に入った。
7月に入って1・2日の阪急戦で連続猛打賞。打率は.360に乗った。この月はオールスターを挟んで19試合と試合数が少ないにも関わらず11本塁打を量産した。7日の近鉄戦では2試合連続21号本塁打を放ち、西武・秋山と並んで開幕以来初めてホームランダービーのトップに立った。さらに10日の西武戦では、その秋山の目の前で2打席連続22号・23号を放ち単独トップに立つと、以後閉幕まで2位に落ちる事はなかった。
オールスターでも第1戦で2盗塁、第3戦でホームランと活躍して後半戦に臨んだ。8月に入るとやや打棒が湿り、9日の西武戦から14日の南海戦まで5試合で17打数1安打と苦しんだ。この5試合だけで1分7厘も打率を落とした。しかし16日の日本ハム戦で31・32号を放つと翌日もシーズン100安打目を33号で飾り、不調を抜け出した。
本塁打では8月20日時点で秋山に34本対29本と5本差をつけていたが、秋山も月末の南海3連戦で4発を量産して8月末には35本で並んだ。が、そこは落合。9月に入ると負けじと3試合連続本塁打して引き離した。
8月に下がった打率を取り返すように9月は打ちまくった。6日の日本ハム戦で5打数4安打、19日の日本ハム戦で4打数3安打、29日の阪急戦では3打数3安打。この日が終って打率.358となり、先を行くライバル・ブーマーの目の前での猛打で8月5日以来の首位打者に返り咲いた。
しかし、10月2日の阪急戦で4打数ノーヒットに終わり打率2位に転落。だが翌日から3試合で8打数6安打と打ちまくり、6日の近鉄戦では1打数ノーヒットながら、ブーマーが4打数ノーヒットで打率を下げたため1位に進出。そのまま閉幕まで打率1位を守り抜いた。
10月の落合は四球が多く、10日までの9試合で実に17四球を記録、うち敬遠9つと勝負を避けられた。結果的にこの四球稼ぎが打率維持に大きく貢献した。ブーマーの54四球に対して落合はリーグ最多の101四球。打率・本塁打でトップに立った落合は残る打点に照準を絞った。115打点でトップの秋山は10月10日で全日程を終了。この時点で落合は2位の110打点。しかし、雨で試合を流す事の多かったロッテはまだ10試合を残していた。
12日の日本ハム戦で1打点を加えた落合は、続く14日の南海戦でさらに打ちまくった。この日の南海は先発の山内和宏を始め、投手陣が初回から総崩れ。落合は1回の第1打席に50号2ランで113打点、2回の第2打席にレフト前タイムリーで114打点と数字を伸ばした。猛攻のロッテは2回までに9点を奪い、3回裏に早くも3打席目が落合に回った。ここでも落合はセンター前に2点タイムリーを放ってついに116打点と開幕以来初めて打点トップに立った。
ついに2年連続、そして史上初となる3度目の三冠王が確定した。また、2年連続50本塁打も史上初の快挙だった。上がり続ける落合の年俸を負担しきれなくなったロッテはこの年オフに中日へのトレードを敢行。結果的には大きな戦力ダウンとなった事は否めず、84・85年と連続2位だったチームは落合移籍の87年以降は17年間で16度のBクラスと低迷の時代に突入した。
中日に移籍した落合はセ・リーグでも本塁打王と打点王を各2度獲得するなど活躍。25歳での遅いプロ入りながら通算510本塁打(歴代5位)、1564打点(同5位)、2371安打(同9位)の堂々たる成績を残して98年に引退した。
打数・安打 | 打率(通算) | 順位 | 本塁打(通算) | 順位 | 打点(通算) | 順位 | |
4月 | 57打数13安打 | .228 | 34位 | 4本塁打 | 6位 | 8打点 | 15位 |
5月 | 70打数30安打 | .429(.339) | 5位 | 5本塁打(9本塁打) | 5位 | 16打点(24打点) | 8位 |
6月 | 60打数22安打 | .367(.348) | 3位 | 8本塁打(17本塁打) | 2位 | 17打点(41打点) | 3位 |
7月 | 73打数26安打 | .356(.350) | 1位 | 11本塁打(28本塁打) | 1位 | 27打点(68打点) | 2位 |
8月 | 74打数23安打 | .311(.341) | 2位 | 7本塁打(35本塁打) | 1位 | 17打点(85打点) | 2位 |
9月 | 50打数23安打 | .460(.357) | 1位 | 9本塁打(44本塁打) | 1位 | 17打点(102打点) | 2位 |
10月 | 33打数13安打 | .394(.360) | 1位 | 6本塁打(50本塁打) | 1位 | 14打点(116打点) | 1位 |
計 | 417打数150安打 | .360 | 50本塁打 | 116打点 |