農村パラダイス『第五章』

下妙見の後ろの崖っぶちに、巣を作っている鷹の夫婦が毎朝のようにやって来ては、上空でチンミー、チンミーと鳴いて居る。そういえば、例の柿の木に巣を張っていた、大きなしまこぶの姿がみえない。しまこぶというのは黄金蜘蛛のことで、ここの言葉でダンベショとアシナガを、交互に繰っ返しながら大きくなって行く。つまり太ってくると脱皮して足が長くスマートになり、また太ってきて脱皮するのだ。その点、澄子なんかダンベショのまんまで、一向に脱皮しそうにない。そのしまこぶの姿が今朝は無い。もずにでもやられたのだるうか。鷹の夫婦は下の鶏小屋の雛を狙って居るらしい。ときたま親鶏が、けたたましい声をたてる。

昔、熊本には、農林省の種鶏場があり、そこで専らロックという鶏を繁殖していたので、このあたりには、その子孫が多い。人慣つっこい鶏で、放してある数羽は、卵を産む時間になると、縁側に駆け上ってきて、巣箱へ連れて行けと催促するのであった。ちなみに、小泉の話では、この辺では、卵を産むといわないで、持つというとか、うっかり産むというと「まあいやらしか」と娘たちの、ひんしゆくをかったそうである。

 一郎の、あばらやから程近いところに、篠原国幹戦死の地という碑がたっている。
「おおっおぬしの先祖じやなかか」
小泉がおどけたようにいう。
「うんにや、うちは国貞忠治のほうたいね」
一郎も、おどけてこたえる。

 なち山もすっかり紅葉し、山栗がそこここに落ちている。
「見てみんしやい、つづきなばたい」相変わらず小泉は目がはやい。指差した松の根元に、もぐらが掘ったようなあとがあり、しろい、きのこが、繁ってのぞいていた。

 つづきなばと山栗で、二人の持っていたしょうけ は、一杯になっていた。しょうけというのは、この地方で使う竹の箕のことである。「山栗は甘かけん、生のまんまがうまかぱい」郷に入っては郷に従え、と始めた小泉の、うろ覚えの熊本弁は、どうも心許無い。

 それにしても、からいも も 栗も、なんでこう甘いのだろう。一郎は、三角のいう適地適作を思わずにはいられなかった。「もっとも からいもは、いもあなで二、三か月とっておかんと駄目たい。昔、よく学校をサボッて、藁をかぶせたいもあなの芋をかじって過ごしたが、ほかほかと暖かいし、もう最高じゃった。」屈託なげに笑う小泉だった。