[ THE DOO WOP STREET CORNER | HISTORY | COLLECTIONS | INDEX ]
ARTISTS
アーチスト名 |
曲 名 |
発表年月 |
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A | Anthony & The Sophomores | PLAY THOSE OLDIES,MR.DEE JAY |
63年2月 |
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「PLAY THOSE OLDIES,MR.DEE JAY」はニューヨークのDJのフェイヴァリットだった曲。 | ||||
The Admirations |
THE BELLS OF ROSA RITA |
59年9月 |
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ブルックリン出身のグループ。50年代後半、60年代初頭のニューヨークの状況は、1〜2枚レコードを出し、地元のラジオの電波に少し乗り、DJのレコード・コンサートに顔を出し、そして解散−そういう街だった。アドミレイションズもそんなグループのひとつ.メンバーは、ジョー・ロレージョ、フレッド・マスタンドゥノ、ジョン・マーラン、ラルフ・ミニチーノ、ルー・モシェーラ。グループ名は、アドミレイションというタバコの広告からとった。 | ||||
B | Boss Tones | MOPE-ITTY MOPE |
59年6月 |
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The Blue Jays |
LOVER'S ISLAND |
61年5月 |
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知る日とぞ知るロカビリーの偶像、ワーリー・フェアバーンが興したドゥー・アップ専門のマイルストーン・レーベルから出た、カリフォルニア州ヴェニスはオークウッド地区出身のグループ。メンバーは、リード・シンガー、レオン・ピールズ、アレックス・マニーゴ、ヴァン・アール・リチャードスン、レイ・デイヴィッドスン。 | ||||
The Boobbettes |
MR.LEE |
57年5月 |
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The Bop-Chords |
CASTLE IN THE SKY |
56年6月 |
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C | Clyde McPhatter & The Drifters | MONEY HONEY |
53年9月 |
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Curtis Lee | PRETTY LITTLE ANGEL EYES |
61年6月 |
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長いことドゥー・ワップ・ファンであった、フィル・スペクターが製作したしたもの。 | ||||
The Cadillacs |
ZOOM |
56年3月 |
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The Cadillacs,with Jesse Powell Orch |
GLORIA |
54年7月 |
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SPEEDOO |
55年10月 |
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どんなグループにも増して、プロフェッショナルなグループ。 | ||||
The Camelots |
DON'T LEAVE ME BABY |
63年4月 |
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「DON'T LEAVE ME BABY」は、この時代の最も有名かつ最も人気が有るアカペラのレコード。メンバーは、デイヴィッド・ニコラス、ミルトン・ブラット、ジョー・マルセイド、イライジャ・サマーズ、ジュリアン・ウィリアムス。コニー・アイランド出身。 | ||||
The Capris |
THERE'S A MOON OUT TONIGHT |
60年10月 |
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MORSE CODE OF LOVE |
82年4月 |
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The Cardinals |
THE DOOR IS STILL OPEN |
55年2月 |
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ボルティモアのグループ。アトランティック・レーベル。メンバーは、メレディス”プリンス”ブラザース、レオン”ドゥリー・トップ”ハーディ、ジャック・ジョンソン、リーンダー・ターヴァー、ジャック・エイデロット。 | ||||
The Cellos |
RANG TANG DING DONG(I AM THE JAPANESE SANDMAN) | 57年3月 |
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ロウワー・マンハッタン出身。メンバーは、ベース・シンガーのアルヴィン・ウィリアムス、ビリー・モンゴメリー、クリフォード・ウィリアムス、ボビー・トーマス、アルトン・キャンベル。 | ||||
The Channels |
THE CLOSER YOU ARE |
56年7月 |
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THAT'S MY DESIRE |
57年8月 |
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この時代の最もユニークなグループのひとつ。ハーレム115番街出身。ファルセット、ベースを用いず、スリー・パートのハーモニーをリードとしてフィーチャー。リーダーのアール・ルイスはハーモニー、リード、テナーの三役をこなした。 | ||||
The Chantels |
MAYBE |
57年11月 |
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LOOK IN MY EYES |
61年7月 |
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おそらく、最も評価の高い女性グループ。アーレン・スミスの美しいリードだけでなく、バック・アップ・シンガーのカソリックの女学生風コーラスも擁していた。アーレンはソロとなり、ビック・トップでフィル・スペクターがプロデュースした。残りのメンバーは、フリートウッズの「カム・ソフトリー・トゥー・ミー」を、プロデューサー、元ヴァレンタインズのリチャード・バレットと制作。リチャードがリードも取った。 | ||||
The CharTs |
DESERIE |
57年5月 |
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The Chimes |
ONCE IN A WHILE |
60年9月 |
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当時の典型的なニューヨークのイタリア系アメリカ人のグループのサウンド。ブルックリン出身。メンバーは、レニー・コッコ、パット・デプリコス、リチャード・メルカルド、ジョー・クロス、パット・マクガイヤ。 | ||||
The Chips |
RUBBER BISCUIT |
56年9月 |
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The Chords |
SH-BOOM |
54年4月 |
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The Classics |
TILL THEN |
63年5月 |
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イタリア系アメリカ人のグループ。メンバーは、エミル・ストゥッチオ、トニー・ヴィクター、ジョン・ギャンバーレ、ジェイミー・トロイ。ガーフィールド出身。 | ||||
The Cleftones |
YOU BABY YOU |
55年12月 |
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HEART & SOUL |
61年4月 |
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女性1人を含む黒人5人組 | ||||
The Cleftones,with Jimmy Wright & His Orch. |
LITTLE GIRL OF MINE |
56年3月 |
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ジャマイカのグループ。メンバーは、ハービー・コックス、バーマン・パタースン、ウォーレン・コービン、チャーリー・ジェイムス、バジー・マクレイン。伝説的プロデューサー、ジョージ・ゴールナーがジー・レーベルの第1弾アーティストとして契約した。 | ||||
The Clovers |
FOOL,FOOL,FOOL |
51年8月 |
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DEVIL OR ANGEL |
55年12月 |
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LOVE PORTION NO.9 |
59年7月 |
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1951〜56年の間に、19曲のトップ・テン・ヒットを放った、最もビッグなR&Bグループのひとつ。ワシントンD.C.出身。メンバーは、リード・シンガーのバリー・ベイリー、チャーリー・ホワイト、ビリー・ミッチェル、マシュー・マッカーサー、ハロルド・ルーカス、ハロルド・ウィンリー、ビル・ハリス。 | ||||
The Collegians |
ZOOM ZOOM ZOOM | 57年12月 |
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「ズーム・ズーム・ズーム」は、ストリート・コーナー・グループにとって、究極のウォーミング・アップ・ナンバー。後に、ドリーム・ラヴァーズやエンコーズも吹き込んでいる。 | ||||
The Counts |
DARLING DEAR |
54年2月 |
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インディアナポリス出身。「DARLING DEAR」は唯一のトップ10ヒット。メンバーは、ロバート・ウエズリー、ロバート・ベニック、ジェイムス・リー、チェスター・ブラウン、ロバート・ヤング。 | ||||
The Crests |
16CANDLES |
58年9月 |
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STEP BY STEP |
60年2月 |
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ホワイト・ドゥー・ワップの人気グループ。リードのジョニー・マエストロは、ディオンと並ぶ、イタリア系アメリカ人の偉大なドゥー・ワップ・シンガー。ジョイス・レーベルからコード・レーベルに移り、より磨かれた、コマーシャルなサウンドへ変化していった。 | ||||
The Crows |
GEE |
53年6月 |
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I LOVE YOU SO |
53年6月 |
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ハーレムの血を引くグループ。「GEE」の他にヒットに恵まれず、唯一のヒットから1年もしないうちに解散してしまった。メンバーは、ビル・デイヴィス、ハロルド・メジャー、ジェラルド・ハミルトン、マーク・ジャクスン、ダニエル”ソニー”ノートン。 | ||||
The Cufflinks |
GUIDED MISSILES |
56年12月 |
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D | Danleers | ONE SUMMER NIGHT |
58年5月 |
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Dion & The Belmonts | I WONDER WHY |
58年4月 |
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A TEENAGER IN LOVE |
59年3月 |
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WHERE OR WHEN |
59年11月 |
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ディオン・ディマッチはエルヴィス、シナトラのドゥー・ワップ版。ディオン&ベルモンツはドゥー・ワップのローリング・ストーンズ。ホワイト・ドゥー・ワップ。 | ||||
Don & Juan | WHAT 'S YOUR NAME |
62年1月 |
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メンバーは、元ジェニーズのクロード・ジョンスンとローランド・トローン。 | ||||
Don Julian & The Meadowlarks | HEAVEN AND PARADISE |
55年2月 |
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黒人の大多数にとって平等が手に届かないものであった遥か昔、人種差別の壁を超えた最初のグループ。メンバーは、ドン・ジュリアン、ランディ&アール・ジョーンズ、ロナルド・パレット、ビリー・ブリューエット、グレン・リーガン。 | ||||
The Danderliers |
CHOP CHOP BOOM |
55年3月 |
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シカゴのヴォケイション、イングルウッド・ハイスクールの生徒からなるグループ。メンバーは、ダラス・テイラー、ジュニア・ダラス、ジェイムス・キャンベル、バーナード・ディクスン、ウォルター・スティーヴンスン、リチャード・トーマス。 | ||||
The Delco's |
ARABIA |
63年3月 |
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ライノのオーナー、リチャード・フーズのフェイヴァリット中のフェイヴァリット・ドゥー・ワップ・レコード。ピッツバーグでバカ当たりした曲。メンバーは、グレン・マディスン、オーティス・スミス、ラルフ・ウッド、ピート・ウッドワード、リチャード・グリーン。 | ||||
The Dells |
OH WHAT A NITE |
56年8月 |
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The Dell Vikings |
COME GO WITH ME |
56年11月? |
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The Dell-Vikings,featuring Krips Johnson |
WHIPERING BELLS |
57年5月 |
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フィラデルフィア、ピッツバーグで結成された黒人3人、白人2人によるグループ。メンバーの中には後に「エニイ・デイ・ナウ」をヒットさせたチャック・ジャクソンや「恋はすばやく」のヒットを出したガス・バッカスがいた。 | ||||
The Desires |
LET IT PLEASE BE YOU |
60年1月 |
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RENDEZVOUS WITH YOU |
60年4月 |
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メンバーは、マンハッタン出身のトーマス(ロバート)ホワイト、チャールズ・ハーストン、ジョージ・スミス、チャールズ・パウエル、ロチェスター出身のジム・ウィッティアー。 | ||||
The Devotions |
RIP VAN WINKLE | 62年1月 |
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クウィーンズ地区アストリア出身。メンバーは、レイ・サンチェス、ボブ・ホヴォーカ、ボブ・ウェイスブロッド、ジョー&フランク・パルド。 | ||||
The Dreamlovers |
WHEN WE GET MARRIED |
61年7月 |
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チェビー・チェッカーのヒット・レコードのバック・コーラスを担当していた。ヘリテイジ・レーベル。リードは、ドン・ホーガン。 | ||||
The Drifters |
RUBY BABY |
56年2月 |
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THERE GOES MY BABY | 59年 |
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SAVE THE LAST DANCE FOR ME | 60年 |
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UP ON THE ROOF | 63年 | |||
UNDER THE BORDWALK | 64年 | |||
ピュアなドゥー・ワップ・グループというよりも、ゴスペル・ベースのグループ。数多いR&Bのヴォーカル・グループの中でも、No.1と呼べる存在。結成は1953年。ザ・ドミノズを脱退したクライド・マクファターが自分のグループをドリフターズと命名。クライド・マクファターは艶やかなハイ・テナー・ヴォイスをころがすように歌った。彼の唱法は、R&B時代に相応しいもので、後続の歌手に大きな影響を与えた。54年にクライドが去った後、ジョニー・ムーアが加入したが、58年にはメンバー全員が入れ替わって、ベン・E・キングがリードをとるようになる。 | ||||
The Dubs |
DON'T ASK ME TO BE LONELY |
57年3月 |
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COULD THIS BE MAGIC |
57年8月 |
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ファイヴ・ウィングス、スケイルトーンズという2組のマイナー・グループが合体してできたグループ。パワフルなリード・シンガーと、パワフルかつメロディックなレパートリーが武器。 | ||||
The Dupress |
YOU BELONG TO ME |
62年7月 |
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ジャージー・シティ出身。メンバーは、ジョーイ・キャンゼイノ、トミー・ビアログロウ、ジョー・サントージョ、ジョン・サルベイト、マイク・アルノーネ。 | ||||
The Earls |
LOOKIN' FOR MY BABY |
61年8月 |
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REMENBER THEN |
62年11月 |
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The Edsels |
RAMA LAMA DING DONG |
58年5月 |
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The El Dorados |
AT MY FRONT DOOR |
55年7月 |
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I'LL BE FOREVER LOVING YOU |
55年11月 |
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シカゴ出身。リードは、パークル・リー・モーゼス。 | ||||
The Elegants |
LITTLE STAR |
58年6月 |
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ホワイト・ドゥー・ワップ。 | ||||
The Eternals |
ROCKIN' IN THE JUNGLE |
59年5月 |
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BABALU'S WEDDING DAY |
59年9月 |
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ブロンクスのグループ。メンバー5人中4人がプエルトリカンのため、エキサイティングなラテンのリズムが弾けている。メンバーは、チャーリー・ジローナ、フレッド・ホッジ、アーニー・シエラ、アーニー・トーレス、アレックス・ミランダ。 | ||||
The Excellents |
CONEY ISLAND BABY |
62年4月 |
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F | Flamingos | A KISS FROM YOUR LIPS |
56年5月 |
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Franky Lymon & The Teenagers | THE ABC'S OF LOVE |
56年9月 |
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Franky Lymon & The Teenagers,with Jimmy Wright & His Orch. | I WANT YOU TO BE MY GIRL |
56年3月 |
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The Teenagers,featuring Fankie Lymon |
WHY DO FOOLS FALL IN LOVE | 55年12月 |
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ロックンロールの最初のティーネイジ・スターといわれるのがフランキー・ライモン。当時13歳であった。 | ||||
The Falcons |
YOU'RE SO FINE |
59年1月,3月 |
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The Falcons & Band(OhioUntouchables) |
I FOUND A LOVE |
62年2月 |
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デトロイト出身。ドゥー・ワップというよりもソウルの原形と呼んだ方が的確。1959年のメンバーは、エディ・フロイド、ウィリー・スコフィールド、マック・ライス、そしてリード・シンガーのジョー・スタップス。1年後、ウィルソン・ピケットが参加した。 | ||||
The Fascinators,with Jesse Stone Orch. |
OH ROSE MARIE |
59年7月 |
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The Fidelity's |
THE THINGS I LOVE |
58年2月 |
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ドゥー・ワップ・グループと同じ位、サンズ・オブ・パイオニア(カントリーのグループ)にも近い存在。 | ||||
The Fiestas |
SO FINE |
58年10月 |
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The Five Discs |
NEVER LET YOU GO |
62年11月 |
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The Five Keys |
THE GLORY OF LOVE |
51年7月 |
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MY SADDEST HOUR |
53年12月 |
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LING,TING,TONG | 54年9月 |
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CLOSE YOUR EYES | 55年1月 |
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ヴァージニア州ニューポート出身。この時代に、最高に美しいサウンドを響かせたグループ。ルディ・ウェストのテナーにより「THE GLORY OF LOVE」はR&Bチャートのトップに輝いた。メンバーは、ルディの兄弟、バーニー、ラファエル&リプリー・イングラム、ディッキー・スミス、メリーランド・ピアス、ラモーン・ロバー、ユリシーズ・ヒックス。 | ||||
The Five Satins |
IN THE STILL OF THE NITE | 56年3月 |
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TO THE AISLE | 57年5月 |
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黒人5人組みコーラス・グループ。フレッド・パリス徴兵されたとき、後任として入ったリードシンガーはニュー・ヘイヴェン出身のビル・ベイカー。 | ||||
The Flamingos |
GOLDEN TEARDROPS | 53年10月 |
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I'LL BE HOME |
55年12月 |
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LOVERS NEVER SAY GOODBYE |
58年11月 |
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I ONLY HAVE EYES FOR YOU | 59年4月 |
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シカゴ出身。大人の世界に足を踏み込んでも、依然としてティーンの心をも掴めた、一流グループ。彼らの滑らかで、ユニークなハーモニーは、グループのユダヤ教のバックグラウンドから生まれた。メンバーは、ゼイクとジェイク・カーリー、ジョニー・カーターとポール・ウィルソンと、2組のイトコ同士からなっている。 | ||||
The Four Fellows |
SOLDIER BOY | 55年6月 |
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ニューヨークのブルックリン出身。ドゥ-ワップというより、ミルス・ブラザースのようなグループ。メンバーは、デイヴィッド・ジョーンズ、ジェイムス・マクゴーワン、テディ・ウィリアムス、ラリー・バンクス。 | ||||
The Four Tunes |
MARIE | 53年10月 |
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ドゥ-・アップというには、あまりにもプロフェッショナル過ぎたグループのひとつ。メンバーは、ディーク・ワトスン、パット・ベスト、ジミー・ゴードン、ジミー・ナビー。彼らはドゥ-ワップ以前のスタイルで料理して「I UNDERSTAND HOW YOU FEEL」や「MARIE」等のヒットを放った。 | ||||
G | Gene Chandler | DUKE OF EARL |
61年12月 |
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シカゴ・ソウル界の最高のヴォーカリスト。カーティス・メイフィールドに発するシカゴ流ソウル唱法に更に濃厚で粘着力のある節回しを加えることで、エモーショナルなインパクトを高めたヴォーカル表現と、シカゴの伝統に則したドラマティックな音作りによるスタイルは、チャンドラー独自のもの。「DUKE OF EARL」は、1962年の最大のヒット。この歌で成功を掴む以前、ジーン・チャンドラーはデューケイズの一員だった。 | ||||
The G-Clefs |
KA-DING DONG | 56年6月 |
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ボストンのロックスバリー地区出身。メンバーは、テディ、クリス、ティムのスコット兄弟に、レイ・ギブスン、ジョー・ジョーダン。 | ||||
The Genies |
WHO'S THAT KNOCKING | 59年冬? |
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The Gladiolas |
LITTLE DARLIN' | 57年1月 |
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H | Harvey & The Moonglows | TEN COMMANDMENTS OF LOVE |
58年8月 |
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Hollywood Flames | BUZZ-BUZZ-BUZZ |
57年9月 |
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The Halos |
NAG |
61年6月 |
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The Harptones |
LIFE IS BUT A DREAM |
55年6月 |
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The Harp-Tones,featuring Willie Winfield |
A SUNDAY KIND OF LOVE | 53年11月 |
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ロウワー・マンハッタンのハープス、そしてハーレムの115番街スカイラークスという、二つのグループのメンバーから成っている。メンバーは、ウィンフィールド、ダイシー・ガロウェイ、ビリー・デンプシー、ビリー・ブラウン、ニッキ-・クラーク、ラウル・シタ。一度もナショナルチャートに入っていないが、ニューヨークのグループの最高峰。 | ||||
The Heartbeats |
CRAZY FOR YOU | 55年9月 |
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A THOUSAND MILES AWAY | 56年9月 |
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クウィーンズ地区のジャマイカ出身。メンバーは、アルバート・クランプ、ヴァーノン・シーヴァース、ロビー・テイタム、ウォーリー・ローカー、ジェイムス”ジェッブ”シェパード。リーダーのジェイムス・シェパードは61年にシェップ&ライムライツとして再デビュー「ダディーズ・ホーム」の大ヒットを出す。 | ||||
The Hearts |
LONELY NIGHTS |
55年2月 |
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ブロンクスのグループ。唯一の男性メンバー、レックス・ガーヴィンの存在ゆえ、純然たる女性グループではなかった。 | ||||
The Impacts |
CANADIAN SUNSET | 59年9月 |
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メンバーは、ロバート・バーバー、ホーレイス・ブルックス、ヘレン・パウエル、チャールズ・マトックス、ケニー・シーモア。「カナディアン・サンセット」は、エディ・ヘイウッドのインストルメンタル、アンディ・ウィリアムスのヴォーカル・ヒットもある。 | ||||
The Impalas,with LeRoy HolmesOrch. |
SORRY(I RAN ALL THE WAY HOME) |
59年2月 |
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The Imperials |
TEARS ON MY PILLOW | 58年7月 |
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TWO PEOPLE IN THE WORLD |
58年7月 |
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ブルックリン出身の、良いシンガー、良いダンサーに恵まれた理想のグループ。70年代は、ずっとラスベガスで活動していた。 | ||||
J | Jerry Butler & The Impressions | FOR YOUR PRECIOUCE LOVE |
58年5月 |
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ソウル・コーラス・スタイルの先駆けとなったグループ。ジェリー・バトラーとカーティス・メイフィールドは10代の頃教会で出会い、57年に他の2人を加えてインプレッションズを結成。58年にジェリー・バトラーをリードとして「FOR YOUR PRECIOUCE LOVE」のヒットを放つが、バトラーはすぐに独立、カーティス・メイフィールドをリードにした5人組として、ニューヨークで再出発。その後、カーティス、サム・グッデン、フレッド・キャッシュの3人となり、63年にシカゴに戻って再々出発。彼らが真にユニークでオリジナルな存在になったのは、それ以降のこと。カーティスの素晴らしいソングライティング、ジョニー・ペイトの編曲によるシカゴ・サウンド、そして公民権運動の盛り上がりにも乗って、60年代中〜後期に、インプレッションズは頂点を迎えた。 | ||||
Jive Five | WKAT TIME IS IT? |
62年8月 |
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ブルックリン出身。メンバーは、ジェローム・ハナ、ビリー・プロフェット、リチャード・ハリス、ノーマン・ジョンスン、ユージン・ピット。 | ||||
Johnnie & Joe | OVER THE MOUNTAIN,CROSS THE SEA |
57年2月,4月 |
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メンバーは、二人の男性ヴォーカル(ガーヴィンとジョー・リヴァース)と女性ヴォーカル(ジョニー・リチャードスン)。 | ||||
Johnny Maestro & The Brooklyn Bridge | MY JUANITE(live) |
87年6月 |
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The Jacks |
WHY DON’T YOU WRITE ME? | 55年4月 |
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The Jesters |
THE WIND |
60年5月 |
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The Jewels |
HEARTS OF STONE | 54年8月 |
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The Jive Five,with Joe Rene & Orch. |
MY TRUE STORY |
61年5月 |
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The Knockouts |
DARLING LORRAINE | 59年11月 |
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ジャージー・ショアの一介のバー・バンドで、主なレパートリーは、コメディ/ノヴェルティ・ソングだった。「DARLING LORRAINE」は1曲こっきりのヒット。 | ||||
The Kodoks |
OH GEE,OH GOSH | 58年5月 |
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ニュージャージー州ニューアーク出身。リードは、フランキー・ライモンに肉薄した、パール・マッキノン。オリジナル・メンバーは、ジミー・パトリック、ウィリアム・フランクリン、ラリー・ディヴィス、ウィリアム・ミラー。 | ||||
Lee Andrews & The Hearts |
LONG LONELY NIGHTS |
57年6月 |
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TEAR DROPS |
57年10月 |
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Lewis Lymon & The Teenchords |
I'M SO HAPPY(TRA-LA-LA-LA-LA-LA) |
56年12月 |
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Little Anthony & The Imperials |
SHIMMY,SHIMMY,KO-KO-BOP |
59年11月 |
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Little Caesar & The Romans |
THOSE OLDIES BUT GOODIES(REMIND ME OF YOU) |
61年3月 |
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1961年、最初のオールディーズ・リバイバルが満開となり、この流行の波に乗ったグループのひとつ。カリフォルニア出身。メンバーは、デイヴィッド”リトル・シーザー”ジョンソン、カール・バーネット、ジョニー・シモンズ、アーリー・ハリス、リロイ・サンダーズ。 | ||||
Little Joe & The Thrillers |
PEANUTS |
57年7月 |
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リード・シンガーはジョー・クック、他のメンバーは、リチャード・フレイザー、ファリス・ヒル、ドナルド・バーネット、ハリー・パスクル。 | ||||
The Larks |
MY REVERIE | 51年5月 |
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ドゥ-アップというには、あまりにもプロフェッショナルなサウンドをしていたグループのひとつ。前身はサーストン・ルースがノース・カロライナで結成した、セイラ・ジュビリー・シンガーズで、メンバーはルース、デイヴィド・マクニール、ピー・ウィー・バーンズ、アレン・バン、リードのユージン・マンフィールド。1950年代にニューヨークに進出し、様々な名前でゴスペルを吹き込んでいる。 | ||||
The Love Notes |
UNITED |
57年4月 |
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マンハッタンのロウワー・イースト・サイド、もしくはブルックリン出身。リード・シンガーは、ジョニー・ヒックス。グループの自慢は、最高の美形女性ドゥーワップ・シンガー、ルーシー・セデノの存在であった。 | ||||
Maurice Williams & The Zodiacs |
STAY |
60年8月 |
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The Magnificents |
UP ON THE MOUNTAIN | 56年4月 |
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メンバーは、リード・シンガー、ジョニー・ケイズ、レイ・ラムゼイ、フレッド・レイクストロウ、ウィリー・マイルズ。 | ||||
The Marcels |
BLUE MOON |
61年2月 |
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HEATACHES | 61年9月 |
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「BLUE MOON」を吹き込んだ当初は、白黒混成のグループだったが、「HEATACHES」を吹き込む頃には全員黒人になっていた。 | ||||
The Marvelows |
I DO | 65年4月 |
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The Mello-Kings |
TONITE,TONITE |
57年5月 |
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The Mello-Moods |
WHERE ARE YOU(NOW THAT I NEED YOU) | 51年12月 |
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ハーレム出身のロウティーン・グループのひとつ。メンバーのボビー・ウィリアムス、ボビー・ベイラー、モンテ・オーウェンス、ジミー・ベセア、そしてリードのレイ”バディ”ウーテンは全員ハーレム・リヴァー・プロジェクト出身で、当時、13〜14歳だった。 | ||||
The Mellows |
SMOKE FROM YOUR CIGARETTE |
55年1月 |
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ブロンクスのグループ。メンバーは、リリアン・リーチ、ノーマン・ブラウン、ジョニー・ウィルソン、ハロルド・ジョンソン。 | ||||
The Miracles |
BAD GIRL | 59年7月,8月 |
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リード・シンガーは、スモーキー・ロビンソン。最初からユニークな歌手ではあったが、この頃から歌作りも始めており、この時代最も成功したソング・ライターとなった。他のメンバーは、ウォーレン”ピート”ムーア、ロニー・ホワイト、ボビー・ロジャーに、彼の妹にして未来のロビンスン夫人、クラウデット。 | ||||
The Monarchs | PRETTY LITTLE GIRL |
56年7月 |
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The Monotones |
BOOK OF LOVE | 57年11月 |
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ニュージャージー州出身の黒人6人組。 | ||||
The Moonglows |
SECRET LOVE |
54年2月 |
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SINCERELLY | 54年10月 |
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伝説的という言葉にふさわしいグループ。彼等の同時代人から、絶賛以外の言葉を聞く事ができない存在。全開の、豊かなハーモニー、オリジナリティという点において、ムーングロウズと肩を並べるグループは皆無。艶やかなテナーで歌い込むボビー・レスター、さり気なくブルージーな色合いを加えるハーヴィ・フークァという最高レヴェルのリード・シンガーをフューチャーしたムーングロウズは、バラード良し、ブルース良しのグループだった。 | ||||
The Mystics |
HUSHABYE |
59年4月 |
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Norman Fox & The Rob Roys,with Sid Bass & His Orch. | PIZZA PIE/DREAM GIRL |
59年1月 |
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Norman Fox & The Rob-Roys | TELL ME WHY |
57年8月 |
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The Nutemegs |
STORY UNTOLD | 55年4月 |
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The Orioles | IT'S TOO SOON TO KNOW |
48年7月 |
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CRYING IN THE CHAPEL | 53年7月 |
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ボルティモア出身の黒人5人組。 | ||||
The Paradons | DIAMONDS AND PEARLS | 60年7月 |
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ワーリー・フェアバーンのマイルストーン・レーベルにレコーディング。カリフォルニア州ベイカーズフィールド出身。メンバーは、チャック・ウェルドン、ビリー・マイヤーズ、ウィリアム・パワーズ、リードのウェスト・タイラー。 | ||||
Paragons |
FLORENCE | 57年3月 |
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The Paragons |
LET'S START ALL OVER AGAIN | 57年7月 |
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不良のイメージを押し出したブルックリンのヴォーカル・グループ。メンバーは、ジューリアス・マクマイケル、ベン・フレイザー、ドナルド・トラヴィス、リッキー・ジャクスン、アル・ブラウン。 | ||||
The Passions | JUST TO BE WITH YOU | 59年8月 |
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I ONLY WANT YOU |
60年1月 |
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ベンスンハースト出身。メンバーは、トニー・アルメイト、アルビー・ガリオーネ、ビニー・アシエーロ、リードはジミー・ギャラハー。 | ||||
The Pastels |
BEEN SO LONG |
57年11月 |
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The Penguins | HEY SENORITA |
54年6月 |
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EARTH ANGEL(WILL YOU BE MINE) |
54年9月 |
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MEMORIES OF EL MONTE | 63年3月 |
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メンバーは、ペンギン・カーティス・ウィリアムス、クリーヴ・ダンカン、ブルース・テイト、デクスター・ティスビー。 | ||||
The Pentagons | TO BE LOVED(FOREVER) | 61年1月 |
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カリフォルニア州サン・バーナーディノ出身。リードは、ジョニー・トーレス。 | ||||
The Platters | ONLY YOU(AND YOU ALONE) | 55年5月 |
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THE GREAT PRETENDER |
55年11月 |
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MY PRAYER | 56年6月 |
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SMOKE GETS IN YOUR EYES | 59年 |
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最高にビッグなヴォーカル・グループ。メンバーは、トニー・ウィリアムス、ポール・ロビー、デオヴィッド・リンチ、ハーブ・リード、ゾーラ・ティラー。 | ||||
The Quotations | IMAGINATION | 61年11月 |
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Randy & The Rainbows |
DENISE |
63年5月 |
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Robert & Johnny |
WE BELONG TOGETHER |
57年12月 |
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ドゥーワップ・デュオ。ロバート・カーとジョニー・ミッチェルは、ブロンクス出身。 | ||||
Royal Teens |
BELIEVE ME |
59年8月 |
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リード・シンガーはジョーイ・ヴィラ。後に、ディランのキー・ボード奏者、アル・クーパー、フォース・シーズン以前のボブ・ゴウディオを擁し、ロイヤル・ティーンズからブラッド・スェット&ティアーズが生まれた。 | ||||
The Rainbows | MARY LEE | 54年12月 |
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The Ravens | COUNT EVERY STAR | 50年4月 |
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The Regents | BARBARA-ANN |
61年3月 |
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RUNAROUND | 61年6月 |
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ブロンクスのイタリアン・キッズ達のグループ。主なメンバーは、ガイ・ヴィジャーリ、サル・クーモ、チャック・ファザート、ドニー・ジャコブッチ、トニー・ガラヴァーギャ。 | ||||
The Rivileers | A THOUSAND STARS | 54年1月 |
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クウィーンズ地区のジャマイカ出身。メンバーは、リードシンガーのジーン・ピアスン、ハーブ・クロスビー、エロール・レナード、アフフォンソ・デラニー、ミルトン・エドワーズ、そして俳優のルー・ゴセット・ジュニア。 | ||||
The Robins | SMOKEY JOE'S CAFE | 55年8,11月 |
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サンフランシスコで結成された、ドゥ-ワップには分類できないヴォーカル・グループのひとつ。メンバーは、ビリーとロイのリチャード兄弟、テレル”タイ”レナード、ボビー・ナン、カール・ガードナー、グラディ・チャップマン。 | ||||
Shep & The Limelites |
DADDY'S HOME |
61年3月 |
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Shirley Gunter & "The Queens" | OOP,SHOOP |
54年9月 |
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ロス・アンゼルス出身のグループとしては、女性ドゥー・ワップ・グループの最高峰。シャーリーは、盲目の歌手。他のメンバーは、ルーラ・ビー・キネイ、ルーラ・メイ・サグス、ブロンディ・テイラー。 | ||||
Starlites |
VARARIE |
60年9月 |
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「VARARIE」の直後、ジャッキー&スターライツと改名。ジャッキー・ルーのグループ。 | ||||
The Scarlets | DEAR ONE | 54年5月 |
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フレッド・パリスがファイブ・サテンズで「IN THE STILL OF THE NIGHT」のヒットを放つ以前に、コネティカット州ニュー・ヘヴンで率いていたグループ。メンバーは、フレッド・パリス、ビル・パワーズ、ナサニエル・モズリー、アル・デンビー、シルヴェスター・ホプキンス。 | ||||
The Schoolboys,with Leroy Kirkland Orch. |
PLEASE SAY YOU WANT ME | 56年11月 |
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The Shells | BABY OH BABY |
57年7月 |
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The Sheppards | ISLAND OF LOVE |
59年7月 |
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シカゴのグループ。メンバーは、ミラード・エドワーズ、O.C."パーク"パーキンス、ジェイムス・アレン、ジェイムス”ブラザー”アイザック、ギタリストのカーミット・チャンドラー。 | ||||
The Shields | YOU CHEATED | 58年5月 |
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The Shirelles | DEDICATED TO THE ONE I LOVE |
59年3月 |
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WILL YOU LOVE ME TOMORROW | 61年 | |||
シュープリームスが登場するまで、最も数多くのヒットを飛ばした女性ロックン・ロール・グループ。メンバーは、シャーリー、ミッキー、ビヴァリー、ドリス。重厚でない軽いバラードが持ち味。 リード・シンガーのシャーリー・アルストンが、ソウルフルというよりもあっさり歌う。ガール・グループのひとつの形ができた。 | ||||
The Silhouettes | GET A JOB | 57年11月 |
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フィラデルフィア出身の黒人4人組。 | ||||
The Skyliners | THIS I SWEAR | 59年4月 |
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The Skyliners,with Lenny Martin & The Orch. | SINCE I DON'T HAVE YOU |
58年12月 |
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フィル・スペクターも最大級に評価するフィラデルフィア、ピッツバーグ出身の女性1人を含む白人5人組のコーラス・グループ。リードのジミー・バーモントは白黒問わず最高のロックン・ロール・シンガー。ホワイト・ドゥー・ワップ。 | ||||
The Solitairs |
THE ANGELS SANG | 56年7月 |
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The Solotaires |
WALKING ALONG | 57年1月 |
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The Spaniels | BABY,IT'S YOU | 53年7,8月 |
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GOODNITE WEETHEART,GOODNITE |
54年3月 |
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YOU GAVE ME PEACE OF MIND | 56年12月 |
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STORMY WEATHER | 58年8月 |
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インディアナ州ゲイリーのショウビジネスの世界から登場した、最も愛されているR&Bグループ。リード・シンガーはジェイムス”プーキー”ハドスン、ベースはジェラルド・グレゴリー。 | ||||
The Stereos | I REALLY LOVE YOU | 61年8月 |
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オハイオ州スチューヴィン出身の一発屋。メンバーは、ブルース・ロビンスン、ナサニエル・ヒックス、サム・プロフィット、ジョージ・オーティス、リード・シンガーはロニー・コリンズ。 | ||||
The Students | I'M SO YOUNG | 58年5月 |
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EVERYDAY OF THE WEEK |
58年5月 |
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The Teen Queens | EDDIE MY LOVE | 56年1月 |
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The Temptations |
BARBARA | 60年2月 |
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ジョージ・ゴールドナーの50年代後半の第3のレーベル、ゴールド・ディスクから登場した一発屋。メンバーは、ニール・スティーヴンス、ラリー・カーティス、アーティー・サンズ、アーティー・マリン。ニューヨークはクウィーンズ地区出身。モータウンの同名グループとは別物。 | ||||
The Timetones | IN MY HEART | 61年2月 |
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地下鉄の駅構内で、スリムという男が切り盛りしていた、タイムズ・スクエア・レコードがスタートしたレーベルからリリースした中で、ナショナル・チャート入りした曲のひとつ。 | ||||
The Tokens,with Fields-Madera Orch. |
TONIGHT I FEEL IN LOVE | 61年1月 |
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The Turbans | WHEN YOU DANCE |
55年7月 |
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Vito & The Salutations | UNCHAINED MELODY | 63年9月 |
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The Valentines | LILY MAEBELLE | 55年10月 |
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THE WOO WOO TRAIN | 56年3月 |
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8番街のコロニアル・プロジェクト出身の、レイモンド・ブリッグス、カール・ホーガン、ミッキー・フランシス、ロニー・ブライトらが、フィラデルフィア出身のリチャード・バレットと出会い、リチャードがリードを取っていた。 | ||||
The Velours | CAN I COME OVER TONIGHT |
57年6月 |
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ブルックリンのベッドフォード・ステュヴェザント地区出身。洗練されたハーモニーと元アースキン・ホウキンス楽団のサミー・ロウの熟練したアレンジをもフューチャーしていた。メンバーは、ジョン・チートドム、ドナルド・ヘイウッド、ジョン・ピアスン。チャールズ・モフェット。 | ||||
The Velvetones | GLORY OF LOVE |
57年3月 |
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リード・シンガーはエディ・ルイス。 | ||||
The Velvets |
I |
53年11月 |
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The Velvets,featuring Virgil Johnson | TONIGHT(COULD BE THE NIGHT) |
61年5月 |
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The Videos | TRICKLE,TRICKLE |
58年7月 |
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The Vocaleers | IS IT A DREAM | 53年5月 |
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レッド・ロビン・レーベルに最も多くの曲を吹き込んだグループ。メンバーは、ビル・ウォーカー、メルヴィン・ウォルトン、テディ・ウィリアムス、ラマー・クーパー、ハーマン・カーティスそしてリードはジョー・ダンカン。 | ||||
The Volume's | I LOVE YOU | 62年3月 |
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少しずつヴォーカル・グループの音楽が変化し、ゆっくりとソウルのスタイルが姿を顕わしてくるという、境界線上のスタイルの見本のようなグループ。メンバーは、エディ・ユニオン、イライジャ・デイヴィス、ラリー・ライト、ジョー・トゥヴィリオン、アーネスト・ニューサン。 | ||||
Willows |
CHURCH BELLS MAY RING | 56年2月 |
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The Wrens | (WILL YOU)COME BACK MY LOVE | 55年2月 |
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