フェラーリ・マクラーレン・ウィリアムズ

3強の歴史

2001.4.22
Updated 2001.12.15

2001年は3強であるフェラーリ、マクラーレン、ウィリアムズが初めて三つ巴で争う年になりました。この3チームはタイトル獲得数でもしのぎを削っており、F1を背負っていると言えます。その足跡を見ていきましょう。

 

3強のドライバーズタイトル獲得数(累積)

過去52年間のドライバーズ選手権では、3強で29回を獲得。1974年以降の28年間で見ると、23回(マクラーレン11回、ウィリアムズ7回、フェラーリ5回)を占めています。

F1が始まった1950年から参戦しているフェラーリは、1979年までに9回と飛び抜けていましたが、以後21年にわたり止ります。この間にマクラーレンとウィリアムズが急追。マクラーレンはTAGポルシェ、ホンダの力を借りて1991年にフェラーリに並びます。ウィリアムズもルノーの力で追い上げました。1998年、マクラーレンはメルセデスと組んでついにトップに立ちます。一方、フェラーリは長い間の低迷を、M・シューマッハにより打破。2001年にマクラーレンと並びました。(黄色はチャンピオン獲得年)


3強のコンストラクターズタイトル獲得数(累積)

1958年からのコンストラクターズ選手権では、過去44回中、3強で28回を獲得。1974年以降の28年間だと26回(ウィリアムズ9回、フェラーリ9回、マクラーレン8回)と独占。

フェラーリは1970年代後半から80年代前半まで栄華を誇りました。その後、フェラーリが低迷するうちに、マクラーレンとウィリアムズが覇権を交代しあいます。1997年にウィリアムズがフェラーリを抜きました。しかし、フェラーリは2000年に再びトップに立ちます。



3強のあゆみ

フェラーリ

戦前からアルファロメオで活動していたエンツォ・フェラーリ(イタリア)が、戦後に自社製で開始。1950年代はアルファロメオ、メルセデス、マセラーティと戦い、1960年代はロータス、ブラバムらと戦いました。アメリカ資本による買収を阻止し、フォードによるF1制圧にも生き残ります。1970年代中盤にはモンテゼモロをチームマネージャに起用、ラウダにより2度の王座を獲得。1980年代前半にはジル・ビルヌーブとピローニの確執・悲劇により低迷していきます。1988年にエンツォ死去後はフィアット傘下に入ります。モンテゼモロが社長に就任してから改革を実行。1996年にミハエル・シューマッハを獲得し、2000年に21年ぶりの王座を奪還します。イタリア国民が支えるチーム。

 

マクラーレン

1966年にドライバーのブルース・マクラーレン(ニュージーランド)により創設されました。1970年にマクラーレンが事故死しますが、チームは活動を続行。マルボロの資金を得て、1974年に初めて王座を獲得します。その後低迷しますが、1980年末にロン・デニス(イギリス)が実権を握ってから変革します。ジョン・バーナード設計によるカーボンファイバー・モノコックのMP4は成功。TAGポルシェ、ホンダと組んで7度のドライバーズタイトルを得ます。ホンダとセナに依存しすぎたため、再び低迷しますが、1995年からメルセデスと組み、1997年にエイドリアン・ニューウェイを迎え、1998年からトップの座に復活します。ロン・デニスの指導力が支えるチーム。

 

ウィリアムズ

フランク・ウィアイムズ(イギリス)は1969年にブラバム車でF1参戦。翌1970年にスーパーカーのデ・トマゾに作らせますが、1度も完走できず。ウィリアムズは1972年にようやく自チームを設立するものの、慢性的な資金難に悩まされ1977年には活動停止。1979年、サウジアラビアのオイルマネーを得てから好転。流行のグラウンドエフェクトカーをパトリック・ヘッドが実戦的に適用し、1980年に初王座につきます。1984年から組んだホンダに依存しすぎてシャシー性能が低下。1991年にエイドリアン・ニューウェイを招いて戦闘力をアップ。90年代を制します。ルノーとニューウェイを失ってから低迷しますが、BMW、ミシュランと組み、若手デザイナーが成長した2001年、トップ争いに復活してきました。フランク・ウィリアムズの情熱が支えるチーム。

 

3強の獲得ポイント

現代のF1は3強が支えていると言っても過言はありませんが、3強とも浮き沈みが激しく、どこかが覇権を握っているとき、他はどん底にあえいでいるケースが多くなっています。3強が揃ってチャンピオン争いというシーンはありませんでした。

 

3強に挑んだ他チームの得点推移

3強に挑んだ有力チームを3つ上げると、ロータス、ブラバム、ベネトンです。これらはいずれ消え行く運命でした。ロータスはコリン・チャップマンの力が大きく、1960〜70年代にフェラーリと戦って6度の王座につきます。その影にはクラーク、リント、ペテルソンの事故死がありました。借金を残して死んだチャップマンの後、チームは衰え、消滅します。ブラバムは1960年代に2度、1980年代は鬼才ゴードン・マーレイの設計で2度王座につきます。オーナーのバーニー・エクレストンが手放してF1そのものを運営しだすと、チームは消滅します。ベネトンはミハエル・シューマッハとフラビオ・ブリアトーレにより最強ウィリアムズを倒し一時の栄光を得ますが、両者が去った後、落ちる一方となり、ルノーに買収されました。


3強のPP数推移


PP数では、フェラーリ148回、マクラーレン112回、ウィリアムズ112回です(2001年最終戦まで)。

 

3強の勝利数推移


勝利数では、フェラーリ144回、マクラーレン134回、ウィリアムズ107回です(2001年最終戦まで)。

 

 

3強と戦い、3強と組んだ自動車メーカー(エンジン)の勝利数推移


3強と戦い、あるいはともに組んだ自動車メーカー(エンジン供給)です。メルセデスは1950年代にフェラーリと戦い、1990年代後半からはマクラーレンと組んでフェラーリと戦っています。フォードは1960年代後半に登場し、数多くのチームに供給してフェラーリを敗滅寸前に追いやりました。マクラーレンやウィリアムズも使いました。ルノーはターボ時代にタイトルを獲れませんでしたが、ウィリアムズと組んで多くのタイトルを獲得。2002年から自分のチームでのタイトルをめざします。ホンダは1960年代の挑戦期に2勝、1980年代の黄金期にウィリアムズ、マクラーレンと組みました。今、3強にチャレンジする立場になっています。BMWはターボ時代に1度王座につきましたが、今度はウィリアムズと組んで栄光を目指します。