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.kogayuki.  短編フラッシュ26 (03年7月)


病気の日


 4月から6月くらいはいつも、心が少しだけ病気っぽい。
 理由は、年度末だったり多忙だったり薬を飲みすぎたりと、思いつけば色々なのだが。
 案外それは、季節の移り変わりに引きずられるようにして、バラバラになってしまっている状態なのかも、とも思う。
 心が病気のときのわたしは、弱気な分だけ、気持ちが優しい。
 優しくって、少し弱気。そうしてそんなときのわたしは、自己弁護のオンパレードだ。

 わたしは病気なのだから。仕方ない。そう思って、自分を甘やかすために書かれた文章の数々。
 そういうふうにして、撫でつけられた。短い猫の毛のように繰り返す、弱々しい気持ちのうねり。



平安


 幾度も 幾度も 望んだ
 ひとつ 叶えられれば もうひとつを 望んだ
 
 追い立てられるように
 駆り立てられるように
 クリアされた以上の 感情を 望んだ
 
 夕日はまいにち 地平への底へと堕ちてゆくのに
 その日ごとに この世が終わるかのように思えた
 
 ひとつの言葉を信じる 倍のエネルギーをかけて
 ひとつの言葉を悲観することに いちにちを費やした
 
 嫉妬という感情が 自分にあることも知った
 それは劣等感に 似ていると思った
 それはたやすく 「憎悪」に変わった
 
 憎悪は 愛と 表裏一体となって
 かの人に 向けられ
 かの人を傷つけ
 傷つけるという感覚が 自分をも傷つけ
 そうして かの人が 去っていったあとに ようやく
 
 ようやく 
 心は 変わらぬ 地平線に 辿り着けるのだ
  
 望みつづけるという 螺旋状の感情の高まり
 その 螺旋階段が ガラガラと崩れ
 平安という地平が 枯れ草うねる 野原に わたしは落下する
 
 もう 何も 望まなくて いい
 螺旋状の階段を かけのぼることもなく
 ゆるやかな坂を 転げおちることもない
 
 ただ ただ
 単に 生きている 
 その人がいることだけを望むだけでいいから
  
 ようやく 平安の地平に 横たわり
 乾いた草の香を 大きく吸い込んでいられる



新しい恋


 新しい恋は
 手の届かないところで輝く
 オレンジ色の夕焼けみたいだ
 
 放熱をやめた夕暮れの
 心地よい風を
 頬に 受けながら
 ふっと そんなことを思った
 
 ふたたび傷つく覚悟を持つ者だけが
 誰か 他の人を愛する 資格を持つ
 
 わたしは 資格のないままで
 不具合ばかりの 自分を抱えていよう
 
 過去を忘れたかのように
 転がるよりか
 
 わたしだけの
 球体を
 過去とのあいだを 行き来するように
 
 わたしは ひとりで 転がし続けていこう



心が風邪を引く


 季節柄、ココロが風邪を引いた。
 「ああ、多いんですよね、この季節は。僕もそうなんです」
 と、先生が言った。
 何度も何度もモノを書き間違えたり、ちょっと予定が多いとイライラしてしまう。
 「そんなわけなんで、メイラックスを多めにくださいね」
 わかりました、と言って先生は薬を多めに処方してくれた。
 ココロが病気してしまうことはよくある。
 だけど、最近、痛い痛いとわめかなくなった。痛いって言ったって、誰もそれを治すことはできないからだ。
 それがわかっただけでも進歩したと思う。
 世の中にはたくさんの病原菌があって。
 それに触れると、ココロがダメになるのもわかっている。
 だけど、触れないわけにはいけない事もある。
 触れても風邪をひかないくらいに強靱なココロを作るって方法ももちろんあるわけだが。
 そんなふうにして自分を鍛えるのも本意ではない。
 だから。定期的にココロは風邪を引く。
 風邪を引いたな、と思ったら、布団に潜り込んで、自分を可愛がる。
 わたしたちは、いつまでたっても子供のままでいたくって。
 風邪を引いて苦しいって言ったら、心配してくれる誰かを、いつも求めている。
 心配されたいけれど、心配されても、ココロの風邪は癒されない。
 だから。
 せめて、自分で。
 自分のココロを撫でつけよう。
 早く寝て。
 薬を多めに飲んで。
 今日は思う存分、自分を甘やかすことにした。



われ惑う 故に われ在り


 不惑という言葉にずっと憧れていた。
 現国の時間にその言葉を知った高校生の頃から。
 ずっと大人になったら、そういう境地になれるのだ、と思っていた。

 ときどき、何かを悟ったような気になることもある。
 だけど、それは長続きはしない。
 わたしは、誰かの視線を気にしてしまうし。
 仕方のないこととわかっていても、それによって泣きたいような気持ちになってしまったりもする。

 何かを望むときのわたしの欲望は、らせん階段みたいだ。
 ひとつのことを叶えられた喜びは、いつも一瞬でしかない。
 その喜びを味わい尽くしたあとに、また次のものを欲する。
 それが愚かなことだとわかっていても。
 それ以上のものを望んではいけないのだとわかっていても。
 望むことが止められない。

 そういう自分に呆れ果てる。
 どうして学習できないのか、と自問する。
 そうして、泣きたくなる。

 案外、泣きたくなる自分が好きなのかもしれない、と思う。
 そうしても叶えられないものがあるから、何度も何度もそれを書き連ねる。
 その不条理なものを抱えているから。
 投げつけるように、言葉を叩きつける。

 そこに他者は、すでに存在していない。
 惑っている自分がいるだけだ。

 年を重ねていくにつれ。
 それは、生涯つきあってゆくべきもののようにも思えてきた。

 他者の介在していない、自分だけの不条理のはずなのに。
 言葉に変えることによって、誰かの知って欲しいと思っている。

 惑い、苛立ち、泣きたくなる自分。
 結局それが、わたしなのだ。
 わたしはそんなふうだから。
 わたしは、そんなわたしが好きなのかもしれない。



ウォータープルーフな日々


 今日はファシオな日だ。
 なんだかそう決意して。
 ウォータープルーフのマスカラをつけてみた。
 いちにちの最初にそう決意できるくらいに。
 自分の心の状態がわかるようになったのは。
 あるいは進歩と言えるのかもしれない。

 ケンタッキーのフライドチキンにむしゃぶりつくみたいにして。
 男の言葉とか、仕草とか、行為とか。
 そんなものを、味わいつくして、それでおなかいっぱいになってしまいたかった。
 なのに、わたし自身は、ときにフライドチキンになりたがる。
 甘いココナッツミルクになって。
 ちょっと苦みのある缶ビールになって。
 味わいの深いチーズになって。
 甘くて重たいワインになりたがる。

 生きているのはなぜか、と問うてみる。
 場当たり的な答えしか思いつかなくとも。
 それでも、生きてゆけるのに。
 シンプルに、人を求めることもまた。
 何にも変え難く、わたしに喜びを与えてくれるのに。
 幾度も幾度も求められたがる、自分自身が、わたしには、まったくわからないのだ。

 その理不尽さの洪水に。
 濡らされ、そして、立ちつくし。
 ウォータープルーフのファシオだけが。
 流されてゆくわたしを、押し留めてくれる。

 味わいつくせよ。
 言葉の甘さを、噛み含み。
 カラダのすみずみにまで、行き渡らせよ。
 
 その繰り言が、ほんものの言葉になって、わたしを再生させるまで。
 ウォータープルーフのマスカラが。
 わたしの水際を、弾き飛ばす。



LIFE IS EASY


 昔の音楽を探している、誰か持ってないだろうか、と、言われ。
 カセットテープを持っていたことを思い出した。
 大学生の頃である。
 ボーイフレンドが中古のカリーナでよく聴いていた。それ、いいね、って言ったら、わたしの分もプレゼントしてくれた。
 あの頃はまだウォークマンを持ってなかったと思う。
 部屋のベッドに寝転がって、それをひとりで聴いていた。
 「ああ、アンタのカセットはみんな引き出しにあるよ」
 と母に言われ、そこを開けてみると、すぐにそのカセットは見つかった。
 家に持ち帰ってダビングしてみる。
 すごく昔のものなのに、細くて透き通るようなヴォーカルが流れてきた。
 LIFE IS EASY と呟いてみた。
 人生は簡単なものだ。
 望んでいたものはみんな、引き出しの中にある。
 ほんとは、わたしの引き出しはグチャグチャで。
 見つからないものばかりで、それをひっくり返すものだから、よけいにグチャグチャで。
 おまけに、そこにないものばかりを求めているものだから、わたしはいつも乾ききっているのに。
 ときどき、こんなふうに。
 通り雨が、カラダを濡らすように。
 潤ったものが、引き出しの中に用意されている。

 LIFE IS EASY

 こんなにシンプルに物事がうまくいく日もある。
 この言葉を、お守りのように大事に抱えていれば。
 もっと、なにもかもうまくいくのかもしれない。

 
 
運命の猫

 
 「ミルク」は、わたしにとって運命の猫ではない。
 その証拠に、男の部屋を訪れると、尻尾を逆立てて、フーッと鳴きあげる。
 ここはあんたの来る場所じゃないよ、とでも言うかのように、ミルクはわたしを拒絶する。
 
 「飼ってから3年になるんだ」と、男は、ミルクを膝に乗せてなだめすかしながら言った。
 前に一緒に住んでいた女がいて、その女が見つけてきた猫らしい。
 灰色のツヤの良い毛並みのシャム猫で。ぴちゃぴちゃと、小皿のミルクを飲む様子を眺めながら、その彼女が名前を付けた。
 「この子がいると、あなたが仕事に行っててもさみしくならない。どんなイヤなことがあっても、この子と話せばそれで済むような気がする。ミルクは、わたしにとって、運命の猫だわ」
 と、彼女は言っていたという。
 
 だけども、どしゃぶりの雨の夜に、男の彼女はひとりで出ていった。
 そのあたりの事情は知る由もないが。とにかくミルクは、ここに取り残された。
 
 一度誰かの「運命の猫」として契約した猫は、もう二度と、他の人間の「運命の猫」になることは出来ないのだという。
 だから。男にとっても、わたしにとっても、ミルクはもう、運命の猫にはなれないのだ。
 
 運命の猫、という場所から降りたミルクは、この部屋にいるのに、野良猫のように振る舞う。
 「いや、たぶん、そうじゃないよ、猫っていうのは、気ままに振る舞うものなんだ」
 と、男は、さして気にもならぬように言うのだが。
 
 ミルクがもし、もう一度誰かの運命の猫になれるのだとしたら、わたしの運命の猫になって欲しいと、わたしは思っている。
 そうすれば、わたしは、男とミルクと一緒に、運命に出会えた喜びを噛みしめながら、暮らせるかもしれない。
 
 だが、それは案外、男と一緒に暮らしたいばかりに、ミルクを運命の猫と思いたいだけなのかもしれない、と思っていると。
 
 ミルクは、そんなのお見通しだよ、とでも言うかのように、逆毛を立てて、わたしの手首を引っ掻いて逃げた。
 
.kogayuki.

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