短編フラッシュ14
シャッター
その瞬間に、シャッターをたくさん押した。
そこにカメラも何もなかったので、心の中でたくさんシャッターを押した。
あの人と一緒に歩く時って、なんだかそんな感じなんだ。
身体がほのかに熱をおびていて。
わたしの身体にカメラを向けると、赤や緑のやわらかい光が放熱してるんだ。
皮膚を覆っている薄い透明のパラフィンがぱりんと割れて。
わたしはやわらかい放熱を繰り返す。
迷い込んだ雑踏と。
見上げた暮れかけの空と。
傍らを歩くあの人の。わたしと同じような放熱を。
歩きながら。
何度も何度も
シャッターにこめた。
反芻するうちにディテイルが抜け落ち。
写真は色褪せてゆくから。
新しい放熱と。
新しいシャッターの瞬間を。
空を見上げるみたいにして、わたしは待っている。
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秋は来ぬ
太陽の沈む場所が遠くなった
月の光の輪が遠くなった
空が遠くなった
夏の熱気を引き連れて
宇宙の果てが遠くなった
空を見上げ
光年のさき 永遠を思うとき
それを手に入れられない
わたしの死を 少しだけ思った
秋は来ぬ
鼻先に 少しばかりつんと
死の香りを 漂わせ
秋は来ぬ
それから
この身を 生命でくるみたい感触を
風の中に思い出して
それを味わう
秋は来ぬ
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色褪せる
タバコ屋にはいつも、おばちゃんが座ってた。
公園には、今よりも鬱蒼と木が茂っていた。
近所の小さな本屋では、発売日に別冊マーガレットを買っていた。
槇村さとるが好きで、何度も何度も繰り返し読んだ、
はじめて男の子とコーヒーを飲んだ日には、緊張しておなかが痛くなった。
そのような日常。
そこにいることは、当たり前なのに。
どっか別の場所にいるわたしを想像して。
夕暮れの空を見上げては、逃げ出したくなったりもした。
なのに、新しい町の新しい男は、わたしを受け止めきれなかった。
公衆電話を切ったあと、車のライトは流星のように流れた。
この繰り言をこれ以上、繰り返しても仕方ないと。
言われる前に、気がついて。
それでわたしは、また、どっか、別の場所に行くんだろうって思った。
じっさいわたしはそのあとも。
いろんな町に住みついて。
その町の水を飲み。その町の雲を見上げ。その町の土を踏み。
そこでそのまま、ひとりでいたり。
人と別れたりもした。
記憶はそのままなのに。
なぜ光景は、色が落ちてゆくんだろう。
天然色のはずの世界は。
なぜ思い出すたびに色褪せてゆくんだろう。
いなくなるなんて思いもしなかった人が。
時が流れるたびに、わたしから離れてゆく。
そして、その記憶も。
繰り返し 思い出すたびに 色褪せる。
今、ここにある、この世界。
今、ここにある、この毎日。
これもまた、いつか。
遠い、セピア色に変わってしまうのか。
もう、どこか、別の場所など。
わたしはのぞんでいないのに。
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温度差
掌をあわせてみた
体温がちがっていた
少しだけ
唇をあわせてみた
絡まる舌が ひんやりとしていた
ほんの微妙に
からだをあわせてみた
わたしが あたたかいと
あなたは言った
気づかないくらいに
ほんの僅かな 温度差に
立っている地平が 少しだけひずんだ
はじめから ある
温度差は
憎むほどのものではないけれど
埋められないもののために
わたしたちは
混じりあえない
あなたはここにいる
あなたは変わらない
なのに 僅かな温度差が
わたしたちを
融合させてくれない
溶けあえない 溶けあえない
バターになって
混じりあえない
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フィルター
海の向こうで戦争がはじまる
戦争がはじまるのは
いつも 海の向こうだ
テレビが惨状を伝える
ケイタイ電話が命を繋げる
ケイタイ電話が通じない
ケイタイ電話が通じない
わたしの中の あの人が
生きてる感触は ただ
ケイタイ電話の着信音
海の向こうで戦争がはじまる
戦争がはじまるのは
いつも 海の向こうだ
瓦礫に埋もれた からだに宿る
ひとつひとつの 心の痛みも
いつも モニターの向こう側で
心を曇らせる ねずみ色のフィルターに遮られ
わたしは けっして 揺られない
海の向こうで戦争がはじまる
戦争がはじまるのは
いつも 海の向こうだ
傷みが 入ってこぬように
遠い 悲劇に傷つかぬように
心に フィルターをかけたまま
わたしは 灰色の世界で 傷みを閉じる
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待つ
待つのは嫌いだけど
待つふりをする
待つのに飽きてしまったら
忘れたふりをする
黄金の月
差し込む光
眺める場所がちがうのに
月は
真実みたいに ひとつしかない
思い出すと 会いたくなり
その 会いたい気持ちを 薄めてゆく
身体に流れる 赤い絵の具に
水を注ぎこむみたいにして
水面に 月が映る
真実みたいに
たった ひとつだけ
言葉を弄ぶふりをして
わたしは
真実を薄めてゆく
いろんなふりをして
月あかりに背を向けて
けっして触れられないものが
どんな 言葉のかたちをしてるのか
わたしは 未だ 知り得ない
好き の 変形 進化形
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潜る
あさ起きて
深呼吸して
ながい 日常に もぐってゆく
ふかく 潜って 息継ぎなしで
ながい 日常に もぐってゆく
水の上には 太陽が きらきら
揺れる 水になって 光っている
ながい ながい 日常
ふかい ふかい 水の底
くらい くらい 日々の 遠泳
今日の日を 乗り切れますようにと
大きく 深呼吸して
わたしは 今日 いちにちぶんの水に 潜る
たくさんの 力をついやして
いろんなものに 身体を 揺らされて
今日も いちにち
だいじなことを 忘れたまんま
わたしは 力をこめて 水の底に 潜りにゆく
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写真
たぶん、その瞬間に感じられたことなんて、いずれ色褪せてしまうから。
たぶん、言葉で残そうとしても、込められない風景が、たくさん溢れていたから。
だから、わたしはカメラに撮ったのだろう。
慣れない手つきで、忘れたくない瞬間に、たくさんシャッターを押した。
背丈ほどのツツジが咲き乱れる公園や。
傍らに触れる、男の肩の、微妙な揺れ。
ビルの日陰を通り抜けたとき、祝福のように空が光った、その瞬間を。
あの人のいろんな瞬間を、そのままの色に閉じこめたくて。
わたしはデジカメを持ち歩くようになった。
色にこだわり、画質にこだわり、ホワイトバランスにこだわるようになった。
するとあの人は、あの日のままの完璧な笑顔で、いつまでもわたしに笑いかける
ようになった。
曇る日も。
イヤな女になってゆく日も。
同じように、あの人が笑いかけてくるから。
そんなわたしを見つめてほしくなくって。
わたしは写真を破り捨てた。
みんなみんな破り捨てた。
嫌いになったわけじゃない。
瞬間は、瞬間だって、わかってしまったんだ。
色褪せない過去に。いつまでもしがみつけないから。
色褪せない写真なんて、いらないと思った。
心が感じられる分だけでいい。
反芻するうちに、薄まるくらいで。
記憶とともに色褪せるくらいで。
あの瞬間のわたしは。
生きている現在に。
少しずつ、薄れているのだから。
こがゆき