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カップルズ
子供の頃想像してた以上に、人生っていろんなことがあるんだなーと、つくづく思うようになった。
5年間の結婚生活を経て、わたしと夫は離婚した。
直接の原因は、夫に女ができたことだ。
夫の女ってのが、わたしの親友で、わたしは離婚することで、大切な人を二人失うことになった。
でも、その夫だって、わたしの別の友人の恋人だったのを、欲望を抑えきれずに夜逃げするような勢いで略奪したわけだから、因果応報と言われれば、それまでも話なんだと思う。
信じられないほど狭い道を通り抜けて、夫と一緒に暮らすようになった時は、同じベッドで眠り、当たり前のように何度も身体を繋ぐことに酔いしれた。
そうして、その当たり前が、当たり前すぎるようになると、夫はまた別の場所を求めていった。
そういう種類の男だったのだろう。そうしてわたしも、そういう種類の女だったのかもしれない。
そういう男とそういう女は、類を呼び合うように惹かれ合うが、一生同じ事を繰り返してゆくのかもしれない。
夫を失ったわたしは、一体になった部分を、皮膚ごと引き剥がされたようになって。真っ赤にめくれた皮膚の中に、もう誰も受け入れまいと固くココロに誓った。
その次点で、わたしの人生は、自分の想像をはるかに超えていた。
あとはもう、静かな生活を送ることだけを願った。
人のものまで奪うほど、欲しいものなんて、これから先にはもう何もないだろう。
おだやかな生活と、幾人かの友人。
そんなものたちに囲まれて、生きていければそれだけでいい。
わたしはただ、そう思いながら静かに暮らしていたかった。
* * *
サトシは過分の人だ。
満杯になったわたしの生活には、けっして入り込むことすら想像できなかった人。
だから、わたしは、サトシに何も望まない。
会うことも、セックスすることも。すべて、わたしの人生の過分なところとして味わっていける。
それ以上のことなんて、想像したくもなかった。
誰かを強烈にほしがるには、年を取りすぎた。
何もかも捨てて、選ばれることの、リスクも知りすぎた。
そうして。
無意識のうちに。
それを望めばサトシが去っていくことも。
わたしは経験上よく知っていて。
だからわたしは、自分の水槽のなかで。
ただの過分なるサトシを味わっていたかった。
いつか、100回くらいセックスして、それで、やり尽くして飽きてしまって、話すこともあんまりなくなって、それで微熱のような高まりがすーっと冷めてしまえたらいいなって思っている。
つきあっているのに、別れ方ばっかり考えるのもあんまりかな、とも思うけど。
サトシと憎みあったり傷つけあったりすることなんて、想像するだけでぞっとする。
奪ったり奪われたり、そんなことが似合わない男も、世の中にはいるのだろう。
わたしたちが勤めていた大手量販店は、経営不振で、いくつかの店舗を閉鎖することになった。
毎日勤めていてイヤでもわかってたことだけど。勤務してた店は、真っ先に閉鎖の対象になってしまった。
契約社員だったわたしはクビを覚悟してたにもかかわらず、パソコンの腕を買われて別の店への移動が早々に決まった。
サトシは、リストラババ抜きゲームを降りて、サッサと退社していった。手広く商売をやっている奥さんの実家を手伝うことになったのだ。
電車で、小一時間ほどの距離なのに、それからは、ときどきケイタイ電話で話すだけの関係に成り下がっている。
だから、このまま自然消滅してくれてもいいと思っている。
なのに、あきらめかけていると、それを察するように電話がかかってくる。
ココロの中にある空洞の、自分でもわからないような場所までも、きっちりと埋め合わせてもらえるような気分を、わたしはその度に味わえる。
セックスだってそうだ。
一ヶ月に一度くらいしかできないんだけど。
身体の空洞を、過不足なく埋められる感触をわたしは味わえる。
聞き上手なサトシに何度も尋ねられて、わたしは、足を開き、身体をよじり、いとも簡単にその場所を、明け渡す。
中の中まで晒して明け渡してしまうのに、屈せられた感触はそこにはない。
共有してるっていうんだろうか。
わたしの身体なのに。その一部にサトシが含まれている。
だから。
わたしは朝の夢うつつの中で。
その感触を、毎日だって反芻できるし。
切実な不在感というも、感じない。
こういうのって、満足してるっていうんだろうか。
満足とは。
なんと穏やかな状態なのだろう。
そして、継続してゆくはずの満足感は。
なぜに、そのまま小さくなってゆくような無力感を伴っているのだろうか。
* * *
友だちである絵里ちゃんの彼のケンタロウは、勃起しない。
なんでも昔、交通事故にあって、その影響で、まったく勃たなくなってしまったそうだ。
見た目はふつーなんだけど。なんて、もったいない・・・と、わたしは思っている。
わたしは、ケンタロウがきらいじゃない。
最初に絵里ちゃんに会ったとき、ケンタロウはこう言ったらしい。
「絵里さんって、なんか、アマゾンの奥地で、昔、戦ってました、って感じの女の人だなー」
それって、まるでわたしが、百戦錬磨の遊び人みたいじゃない、って絵里ちゃんは言ったが。
これはなかなかの口説き文句だと、わたしは思っているし。
絵里ちゃんも満更でもなかった証拠に、二人は今でもとても仲の良いカップルだ。
「ね。わたしたちみたいに、あんまり会わないけど会うとセックスできるってのと、絵里ちゃんとこみたいに、しょっちゅう会ってるけどセックスはできないってカップルと、どっちが幸せなんだと思う?」
「そりゃ、うちよ」
絵里ちゃんは、自慢げに答える。
「だって、入れるだけがセックスじゃないもの。男ってさ、イっちゃうと、もう何事もなかったように冷めてさ、すーっと身体を離すじゃない。ケンタロウはね、二時間なら二時間、ずーっと、延々とイかせてくれるもの。絶対そっちの方がいいわよ」
絵里ちゃんたちには絵里ちゃんたちの楽しみ方があって。聞かせてもらうたびにわたしは驚愕する。
世の中にはホント、カップルの数だけセックスがあるのかもしれない。
この前、絵里ちゃんのウチで、はじめてバイブというやつを見せてもらった。
ケンタロウと使うために、一緒に選んだやつだという。
柔らかいゴムのようなもので出来てて、なかに、パチンコ玉を小さくしたような銀色の玉が、いっぱい入っていた。
スィッチを入れてもらうと、バイブは円を描くように、ぐるんぐるんと首を振った。
それで、ケンタロウがこのバイブを絵里ちゃんの中に入れているところを想像してちょっと赤面したけれど、それでもその使用感に興味を抱かずにはいられなかった。
「こんなに大きく回るじゃない。でもね、中に入れるとね、膣ってそんなに広がらないから、あんまり回らないんだ。それと、ふつー、男の人の運動って縦に動くでしょ。その方が奥を刺激して気持ちいいんだ。これはね。直径3・5センチなんだけど。も少し小さかったら、感触も違ったと思う。でもねー。やっぱり本物の動きにはかなわないよねー」
それで、絵里ちゃんは、ケンタロウとふつーのセックスをしたいんだって、わたしは思ってたんだけど。
どうもそうではなかったみたいだ。
* * *
何週間に一度か絵里ちゃんの買い物につきあうのが習慣になっている。
絵里ちゃんの飼ってる猫の餌とか砂を買うのに、免許を持ってない絵里ちゃんを乗せて、わたしの車で郊外のホームセンターに出かけるんだ。
ケンタロウが行くこともあるのだが、このところ忙しくてままならないらしい。
そんな時ケンタロウは、律儀に絵里ちゃんのケイタイに電話を入れてくれる。
「自分が行けなかったから、ミサさんに迷惑をかけてしまった、よろしく言っといて」って。
別に買い物は迷惑ではないんだけど、そういう気遣いが嫌いではない。これをやりすぎると、絵里ちゃんの所有権を取られたように思えてイヤになるのかもしれないが。彼は、コップ一杯のミネラルウォーターを渡すようにあっさりとそれを伝える。
買い物のあと、ファミレスへ行こうと運転していると、そのあいだも、絵里ちゃんとケンタロウはケイタイで喋り続けていた。
「え、そのこと? まだ、ミサには言ってないよ・・・」
「えー。別に言ってもいいとおもうんだけど、言ってみようかなー」
「うん・・じゃ、またねー」
電話を切った絵里ちゃんに、わたしは尋ねる。
「あんまり聞きたくはないけど、一応聞いてみるね、何をわたしに話したのかって、ケンタロウは言ってたの?]
「ふふっ。ぺぺローションと、バイブをこの前はじめて使ったのよ。そのことを、話したのかって聞いてきたの」
「何、そのぺぺローションって?」
「ぬるぬるしたノリみたいなやつで、塗ると、とろとろして気持ちいいの」
「でも、絵里ちゃんだって、別にふつーに濡れるわけでしょ、なんで、わざわざそういうのが必要なわけ?」
「あのね、2時間くらいずーっと触られっぱなしで、ずっと濡れてるってわけにもいかないの。それにね、自分の身体の成分と違うものじゃない。もっと、とろっとしてて、なんか、触られてる部分が柔らかくなって、溶けていくみたいな感じで。なんか、すごく気持ちよくなれるのよ。ケンタロウは、下半身はダメだけど、上半身には性感帯があるからね。乳首のまわりに塗ってみたりもするのよ」
ふーん。
「そいで、バイブも使ってみたんだ」
「バイブは、あんまり感じなかったねー。うちってさ。ラブホとか行かなくて、車の中でやっちゃうことが多いわけ。ほんと、触りっこするくらいだからそれで十分なのもあるし。だだっぴろい駐車場で、海なんか見ながらするのって気分いいしね。で、シートを倒してするんだけど、まったくフラットにはならないから、角度的な問題があるのかもしんない。それよりか、ケンタロウの指の方がずっと感じるんだ。あの人ね、Gスポットとか刺激するの。わたし、そんな気持ちのいい場所があるなんて知らなかったよ」
「Gスポットって、わたし、わかんないよ」
「指を内側に曲げて入れると当たる場所があるのね、でも、すごいピンスポットで、よくこんなとこわかるなーって思ったよ。そこは、子宮にあたるときとまた違った感触でさ。なんか、切ないみたいな気持ちよさなのよ」
他人のセックスは聞いてみてもよくわからない。
しかし、わたしは、二人の行為を覗き見ているような気分になってしまう。
いや、二人の先ほどのやりとりから。
わたしという視点は、その行為の中に組み入れられてしまっているような気がしている。
わたしたちは、精神的な3Pをやっている。
見たこともない、二人の行為の中に。
わたしの目線が、きっちりと浮かび上がっているのだろう。
* * *
「奥さんとは、仲いいの?」
「仲いいねー。全然けんかしないよ」
わたしとサトシは、ケイタイで会話している。煙草を切らしたので買いに行った帰り道。夜の公園のベンチに座っているのだと、サトシは言った。
家でないことで、少しリラックスして話せる。わたしたちが持てるのは、そんなささやかな幸せだ。
「セックスもちゃんとしてるの?」
「ああ。そんなにしょっちゅうじゃないけどね」
「奥さんは、フェラ、うまい?」
ああ、なんでわたし、こんなこと聞いてんだろう・・・
サトシは、少し考えた。
わたしの部屋の窓から、西に傾いたオリオン座が見える。
サトシも今、煙草をふかしながら、オリオン座を見上げたのだろうか。
「夫婦のセックスって、日常のセックスなんだ。あくまで、日常でさ。だから。ミサとするのとは・・・なんて言うかなー。ちょっと質が違うっていうか・・・」
うまいか下手かはわからないけれど。
わたしは咥えるのが大好きだ。
しっかりと上向きになったサトシのモノを見つめて、ゆっくりと根元から舌を這わせてゆく。そして、それだけじゃ物足りず、待ちきれないような、サトシの感触をじらしながら・・・
少しずつ時間を、わたしのペースに巻き戻すみたいにして。
おもむろに先端から、吸いつくようにしてサトシを咥えこむ。
そのとき、聞こえないほどの吐息がサトシの口から漏れる。その感触がたまらない。
微熱のようにほんのりあたたかく、つるんとしたサトシの先端。それから、そこに、夢中になってゆく。
もう・・いいよ・・・入れたい・・
ダメ。もっとするの。
そう言って、サトシの時間をまた、わたしのペースに巻き戻す。
そんなフェラが大好きだ。
そんな想像をしてると、サトシが言った。
「ねえ、絵里ちゃんって友だちから、バイブのこと聞いたって言ってただろ、もう、買ったの?」
ああ、この前、買おうかなって、サトシに言ったんだった。
「まだよ。なんかわざわざ買うのもなんだかなーって思ってねー」
「買いなよ。そのバイブで、ミサをいじめてやりたい・・・」
わたしも。虐められてみたい。
「じゃあ、買ってみよかなー」
などと言いながら、わたしの下着を、あたたかい液が内側から濡らしていった。
濡れたことを告白すれば、わたしたちはテレフォンセックスに没頭できるだろうに。
照れが邪魔して、わたしの妄想は、うまく言葉にならない。
「さ、煙草買いにしちゃ、時間のかかりすぎよ。そろそろ切るね」
そう言って、わたしは、おやすみを言った。
日常かあ。
サトシの生活している日常なんて、わたしは知らない。
毎日どんなふうに生活して、どんな家族とどんなふうに会話しているのかなんて、全く知らない。
サトシにとってもまた、わたしは過分の人なのだろう。
誰かと出会って、どうにかなりたい訳でもない。
ささやかな逢瀬、ささやかなセックス。
それ以上の事を望めば、わたしはまた、無限の欲望の中で、他者だけでなく自分自身も切り刻んでしまう。
もう、そんなのは辞めようと、ココロに誓ったのだ。
日常の対極にある、非日常という場所。
繰り返されてゆく、当たり前の毎日から逸脱したわたし自身は。結構悪くない場所にいるのかもしれない。
もう、それで、いい。
それでいい、と、思っているはずなのに。
水槽の水の穏やかさが、ときおりココロをざわめきたてる。
それでもわたしは、水槽の中でしか、サトシを望めない。
この水槽のガラスを割ってしまえば、わたしはきっと、呼吸困難になってしまうんだろう。
* * *
週末、仕事が早く終わった日に、絵里ちゃんの買い物につきあった。
今日の運転手はケンタロウだ。
絵里ちゃんと電話で話しているケンタロウと、何度か会話したことはあったが、会ったのは初めてだ。
短くした髪に精悍な顔つき。そして何よりも、礼儀正しい。
絵里ちゃんの友だちだからか。それとも誰に対してもそうなのか。きちんと頷きながら話を聞くケンタロウは、大きなサラダボウルを思わせた。
色とりどりの旬が野菜がいくらでも入る、大きなサラダボウル。
許容量と、許容範囲の多様さ。
3人だといっぱい買えるから、と、山ほどの猫の砂と、缶入りのキャットフードを買い、それから食事をした。
イタリアンレストランで、何皿かのピザとパスタを頼み、それを分けあった。
「けっきょくね。自分は、女の人の悦ぶ顔が好きなんだと思うんだ」
ケンタロウが、器用にパスタをフォークに巻きながら言う。
「自分がイカないのに何で? って顔してたよ、ミサさん。でもね、自分がスケベだからね。すごく女の人の身体が好きだし。いろんな反応してくれると、それを見るのが楽しい。ミサさんだって、男の人がイク瞬間って、嬉しいでしょ」
ここで、正直に告白しなければならない。
わたしは、中に入っているときはいつも、自分の感覚に集中することに夢中になってしまう。目を閉じて、一番気持ちのいい場所を探り当てることばかり考えていて、サトシの顔すらまともに見ることができない。
「それって、ある意味受け身なのかもしれないね」
「そうね、ほんとは、興味津々なのに。なんか、それを言えないっていうか・・・わたし、自分のGスポットの場所すら知らないんだもの。自分の身体なのに、知らないところがいっぱい・・・」
「不満を感じてる?」
「そうじゃない。このままでいいと思ってる。でも。このままで、どうなるんだろうって思ってしまう時もある」
正直なんだね、そういってケンタロウは、ウェイターを呼んで勘定を済ませた。
車に3人で乗り込む。
絵里ちゃんが助手席で、わたしが後ろだ。
「まだ時間いいでしょ。TSUTAYA にでも行ってCDとか探したいんだけど」
早くふたりっきりになりたいんじゃないかと思ったが、ケンタロウの誘いに、時間を持て余しているわたしはすぐに了承した。
「じゃ、その前に。絵里。この前、買ったやつが鞄に入ってるから、出してよ」
「えっ、ミサがいるのに?」
「そ、三人の方が楽しいでしょ」
ショッキングピンクの、小さめのバイブを、ケンタロウが絵里ちゃんの中に入れるのを、身を乗り出すようにして後ろから見つめた。絵里ちゃんの耳が、後ろからわかるくらいに紅潮してる。
見ていいものかどうか・・・そう思いながら、わたしは、身を乗り出さずにはいられない。
「これって、リモコンで遠隔操作ができるようになってるんだ。あとは、TSUTAYAに着いてから楽しむことにしようか」
そう言って、ケンタロウは車を発車させた。
* * *
週末の夜のTSUTAYAは、不夜城のようにキラキラしていた。
バイクのまわりに溜まっている少年たちの間をすり抜けて、そのまま2階まで上がってゆく。
「DVD借りたいから、一緒に選んでくれる?」
そう言ってケンタロウが、わたしたちを案内する。
レジに一番近いそのコーナーの、一番下の段を探すようにして、ケンタロウが腰を屈めた。
「あ、ヒッチコックの鳥が出てる、これ、ひさしぶりに見ようかな、絵里、どう? それとも他のがいい?」
そう言ってケンタロウが、絵里ちゃんの腰を屈めさせる。
気配を察して、わたしも並んで腰を屈めた。
ケンタロウがジャケットのポケットに手を入れる。スィッチが入ったらしい。
あっ・・・
声にならないほどの小さな吐息に、絵里ちゃんの唇が動いて・・・その唇はそのまま半開きになった。
感じているのだろうか。それとも恥ずかしいのだろうか。
絵里ちゃんの顔は、少し蒼ざめているように見える。
「強すぎる、よ・・・それに、こんな格好じゃ・・・あ、ダメ・・・中から、はずれちゃいそう・・・」
その言葉で、ケンタロウは、ポケットのスイッチを切った。
「トイレで、入れなおしておいで。ここで、下着から落ちたら、すごく恥ずかしいよ」
絵里ちゃんは、ふらつくみたいにして立ち上がってトイレに向かった。
トイレに向かう途中で、ケンタロウがもう一度スイッチを入れる。
絵里ちゃんの腰が、びくんって震えて、歩き方がぎこちなくなる。X脚のような格好で、ゆっくりとトイレのドアを開けて。絵里ちゃんが見えなくなっていった。
「しっかりと入れて、下着で押さえておかないと、飛び出してしまうんだよ。どう? 見ててどんな感じだった?」
どんな感じと言われても・・・どうなのか自分でもわからない。
今までに見たことのない、絵里ちゃんの狼狽した顔だけが刻み込まれていた。
仲のよい友だちで、性的なことまであけすけに喋るのに。わたしは、そんな表情なんて想像したこともなかったのだ。
見たかったわけじゃない。でも。わたしはすでに、二人の性的な世界に「目線」として組み込まれている。わたしという目線も狼狽も、羞恥も。羞恥から目覚めて性的な刺激を感じてゆくことも。すべて。二人の世界に組み込まれてゆくのだろう。
その役割は。わたしの、「何らか」を刺激している。
わたしはそれを認めないわけにはいかない。
「さ、このリモコンはミサさんに預けるよ。ぼくたちは、ゆっくりと、DVDを探すから」
そう言ってケンタロウは、わたしにショッキングピンクの小さな装置を手渡した。
汗ばむ掌にそれを握り込むと。
ふたりの主導権を委ねられたような感触に、わたしの気持ちが波打った。
今度は、外れないようにと、立ったままのふたりがDVDを探している。
これ、見た? ううん。 わたしは見たよ、でも、もう一歩だったよ。
そんな会話を三人で続けながら、こわごわとわたしはスイッチを入れてみたりする。
反応すると絵里ちゃんは、ぎゅっとケンタロウの腕を掴んだりする。
絵里ちゃんが小声でケンタロウに何かを伝えようとしている。
スイッチの主導権はわたしが持っていることを、絵里ちゃんは気づいてないんだ。
だから、ケンタロウに反応をつたえようとする。
ケンタロウは、それを聞きながら、自分の傍らで行われていることを頭の中に組み立ててゆく。
リモコンバイブを介して三人は。
大音量の鳴り響くTSUTAYAで。おのおのの。性的感触を味わっているんだ。
結局、新作のアクション映画を借りることに決めて、会員証を持っている絵里ちゃんがレジに並んだ。
「レジが混んでるみたいだね。ずーっと、ONにしててね」
リモコンをONにしたまま、わたしはそれをケンタロウに手渡す。
「音楽の音が大きいから、誰も気づかない。でも、不思議な感じだね。こんなすごいことやってるのにさ」
レジを待っている絵里ちゃんの腰のあたりを、ふたりでじっと見つめた。
大きな波が襲ってきたのだろう。
きゅっと脚を縮めるようにして、絵里ちゃんの身体が痙攣している。
膝がガクガクしてて、立っているのがやっとの状態のようだ。
ああ、ほんと、不思議だね、と、ケンタロウに相づちを打つ。
秘密のトライアングルの立ち位置で。
わたしの内脚に、あたたかい液があふれてゆくのが。
ケンタロウとセックスしたいとかじゃないのに。
淫靡という言葉が、こんなに、甘く、心地よく、わたしに降り注がれてゆくのが。
わたしには、不思議でたまらなかった。
* * *
愛を語るにはクールすぎる。
日常を語るには、繋がれない身体がまどろっこしすぎる。
だから、わたしとサトシは、絵里ちゃんの行為のことを、電話の中で疑似体験する。
それでもわたしの口から熱い吐息は漏れない。
電話線の向こう側にある、用心深い壊れ物の世界を。壊さぬように、壊さぬようにと気遣いながらも。
わたしの意識は。
めくるめく非日常ばかりを夢見てる。
久し振りに、サトシが来た。
歩いているうちにラブホを見つけ、ビールのあとのいい気分で、わたしたちはふらふらと入り込んでいった。
大きなベッドに二人で、海にダイビングするみたいに飛び込んで。
その海の中で、わたしの動きは緩慢になる。
それがサトシの持つ空気だ。触れるだけで、身体中が溶けるみたいで、眠たくてそのまま沈んでゆくみたいだ。
他に何が必要なんだろう?
行為も、動きもいらない、海の底。ビールのせいかサトシのせいか。
つかの間わたしは、その緩慢さに、次のことを考えられなくなっていた。
「ね、この前買ったって言ってたバイブ,持って来た?」
その言葉で、意識がふっと、水中から息継ぎをした。
「あ、うん、バッグの中に入ってる。出して見ようか?」
茶色い紙袋に包んだバイブは、スケルトンタイプのシンプルなものだ。どれがいいのかわからなくて、通販で、一番機能が簡単なものを選んだ。
それでも先端は、しっかりとそれらしきカタチをなしていて、ゴム状のシリコンボディにはパチンコ玉くらいの無数の突起がついていた。
「スイッチを入れるとね、こんな感じで動くのよ」
絵里ちゃんとのプレイのせいで、わたしは少しだけ大胆だ。
だけど、こんなわたし。変じゃないだろうか。
動きだしたバイブは、くるんくるんと小さな円を描いてゆく。サトシがそれを手に取ってスイッチを強くすると、円も大きくなり、それにあわせて音も大きくなった。
「自分で入れてみた?」
「うん」
「どんな感じだった?」
「うーん、マッサージしてるみたいだった。気持ちいいとこを刺激すると、最初はちょっと気持ちいいんだけど、だんだんそこが柔らかくほぐれていって、もっともっと気持ちよくなるの。でもね、その感覚ばっかりに集中してしまって。もっと、いやらしい事いっぱい考えながらすればよかったなー、って思ったよ」
わたしはいつもはぐらかしてしまう。
溢れるような淫靡な海に、全身溶けてしまうみたいに沈みこんでゆきたいのに。
照れくささで、言葉を繕い。わたしは、沈みこんでゆけない。
「想像力が足りないんだろうな、俺としてるとこでも想像しながら、バイブでやってみたらよかったのに」
そう言いながら、サトシは、片手で器用にわたしの下着を脱がせてゆく。
上は薄手のTシャツのまま、わたしの脚が蛙みたいに開かれて、バイブを持ったままのサトシの顔が、接近してゆく。
「あ、ダメ・・・見られると、恥ずかしい・・・」
「見ながらしてみたいんだ。目隠ししてやるよ、そうすると、視線を感じないでしょ」
そう言ってサトシは、ジーンズのポケットから、バーバリーチェックのハンカチを取りだしてわたしの両目をそれで覆い、きゅっと縛った。
それからしばらく、サトシはわたしに触れずにいた。
視線だけが。見えない視線だけが、足元から突き刺さってゆく。
サトシは乱暴なことをするような男ではない。
そんな信頼感はあるものの、次の行為を想像できない不安に、身体中の毛穴がすべて開いていくようだった。
そうして、開ききった毛穴のすべてから、サトシの触感を求めるような汗が噴き出し・・・
おそらく、子宮へと通じるわたしの道からも今、サトシを求める液体がとめどもなく噴出しているのだろう、
その感触に羞恥して身をよじると、サトシの両手がわたしの膝を押さえ込んだ。
「隠しちゃダメだよ。どうなってると思う?」
わからない・・・どうなっているかなんて。恥ずかしさに身体が熱くなって、何もわからない。
「見てるだけで、どんどん濡れていって、カタチが変わっていくんだ。クリトリスがピンと尖ってきて、今、きれいに見えるようになってきた」
「イヤ、見ない・・で・・」
「見てるよ・・・どんな感じ?」
「イヤ・・イヤ・・・熱くてたまらない・・・お願い・・触って・・・」
言葉が弾けた。
水槽の中を漂っていた言葉が、サトシを求めてひょいと水槽からこぼれ出た。
わたしの求めている淫靡な感触が。照れて、いつまでもはぐらかしてしまう、身体を表現しきれない、わたしの言葉が。
何かを求めてもいいのだと、愛液のように口から溢れだして、止まらなくなっていった。
「お願い・・・触って。中に入れて。お願い・・・」
サトシが、バイブを乱暴に、わたしの奥に、まるで短刀でも突き刺すかのように、ぎゅっと入れ込み、また、ゆったりと、外に出す。
「あ・・・もっと、もっと、入れて」
バイブはふたたびわたしの奥までねじ込まれて、そしてスィッチが入れられる。
モーター音が耳鳴りのようにぐるぐると、頭の中を回る。
「すごいよ、ミサ。陰毛がぐっしょり濡れてて、キラキラ光っている」
視覚を奪われた分だけ、触感と言葉が、わたしを身体全体で押さえ込む。
バイブの回転する感覚。
それを、深くまで突き刺してゆくサトシの腕。
ただの、おもちゃの機械なのに。
前に試したときは、ただのマッサージ器にすぎなかったのに。
わたしは、それに、身体の奥まで潮流に巻き込まれるようにして。
あっという間に、奥の奥まで歓喜の波に飲まれていってしまった。
* * *
あっけなくイッてしまった仕返しをするように、今度はサトシに目隠しをさせた。
「ダメだよ、俺は、苦手だよ」
と渋るサトシに、さきほどのハンカチを巻きつける。
少し癖のあるサトシの髪を、手で柔らかく撫でつけながら、唇をあわせ、存分に舌を絡ませてゆく。
不安そうなサトシの舌の動きが、もっともっとと、わたしをかき立てていった。
ココロがドクンドクンとエスカレートしてゆく。
自分が望むことって、こんな感じだったのか・・・
身体中の細胞が、サトシの身体を欲しがっている。
ざわざわ、そわそわと、細胞が欲しがっている。
「ねえ、見るのと、見られるのとどっちが好き?」
そう尋ねながら、サトシのトランクスを脱がしてゆくと、もうすでにそこには、わたしの愛してやまないモノが、天空を指し示していた。
「俺は、多分、見る方が好きなんだと思う」
「わたしは。見られる方が好きなんだろうね。見られてるって思ったらすごく感じたし」
だけど多分。見ることも見られることも、たぶん、同じ行為のような気がした。
見られたいわたしは、見てみたい衝動に今、突き動かされているし。
表裏一体の立場の逆転を、味わってみたいと思っているのだ。
根元の部分に、人差し指をゆったりと這わせながら・・・サトシの表情を盗み見る。
あの、鳥肌のたつような視線を、今サトシが感じているのかと思うと、気持ちがどんどん先走っていった。
それを、制御して、一度指先を離してみる。
「咥えてほしい?」
「ああ、咥えて・・・」
そう聞きながらも、少しのあいだ放置して、不安げに感触を待っているのを確かめてから、おもむろに舌先で弄ぶ。
舌をゆっくりと動かし、根元から先端まで、あめ玉を舐めるようにゆっくりと時間をかけてから、それを咥えこんだ。
なのに、一度咥えこむと制御が効かなくなかった。吸いつくように激しく口の中で動かした。
同じようにすぎてゆく時間なのに。
じらしたり求めたりすることで、過不足のない日が、非日常に変わってゆくのかもしれない。
少しずつずれてゆく感覚は。
馴れ親しんだあうんの呼吸よりかずっと楽しい。
もう一度身体を離して、何も言わずに、今度は馬乗りに沈みこんだ。
熱くてとろりと溶けそうなわたしの内側が、歓喜の声をあげてサトシに絡みつき。
動くたびに、どんどんどんどんサトシに絡まっていった。
眠たくなるほどの安堵感を凌駕して、体内物質が駆けめぐっていった。
傍らに放置された、愛液まみれのバイブが、キラキラと笑っていた。
ね、こんなに楽しいなんて、知らなかったでしょ。
想像力とか、妄想とかは。
こんなふうに、ヨロコビを与えるものなのよ。
そう言ってバイブが。わたしたちを見つめて、笑っていた。
* * *
「そっかー、目隠しかー。それも楽しいかもしんないねー」
「はじめてだったんだけどね、けっこうすごいなーと思ったよ」
「いや、友だちの清香なんかはよくするって。目隠し手縛りは基本よって、あの子言うもん」
ドライブの途中で、わたしと 絵里ちゃんはモスバーガーを食べている。
これから、ケンタロウの家に遊びに行く途中だ。
連休なのに、仕事がたまっているケンタロウは家を出られない。
デザインの仕事を自宅でしてるのだという。
それで、ふたりで陣中見舞いというわけだ。
「ところでさ」
絵里ちゃんが声を潜めて言った。
「わたし、最近、潮吹くんだ」
「え?」
「ケンタロウがGスポット刺激すると、潮吹くようになったんだよ、自分でもびっくりした」
「雑誌なんかで、読んだことはあるけど、どんな感じなの?」
「ふつーの絶頂感とはちがってね、気持ちいいまま、気づかないまま潮吹いてんの。結構グッショリ」
「えー、見てみたいもんだ」
「ばーか。TSUTAYAのときは特別だったの。もう、ミサには見せないわよ。わたし、もともと見せたい願望なんてないもん」
そうかなー。こういう話をするのは、ごく個人的な行為を人の見せたいからじゃないのか、と、わたしは思った。
閉じられた空間の中で滞留してゆくものが、解き放たれる感触。
女同士の他愛もない会話は、そんな空気が流れだす心地よさを含んでいる。
5月の風が心地よい。
身体にぴったりと合うほど心地よい気候の日が、一年のうちにどれくらいあるんだろうか。
それは、身体にぴったりと合う男に出会うのと、確率的にはどっちが多いんだろうか。
隣接するスーパーで、スナック菓子でも買っておみやげにすることにした。
わたしが買い物をして、絵里ちゃんは、車の中でケンタロウにメールしていた。
わたしは、買い物しながら、TSUTAYAの一件を思い出し。
なにかしら、五月の風のように、季節が動いてゆく予感を感じていた。
* * *
自宅兼事務所であるケンタロウのオフィスは、小さいながらも小ぎれいな空間だ。
並んだコンピューターと、その前に山積みになった書籍が、今まで仕事中だったことを物語っている。
最近多忙なので、なかなか外でデートできない。
そんな状況の中で、今日、わたしの車でここまで来ることになったのだ。
「ミサさんは、この前ごはんを食べて以来だね」
「あら、ここに呼んでもらったのは、わたしも初めてよ」
二人がそんな会話をしている。
ケンタロウのマシンを、絵里ちゃんはめずらしそうに眺め、二人の肩は磁力を帯びたようにぴったりと触れあっている。
わたしがいなければ、ふたりはもっと濃厚に再会を喜びあうのだろう。
だけどもそこに至れない。そのもどかしさは、一種の緊張感になって、この場所に漂っていた。
「あ、そうそう、友だちから、おもしろい画像貰ったから、見せてあげる」
そう言って、クリックされた画像は、いかにも素人としか見えない女性の裸体だった。
あっけらかんと裸体をさらした女性が、どうして素人に見えたか理由はわからないが。プロのモデルに感じられる下腹部のしまりが明らかに欠落していた。だからといって、太っているわけではない。艶のある肌も、カメラ目線の表情も、まったく物怖じしてない。
だけども、これは、ごく個人的な写真なのだろう。
「インターネットで知り合った男性でね、まだ会ったこともない。その彼が、恋人と撮った写真を送ってくれるんだ」
「投稿写真マニア?」
「うーん、それとはちょっと違うかな? ごく個人的な知り合いにメールで送るだけ。だから、モザイクも何もしてない」
「エッチだけで繋がってる、男の友情なのか。なんか不思議な関係だね」
「そうかもしれない」
そう言ってケンタロウが笑った。
もっとすごいのもあるから、と、ケンタロウが別の写真をクリックする。
すると、女性の局部が丸出しになっていて、中から茶色い円形のものが見えている写真が、次に現れた。
「え、これは、何を入れてるの?」
一度剃ったあとに、まばらに生えはじめたらしき陰毛。
そのせいか、まったく隠されていない、大きく広げられたカタチ。茶色い円形のモノが、そのカタチをさらに拡大させていた。
「栄養ドリンクのビンを中に入れてるとこ」
「えっ?」
ビンを入れるなんて想像も出来なかった。割れそうでこわい。そんなもの入れるなんて、信じられないよ。
わたしがそう言うと、絵里ちゃんが笑った。
「そんなことないよ、今は、パイレックスとかの強いやつもあるし、試験管とかでも、それくらいの圧力じゃ割れないもんなのよ」
おそらくふたりは、そのようなプレイをしているのだろう。
ケンタロウが事故の後遺症で事実的な性交渉ができないことは知っていたが、具体的にふたりがどんなことをしているかなんて、わたしにはわからない。
羞恥と興味が入り交じり、わたしは何だかわからなくなって俯いてしまった。
「ミサさんは、絵里と比べると、もっと中性的な感じがするね。もっとも、絵里の方が、フェロモン全開すぎるのかもしんないけど」
「そうかもしれない。わたし、そんなに経験ないし。自分のGスポットの場所も知らないくらいだもの」
いや、まったく経験がないというわけではない、でも、この二人の持つ匂いは。明らかにわたしとは違うステージで生きてきた人間のものなのだ。
「Gスポットくらい、絵里ので、教えてあげるよ。絵里、脱いでごらん、下着だけでいいから」
「ええーっ。ケンタロウ。さっきメールで約束したじゃない。もう、ミサの前で、恥ずかしいこと絶対させないでねって」
「でも、ミサさん、せっかく来たんだから、知りたいでしょ。絵里が免許持ってないから、運転までしてくれたわけだし。お礼くらいしてあげなくっちゃ」
何と答えていいのかわからない。
でも、羞恥も友情も越えて、踏み込んでみたい欲望が、たしかにわたしにはあった。
そんな・・・悪いからいいよ・・・って言う選択肢も、もちろんわたしにはあった。
だけど、目の前に提示された世界に、目眩のするような高鳴りを覚えている自分がいる。
否定する判断力を奪う、絵里ちゃんの、伏せた眼差し。
「見て、みたい・・・」
そう答えて、わたしは、また、もうひとつのドアを開けてしまった。
* * *
向こう、むいててね・・・
絵里ちゃんはそういいながら、背中を向けて腰を屈めた。
するすると、ストッキングを下ろし、赤いレースのパンティが、踝にすとんと落ちる。
「絵里、こっちに座りなさい」
そう言ってケンタロウが、革張りのソファに絵里ちゃんを座らせた。
「腰をもっと前に出さないと、指が届かないよ」
絵里ちゃんの前にケンタロウが座り込み、指で弄びながら、そこから見えるか、とわたしに尋ねる。
わたしは、ソファの前に、折り畳みの椅子を置いて座っていた。
位置的にすこし高いので、絵里ちゃんのカタチまでははっきりとわからなかったが。ケンタロウが、絵里ちゃんの腰をずらしたことによって、はっきりとそのものが広がった。
きれいなピンク色をしている。
濡れた桜貝のような、うっすらとした輝き。
そのなかに、ケンタロウの指が二本、するりと飲み込まれていった。
「指を内側にすこし折り曲げるんだ、すると、ほら。ここでしょ。絵里のは、わかりやすい」
「あ・・・いや・・・そんなにいきなり入れたら・・・痛いよ」
「こんなに濡れているのに?」
そう言いながら、いったんケンタロウがその指を引き抜く。
とろける粘着質の海に浸ったかのように、その指がグッショリと濡れている。
「絵里のは、いい匂いがするんだよ、ほら・・・」
そう言ってケンタロウが、わたしの鼻先にその指を近づけた。
甘く、何かしらわたしの動物的な部分を刺激する匂いが、鼻孔に忍びこんだ。
何かしらを、呼び覚まされる感覚。
存在してるのに、ずっと見ないでいた、わたしの中に確かにあった感覚。
それが鼻先から、脳の中に広がり、身体中を駆けめぐった。
もう一度ケンタロウが指を入れる。
「ミサさん、よく見ててね」と言いながら。
呼び覚まされたわたしが、目をそらすことなんて出来るわけがない。
わたしは、絵里ちゃんに釘付けになってしまっていた。
まるで映画のフィルムを見ているみたいだ。
同じような、指の動きがえんえんと繰り返される。
中へきゅっと突き上げるような、ケンタロウの動き。
その指が探り当てているのは、わたしの知らない絵里ちゃんの場所だ。
絵里ちゃんの表情が変わっていく。
眉間を寄せて、吐息を漏らし・・
気持ちよさと表裏一体の切なさのような痛みが、表情に現れる。
ケンタロウの指が、早く動き出す。
あ・・あっ・・・ああ・・
絵里ちゃんの甘い匂いが部屋の中に蔓延していって・・・
それから。
透明な液体が、水鉄砲を強烈に押したかのように、飛び出していった。
ソファや、床や。そして、少し離れていたわたしのジーンズまでもが、その液体に濡らされた。
そうか、潮を吹くって、こんなふうになるんだ・・・
「すごいよ、絵里。今日は特別すごいよ」
そう言ってケンタロウが、絵里ちゃんの髪を撫でた。
わたしは、その場面を共有していた。自分自身の行為を終えたみたいに、わたしもまた、ケンタロウに優しく撫でられたような気がした。
「ごめんね、ミサ、ジーパン汚しちゃった」
そう言っている絵里ちゃんの目の焦点が合っていない。
「おしっこみたいに見えるけど、おしっこじゃないから平気だよ。それよりか、ミサさんも試してみない?」
「ううん・・・わたしは。いい・・・」
しばらく考えてからそう答えたが。
いつかは、わたしはケンタロウにその場所を明け渡すのかもしれない、という予感だけは、いつまでも拭えなかった。
仕事が入っているからゆっくりできなくてすまない、と言うケンタロウの事務所を後にして、絵里ちゃんと早めの夕食を取った。
それから、同じ駅ビルで、アウトレットのジーンズショップを見つける。ふたりで、かわるがわる試着して、わたしたちはジーンズを一着ずつ買って帰った。
今、わたしの車の後ろには、同じジーンズショップの紙袋がふたつ並んでいる。
「なんかねー。買い物もしたし、充実したお休みだったねー」
と絵里ちゃんが言った。
「してた、してた。すっごく充実してたよー」
わたしがそう答え、それからわたしたちは、声を上げて大笑いをした。
何が変わったというのだろう。
変わっていくのはいつも、身体の内側からだ。
自分のココロでさえも、それについて行くことしかできない。
だけど、わたしは、変わったような気がする。
それはおそらく。
サトシに会えば、はっきりとカタチになってわかるのだろう。
* * *
噂話から、その場所を知った。
行ってみたいかとサトシに尋ねたら、ちょっと興味あるね、と言って笑った。
だけどホントに電話してみるなんて思いもしなかった、と言うので、イヤならやめにしようかと言うと、いや、やっぱり行ってみたいと言う。
そんなふうにしてわたしたちは、はじめてカップル喫茶という場所に足を踏み入れた。
喫茶というので、そういう場所を想像していたら、3LDKくらいのマンションの一室だった。
かなりとまどっていたと思う。
親切なマスターがカウンターでドリンクを勧めてくれた。
「はじめてだから緊張してるって感じだね。でも、そんな変な場所じゃないから安心してくださいね」
変な場所じゃない、という言い方は相当笑えたが、数時間そこにいて、何となくニュアンスがわかった。
やってくるのは、ごく普通の格好をした、ごく普通の人たちだ。
30代前半の常連らしきカップルが、今度、**さんたちとここで待ち合わせて、それから飲みに行くんだなんて話している。
「こちら、今日がはじめて」
そう言って、わたしとサトシが紹介された。
「ちょっと緊張してるかな、まだ。彼等はスワップはNGだって」
マスターがそう言う。
「わたしたちもスワップはしないんですよ。ただ、ここでするのが楽しいんですよ」
サラリーマン風の男性がそう言って、一緒にいた髪の長い女の人が、わたしに煙草を勧めてくれた。
ちょっと強い煙草を吸って、くらくらしているうちに、二人は、カーペットを敷き詰めたフロアで行為をはじめた。
アダルトビデオなんかに出てくるのとは違う、ごく、ふつうの人たちのふつうのセックスだった。女の人の声も、なんかあまりに普通すぎて、それがかえってリアルだった。
結局、その日は、その二人のとなりで、サトシにフェラをして、お互いの身体をまさぐることくらいしかできなかったけれど。
違う場所の違う感覚は、わたしたちの身体を、しっかりと捉えてしまったのかもしれない。
いつかわたしたちは。
しばしば、このカップル喫茶に出向くようになっていった。
* * *
なんで自分がそんな事を望んでいるのかわからない。
だけども、わたしたちは、ここに来る事が楽しいのだと思う。
毎回ではないが、今日は行ってみようか、なんてどちらかが言い出して、それから自然にカップル喫茶に向かっている。
人前でセックスする。それのどこが楽しいのか、説明する事はむつかしい。
ここのカーペットに座るときは、いつも好奇心半分で、わたしたちはむしろ、傍観者のままでいたいくらいだ。
周りにはいつも、2・3組のカップルがいる。
若いカップルも年輩も、両方の組み合わせもいる。ただひたすら挿入して激しく動いている若者もいれば、女性の脚を大きく開かせて、下から覗き込むように延々と指を動かしている人もいる。
そうして、そんな光景を盗み見ているうちに、傍観者ではいられなくなる。
子宮の奥がざわざわとしていって、たまらなくなって下着を脱ぎ、わたしはサトシの指を導きいれる。
わたしは、したくてたまらない。
踏み入れた世界の妖しさに、惑わされて。
わたしの内部は、洪水でできた水たまりのようになっていて、それがサトシの指なのか水滴の一部なのかわからないくらいだ。
異物感もなにもなく、わたしとサトシの指が一体化してゆく。
その頃になるとわたし喘ぎ声は、普段よりかずっと大きくなって。ときおりそれに気づき、羞恥するのだけれど、それでも、また、すごい声を出してしまっている。
その声を聞くのが楽しいのだとサトシは言う。
それからサトシの舌が、足の指の一本一本を舐め尽くして、内股を這い上がり、わたしのクリトリスに到達する。
痺れるような羞恥心がだんだん薄れてゆく。すでにわたしの情欲はとろけだして、防御もなく部屋のカーペットをつたって流れ出す。
仰向けに開脚した内部は、ほの暗い照明の中で、見知らぬ視線に晒されているのだろう。
そう思うと、余計に声が大きくなる。
誰かに見られているから、対象物であるわたしたちが、ここにいられるのかもしれない。
わたしたちは、ここにいるよ。
喘ぎ声は、おそらく、そう言っているのだろう。
絵里ちゃんとケンタロウ意外には誰も知らないわたしたちの座標が。
この部屋の中に、ひとつの点になって打たれていくような、存在の確認。
まわりの何も見えないくらいに没頭しながらも、ときおり周囲の視線を感じると、またわたしの声が宙に舞う。
イキそうになったサトシを口に含み、吸いつくように激しく顎を動かして。
サトシの顔が歪み、その液体が口の中に広がる。
ドクンドクンと波打つように、わたしの中に入ってゆく海の潮を、わたしは一滴も漏らさぬように絡め取ると、つかのま所有することのヨロコビに酔いしれられる。
それを見ていた隣りのカップルの、年若い男性の方が、わたしたちにVサインをした。
わたしたちは、笑いながら、その男に向かってVサインを返した。
ずっと。サトシには何も望むまいと思っていた。
時々会ってセックスする以外の、どんな状況の変化も望んではいなかった。
だけどサトシは過分の人なんかじゃなかったんだ。
所有することも独占することも奪い去ることも望まなくても。
何ひとつ望まずに、好きでいることなんて、きっとわたしには出来ないのだろう。
螺旋状にカタチを変えながら、わたしたちの身体は、想像すらできなかったことをたくさん望んでゆく。
ココロが所有している四角い枠を越えながら、訳のわからないいろんな怪しげな行為を望んでゆくことで、身体は、虹色の光彩を放ってゆく。
いつかは、この場所に飽きて、また別の場所を望むのだろう。
その時わたしは。
絵里ちゃんとかケンタロウと一緒に。こんなふうなことをするのかもしれない。
あるいは、もっと違っためくるめくものに、手を伸ばしてゆくなかもしれない。
弛緩した身体を水平に横たえて。
わたしは、彼方の虹に手を伸ばすように、そんな場所を想像していた。
(了)
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