周囲との折り合いのつけ方(二つの例)
[アスペルガータイプの長男の時]
全くの宇宙人状態だったため、現場に私が必ず付き添って通訳をしました。 通訳というのは、本人に「いま・やるべきこと」「いま・しなくていいこと」「人に言われた言葉の意味」を伝えることと、健常児たちが発達障害児に対して抱く疑問(=「どうしてこんなことをするのか?」)や不信感(=「おかしい・悪いことをしている!」)に答えることです。
本人が得意とする分野(虫や車)のことは、注目されたり一目置かれたりするので、同じ興味を持っている子どもたちとは、本人に友達意識の全くないままその話題に関する限りは自然な付き合いができます。
しかし、きっかけだけつかめても、いつも同じことを繰り返ししゃべるだけでその先の踏み込んだ知識がなかったり、社会的な価値観がなくマニアに成り切れなかったりします。それに、集まった子ども同士で、その場の話し合いで他の遊びに発展することが普通なのに、そんなことができるはずもありません。
そこで、本人はまずはその場(必ずしも同じ部屋でなくてもよい)にいるだけで、私が同級生たちと遊びました。無理してつき合うことを、強要しませんでした。そのうち、私を仲介にして同じ遊びを始めたり、皆がやっている遊びに口出しするようになりました。やがて、同級生たちの遊びに自分から加わったり、同級生の方が長男のやっていることをおもしろがって参加して来たりするようになり、お互いの遊びを組み合わせた独特な遊びの世界ができあがりました。
子ども同士の横の繋がりができてからは、同級生たちが本人の特性(特に、「不注意」と「注意の転動」)を知ってフォローしてくれるようになり、私が介入する必要はなくなりました。
[或るカナータイプの例]
言葉によるコミュニケーションが全くできず、周囲の状況に関係なく自分のファンタジーに没頭していたために、典型的な「いじめ」の標的になっていました。また、ひっかかれる、はめられる(わなにかけられて他の子どもを叩くように仕向けられる)ことが日常茶飯事で、しかも「悪口・雑言」「他害」傾向があって喧嘩が絶えませんでした。
「いじめ」の相手は、主に近所の子どもたちでしたが、そちらの方は説明できない状況だったため、物理的に引き離しました。(数年間、放課後は私の家でかくまった。)
ここで、こういう障害特性による衝突を「いじめ」だと騒がないように、親御さんに申し入れました。というのは、まだ本人が自分にされたことの因果関係(誰が・何をしたから・こうなった)を分かっていないし、人の行動には何らかの意図があることも知らないのですから…。
「事件」として騒ぐよりも、まずは本人の行動特性のどういうところが問題になって衝突が起きるのが知って、衝突を回避すること。他害をしてしまった場合には相手に対して謝らなければなりませんが、衝突が起きてしまった時には本人を悪者扱いして叱らないことと、本人に状況説明をして安心させる(ほとんどの場合、どうしてそうなったかわかっていないため、解説するだけでも安心します)ことの方が大切だからです。
こういう時期、家族にとって大事なのは、こだわり行動や奇異な行動をただの「困ったこと」と問題にするよりも、それを目立たないように持って行く陰の努力をすることです。 先生の理解と協力が得られたので、学校ではそういう状況になった時に本人を悪い子扱いせず、相手にもとてもうまく説明してくれました。そのうち、行動が落ち着く時期を迎え、言葉によるコミュニケーションがとれるようになって、大きな衝突は起きなくなりました。