いじめる方が悪いなんて理屈は通らない

世の中というのは、

≪自分≫さえ良ければそれでいいそうです。

≪自分≫の身は、≪自分≫で守るそうです。

仲間に入らない方が、悪いそうです。

普通と違うのは、いけないそうです。

数が多くて力が強けりゃ、正しいそうです。

バカにされたり・からかわれたり・騙されたり・乗せられたり・はめられたり、"される"方がダメ人間だそうです。

モラルが無いのは・思いやりが無いのは・想像力に欠けているのは、アチラの方です。だけど、「いじめるなんて、とんでもない!」「あっちが悪い」とばかり子供に教えるわけにはいかないんです。だって、自分が正しくてあちらが間違っているなんて思い込んでしまったら、攻撃するか・されるかのどちらかになってしまうから。

人種が違うんだから、お互いに相互不可侵ならいいのに…。これは、本当の人種問題と同じです。自分の居場所に収まっていられる分には安定していられるけれど、ひとたび係わると、キチガイか・自殺か・犯罪かなんて、情けなさ過ぎます。

大学出て(しかも、いーとこ)・立派な文が書けて・ワープロやパソコンが使えて・登記書類だって自前で作っちゃうくらいなのに、打ち解けないのは自分が悪いのに・輪を乱すのはこっちなのに、これ以上の気遣いを要求するのは虫が良すぎるってこと。「そんなの、赤ん坊でもできるじゃないか!」って言われたって、「それが、一番難しいんじゃーーー!!!」

だから、私が人間達の集会に出かける時には、

こういうことを教えてくれる通訳を、誰か派遣して欲しいです。私は、ずっと外から眺めて分析して、バカバカしいとか醜いとか感じて怒ってきたし、あんな中に自分が入らなければならないなんて一度も考えたことが無いんだから…。

こんな社会に生きるため、と言うより、社会から身を守る為のソーシャル・スキルを教わってまで、こんな世の中に踏みとどまっていることに何の意味があるんだろう? 普通に生活できるって、そんなに価値があるのだろうか? 社会人として一人前になるって、どういうことなんだろう? どうせなら、多少の不都合があっても、周りのことが一切目に入らない完璧な自閉症に生まれたかった。生まれが間違ったのか、育ち方が悪かったのか、どうしてこんなに中途半端なのだろうか? 

もう、こうなったら、この中途半端さを実況中継することを"生き甲斐"にするしかないです。はい。

まだまだ続きの行事があるし、このところ色んな用事が立て込んでいて毎日予定変更なので、ゲームどころではありません。(後は、ラスボスとエンディングを見るだけという所なのに〜!) 時間が無いからCDも聴けない。(日記を書くヒマはあるくせに。) こういう時は、機械なのに妙に肉感のあるラグナロクやエヴァの使徒のフィギアを見てるか、レプリカの短剣のカーブを眺めるか、持った重さを感じるか、振ってキラキラさせるかない! 

と思いきや、昨日はリンコさんの「図書館」に「娯楽室」がオープンして、そこの「千代紙」に救われました。最終的には、Nゲージのカタログを開いて、精巧にできたディティールと整然と並んだ四角形を見ている間に、スッと心が落ち着きました。

なんて、こんなことで満足して終わっちゃから、また同じ事の繰り返しになるのだ! 

でも、今日は、本当に言いたいことは、字の方でなくって壁紙に出ています。

それから、第三者に慰めてもらったり励まされたりしても、事態は何んにも変わりませんから、もし誰か力になってくれると言うのなら(そんな人いないか!)、人の弱みにつけこむ人を罰する法律を作ってください! せめて、そういう人を完璧に見抜く"閻魔大王様"くらいは、存在して下さい! そうしたら、もう、完全に魔王教の信者です!(実は、不動明王教には、そんなことが書いてあります。)


      

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