お願いです!
−あちらこちらに巣くう、魑魅魍魎の方々へ−
「子供には療育を! 大人には共存を!」が私の願いです。どちらにしても、自閉的な特質を否定するのではなく、≪世の中≫との折り合いのつけ方を教えてくれる人を求めているのです。
でも、それはどんな人にも共通することです。だって、誰一人として完全ではないし、完璧な親に恵まれるなんてことはありえないし、自らの生い立ちに何一つ不満が無い人なんていないし、自分の望み通りにすべてうまくいくなんてことないし、嫌いな人とも会わなければならないし、人に嫌われてイヤな思いをすることだってあるし、何をやっても上手くいかなかったりするし、どんなに叫んでも言葉が通じなかったりもしているでしょう。
人は皆、一人一人違うのに、必ずしも適切な処遇を受けられるわけではないのです。更に、そういう個々の≪個人≫をすべて満足させるような≪社会≫が実現するなんてことも、絶対にあり得ないでしょう。必ず、どこかに片寄るし、有利不利があるし、力関係に圧倒され、波に飲まれたり流されたりしまいます。いつもいつも平穏でいられる人なんていないのです。また、≪社会≫の成員として認められるために、誰しも無理して自分に負荷をかけているでしょうし、圧力に屈して≪個人≫の心情は踏みにじられ、ズタズタにされることもしばしばでしょう。
そうやって、誰だって我慢して・自分を痛めつけ・涙を飲んで暮らしているのに、何故、「自閉的な特質」を持っているからといって優遇されなければならないのか! とイチャモンをつける人もいるでしょう。しかし、私は何も、我々だけの待遇改善を要求しているのではありません。ただ、「良くなると判っていて・方法もあるのに、何もしないで手をこまねいていることはない!」し「良くも悪くもなるのなら、少しでも良い方法に持っていくに越したことはない!」と言いたいのです。そして、それを訴えることができる一部の≪本人≫の意見に、耳を傾けて欲しいのです。聞いてくれるのは一部の親・一部の専門家"だけ"、かもしれないけれど…。
私達は、言葉の辞書的な意味しか解らなくて状況によって変えることができなかったり、自分が何をやって良いかその場で判らなかったり、みんなと同じようにやるのに違うやり方が必要だったりします。一見、頑固で人の話を聞いていないようですが、ひとたび納得すると、決まっていること・ハッキリしていること・指示されることを求めます。目的や規則のある何かの集団に属している間しか人付き合いができなかったり、仕事や用事の話しかできなかったりします。確かに、それは不便なことかもしれません、腹立たしいかもしれません、気味が悪い・可笑しなことかもしれません。
でも、私達の「こだわり・固執」や「頭の中で組み立てられた世界」や「狭い範囲の興味」というものが、健常者にとっての「意志」に相当しているのだとしたら、どうでしょう? そうだとしたら、私達が、私達の特質を尊重して欲しいと訴えるのは、健常者が個人の「意志」を主張するのとは、ほぼ同等のことになると考えられませんか?
しかし、普段、私達は、こうした≪自閉的特質≫のことを話題にするどころか、それ自体を「悪しきもの」として排除しようとする"世間の風"を真正面から受けて生活しています。ほんの数人の理解者と、家族だけが頼りです。私達は、もう十分に闘っています。私は、理解者を求めて「ここ」に来ているし、憩いの場が必要なのです。だから、「ここ」に「世間」を持ち込まないで下さい。楽しみの場所に、苦しみをもたらさないで下さい。
確かに、私達は、甘え始めるとトコトン甘えるし、調子に乗るとトコトン調子に乗ります。でも、その逆だってあるのです。イヤとなったらとことんイヤになってしまいます。信頼関係のないところで、うわべだけで、当たり障りの無いようにお付き合いするなんてことはできないのです。いつも、全身全霊で夢中になり、全身全霊で拒絶します。そんな私達を、からかって遊ばないで下さい。やっとの思いで探し当てた「楽園」を、汚さないで下さい。
私は、いきなり知らない人から親しげに声をかけられと苦痛に感じてしまいます。それに、どういう立場で何を考えているのか判らない複数の人から意見を述べられると、混乱してしまいます。解説してくれる人・まとめてくれる人、要するにコーディネーターとなる第三者の助けを、いつも必要としているのです。それを「甘え」と言うのなら、どうぞ、勝手に言って下さい。そして、黙って立ち去ってください。お願いです!
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