100+100=200
≪世間≫に身を置いている私は、十分に人並みに暮らしています。ちゃんと、人々の中にいる、至って普通の人です。ただ、ちょっと興味の幅が狭く、融通が利かなくて、人と違うものに惹かれたり・囚われたり・こだわったり、発想が違ったりしているだけです。しかし、誰も、私が皆と同じように人に関心を持ったり・係わったりすることができない人間だということに気づいていません。
私は、だいたい一人(あるいは子供とのユニット)で行動し孤立していますが、寂しくはありません。友達と呼べる人もいませんが、いつでもどこでも、話し相手に事欠いたことはありません。どこに行っても、ちゃ〜ぁんと話しを聞いてくれそうな人を見つけ出し、言いたい事をベラベラしゃべりまくります。そういう人を見つけ出す目の確かさは、ピカイチです。だから、人と違う事を苦痛に感じたことはあっても、人付き合いがうまくできないと悩んだ事はありません。一方的に、気に入れば近づき、どちらかが怒れば離れるからです。
思えば
私が、「私」という言葉を自分を指す代名詞として人との会話の中で使えずにいた最初の二十年の間、私はずっと≪私≫だけの世界にいて≪世の中≫を否定していたように見えていたかもしれません。でも、≪自分≫を≪世間≫に合わせることができなかった、つまりワガママだったわけではないのです。
ロッキングすること・決まったストーリーを繰り返すこと・秩序や順番をつけること・法則を見出すこと・心引かれる形を見つめること・神話を読むことといった、"お気に入り"たちにいつも関心が向いていたので、他者と一緒にいても係わりがほとんど無かったのです。人間関係の中で作られる自分自身の核と言うべきものがなくて、≪私≫の≪社会化≫に失敗していたのでした。しかし、誰もそのことに気づいてくれませんでした。
そういう≪私≫が、正体をばらして本心のままで生きることは不可能でした。≪自分≫一人だけで≪他人≫のいない世界にしかいなかったからです。それは、どんなに≪他人≫が愛情を持って接しても変える事のできないものでした。私の言う事は、その場の雰囲気や集会の意図に適っていないもので、時には人の気分を害し、ヒンシュクを買いました。そして、よく叱られました。「そんなことを言うもんじゃない!」「よく恥ずかしくないね!」。
そこで、とりあえず≪他者≫といる時は、≪他者≫に目いっぱい気遣いすることを学習しました。といっても、本当に人の気持ちや感情が解るわけではないので、≪自分≫の振る舞いの決まりと≪他者≫に関する法則をたくさん見つけたのです。「こういう時は、人はこうするものだ」「こういう場面では、こう思わなければいけない」というような…。こうして、≪他人≫といる時のパターン化された≪私≫がいくつもできました。
しかし
「自分が100で、世間が0」か「自分が0で世間が100」などと、どちらか一方を完全に否定しようとしたから、おかしいことになっていたのでした。どちらも100の二つの世界の間にいて、スイッチを切り換え、その中で≪自分≫を保って生きていけば良かったのでした。人の言うことを全部真に受けることはなかったのです。何といわれようと、これが≪私≫というものがあって良かったのです。
私は、そういう≪私≫が無かったばっかりに、≪自分≫自身の世界を肯定できなかったのです。でも、それだけではなく、社会化された≪自分≫をもまた、拒否し続けていたのでした。私がどんなに、いま・ここに生きることができない宇宙人だと言い張っても、物理的・生物学的にホモ・サピエンスであり、住民票や警察や自治会の台帳に記載されていて、頭数と労力として数え上げられている事実を消すことはできません。それを、とっても"不合理"に思っていました。だって、それは≪私≫じゃない!
本当はノドから手が出るほど欲しかった薬を、素直に「下さい」と言いに行った理由はたくさんあります。まず、こんな≪私≫が、生きている価値の無い人間だと意地を張るのをやめようと思ったこと、こういう≪私≫を肯定してくれる人と場があるのを知ったこと、こんな≪私≫に良く似た人が先陣を切って楽に生きる方法を教えてくれたこと、それから、≪私≫のあとにたくさんの同類が同じイバラの道を歩むことになるだろうということ…。
こうして
私は、いわば「私の死んでいる世界」と「私の生きている世界」の間を往ったり来たりして、生きていこうという心境になりつつあります。「私の生きている世界=私が私でいられる場所」では堂々と生き、「私の死んでいる世界=世間」ではそこでも立派に生きようとあがくのはやめて、一人前の"死人"として務めを果たせば良いと思っています。
どっちも100で、100+100=200の世界です。
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