雲の上の世界

最近、何だかとってもヒマになった。

単に子供たちが大きくなって、やらなければならないことが減り、物理的に時間があり余っているということもあります。そりゃあ、メチャクチャな子供たち二人を追っかけまわしたり、毎日のようにオネショの布団の洗濯があったり、勉強やら身の回りの世話を焼いたりなんてことが無くなれば、当然、時間は浮くわけです。それに、もう一人の自閉児の為に費やした時間と労力も、バカにはなりません。そういう、我を忘れて夢中にならざるを得ない状況がスッポリ無くなって、「どうしていいか分からない」でも、飛び飛びにいろんな厄介な行事が控えていて「何も始められない」状態になっていることは確かです。

でも、そういうことじゃなくって、本当にヒマになったのは気持ちの方なのです。

思春期の頃に≪自分≫を暴走させると波風が立つことを自覚して以来、常に「ああしなければ・こうしなければ・〜に違いない」といった考えに囚われて「四面楚歌」の状態に自分で自分を追い込んできた"禍緊張"から開放されて、ヒマになったのです。≪自分≫がやりたいようにやり・言いたいことを言うと必ず怒られるし、どうも周りの人たちと考えていることも感じ方も違って≪自分≫が浮いている、いや、周りの人たちがどうでも良い・バカバカしいことにかまけている、と思い始めて30年、私はずっと、自分に対しても他人に対しても、ギクシャクした関係しか持てていなかったのでした。

しかもその間の時間の半分は、あとからよ〜く考えれば何でもないような、物事の部分だけを見てパニクったり・落ち込んだり・怒ったりして無駄に過ごしていたようです。と言うか、いろんなことが気になって仕方ないから、「気にしない・気にしない」と常に呪文のように唱えたり、坐禅をしてそういう想いを切り捨て続ける必要があって、その為に費やしてしまっていたのではないかと思います。恐らく、薬の影響でこうなっているんでしょう。でも、自分の方は「いろんなことが気にならない」ことに慣れていないので、ポッカリ穴が開いた感じがして、「どうしていいかわからなく」なっているのです。

で、これは単純に喜んで良いものなのでしょうか?

私が、≪自分≫が楽なように、≪自分≫に正直に、≪自分≫に無理をしないようになるということは、≪他人≫のいない世界に戻ってしまうことなので、周りとのギャップがますます大きくなってしまうのではないか? かといって、溝を埋めようと悪あがきしてもほとんどが徒労に終わっていることを考えると、無駄だとわかっていることは最初からやらなければ良かったと言えなくもないし…。こうしている間に、大切なことをゴッソリ忘れているような気がしないでもないし…。

皆さん結構、土壇場になってアレがないコレがないと慌てふためいたり、気の利く人とか物知りな人におんぶにだっこして何となく何とかなったりしているようなので、「抜けてる人だ」ということで通せば良いのかな〜とも思ったりもしています。でも、みんなは何処からともなく情報が入って助け合うようになっているのに、それが一番欠けている人が≪自分≫を暴走させて好き勝手に振る舞い必要最低限の努力をしなくなっては、知らない間にヤバイことになっているのではないかと心配です。

≪本人≫が楽になるということは、周りがタイヘンになるのかもしれない。

でも、誰に聞いても私は「特に変わっていない」という答えが返ってくると言うことは、本当に気が楽になっただけなのか? それじゃあ、つい最近、見たはずの回覧版に書かれていた事がまるっきり頭に入っていなくって"寄り合い"をすっぽかしてしまったのは何なんだ? 一方、子供たちとのアニメやゲームについてのトークはますます絶好調! 「デジモンアドベンチャー」のラスボスは誰で、究極体にはいつ進化するのか、というようなことなら本気に幼児と議論している。確かに、うしろめた〜い気持ちが無くなっただけで、何も変わっていない気がしないでもない。

本当にeeのか〜、これで? また、元の"極楽トンボ"に戻っちゃうゾ〜! そのうち法事の最中でもなんでも、子供にチョッカイだして追いかけまわして遊びはじめるゾ〜! 来年の三回忌はとんでもないことになるかもしれない! そうなったら、一体誰が止めるんだい!? 

 

何か、"隠れ蓑"を着て"雲の上"を歩いているような心境です。

ちょうど、今やっているゲームの「クロノ・クロス」で10年前に死んだはずのが主人公が生きていて、≪自分≫の生きている世界と≪自分≫の死んでいる世界を行ったり来たりしているように、二つの世界の間に立っているみたいです。でも、セフィロスのコピーとして作られたクラウドが、時々セフィロスからの「心の声」に呼ばれて記憶を無くしてしまいそうになるのに比べれば、幾分かマシかもしれない!


そういえば、先日、「発掘あるある大事典」という番組で、思いがけない発見をしました。テーマは"しょうが"だったのですが、その中で「セロトニン」のことに触れられていました。(「セロトニン」とは、SSRIの2番目のSのことです。)

この「セロトニン」は、乗り物酔いや風邪の関節痛の原因物質だそうです。なるほど、SSRIを飲むようになって、乗り物酔いがおさまったわけです。するってーと、薬を飲む前の私の状態というのは、常に「車に酔っていて、体中の節々が痛くってだる〜い」状態だったのだろうか?と、単細胞の頭はまた単純に結論付けていたら、昨日たまたまどういうわけか、久しぶりに本当に車に酔ってしまいました。

気持ちが悪くって・全身に違和感があって・体がクネクネしてだらしない格好になって、丸まったりのけぞったりしたくなる"あの"感覚が戻ってきました。もしかしたら、"自傷"のある人というのは、この状態で自分自身を傷つけると気持ちが良いのかな〜なんて、またまた短絡的に考えてしまいました。私は、あっちこっち触りまくるだけで治まっていましたが、何かを噛みたいという衝動に駆られることがありました。でも、自分で自分の腕を噛むのは痛くてイヤなので、子供の頬っぺたを噛んで遊んでいました。私の子供たちの顔がオタフクなのは、そのせいではありません。念のため。


              

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