お詫び
−今回の顛末についての釈明−
毎年それほど変わりもしないのに、と言うより、数年前の状態に比べればずっと具合は良くなっているのに、今年に限ってこのようなことを書いてしまったために、皆様に混乱とご迷惑をかけてしまっているようで、まことに申し訳ありません。
そもそも、私がこのホームページを作った時、医学的にはどこも悪くないのに極度の自律神経失調状態で、「このまま動けなくなって死んでしまう前に、自分のやったことをどこかに記録しておかなければ、誰かがまた同じ不幸を繰り返すに違いない」という焦燥感に駆られて、『遺書』を書くつもりでした。当時は、まだ「私はこの世にひとりきりの宇宙人」だと完全に確信していましたから。
パソコンを買って2ヶ月、インターネットに接続して1ヶ月目というパソコン初心者の私が、『アスペルガーの舘』の村上さんに手取り足取り教えてもらって、2週間で作ってしまった! しかも、私のような状態が「アスペルガー症候群」というれっきとした「障害」であり、「自閉症」グループとして既に認められていることを初めて知ったのもその時だった。それで、その2週間の間に、当初「まだ誰も知らない私のような存在があることを、教えてあげなければ」という意図で書いていた企画を、「私のような人のことを、アスペルガー症候群と言うらしい」という内容に急遽変更して、一気に書き上げたのでした。
その後、リンクのお願いという形で『アスペの会』の辻井先生に連絡を取ったら、何の説明もなく「仲間」ということになって、「私が一番聞きたかったこと」つまり「私のやって来たことは、何だったのかという問い」には何の解答もないままに、テンプルさんが来日講演をした学会があって、いきなりドラマの話が始まってしまいました。そして、自分の「診断」と「治療」がドラマと同時進行になり、『にんげんゆうゆう』の企画もありました。更に、「親の会」に呼ばれれば、"本人なんだか親なんだかワカラナイ"という混乱状態のままで去年の一年間を過ごしました。
要は、過去の「障害」の概念からはずれていたために未診断・未治療で来てしまった成人のことは、専門家の先生方にも未知なことが多い。そして、私は、「遺書」を書いたつもりだったので、その後は"いない"はずだったのが"いる"ことになって、「その後」のことは何も想定していなかった。
一方、自分自身が長年知らず知らずのうちに抱えていた精神的な病的状態の治療過程で、「何が、自分にとって自然な在り方なのか?」「どういう状態が、自分にとって"楽"なのか?」「今まで何の自覚もなかったけれど、強迫的な義務感からかなりの"無理"をしていた。もう、それはやめていいんだ!」という諸々のことを知りました。それで、「自分に負担のかかることを、自分からすることはないこと」と、「できるはずのないことは、しなくていいこと」を実践するついでに、季節の変わり目で天候不純、かつ、年度替わりの3〜4月の時期には「自閉症児・者は不安定になること」を告知しました。
案の定、体調不良で精神的に不安定になる時期に年度替わりの行事が立て続けにあって、起きているだけで精一杯で他のことには全く手が回らないどころか、気を回す回路がプッツリと切れました。実は去年も、同じ時期に全く同じことが起こりましたが、まだ説明がついていませんでした。でも、今年は「理由」が分かったので書いた、それだけだったのです。そうしたら、きっとその書き方が良くなかったのでしょう。それで、いろんな方々の誤解を招いてしまったようで、本当に申し訳ないことをしてしまいました。
しかもその反応に対しての私の対応も良くなかったので、またまた余計な騒ぎを引き起こしてしまったようです。
重ね重ね、お詫びをしなければなりません。(芋庵さん、すみません。)
と言うのは、私は元々の合併症が「気分循環性障害」で、軽躁状態と鬱状態の混合した状態が常にあります。が、非常に適応が良かったために普通の社会生活を送る羽目になったばっかりに、社会的に一人前の働きをせざるを得なくなると症状が悪化して「双極性障害(躁鬱病)」になってしまいます。これも、40年の間知らずにいました。
そうならないように、一番いろんな行事が重なっていた時には、いつもより多めに薬(抗鬱剤と精神安定剤)を飲んで乗り切りました。それがひと段落して、"去年の仕事が終わり、まだ今年の仕事をしなくていい"解放された数日間に、ちょうど『にんげんゆうゆう』の放送があり、かねてから念願していた「ありのままのADHDの子ども」「ありのままのアスペの子ども」が、日本で初めてテレビ放送されました。しかも、アスペのお子さんは、全国的にもまだ診断がついていないケースの方が圧倒的に多いと思われる、私と同じ「受動型アスペ」でした。それで、「やったー!」とちょっと軽躁状態になっていて、「こういう時の方が、後が恐い」のは重々承知していたにもかかわらず、警戒するのを怠ってしまいました。
それで、私には禁句の「老後」という言葉を目にしてしまったとたん、発作的に大うつ病状態(ほとんど終日、泣いているか・寝ているか・怒っている状態)に陥りまして、「無価値観」と「死についての反復的思考」の無限連鎖が始まってしまいました。
なにしろ、私の住んでいる場所は、「アスペの会」の活動している地域の隣県ですが、全国的に見て、最も「軽度発達障害」の「診断」と「療育」の遅れているところで、ほとんど不毛地帯と呼んでもいいくらいです。普段、ネット上で活動していることと現実とのギャップがはなはだしいので、警戒態勢を解除していた間にしてしまった外傷の想起が、突然起きてしまいました。
- ここでは、軽度の「自閉症」の診断がおりないので、普通学級にいるほとんどの自閉症児の親は「ちょっと遅れているだけで、いずれ普通になる。障害児扱いされては迷惑。」と思っています。あれだけ一生懸命療育したのに、「それは全て、元々の子どもの力で、私のしたことは何の意味もない。」とハッキリ言い渡されたこと。そして、年度末と年度始めの行事で会った時に、明らかに「その話をされたくなく」て、避けられてしまったこと。そのついでに、ある「LD親の会」で、「あんなみたいな人の言うことを、聞く人はいない。」と言われたことまで…。
- 全く無防備で行った入学式(役員の仕事で行った小学校と、長男の保護者で行った中学校の両方)に、民生委員として招待された人に会ってしまいました。その人は、去年、まがいなりにも長男がちゃんと役職の務めを果たした祭のあとで「今日一日、ずっとあんたの子どもを見ていたけれど、随分とワガママだねえ。あんたのシツケが悪いんだねえ。」と酔っ払ってニヤニヤしながら、わざわざ言いに来たその人でした。しかも、その時、隣りにいたのは親戚の人で、その人もニヤニヤ笑っていた。それで、この地域で参加しなければならない法事の際の、ありとあらゆる出来事が全部イモヅル式に出て来てしまった。
- 適材適所どころか、毎年毎年、同じ顔ぶれのメンバーが違う役員会で顔を会わせるという過疎化の進んだ、しかも超保守的な田舎です。今年は、地区の役員なので、かつて「何してんのよ!」とか「人に恥をかかせないで!」とか「私がやった時には、ものすごく気を使ったものだ!」と、わざわざ電話で説教して来た人に会ってしまって、一連の事柄を思い出した。そのついでに、「ADHDもLDも存在しない。PTAの役員をやるくらいのことでうつ病になる人もいない!」と父親に言われたことまで、思い出した。そのついでに、ありとあらゆることが、両親によって「思い過ごし」にされてきたことを、思い出した。
- 過眠状態から起きたとたんに、家中がADHD状態になっているのを目にし、ADHDの子どものはしゃぎ声にASの子どものパニックの声が聞こえてきて、こっちがパニックになってしまった。
というわけで、鬱状態のままで反応してしまいました。(でも、今のところ「死んじゃ困る」と言われているから生きているけれど、「どこかでケリがついたら終わりにする予定なので、私には老後はない。」というのは、本心です。)
なにしろ、「障害を認めたくない親の気持ち」に応えられないのは仕方ないとして、「自分は、自分の両親からは全く逆の対応をされ続けて来たために自分には全くできないけれど、自分の子どもには分かっていたので事前に手を打って、自分の子どもはちゃんとできている」ことをアスペの子どもを持つ親たちに話すことは、自己分裂と自己矛盾の繰り返しになって苦しいんです。
私の息子は、小学校の高学年の時点で、トモダチと発展的な「ごっこ遊び」もできるし「人に向かってしゃべること」が出来ている。「愛着」も形成しているので、「感謝」の気持ちも自然に出る。こういうことを療育者として話すと、医者や専門家の先生方に立場が近くなる。しかし、何の資格も持っていない門外漢は、そこにも入れない。しかし、学校で現場の教師たちに「療育」や「障害」全般について説明するために「まとめ」をすると、必ず本人の誰かと利害関係と方向性が対立してしまう。それで、本人から意見をされることは、最も覚悟しているのに、本人に「あてつけ」と言われると最も平静さを失ってしまうのです。
特に、今年の一年間、何をキッカケに・いつ、そういう状態になってしまうか分かりません。それから、何かをやっていないと不安になるので、あれこれネタを見つけては『日記』を書くかもしれません。でも、字面で大きいことを書いている時ほど、実は精神状態が良くなかったりします。オフラインにしているのは、そういう理由です。できれば、予め、ご了承下さい。
というわけで、しばらく現状維持です。そうしないと、発作的に鬱状態になって全ての活動が停止している間に、「何やってるの!」と怒鳴られそうで、またまた恐くなってしまいますから。
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