自閉症と愛着形成
人と通常の形態での係わりを持つことが出来ないという障害であるはずの「自閉症」と「愛着」なんて、最も縁が無い概念のように思われるかもしれないけれど、実はそうではありません。
また、現在の脳障害説が定着する以前に、「親の養育態度が原因」というフロイト流の解釈をされてしまったために、数多くの自閉症児・者がたいへん理不尽な処遇を受けてしまったという不幸な歴史がある。しかも、未だに、社会的な一般通念はこの考えで支配されているので、こんなことを言われたくないという人もいるでしょう。
しかし、ここでいう「愛着」形成は「自閉症」の精神分析理論に基づく母子相互作用のことで、親だけが悪いのでもなければ、脳障害だからどうしようもないというのでもありません。「自閉症」の幼児期から成人期までの経過が明らかになった今日になって初めて判ったことで、やっと、その方法論が確立して研究の成果が発表されるようになったというところです。
よく、「幼児期の出来るだけ早い時期に自閉症を診断して、早期から適切な療育を始めれば予後が全く違う」とはいうものの、主に「親(愛着対象)」との間に「愛着」を形成できるかどうかに掛っていると言っても過言ではありません。それは、「こだわり」や「知覚過敏」や「認知の歪み」がひどいとか「多動」などの問題行動があるといった、「愛着」形成を阻害する要因が強い「孤立型」や「積極奇異型」をできるだけ早く「受動型」に変えるということでもあるのです。
では、そのためには下の三つが必要です。
- 自閉症の診断を受け容れること。
- 自閉症とはどういう障害なのかを知ること。(ライフサイクルを含む)
- 自閉症児・者の独自の世界を理解して、体験を共有すること。
自閉症児・者は、それぞれに知覚や認知の歪みや偏りを持っています。自我境界がない「自開」状態の時は独特の身体感覚を持ち、物的・人的環境の影響を直接的に受けます。そして、しゃべれるとか字が読めるといったことには関係なく個々別々の言語世界があり、こだわりや儀式や常同行動といった自分が安定して居られる方法を持っています。また、人との係わり方に双方向性が乏しく、人に係わる時と人から係わられた時とではまるで別人のように豹変したりします。
まず第一に、そういう自閉症独自の「癖」を否定しないで、表面的に現れる「行動」を「自閉症」の地平に立って「共感」する。そして、「自分のことを解かってくれている」「自分のことを守ってくれている」という安心感をしっかり根づかせる。始めに、自分自身の存在の拠り所となる基地を作ることが大事なのです。その土台の上に「必要なことを教えてくれる人から学びたい」「この人に見捨てられては困る」「この人の期待に添いたい」という建造物が立つのです。
ただし、自閉症児・者は一人一人違います。「こだわり」や「コミュニケーション」の障害が大きくて「かかわれない」タイプの人は、本当は人と係わりを持ちたいのに持てないことに苦悩しているでしょう。問題行動が多ければ、それでも自分を信じてくれる人との間に強い絆が生まれるでしょう。学習上の困難が大きければ、適切な指導をしてくれる人に感謝できるでしょう。不足しているものが多い方が介入しやすいということもあるので、かえって障害が軽い方が厄介だったりします。
いずれにしても、そのための具体的な行動には、次のようなことが挙げられます。
- パニックなどの神経症状に対して、適切な処置をする。
- 本人に自覚の無い知覚過敏の原因をつきとめて、適切な対処法を教える。
- 実際に困っている現場に居合せて、窮地を救う。
- 本人が一番知りたい・出来るようになりたいと思っていることを、分かりやすく具体的、かつ実効的な方法を呈示して指導する。
- 本人の特性を周囲の人に説明して、環境を整えるように働き掛ける。
- 本人の「こだわり」を否定せずに容認する。
これはまるで、誰かのようだって? そう、全ての自閉症児の親が、『君が教えてくれたこと』で狭山先生が繭子にしてあげたことを、自分の子どもにしてあげれば良いのです。
今日の壁紙が白地に桔梗なのは、こういう柄の湯のみ茶碗が欲しいとねだったのに「こだわりが強くて、ワガママだ!」と言われて、結局買ってもらえなかったことを思い出して。
もともと問題行動がなく学習上の困難もなく「かかわり障害」が主症状で、「弱い愛着」は十分に形成された私に「強い愛着」が形成されなかったのは、母親に依存すると「楽」なのが分かっていて接近を図る度に、当時は私がアスペだと知らなかったために私のアスペ流のモノの言い方をことごとく否定されて、毎日ケンカになってしまったからでした。
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