学習障害についての私見
私は学者・研究者ではないので、以下の記述について異論・反論はあろうかと思います。ただ、実際に子供たちに接するにあたり「こう考えるとわかり易い」という程度に認識してください。
@原因となる障害。
- 注意欠陥障害:注意散漫・注意の偏向
- 自閉症・自閉的傾向:外界との関係性の異常(カナータイプ・アスペルガータイプ・中間型)
A活動水準。
- 多動
- 寡動
B脳内諸機能のアンバランス。
- 情報処理能力の欠陥・運動との連携異常・身体操作性の困難 等
上記@〜Bによって、またはそれに加えて、学習上の困難があるものを≪学習障害≫とする。
- 上記@〜Bによって本来の能力が発揮できずにいると思われる学習上の困難がある。
- 一年程度の遅れでも、上記@〜Bを理解した上で指導にあたる必要があると認められるものは含める。
- 読み・書き・計算といった基礎的な学習にその特徴が顕著に現われる。
- 知能レベルは低いとは限らない。が、低いものは上記の原因@が軽減されてもなお、学習上の困難が残り得る。
≪学習障害≫についての考え方。
- 学習上の障害である≪学習障害≫は、結果として現われたものととらえ、原因の方から対処していく。
- すると、学習上の障害以上に社会的な学習困難の深刻さが浮かび上がってくる。
- 学力という意味での学習上の障害が見られないか軽い場合でも社会的な学習困難はなくなるわけではない。
- 特に言葉の遅れや学習上の不都合が少ない場合は軽視され、見過ごされる。社会生活に支障をきたすような二次的な障害に気をつける必要がある。
- ≪学習障害≫は、学校教育の時期に教育する立場からとらえるべき概念であり、社会的な学習困難はその原因となる障害そのもの(注意欠陥障害・多動症・自閉症)であると考える。
おことわり
- 「ペンギンくらぶ」は、注意欠陥障害・多動症・自閉症の子供たちが学齢期にかかえる問題のひとつである学習中の困難さを≪学習障害≫という用語を使っています。ここで述べられていることは≪学習障害≫の定義そのものではありません。
- これらの障害を抱えて生きていかなければならない子供たちの持てる力を最大限に引き出して、いかに社会に送り出すかが第一の課題であり、あくまでも一生のつきあいとして障害をとらえています。
- この私見は、≪学習障害≫とは何かを論じるものではありません。論じる間もなく障害につきあっていかなければならない者として、また<学校>という限られた場での<学習>以上に、<社会的存在>として生きていくための<学習>の必要性を痛感している者として、最も納得のできる整理の仕方をしたものです。
- 特に、言葉や学習ばかりに目を向けないように警告を発することを主眼としています。
以上、ご了承下さい。
戻る