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 猿之助&歌舞伎ファン広場 


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【NO8】

“伝説の舞台” ついに大阪初御目見え!

松竹座の空間にくりひろげられる、極め付け、一世一代の『ヤマトタケル』です。
補助席いっぱいの中、ついに初日の幕が開きました。みなさまのご感想、ぜひ
お聞かせください。猿之助さんになりかわり(勝手になりかわるかァー )
お待ちしています。




「ヤマトタケル 報告白書」、拝見いたしました。
あまりの面白さにイッキ読み(!?)してしまい、そのハイテンションのままに書き込みをしています。

とはいいましても、私は残念ながら<スーパー歌舞伎>を、まだ一度も目にしたことはありません。以前にも書きましたが、いらぬ先入観や偏見に邪魔されて猿之助さんの歌舞伎に触れようという気持ちを持たなかったため、噂は耳にしても足は運ばず仕舞いで終わっています。・・・といった、こちらのHPでは「不届き者(!?)」の部類に入るこんな私でさえ、この「報告白書」には引き込まれ、まるで猿之助さんが目の前でマイクを握っていらっしゃるような錯覚さえ覚えました!。本当に『翔』は素晴らしいファン誌ですね。 
それから、猿之助さんがこれほどお話上手な方だったとは!!。講演会の時間がどのくらいかはよくわかりませんが、どなたも飽きることなく楽しまれただろうと思います。
台本を1/3までテキストレージされたり、入場料が無税か否かといったことまで考慮されたり、点滴をしながら舞台に立たれたり…(ベニサンスタジオがすごく埃っぽいというのは本当です。まるで倉庫ですもの!。特に喉を痛められていた猿之助さんはお辛かっただろうと思います。)読んでいて感動しちゃいました。 
衣装に関するエピソードも興味深く拝読しました。「ヤマトタケル」の触りのTV放映を目にした時、あまりの衣装の豪華さに一瞬息を呑んだ記憶があったので、あれほどの衣装が如何につくられていったかという過程や、重い衣装を実際に身につける役者さん方のご苦労も垣間見る気がしました。
 また、<スーパー歌舞伎>もちゃんとした歌舞伎(!?)なのだということも改めて認識しました。大地に根が張っていれば苗木も大樹となるように、<スーパー歌舞伎>も歌舞伎という基本をしっかりと踏まえているからこそ、どこまでも裾を拡げていくことができるのだと知りました。機会があれば、是非楽しんでみたいと思います。
〜〜「だったら今月よぉ!?」というお声、確かに聞こえますけれど……。 でも……、ワタクシの大好きな玉三郎さんが名古屋にいらっしゃる限り、そちらで手一杯で、どう考えても大阪までは時間的にも経済的にも残念ながら足を延ばせそうにありません。皮肉にも来月の玉三郎さんは大阪でいらっしゃるのにぃ〜〜!?それでも、やっぱり私には玉様が第一ですから、今回は、〜ごめんなさい〜します。
今後も皆さんのパワー溢れる観劇記を楽しませていただきます。
1998年10月6日 / Nagako Y




いかがおすごしですか?
実は先日ヤマトタケルに一緒に行った会社の先輩が感想を書いてくれましたのでお送りします。
その先輩 には、7月以来、私の熱い (ミ−ハ−な) 感想をいつも聞いてもらっていました。先輩はコンサ−トやお芝居はあまり観た事がない方なのですが興味を持ってくれたらしく大阪までついてきてくれました。観劇料と同じくらい運賃もかかるというのに,、何かのついでではなくヤマトタケルを観るだけのためによく思い切って大阪まで遠征してくれたものだと思います。行って大変満足してくれたので、とてもうれしかったし安心しました。
今月行く時は、今度は会社の後輩と行く予定にしています。彼女もス−パ−歌舞伎初体験です。しかも千秋楽!北前さんももちろん行かれるんですよね。それにお便りのペ−ジの常連さんも勢揃い???翔の似顔絵やホ−ムペ−ジでのお写真でなんとなくイメ−ジが分かっていますので???お姿をこっそりと探そうかと思っています。でもたくさんのお客様でしょうから多分なかなか見つけられないでしょうね。

それから今日、以前から楽しみにしていたヤマトタケルの制作秘話がUPされたので、早速読みました。本当に興味深く楽しく、ためになりました。そうだったのか〜!と思うところもありました。
あれを読んで、ますます再度の大阪遠征を計画していて良かったと思いました。あの秘話を読んだら観たくて観たくてたまらなくなりますよ。予約しておいてよかった、よかった。チケットを取っていなかったらさぞや心残りだったことでしょう。
「ヤマトタケル報告白書」 を読んで行けば、二倍 (もっと?) 楽しめると思います。それにしても、北前さま、打ち込みご苦労様でした。感謝しています。
それでは以下の通り、先輩の感想をメールさせていただきます。

『 はじめまして。四国からお便りします。 東京の歌舞伎座の7月公演を観て感激した友人に誘われてス−パ−歌舞伎「ヤマトタケル」を観る事になりました。歌舞伎は高尚で難解だと思い込んでいたのですが、「ス−パ−歌舞伎は初心者にこそ観て欲しい!」といわれ興味を持ったのです。
また、翔 8号 の記事”追っかけのススメ ”を読ませていただき、猿之助丈のお人柄にも惹かれておりました。
さて、当日。緞帳が開き、それからは無我夢中の境地で拝見いたしました。早替わりに瞬きし、両橘姫の美しさに見とれ、どんちゃん騒ぎの熊襲の饗宴に笑いました。
また、伊吹山のシ−ンでは山姥なのにどうして肩から袖にかけて十二単のようなきれいな衣装を着ているのかと思っていたら空中分解!そうか、花火にたとえていたのかしらと自己流に解釈いたしました。
本当に息をつく間もなく ヤマトタケルが天空へと飛び立ってゆきました。気がつけば幕が閉じ、一生懸命拍手をしている私でした。
カ−テンコ−ルの際は私も思わず頭を下げてお辞儀をしてしまいました。猿之助丈はじめ、他の役者の皆様に、素晴らしい舞台をありがとうと、篤くお礼を申し上げたい気持ちでいっぱいになったのです。
ス−パ−歌舞伎 「ヤマトタケル」 は今も尚私の脳裏に焼き付いております。/FumikoM』
1998年10月6日/Kikuko T




皇后様のビデオ講演の全文が中日新聞に載っていました。その中に倭建御子(やまとたけるのみこ)と弟橘比売命についてのお話がありましたので御紹介いたします。

【引用・抜粋】
「・・・私(皇后様)は、自分が子供であったためか、民族の子供時代のようなこの太古の物語を、大変面白く読みました。今思うのですが、一国の神話や伝説は、正確な史実ではないかもしれませんが、不思議とその民族を象徴します。これに民話の世界を加えると、それぞれの国や地域の人々が、どのような自然観や生死観を持っていたか、何を尊び、何を恐れたか、どのような想像力を持っていたか等が、うっすらとですが感じられます。(中略)

 父のくれた古代の物語の中で、一つ忘れられない話がありました。
年代の確定出来ない、6世紀以前の1人の皇子の物語です。倭建御子(やまとたけるのみこ)と呼ばれるこの皇子は、父天皇の命を受け、遠隔の反乱の地に赴いては、これを平定して凱旋するのですが、あたかもその皇子の力を恐れているかのように、天皇は新たな任務を命じ、皇子に平穏な休息を与えません。悲しい心を抱き、皇子は結局はこれが最後となる遠征に出かけます。途中、海が荒れ、皇子の船は航路を閉ざされます。この時、付き添っていた后、弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)は、自分が海に入り海神のいかりを鎮めるので、皇子はその使命を遂行し覆奏(ふくそう)してほしい、と云い入水し、皇子の船を目的地に向かわせます。この時、弟橘は、美しい別れの歌を歌います。

 さねさし相武(さがむ)の小野(をの)に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも

 このしばらく前、建(たける)と弟橘(おとたちばな)とは、広い枯れ野を通っていた時に、敵の謀(はかりごと)に会って草に火を放たれ、燃える火に追われて逃げまどい、九死に一生を得たのでした。弟橘の歌は、「あの時、燃えさかる火の中で、私の安否を気遣って下さった君よ」という、危急の折に皇子の示した、優しい庇護の気遣いに対する感謝の気持を歌ったものです。

 悲しい「いけにえ」の物語は、それまでも幾つかは知っていました。しかし、この物語の犠牲は、少し違っていました。弟橘の言動には、何と表現したらよいか、建と任務を分かち合うような、どこか意志的なものが感じられ、弟橘の歌は−−私は今、それが子供向けに現代語に直されていたのか、原文のまま解説が付されていたのか思い出すことが出来ないのですが−−あまりにも美しいものに思われました。「いけにえ」という酷(むご)い運命を、進んで自らに受け入れながら、恐らくはこれまでの人生で、最も愛と感謝に満たされた瞬間の思い出を歌っていることに、感銘という以上に、強い衝撃を受けました。はっきりとした言葉にならないまでも、愛と犠牲という2つのものが、私の中で最も近いものとして、むしろ1つのものとして感じられた、不思議な経験であったと思います。(後略)」

このお話の、皇后様御自身の英語版ビデオが、インドで開催された国際児童図書評議会で上映されました。つまり、走水の場を全世界に御紹介頂いたことになります。
こうなりますと、春猿さんの責任は重大ですぞ。少々出来が良い位では誉めるわけにはいかなくなってしまいましたよ。今回の舞台は、気合充分で喜んでいますが、さらなる飛躍を期待しています。といって無理やアセリは禁物です。春猿さんの個性を活かした弟姫を、一歩々々、確実に作り上げて下さい。<さりながら 常に変わらぬ 心がけ りきむことなく ゆるむことなく>
1998年10月4日/しっぺえ太郎




ご存知ですか?いま、大阪って、全国で二番目に強烈な不景気風が吹きまくってる都市なんだそうですね。失業率を例にとっても、全国平均の4,3%に対して、大阪は4,9%だというんだから、北海道に続く堂々の第二位獲得!
早い話、食べることには目のない大阪人だというのに、最近のファミリーレストランの閑散ぶりなんて、それはヒドイもんです。街の不動産屋はどんどん消えてなくなるし、外出が減ったとかで電車まですいてるし、知り合いの落語家さんも、仕事が減った(宴席が減って)と嘆いていました。
そんな大阪公演に、よくも15750円なんて値段つけたもんだ・・・。松竹さんも情勢を知らなさすぎる・・・って、私、心配してたんです。ファンの分際でって怒られそうですが、何しろみんな身内感覚ですもんネ。
でもフタ開けてみたら、客席は満杯!! エエもんはみんなちゃんと知ってるねんなぁ〜・・・と感心しています。
昨日も行ったんですけど、よお〜入ってました。それに嬉しかったのは御堂筋にズラズラズラーーッと並んで客待ちしてた(乗り手一人に車5台の世界です!)タクシーの運チャンたちの会話!
「なんや、ここ(松竹座)、よう入ってるらしいなァ 」
「そうらしいなァ」
「猿之助のヤマトタケルか・・・」
「景気のええ話やのう 」
タクシーの運転手さんって、街の一番新しい、一番の話題に 一番敏感な職業やないですか。
ヤマトタケルは、その運ちゃんたちの噂にまでなってるんですよ〜〜〜!!
1998年10月3日/ じゅんこ N




スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」、残りの夏休みを利用して観劇してきました。12日夜の部3階席、13日昼の部一列目花道の下手側の一番前の席でしっかり見て参りました。すばらしかったです。
大阪の松竹座は初めてで、「ヤマトタケル」もビデオでは見ましたが実際には今回が初見でした。
前の日から、そわそわして、どの着物着て行こうか胸躍らせながら、朝8時の新幹線に飛び乗り(おいおい着物きて)(@_@)、先ずは宝塚を見て、翌日大阪にて夜「ヤマトタケル」を観劇。
松竹座は作りが歌舞伎座よりこじんまりとしていて見やすいです。新しくて綺麗です。座席もゆったりしていて、前の人の頭があまり気にならず、3階席からも舞台がよく見えます。宙乗りもしっかり見ることが出来ました。 3,4人で装置を取り付け最後の一人が猿之助さんを支えて白鳥が空高く舞い上がる所もしっかり暗やみの中見ることが出来ました。猿之助さんの弾む息ずかいまで聞こえました。
第一部の早変わりは楽しいですね。第ニ部の炎の中の演技、春猿の海中に身を投げて消えてゆく場面、つい目頭が熱くなります。春猿ファンなのですが、今回よく頑張っていると思います。ただ私の好みで言えば、弟姫より雪之丞変化のお初役の方がより似合うような気がしますが・・・・。
第三部、白鳥になって空高く舞い上がる場面は本当に見せてくれます。
翌日は、昼の部を ( 8月の京都も暑かったけれど、大阪もまだまだ暑い中、着物姿の舞子さんを見かけました)一番前の席で観劇。琉球の踊り子役の段治郎、が目の前でかわゆく女形になっていました。(着物の裾を持ち上げた時、足がバッチリ見えたりしていましたが)
一番前の席は、液体チッソの冷たい煙をたっぷり被って、結構寒かったです。でもあれって、匂いが付けてあるのでしょうか?それとも、女形の方達のお香が匂うのでしょうか?不思議でした。
それにしても最前列花道横というのは、ファンにとってはたまらない席でした。ただ三階席も全体がよく見えてよい席です。
余韻を残し東京へ戻りましたが10日あまり過ぎてまたまた、24日大阪へ夜の部のチケットが取れたので行って来ました。
「ヤマトタケル」は何回も見たくなる舞台です。スーパー歌舞伎の中では、この作品がやはり一番素晴らし気がします。私も、「カグヤ」、「オグリ」、「オオクニヌシ」と何度か拝見しましたが、やはり「ヤマトタケル」が猿之助さんの一番思い入れが強い、主張したい、スーパー歌舞伎じゃないかと思いました。
後は千秋楽まで見にいく予定はありませんが、ある日突然新幹線に乗って見に行ってしまいそうな自分がコワイ・・・・。それでは、またご報告致します。
1998年9月29日/お仕事中の美翠でした




25日の夜、やっぱりあったそうです、500回記念のご挨拶が。それで松竹座の方から、観客全員にオシャレなかわいい手鏡がプレゼントされたんですって。知人か゛報告してくれました。
「評判の舞台らしいから観てみたいけど、チケット手にはいる〜?」って電話があって、任して頂戴!とばかりに頑張った8列花道寄りのスーパーシート。
スーパー歌舞伎&猿之助初体験の二人連れなんですけど、案の定、大感動! 発熱40度ですゥ〜みたいな声で電話が入りました。
「もう!はまりそうやわぁぁぁぁ!!」 というのが第一声だなんて、嬉しいじゃありませんか。
「感想は?」
「よかった!よかった!よかった!!ホンマによかった!!!」
「もうちょっとチャント言うてくれなわからへん 」
「ホンマにホンマに、ホンマによかってん!!!」 てな調子。
とにかくこれまでみた舞台の中で、イーッチ番!よかったんだそうです。(ムフフフフ、やったね!!)
しかも熊襲館の場が終わった後に場内アナウンスがあり、たったいま「勝ったのだ、私は勝ったのだー!」と見得をきったばかりの猿之助さんが登場、500回記念の挨拶をされるというビックなおまけまでがついていたらしいんです。それも、猿之助さんのことだから、通り一遍の形式的な”ご挨拶”なんかじゃなくて、スーパー歌舞伎誕生までのプロセスから始まって、ご自分の舞台にかける熱い想いだとか、あれもこれもを詰め込んだ、まるで長くて熱い”メッセージ”って感じだったとか。(その場にいなくてもなんか、スゴーッく分かりますよねェ〜)
そのことにもえらーく感動した二人、「お帰りになったら、せいぜいご宣伝いただいて、お友達をお誘いの上もう一度ご覧ください、て言うてはってん。言われんでももう一回見に行くとこやけど、そこまで言われて見に行かんわけにはいかへんよ。どこでもええから、二枚お願い!!」
ほんと私の回りの人たちって、ツーというばカー。 素朴で、感動屋で、腰の軽い人たちばっかりやねェ〜。
1998年9月28日 / Miyako K




"天翔けて500回記念"まずはおめでとうございます。(猿之助さんになりかわって受けてくださりませ。)
あぁっもぉっできることなら大阪まで飛んでいきたいくらいでしたっ。いかんいかん・・・欲望のまま突っ走ったらアカンっっ心に言い聞かせながら耐えております(;_;)(;_;)(;_;)
ご覧になった皆さん、もっともっといろいろ報告してくださりませ。せめてお話だけでも聞きたいんですぅ〜。どうぞよろしく!!!と、まぁ・・・なんだかんだ言うて、10月に再び「ヤマトタケル」を観に大阪に舞い戻ることになってるんですけどね(^-^;)幸せなことに。
今度は、近頃めっきりヒマになったらしい大阪在住の妹を引き連れて観劇する予定です。異常にクールな妹がスーパー歌舞伎を観てどれだけ熱くなるか・・・それもちょっと気になるところ(^_^)姉の思惑通りにハマってくれるといいんですけど。
1998年9月28日 / YUKA蔵



23日、行ってきました。(何度目かって?自分でいうのもはばかられる・・・)
猿之助さん観るなら古典! 猿之助さん観るなら舞踊! 猿之助さん観るなら復活通し狂言!なんて思っている私ですが(そういう舞台での猿之助さんのカッコよさ、輝きぶりったら、もうたとえようがない!)、やっぱりいいものはいいもん!
一幕二幕の大スペクタクル、山あり谷あり涙ありの展開に客席は完全にのめり込み状態。寝てる人なんて一人もいませんもんね。
でもこれってスゴイことですよね。 前夜遅くまで仕事してたって人や、遠方から始発列車で来たなんて人や、いろんな状態の人がいるはずなのに、4時間もの間、あの狭い座席一つの空間にしばりつけておいて、しかも誰一人眠らせないんですよ〜。
それで三幕は、タケルの激しくも哀しく切ない一生を思い、みんなにさめざめと涙を流させる・・・。
やっぱりスーパー歌舞伎は 『ヤマトタケル』 ですよね〜。

ところで23日、ちょっと面白いというか、ドキッとするアクシデント(?)がありました。
最後のクライマックス、「・・・・天翔ける心、それがこの私だー!」 のあと白鳥となったタケルがフワ〜っと飛び立つでしょ。その瞬間、花道脇の席の金髪の人物が一緒にフワ〜っと立ち上がっちゃったんです。で、魂抜かれたみたいに、飛び立った白鳥をまるで追いかけていくかのようなしぐさで見上げて・・・。
その姿がスポットライトにバッチリ照らし出され、他の観客は全員ドキッー!思わず息をのみました。「な、な、なにする気や??」って。
すぐに劇場の人が飛んで来て注意をしたんですが、その金髪の人物、自分が立ち上がっちゃってたこと、分からなかったみたいで、「えっ!?うそー?!」って感じで慌てて座ってました。
きっとあの人、タケルの飛翔のあまりの美しさに魂奪われて、吸い込まれて、一緒に飛び立ってしまったんだ・・・って思ってます。打ち明けると、実は私だっていつも一緒に飛び立ってる気分なんで、その気持ちよーく分かる・・・・。

今回の『ヤマトタケル』は、猿之助さんのタケルに一層の陰影が出てきたことによって、活劇であると同時に、誇り高く孤独な魂の物語として胸に深く響いてきます。
団蔵さんの兄タケル、弥十郎さんとはまた違った人物像を作り上げていました。同じ人物が役者さんによって違ったキャラクターに生まれ変わること、面白いですね。伊吹山の山神も同様。異様な感じ、人間たちへの恨みから奇人となってしまったという狂気が渦巻く、異様な雰囲気が立ち込めて、これもヒット!
右近さんの弟タケル、信二郎さんより上背がないのがちょっと惜しいけど、そこは上手さでカバーして、
扮装もよく似合って、よかったです。仕種、台詞まわしなど、より歌舞伎味が増した感じで、これも右近さんのものになった!と思いました。ただ、三幕の使者は、信二郎さんのが懐かしい・・・。信二郎さんって、ただ出てくるだけで気高い大和の使者って感じがしましたもんね。
竹三郎さんの国造、クサくて、コミカルで、いいですよね。悲劇に突入していく前の、笑いの場として、あの場での延夫さんとのコンビ、ホッとしますもん。
そして、今回の私のお気に入りは(猿之助さんは別格だから置いといて)何といっても亀治郎さん!!
ヘタルベがあんなにいい役だったなんて、亀治郎さんで見るまで気づきませんでした。
志貴の里でのタケヒコとヘタルベの述懐は、泣けます!本当に!
スーパー歌舞伎での亀治郎さんの台詞って、力が入りまくって絶叫調になることが多く、惜しいなァって思ってました。それが今回は緩急、強弱、自由自在で、素晴らしい。歌六さんはもともととても台詞の上手い方だから、二人の会話の濃いこと、濃いこと。
最後、晴れ晴れとした表情で兄姫一行を追って花道を駆け抜けていった時、後ろの席の人も「この人上手いねェー!」って感嘆の声を上げていました。それに見る度にやり方が変わってるのもビックリ。たぶん毎日毎日、ああやってみようか、こうやってみようか、って役作りしてるんですよね。
あっ、そうそう、番付隅から隅まで見てる人は気づいていると思うけど、熊襲館の場で、段治郎さんが踊女の一人になってるの皆さん知ってますか?大きな身体を小さくして、でもスゴーッく嬉しそうに(これがまた美しい!)踊ったり逃げまどったりしています。

PS・・・24日、藤山直美さんがいらしてたそうです。知人がロビーで見かけたとか。直美さんは23日まで、シアタードラマシティーでつかこうへいさん演出の『寝取られ宗助』に出演中だったはず。ということは楽を迎えてさっそく駆けつけられたってことですよね。
そういえば、『寝取られ宗助』の舞台でも、劇中で歌を唄う場面があって、頭に羽いっぱい付けて現れた直美さん、「まるでヤマトタケルやー!」なんてギャグとばしてました。カワユイ・・・・
1998年9月27日/Kanoko S




最初は行く予定じゃなかったんですが、10月分のチケット予約の時についつい取ってしまいました。9月17日は私の19歳の誕生日でもあったんですが、自分で自分にプレゼントを贈る悲しい誕生日でした。
でも、行って良かったです。お金の無い貧乏学生なんで3等席の右列10番で観ました。かなり見難い席だったんですが、体を乗り出して(係りのお姉さんの顔色をうかがいつつ)観ました。ちょっと体は痛くなりましたが、最高にいい舞台でした。
初めてスーパー歌舞伎を観たのは去年の“カグヤ”でした。カグヤの時も泣いてしまったんですが、今回もまたもや泣いてしまいました。自分でもわからないうちに泣いてしまっているのです。
去年の“カグヤ”。そして今回の“ヤマトタケル”のパンフレットを、肌身はなさずといっては大袈裟ですが、学校に持っていっているかばんの中に入れています。“カグヤ”のパンフレットはだんだんぼろぼろになってきてしまったんで、そろそろ、ブックカバーで保護をしようかなと、思っている所です。

実は17日に行ったことは母親には内緒にしてるんです。言うといろいろ言われそうなんで、(へぇ〜、お金持ちやねぇ、と言われた経験あり)一応内緒にしてます。でも、おばあちゃんには言ってしまいました。どうしてもあの感動を誰かに伝えたかったんです。それで我慢できずにおばあちゃんには言ってしまった・・・。もちろん友達とかにも、「よかったで〜!」と、言いまくってます。
今度10月13日には母親とおばあちゃんと、3人で行ってきます。今度は晴れて1等席!です。(左列1〜3)。
学校終わってから歌舞伎を観れるなんて、何という幸せ。一日の嫌なことを全部忘れられそうで、今からとっても楽しみです。しかし、おかげでお金を使わずにすみそうなので、実はもう一度自分のお金で行こうかなどと企んでいるところです。             
P.S. 私も「翔」の制作のお手伝いはできますか? と言いつつ何かとバタバタしているので本当にお手伝いが出来るものかはっきりしないんですが、どうでしょうか?私は吹田市在住の大学生です。
1998年9月24日/  おさよ より

【編集部より】=お手伝いのご希望、ありがとうございます。とても嬉しいです。ただ、いまのところは8号が最終号ということになっていますので、本作りの計画はありません。でも、その他のことで何かやろう!というような時にはご連絡することがあると思います。その時はよろしく。




待ちに待った19日、<ヤマトタケル>でス−パ−歌舞伎を初体験してきました。
翔 のお便りのペ−ジやYUKA蔵さんのホ−ムペ−ジを読んで、すごそうだなあと心して臨んだつもりだったのですが、私の想像をはるかに超えた舞台でした。幕が開いてから、気がつけば口が開いたまま??になってる位、圧倒されっぱなし。
スト−リ−の展開の速さ、衣装の豪華さ、などなど "うわ−すごい”と思っているだけであっという間の4時間でした。こんなに時間が過ぎるのが早いだなんて!!!

ス−パ−歌舞伎って一瞬も目が離せない舞台なんですね。もうお話の展開についていくのがせいいっぱいで、観て初めて、何度も観劇する方の気持ちがよ−く分かりました。あんな贅沢で素敵な舞台、いっぺん観ただけで十分堪能するのは無理です。濃すぎますよ、内容が。私の心は受け止めきれませんでした。
こんな気持ちのまま、心を12月の歌舞伎座に向けるのはあまりにも心残りで、迷った末に10月に香川の地よりもう一度大阪遠征を決行する事にいたしました。私の財布の紐はどこにいっちゃったんだろう??

追伸 ・・・北前さま、 ほぼ毎日のHP更新、あたまが下がる思いです。
ついに観たス−パ歌舞伎ですが、 もう前の日からなかなか寝つけないくらいわくわくしていて、松竹座に行った事が無いので迷ったらだめだと十分余裕をもった早いダイヤで大阪につきました。
そして観た舞台は、前述の通り 幕が開いてから閉じるまで、私の感性ではとても受け止めきれない位の壮大な舞台でした。
おぼえていらしゃるでしょうか?以前お電話でお話させていただいた時、 私が19日のお昼の部を観ると言いましたら、「どうして夜も観ないの?」っておしゃったでしょう?わたしあの時は「そんなん1日に2度も観るなんて考えられないわ、無理やわ ( 時間とお金の面で )」って、すこし戸惑いました。でもね、今はおっしゃった意味が本当に良く分かりました。一度では無理ですよね。あの舞台の全てを完全に受け止めるのは。
というわけで再度、10月に大阪遠征します。 それでなくても「何でもっと早く出会わなかったのか」と後悔している私の心にまた後悔を一個追加するわけにはいきませんから。
チケットがほとんど売り切れていて3階の後ろから 2番目の席ですが、 双眼鏡を持っていきたいと思っています。
それにしても皆さん感想を書くのがお上手ですね。私は、すごい!とかきれい!とか全体の感想を形容詞程度でしか表現できません。今度は、腰をすえて!じっくり観て舞台の内容の感想が書ければと思います。
19日、偶然観劇日が一緒になった 「翔」 の ホ−ムペ−ジを通じて知り合えた、愛媛のN子さん赤目うさぎさん、M子さんに松竹座でお会いする事ができました。翔がむすんでくれたご縁です。素敵な友達ができました。感謝しています。
1998年9月22日 / Kikuko T




9/13(日)、スーパー歌舞伎を初体験させていただきました。大阪松竹座での「ヤマトタケル」。席は2F8列28、29、30番でした。  
猿之助さんの舞台は、大阪新歌舞伎座での「義経千本桜」、 京都南座の顔見世での「ぢいさんばあさん」を観せていただいております。  
「千本桜」はもちろん言わずもがなですが、 「ぢいさんばあさん」での、しみじみと心に染み渡るおさえた演技の素晴らしさは 今でも忘れられません。 猿之助さんといえば、「ケレン」という思い込みががらがらと崩れる体験でした。
さて、今回の「ヤマトタケル」は、イタリアからのお客様を連れての観劇でした。彼女は歌舞伎は初めて。 
番付の中に数ページの英語の解説があり、それを読んではもらったのですが、開演前のわずかな時間に解説を読んで、さ、理解しなさいというのは、さすがに酷なようです。隣で説明するのも、自分の語学力にも問題ありだし、他のお客さんの迷惑になりそうだし...。
セリフ中心の三幕目はかなりきつかったです。イヤホンガイドの英語版、必要ですよね。予約制とかでも無理かしら。

さて、スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」。北前様からも、「歌舞伎のすべての要素が詰まっている」と  お聞きしていたのですが、猿之助丈お得意の早変わりから宙乗りはもちろん、「だんまり」なんて要素まで。3時間でここまで歌舞伎が味わえるとは、もう、なんてお得なんでしょう!(笑)
「わかりやすさ」については、現代語に近い言葉を使っているという点も もちろんですが、話が非常に論理的に組み立てられているという点が大きいのでは、と、思います。
脚本が素晴らしいんですね。 主人公ヤマトタケルをはじめ、キャラクター一人ひとりの性格、考え方がきっちり芝居の中で表現されています。これって、普通の歌舞伎を見慣れている人にとっては、画期的に映りますね。  

ヤマトタケルの旅、戦いは、親やお家に忠義を尽くして、とか言うのではなく、むしろ、自分のため、自己探求の旅です。 古代王朝の皇子という私たちの日常とはかけ離れたキャラクターでありながら、 父親との確執の中で、自分の居場所、在り方を探し悩む姿は、現代の私たち そのものです。 
また、大和朝廷の日本統一を決して「善」として描いていない点も、この舞台の テーマを奥深いものにしています。なんとなく、「もののけ姫」を思わせるものが ありましたね。  
「ヤマトタケル」は、古代に場面を借りた現代劇だという気がしました。当然江戸時代には、歌舞伎は現代劇な訳ですから、歌舞伎を古典芸能という名の化石にしないための今の時代の歌舞伎が必要なわけですよね。そのひとつの形がスーパー歌舞伎ということだと思います。
こんなことを書くと猿之助ファンのみなさんに怒られるかもしれませんが、 この脚本を、スーパー歌舞伎として猿之助一門だけで演じ続けるのは、もったいないと思います。様々な演出で違った役者が演じる、平成の(あ、昭和のかな?)古典歌舞伎にするべきですよね。 

ただ、もちろんすべての歌舞伎が「ヤマトタケル」のように、論理的に わかりやすくあるべきだ、現代的なテーマを持つべきだとは思いません。  
私にとってのは歌舞伎は一言で言えば「お祭り気分」です。 地芝居の盛んな岐阜という土地にに生まれ育ったこともあって、 秋祭りに近所のオジサンが隈取り化粧で舞台に立つ。 目の前に広がるマッタクの非日常空間。 それが、私の歌舞伎の原体験です。 芸術というよりは、あくまでエンターテインメント。 泣いて笑ってのカタルシスにどっぷりはまり込む。  
また、江戸時代の・・・というフィルターをかけて観るという行為も、大きな楽しみの一つです。芝居小屋の中に入ることで、自分が江戸時代の人間になってしまう、自分自身も江戸の一町民を演じることを楽しんでいるのです。 理論では理解できない不条理さ、例えばこれでもかといじめ倒されるお三輪を観るときのゾクゾクする感じ・・・(ちょっとヤバイ?)なんてのも歌舞伎の醍醐味なので、現代の私たちに理解できる、できすぎてしまうというのもどうなのかな〜という気はするのです。
だらだらと書きながら、なんだかすごく言葉足らずですね。 「ぜひ感想を」と言って下さった北前さんのお言葉についふらふらと書き散らしてしまいました。 申し訳ありません。
とにかく観れてよかったです。 歌舞伎って広くて深いですよね。
1998年9月22日 / あおき




うまれて初めて、猿之助さんを観ました! ということは当然スーパー歌舞伎も初体験!!です。
ビックリしました。ショツクでした。感動でした。
わたしがお芝居観てボロボロ泣くなんて、自分でも信じられませんでした。それも驚きでした。
叔母が急に行けなくなったための代役観劇だったんです。正直にいうなら、「え〜、歌舞伎〜?四時間〜?そんなの、寝てしまうんと違うかなァ・・・」とか思ってました。でも四時間が経ったなんて信じられないくらい「あっ」という間に時が経ち、カーテンコールの時の必死!の拍手は「終わらないで〜!」という思いがいっぱいの拍手でした。
宝塚とか、劇団四季とかも観て感動したことありますが、とにかくスケールが違う!深さが違う!重さが違う!
帰る途中も、帰ってからも、まだズーッと切ない、哀しいヤマトタケルの生涯が胸を刺し、哀しくて切なくてなりませんでした。あれはお芝居の中でのこと、だとわかっているのに・・・・。
それと噂には聞いていましたが、宙乗りがあんなにも美しく感動的なものだとは思いませんでした。三階で観た白鳥の飛翔は本当に美しくて、いまも心に焼き付いています。
ゼッタイにゼッタイにもう一度観にいきます! 今度は叔母と一緒に。
1998年9月19日 / Mari O



ぽーと申します。初めてお手紙差し上げてからご無沙汰しております。
翔のHPは勿論の事、あちこちで「ヤマトタケル」を見た方の感想(というよりは感動ですね)や記事を見ますと、心は早くも松竹座にそれこそ天を翔けております。
チケットを取ってから、心待ちにしておりましたが、いよいよ来週末には「ヤマトタケル」に会えると思うと本当に今からわくわくしております。新幹線もホテルも押さえて、準備万端で9/26日を一日千秋の思いで待っています。
猿之助丈の舞台(スーパー歌舞伎「オグリ」)を見てから急激に歌舞伎に取り付かれてしまった私は、今月はコクーン歌舞伎2回、歌舞伎座の昼の部/夜の部と堪能させていただきますが、最後に「ヤマトタケル」でしめくくれるのはすごく嬉しいです。
10月は楽日の前日しかチケットを取っていないのですが、お休みを1日増やしても楽日を見たいなと今から思う今日この頃でございます。(今からではもうチケット無理かしら..)
1998年9月17日 / ぽー

【編集部より】=そりゃあもう、せっかくの遠征観劇だというのに楽日の前日のみで帰るなんて、「そらアカンでェ〜」って感じですね。昨年の大阪での楽の盛り上がりようといったら!!何しろ東京の新聞にも載ってたっていうくらいなモンでしたよ。是非もう一日休暇の追加申請を。ただしチケットは一日も早く手配した方が。とにかくうなぎのぼりの人気ですから。




前略ヤマトタケルは大好評、またまた、御新規さんが続々登場。嬉しいことです。
それはそれとして、下記を御覧ください。少々、見当違いな気もしますが・・

若旦那衆、お揃いになっての大熱演でござんしたヨ。 なかでも、笑三郎若旦那と、春猿若旦那の張り切りようが、嬉しゅうござんしたねぇ。
オッ、やった。ア〜惜しい。ヨシヨシ。そこだ。あー、うー、おー (ゴツン)痛ぇなあ・・そいじゃあ、なに言ってんだか、わかりゃぁしない・・違ぇねえ・・
なにごとも、気合が第一でさぁ。そう言うてぇと、やたらとリキ ミ出すオッチョコチョイもいやすがね。さすが、お二人は違ってまさぁ。いろいろと新しい工夫をなさってたようですぜ。細けぇこたぁわかりやせんが、台詞廻しにゃぁ随分と気を使ってらっしゃいましたよ。お役の気持を上手に表現しようってんで、メリハリを強くされてたんでさぁ。まあ、ハッキリ言っちまやぁ、ハリ?のところはよござんしたが、メリ?のところは、うまくできたとこもありやぁ、もうちょっと、てぇとこもござんしたよ。
ですがね、気合を入 れたままで、メリ?を付けるのは難しいもんでござんすよ。おまけに、気合を入れた時は、いいところが目立つだけじゃなく、悪いところも目に付いちまうってぇのが恐いところでさぁ。ここが我慢のしどころですぜ。頑張ってモノにして下さいましヨ。

生意気ついでに言わして頂きやすがね。伊勢の場は笑三郎若旦那。走水の場 は春猿若旦那が、主役なんですぜ。相手が師匠だからって、遠慮するこたぁござんせん。押すとこは押して、受けるとこはガッチリ受けて、見事に寄り切って下さいまし。それがほんとの恩返しってえもんでがしょ。
へっ?どうすりゃイイか、ですかい。アッシが言えるなあ、自分の個性、特 徴を活かすってことぐらいで・・それと、師匠の真似をする、芸を盗むってことですかねぇ。立役だろうが女方だろうが基本はオンナジでござんしょ。
大阪でも、大旦那の評判がドンドン上がってるなぁ嬉しゅうごさんすが、近 頃は、大旦那の役者の腕を褒めて下さる方が少くねぇような気がして・・若旦那衆は、おわかりでござんしょ。台詞のウマサも天下一品でさぁ。小碓命の若々しい話し方と、大碓命の荒々しい話し方の使い分けなんざぁ、朝飯めぇってくらいで・・そうそう、アッシが言いてぇなぁ、その技の土台になってる、息の使い方とか、間の取り方のことでござんすヨ。
イヤイヤ、こんなこたぁ、とっくの昔から御承知でござんしょうねえ。素人 が生意気なことばっかし言っちまって、申し訳ござんせん。もっともっと大きくなって頂きてぇという親心ってえのか、ファンの欲張りってえのか・・頼みましたぜ、頼みましたぜ、頼みましたぜ〜〜。
1998年9月17日/ しっぺぇ太郎




お陰様で「猿之助修羅舞台」、図書館で用意してもらっていま読んでいるところです。図書館というのはなかなか便利なところですね。いろいろと探し出してきてくださいます。
「猿之助修羅舞台」という本は、猿之助さんの歌舞伎に対する思いや生き方が詰まっていて、そしてこの本が書かれて10年以上経ついまでも、その生き方を貫いて、そして結果を出している猿之助さんの”強さ”に改めて感動しました。すごい人です。

それから、「ヤマトタケル」、私も初日に行ってきました。
劇場は梅原先生やその他の関係者の方もたくさんおみえで、とても華やかな雰囲気でしたよ。
「ヤマトタケル」は、私が観たスーパー歌舞伎の中では一番よかった!と思います。(といってもまだ「カグヤ」と「オグリ」の二つしか知らないんですけど…)
ご本人も言ってらっしゃいますけれど、台詞の一つ一つに猿之助さんの生き方、気持ちが感じられて、本当「ヤマトタケル」ではなくて「エンノスケ」ではないかと思ったほどです。(でも、志半ばで命か゛なくなるというところは絶対ゼッタイ違いますよ!)
舞台はきれいだし! 迫力はあるし! … それにしても舞台の猿之助さんの”目”って、ちょっとこわい。
じーっと相手役を見る目、客席を見る目、役者であると共に”演出家 ” の目ですよね。舞踊の時とかのニコニコと全然ちがう。エネルギーの全て、命までを舞台にかけてるな、と感じます。
でもね、普通それだけ命かけたすごい舞台を見せられたら、お客の方も疲れ果て、芝居が終わって外へ出たとたんバッタリと倒れこみ、松竹座の前は倒れた人でいっぱいなんてことになってしまうはずだけど、そこは何たって”猿之助の魅力!”終わったら爽快感というか、「幸せ!よかった!また見たい!!」と思いながら帰ります。疲れも吹き飛んでしまうのです。妙なビタミン剤よりよっぽど疲労回復には効きますね。そして、やさしくなれるんです。…ホントに不思議やわ。…どうしてなんでしょう。
初日は前の方のお席だったので全体はあまりよく観られませんでした。今度はぜひ3Fから観て、舞台全体をたのしみたい!と思っています。
最後に猿之助さんへ、「 煙のように消えて 」 行かないでください。いつまでも、いつまでも。

PS=お知らせ欄にあった12月の歌舞伎座。 いいですね。 行きたくなりました。7,8(ホテルのディナーショーも行きました),9,10月と楽しんだので少し苦しくて、「しばらく!しばらく!しばらぷー!」超緊縮財政で、12月は何とか行きたいと思います。
頑張れるかな ? 秋の服も欲しいしな…。(欲張りなんです )
1998年9月16日 / Yasuko S




実は、このところ仕事が忙しく、夏休み後ということもあってなかなか休みも取れない雰囲気なので(とは言っても、しっかり歌舞伎座とコクーン歌舞伎には行っておりました!)、9月10月のスーパー歌舞伎、大阪遠征、悩んでおりました。
だがしかし、久しぶりに翔のページや、日刊・・・を覗いてみれば、ご覧になった方々の悲鳴にちかい感激・感動のレポートの連続・・・。
やはりこれは行かねばならぬ、猿之助さまの舞台を見に!!と心が決まりまして、関西に住む友人(私を歌舞伎にはまり込ませた張本人)とゆくことになりました。
ただ、チケットをこれから予約するので、取れればの話なんですが・・・ なんとかチケットをゲットして、晴れて観劇がかないましたら、またお便りさせていただきますので、よろしくお願いいたします。
私も、少しでも歌舞伎の素晴らしさを多くの人に知ってもらうためにも、どんどん書き込む人が増えて、歌舞伎人口が増えていくことを願っています。
インターネットは世界中で読めるものですから・・・日本だけにとどまらないですよね。あぁ、でも日本語じゃだめか・・・
とにかく、チケット購入、休暇取得に頑張ります。それでは本日はこれにて失礼いたします。
1998年9月15日/ うさぎ

【編集部より】=チケットが無事ゲットできるよう祈っています。もし手配して・・・ということだったら手配しますよ。一人でも多くの方に「観て欲しい!」と心から思える舞台だから、何だって引き受けます!!
で、最後は仕上げの感想メール。首をなが〜くしてお待ちしています。



大阪松竹座にて初めて「スーパー歌舞伎」をみました。大阪で初も初の初日昼の部、初めてづくし。
現代の言葉を使ったセリフと、スピード感あふれる舞台展開の印象から、「歌舞伎を見た」というより「すごいスケールのミュージカルを見た」というのが第一の感想です。

その中で、特に驚いたのが演出でした。先にも書いたように、スピード感があって、観客が楽しめる趣向も多くありました。最初の方こそ、観客を舞台に引きつけるという意味でか、早変わりがたくさんあって、次のセリフに入っているのに、驚いた観客の拍手とどよめきが関係なく続くということがありましたが、そのうちに変わっていったのは、趣向がドラマに融け込むように自然に入ってたってことだと思います。
そして、色の使い方がとても綺麗でした。衣装の色彩と豪華さとの対比で、そんなに細かくない大きなセットが殆どだったのですが、舞台にあるとき、例えば闇に浮かび上がる朱の柱、ライトがあたる波打つ布は本物以上に荒々しく見える波、等々とても印象的でした。
で、炎の場面の表現が特に素晴らしい!!炎役の人たちが!!彼らが、飛んだり跳ねたりしたことより、決して小さくはない布(炎)をあれだけの時間波打たせ表情をもたせつづけた、その動きから目が離せず、主役たちそっちのけで惹きつけられてました。
あと、笑也さんの声には驚きました。「えっ、女の人」と思ったぐらい、よくとおる聞き易い声でした。
そして、猿之助さんについては「空、飛ぶんだね」ってことぐらいしか話題にしてませんでしたが、単なるおとなしい少年が、段々と男になり、悲しさを背負っていくという時の流れを十分に表現し伝えてくれました。

一番よかったことは、とにかく筋(セリフ)が分かりやすかったこと。番付をみて予習しなくても、セリフが今の言葉で、その中にも、場の説明が入っていたりと、本当にこれはスーパー!です。
そして、友人とも話したのですが「とてもメッセージ性の強いセリフが多い」ということです。「もののけ姫」を連想させる内容で、考えさせられることも多くありました。

ホント、観る前は空を飛ぶだけの印象でしたが、実際観てみたら、もちろんスゴイんだけど、「あぁ、飛んでるわ」っていう思ったよりあっさりしたもんでした。というか、ドラマのクライマックスに上手く融け込んでいて、それだけが特出しているというようなものではありませんでした。3階だったので段々猿之助さんがアップになってくるのはある意味すごかったような・・・。
その内容の魅力、話題性だけじゃなくって、猿之助さん自身に魅力がなければ、ここまで演じる人も見る人も集まらなかっただろうし、続かなかったことと思います。
それと一番感心したのは、わきの人(主要人物以外)の演技です。人数も多く、見応えがありました。その役柄が人であっても、炎であっても、です。

「今」にとてもあう舞台だと思います。残念なのは、初日だからか、スーパー歌舞伎が初めてだからかはわかりませんが、私と舞台とに今ひとつ距離があった気がすることです。10月末まであるので機会があればもう一度、行ってみたいと思っています。
1998年9月14日/ とも




行って来ました、スーパー歌舞伎。私、感激しました。正直言って、このような公共の場で観てきたものの感想を述べるのは、抵抗がないわけではないんです。それが素晴らしかったならなおさらのこと、言葉の限界にもどかしくなってしまいます。今日の「ヤマトタケル」もそんな舞台でした。
 例の情報誌でも、「歌舞伎界のスピルバーグ」と呼ばれていた猿之助さんですから、ある程度の大スペクタクルを想像していましたが、まさかあそこまでパワフルな舞台を観ようとは・・・。スピルバーグには申し訳ないですが、彼の映画ではあんな興奮は味わえません。限られた空間と時間を、物語を語る役者さんと共有するという贅沢な体験、またそれによって生まれるものすごいエネルギーを感じ、快い疲労感に襲われるのは、生の舞台の醍醐味ですね。ともかく、徹底的に楽しませてくれる超ド派手な演出には、楽しいやら綺麗やらを通り越して、こんなに楽しませてくれて有り難うございますと感謝の気持ちでいっぱい、感動的ですらありました。しかも台詞一言ひとことが、現代人である我々(私)の心の奥まで触れ、スーパー歌舞伎ってこんなだったのか!!!と改めて猿之助さんのお仕事の意味深さを認識するのでありました。
 これが歌舞伎じゃないとか邪道だとかと、そういう議 論はあんまり必要ではないと、私は思います。古典を楽しみ、スーパー歌舞伎を楽しみ、色々楽しめて有り難いなあとその境遇に感謝しつつ生きていけるとはなんと幸せなことでしょう!!
 黒沢明監督が亡くなり、「こんなにダイナミックな映画を撮れる監督はもう日本では出ません」と多くの専門家が言っているわけですが、演劇(歌舞伎)界にはいるんですよね、猿之助さんが。これってもしかしてすごいことなんじゃあないですか。
 今日、こんな罪深い(?)ことを思いついてしまいました。スーパー歌舞伎をうまく映像化できないもんでしょうか、演出は舞台そのままで。中継みたいな映像にするんではなくて、カメラワークからなにもかもこだわって、映像自体を作品にするんです。過去にもベルイマンがオペラ「魔笛」を映画化してるし、ヨーヨー・マ&玉三郎共演ビデオも最高芸術品。これが実現したら、「世界のエンノスケ」ですよ、きっと。実現しないかなあ。一人で想像してたらわくわくしてきた・・・。
 長々と書きましたが、ものすごく 抽象的な内容で失礼しました。しかしながら、やはり猿之助さんはとても意味深いお仕事をなさっていると実感しました。
 帰ってから、家族に「よかったでえ〜!!」 と感動を伝えると、なんと10月に母と弟(中学生)が行くことに決めました。早速チケットをキープ(今日が発売日でした)したようです。確実に猿之助さんの思いが次世代に伝わっていくのだなあ、と感慨もひとしおです。
1998年9月10日 / 北浜人




松竹座の前を100人近い女子高生が埋め尽くしていた。市内の某高校の演劇鑑賞教室だった。幸せな生徒達だ。企画された先生方もタイシタモンダと思った。
 同時に、内心、マズイ日に当たったのかなとも思ったが、案ずるより生む が易しであった。見当違いなところで笑い出すこともなかったし。
 ただ思ったほどの 拍手がなく、御行儀が良すぎたような気がした。というより、歌舞伎鑑賞に不慣れで見方が分からないのと、感激しすぎて拍手をするのも忘れていたというところなのだろうと思う。
それは一階席も御同様であった。みんな我を忘れて観ているらしく、なかなか拍手がこない。小生の拍手につられたようにして拍手が出てくるので、妙に緊張してしまった。
 こんな状況だから 大向こうは全くない。しかし、一門の皆様は大熱演であった。右近さん(オトタケル)も、門之助さん(伊吹の姥神)も、あの團蔵さん(クマソタケル、伊吹の山神)に負けず劣らずであったと言えば、おわかり頂けるであろう。
 二幕目の後の幕間にポスターを見ていたら、横にいた人の話が聞こえてき た。笑也さんと春猿さんを交互に指差していた。思わず話し掛けてしまった。
『弟橘媛はこの人。この人は兄媛。春猿さんと笑三郎さんは同じ年でまだ30になってないんですよ』
『まさかぁ』
『亀治郎さんは甥っ子』 すかさず
『段四 郎さんとこやね。あの背の高い人(段治郎さん)はどこの人?』
『お弟子さん です』
『この人は?』
『右近さんも猿弥さんもお弟子さんです』
『みんな、自 分で育てはってんなぁ。ここが偉い思うわ』と御一緒の方に話された。
『この 人は、ずっと一緒や』 先代の門之助さんと勘違いされたようであるが訂正できなかった。60代の奥様・お二人だった。
 さて、我々はといえば、最前列のスッポンの真横。はらはら、ニコニコ。おろおろ、ニヤニヤ。演劇鑑賞どころではなかった。
 というわけで、今日のところは舞台の感想というよりは客席レポートがメインということで。しかし、考えてみれば、有意義で贅沢な一日ではあった。(ゴツン)痛ぇなあ・・・
1998年9月10日/しっぺえ太郎




うわさのスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」を初体験してきました。同道の妻も大層感激して、常はしまり屋のはずが「もう一遍、今度は一等席で見てみたい」などというほどの興奮ぶりです。
「二人で三万円はちょっとイタイ・・・」と思って三等席観劇にしたのですが、イヤイヤ三万円払ってもたっぷりおつりが来るような、すばらしいものでした。
「いままで観てた舞台はなんやってんと思うわ」という妻の言葉は私の実感でもあります。
美しい舞台、心に響く音楽、斬新で豪華な衣装、役者の熱演、それらが一つになって描き上げた、心に染み入るような物語。
志貴の里でのタケヒコとヘタルベの述懐では、不覚にも大泣きをしてしまいまして、妻との連れ泣き初体験となりました。
1998年9月9日/ Kenji M




カブいた生活がたたり、財政破綻で自主廃業も近い今日この頃。(なにせ、夏休み3週間〜歌舞伎座20日より楽まで一週間・造形大・中座〜な生活・・・・−−;)初日に合わせて休暇を取る!なんてことはもう全然出来ずにいたのですが、奇跡的に仕事がオフで、5日より2泊3日ヤマトタケル遠征!行ってきました。

星座も干支もひとまわりの十二年・・・初演とはだいぶ質感が(クオリティという意味でなくニュアンスが・・・かな)変ったな〜〜、というのが第一印象です。たぶん役者さんの色彩の違いのせいでしょう。
お芝居自体は、もう幾度となく上演され、練りに練り上げられたもの。どう変るのかしらと思っていましたが、テンポアップ命!の猿之助さん・・・またまたシェイプアップされていました。
質感と言えば、衣裳のデザインは変ってないと思うのですが、初演のものより軽そうに見えるのだけど、少し重量(?)は、変ったのかしら。どなたかその辺、御存知の方いらっしゃいますか?

今回いちばん良かったのは猿之助さんの台詞廻しが上達(!)・進化(!?)されていたことです。(きゃ〜〜ご贔屓の皆様、お許しを!だってホントにそう思ってしまったんですもん・・・^^;)タケルって、とても完成されたお芝居で、観るにつけ「スーパーの手法は、ほぼこの時点で出揃っていたんだなぁ・・・」とか思うのですが、初演のタケルを観た時、何がいちばん驚いたかって、(私にとっては)猿之助さんの台詞廻しだったんです。抑揚のない高いトーンの早口で、思わず「アンタ(←ぎゃ〜〜再びお許しを〜〜)は、野田秀樹か!?」と突っ込んでしまいました・・・・(ちょうどその頃観た野田さんの台詞術がそんなカンジだったので)
私達ファンにとっては愛しい<猿之助ぶし>でも、やっぱりスーパーの時の猿之助さんの台詞、ちょっとイントネーション(と句読点!)が独特ですよねぇ。今回は(特に初日にしては)かなり台詞、良かったです。

タケルの猿之助さんは、どの場面でも拵えがとても似合っていていいし(猿之助さんの美貌を損なわない)、白鳥になってから飛翔するまでの姿も美しすぎる〜〜!!
一等二回(前列中央と左一番)三等二回(最前列中央と、トヤ脇)観ましたが、この宙乗りはホント綺麗の一言です。みなさんもいろいろな角度から眺めてみて下さい。
あまりにも美しすぎて、このまま何処かへ消え去ってしまうのではないかという錯覚と不安を覚えるほどでした。(突然ですが、造形大の休憩時間にお見かけした、あの浴衣でリラックされたお姿と、この世のものとは思えない!?虹の飛翔の白鳥タケルが同一人物なのが、信じられないほどです。)
笑也さんは、兄橘姫がいちだんとしっくりくるようになっていました。タケルの非業の死が少し救われるのは、終幕の兄姫の台詞による処が大きいと思うのですが、静かな中にも深い包容力のある表現となっていました。
みやず姫はかなり変りましたね。初演では蒼さめて俯いていたという印象でしたが、笑也さん自身の成長につれ、きっぱりとしたお姫さまになりました。
団蔵さんは・・・今後どうなっていくのでしょう!(すでに、かなり濃い ^^ ;←好きですが)ほとんどみんな、期待しています!(なにを!?)
初演からの右近さんの持ち役だったへタルべを亀治郎さんが、なさるというのはちょっとインパクトのある変化です。ちょうど右近さんが今の亀治郎さんの年齢だったんですよね。初演のへタルべ。(亀ちゃん・・・大熱演ですが、今月の半ばにはもう声をつぶすのではないでしょうか?・・・と心配です。)

こうして時が流れ、役が受け継がれ、スーパーもスタンダードになっていくのでしょうね。スタンダードといえば、タケルのカーテンコールは<スタンダード>で大好き。カーテンコールだけど物語のエピローグでもあり、樫の葉を頭に挿していたり、帝の手を取るタケルの姿に、故郷に想いを馳せながら死んでいったタケルの魂が救済されるようで嬉しくて(でも切なくて)、涙が零れるシーンのひとつ。
スーパー歌舞伎初見の人や、歌舞伎自体あまり観劇のチャンスが無いという人は、「これが歌舞伎!?」と驚かれるようですが、歌舞伎をよく観る方にとっては、歌舞伎のエスプリが多々活用せれていて、「歌舞伎を愛している」猿之助さんの魂胆(!?)に、思わずニンマリしてしまうでしょう!
あ〜〜いくら書いても書ききれません!!今回はひとまず、これにて失礼します〜〜。
1998年9月8日 / Yasuko W




「ヤマトタケル」初日夜の部を観てきました。やっぱり「スーパー歌舞伎」は「ヤマトタケル」に集約される!!と改めて思いました。それと、「ヤマトタケル」は一に猿之助さんあってこその「ヤマトタケル」なんだってことも。
この素晴らしい、宝石のような舞台 ・「ヤマトタケル」は、これからも繰り返し上演されて、30年50年先の人たちにも深い感動を与え続けなくては!そうでなければ30年50年先の観客が可哀相・・・と思う気持ちも本当。
けれど、猿之助さん以外の人で演じられる「ヤマトタケル」など考えられない!他の人で演じられるくらいなら、いっそ永遠に封印してしまってほしい!というような気持ちも本当。それほど猿之助さんはヤマトタケルそのものでした。ファンってほんとにエゴイストなんです。

七月の「千本桜」では、失語症に陥ってしまって、感動の1/10も表現できなくて、結局感想にまとめることが出来ませんでした。それが今も大きな忘れ物をして来たような、なんとも言えない後悔になっているのですけれど、また同じ後悔を重ねないよう今度は書かなきゃ、と思っています。
でもまだちょっと心の整理整頓が済んでないもので、詳しい感想は後日ということで。
ただ、スゴーッくうれしかったことを一つだけ。
夜の部だったので、4時過ぎに地下鉄のなんば駅に到着。急く心のままに階段を駆け上がっていたら、足元に松竹座のチケットが。チラッと目にはいった文字”立ち見券”!
私思わず引っ返してその券、拾ってしまいましたよ。見ると、昼の部で発行されたものらしく”立ち見券・47”とありました。聞けばもちろん補助席もバンバンだったとのこと。
夜の部もおなじく補助席がたくさん出ていましたし、3Fにいた人の話によるとやっぱり立ち見の人もいたとか。やったねー!!
1998年9月7日/Miyako K




「翔」拝見しました。
1988年発行の5号と、昨年発行の最終の8号。時間が経っても、魅力の本質が変化していない事、ファンの方々の猿之助さんに対する想いが変わらず同じである事に、驚きました。(後書きの日付を読むまでは、約10年もの開きがある事に、全く気付かなかつたのです。)

「みんなでおちこめばこわくない」、「猿様恋狂集会」、「猿さまジグソーパズル」はすごく楽しいエピソード満載で、読み応えがありました。
5号の目玉の「きのしまさひこ大追跡」は、猿之助さんのお若い頃を想像する事ができましたし、8号の「追っかけのススメ」は、追っかけしたいほど好きな人がいる事に、羨ましさを覚えました。
最終号との事、インターネットで見つけた時から存じてはおりましたが、やっぱり残念です。
また、「猿 joy・投稿編」や「猿 joy・手紙編」を読むにつけ、バックナンバー、特に4、6号を読んでみたくなります。
今の所は、再版の予定はないとの事ですが、もしそういう事になりましたら、是非ご一報ください。

9月、いよいよ「ヤマトタケル」の開幕ですよね。舞台を観に行けない身(米国暮らし)としては、みなさまのHPへの書き込みを楽しみにしています。
京都造形短大に在学中の友人も、歌舞伎講座に感激して、あまり観ようとは思わなかったスーパー歌舞伎に足を運んでみる事にしたとの便りがありました。
それでは、今日はこの辺で。また、HPを覗きに行きます。
1998年9月7日/ Saida



Kumikoさんの気持、よーっくわかります。でもわたし、実は15年前、入院している主人をほっぽり出して、京都グランドホテルで開かれたおもだか会主催の(猿之助さんを)囲む会に出かけたことあります。もちろんただの検査入院で、心配なかったからなんですが、さすがにいまでも夫にはこのこと、話していません。
あの時が素の猿之助さんを見た(大勢のファンの中の一人としてチラチラって感じだったから、お会いしたというよりは、やっぱり、見た、という感じですネ)最初だったのですが、側にいらした時どうしても
目をみることが出来なくて、お口の辺りばかりみていたらしく、帰ってからいくら思い出そうとしても、青々とした髭の剃りあとと、キリリとした唇しか思いだせませんでしたっけ。(ハハハハ・・・)

「同窓会で名古屋方面へ・・・」 が中日劇場だったり、「講習受けに・・・」が歌舞伎座行きだったこともありましたネ。
今年二月、 義父が倒れた時は、さすがに父の容体が一番気掛かりではありましたが、次の瞬間頭をよぎったのは、やはり「ヤバイなァ・・・七月公演!」でしたもんネ。(罰あたりな嫁でスミマセン)
ホントに自慢じゃないけど、ずーっと、ウソつくなんてこと皆無の妻、嫁をやってきた私でした。
それが猿之助さんの虜となってからの15年、重ねたカワイイ(どこがー!?)ウソの数々・・・
だって、同じ舞台を二度も観るなんてことは「考えられない!」っていう夫なんですよ〜。まして三度、四度となるともう家庭争議モンですから、家庭円満のための「ウソも方便」ということで・・・・
それにしても「ヤマトタケル」公演で、また3つ4つその数が上乗せになりそうなのは確実で、ああ〜、ホントに罪深いわたしです。
1998年9月6日/Kanoko S




猿之助ファンの皆様、こんばんは。
いよいよ大阪松竹座の「ヤマトタケル」が始まりましたネ。北前様はじめ関西地区のファンの方々の喜んでいらっしゃる姿が目に浮かぶようです。
これから毎日、すばらしい舞台が繰り広げられるのだと思うと、いてもたっもいられません。
私も大阪まで何回も通うつもりでおりましたが、なんと、主人が突然入院しまして、行かれそうもありません。いくら私でも、病気の主人を放っぽり出して猿之助さんを追いかける訳にはいきません。この苦しい胸のうち!!どうかお察し下さいませ。
そこでお願いですが、詳細な「ヤマトタケル」レポートを送って下さいませんでしょうか。せめて雰囲気だけでも味わいたいのです。本当に何でもかまいません。どうぞ宜しくお願いいたします。
色々な事で苦しいとき、悲しいとき、猿之助様や一門の皆様、そして「翔」やファンの皆様の存在が私の心の支えでございます。
皆様に出会えましたことに、本当に感謝いたしております。
1998年9月5日/ Kumiko T




初日が開いてからメールしようと思ってましたが、今「翔・お便りのページ」を読んで、接続したままキーボード打ってます〜〜。
「猿之助修羅舞台」って絶版なんですか? 私、昨年の巡業公演のロビー(たしか茅ヶ崎)で文庫本を買いました。(PHP文庫/初版は大和山出版社から84年に出たようですが、文庫は94年7月が第一版です。)PHP文庫の方へ問い合わせるといいのではないですか?
猿之助さんの歌舞伎に対するすべての想いが込められていて、歌舞伎観始めの頃は明確に言語化できなかった私の想いすべても、ここにある!(と、相変わらずオーバーな私です ^ ^;)と、嬉しくそしてなぜかちょっぴり切なくなりながら、何度も何度も読み返した本です。
今でもすぐ手の届くところに置いてあります。(表紙カバーは<赤い襦袢>の忠信)
9月初旬は奇跡的!?に仕事がオフです。5日はもちろん、<朝いちばん!>のフライトで大阪に飛びます〜〜!!
PS:YASUKO.Sさん・・・同じ名前のよしみでよろしく〜〜m(_ _)m〜〜<W>より。(猿之助さんの妹さんとも同じ名前ですよん!)
1998年9月3日/ Yasuko W






いただいたご意見ご感想は、「翔」HPお便り集の中に掲載させて頂きます。但し時に
ほんのチョッピリ手を加えさせていただくことがあることをご了承ください。
HP掲載がご都合の悪い場合はお手数ですがその旨をお書き添えください。