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【NO 1】
■ 千秋楽のご報告です!それはもう、とってもとってもとっても感動モノでした。
昼夜ともお芝居が充実いしていたのはもちろんのこと、カーテンコールがこれまた凄かったのです。
まずお芝居の方。猿之助さんはともかく( いいにきまってるってことヨ
) お弟子さん達がそれぞれすご〜くよくなりました。なかでも笑也さんは、はじめの頃のあの男か女かわからないヘンなヒトから、随分磯之丞らしくなっていたと思います。周りがよくなったので一層芝居にふくらみ、コクが増していました。
やっぱり古典をやるって大切ですよね。たった1ケ月でもこんなに違ってくるんですもの。
で、カーテンコールですが、本当に観客の心の底からの拍手が沸き上った!という感じでしたよ。
とにかく客席の熱気が違う!! 私がいた3階席に限って言えば、幕が閉まっても誰も立ち上がろうとしなかったんです。3列目の中央にいたんですが、ハッと気配を感じて振り向いたら、後ろは何と総立ちになっていました。前の方のはねっかえりが立って、よく見えないから後ろが立つんじゃない、ホントのホントのスタンディングオベイションだったと思います。
とにかくものすごい盛り上がりでした。
ウレシイ!、とってもウレシイ!、とってもとってもウレシイ!!
何はともあれ、今は祝杯をあげたい気分です。 カンバイッ!!
1997年7月27日 /Naomi.K
■ 7月の歌舞伎座は猿之助さんの月−−スーパー歌舞伎(オオクニヌシ)ではやや否定的な感想を書いてしまいましたが、だからといって足が遠のくわけではありません。
「當世流小栗判官」は4年ぶり。私は 初めてです。
一言でいえば、全体のバランスがいいです。荒馬の碁盤乗り・天馬の宙乗りといった得意のケレン、猿弥さんの演じた矢橋の橋蔵のおかしさ、豪快な立ち回り、落ちぶれた後の道行など構成の見事さを感じます。見ていて疲れないし、まったく飽きません。時間的な配分の妙が見せる「猿之助歌舞伎」の良さなのでしょう。それが、わかりやすさにつながります。
また、宙乗りだ けでは単純だということなのか、天馬が暴れて落ちそうになる演出なども取り入れています。あらゆる角度からお客さんを楽しませようとする努力には頭が下がります。
配役としては、澤村宗十郎さんの休演で、笑三郎さんが万屋後家のお槇に挑戦。声質からいくぶん若さが垣間見えますが、大変立派にこなしています。猿弥さんの橋蔵も代演ですが、笑いを取る役目をしっかり果たしていました。猿弥さんだからこそ安心していられますが、ウケねらいというのもその実、難しいものなのだろうと想像します。笑也さんは全編にわたって小栗判官の相手をするという大役ですが、美しさ、清楚さが先立っているという印象です。スーパー歌舞伎で光った亀治郎さんはごく自然に見えました。特長がないともとれますが、自然にできるいうのはすごいことです。
猿之助一座については、親しみからついつい若手のことに触れてしまいます。改めて語られることもありませんが、他から人を借りず一座だけでこれだけの芝居を構成しているのは一人ひとりに力がそなわっている証拠です。宗十郎さんの休演もいいほうに働いたようです。
鶴ヶ丘八幡宮の桜、近江の堅田浦、美濃・青墓宿の紅葉、熊野・湯の峯の雪景色――舞台装置も各場面で鮮やかでした。ドサッと雪が落ちる幕切れも梅雨明けの蒸し暑い夜をさっぱりとさせてくれます。
暑い夏にクドクドと長い話は後味が悪いようです。私のほうも「本日はこれぎり」。
【編集部より】=感性は千差万別。熱烈猿之助ファンではないけれど、歌舞伎が大好きというフツー(私たちもフツーだよ!って)の芝居好きの目から観た感想というのも興味ありますよね。という訳で、『江戸ぐるめ』さんに続き『情報旅籠「萬屋」』さんの中の<趣味の舘・歌舞伎日誌>の中からも転載させて頂きました。
それにしてもファンとしては、主演の猿之助さんについてのコメントがないのがちょっと物足りないわァ・・・・なんてネ。よろしければ『情報旅籠「萬屋」』さんもお訪ねになってみては・・・。
■ 昨日私は結構ハードな仕事がありました。10時から8時過ぎまで30分食事休憩をしただけでクリーンベンチ(無菌操作をするための清潔な作業台みたいなもの)の前にすわりっぱなしで、180枚のシャーレに30種類の細胞を一定の数ずつ撒かなければならず、何だか自分が千手観音になったような気分で腫瘍細胞と格闘しておりました。
そのうちだんだん、マイクロピペット(微量の資料を扱うための器具、親指で操作する)の使いすぎで親指から肘までジンジンしてくるし、もともとさしてない思考能力が低下してきて、この操作はこれからやるんだったかもう終わったんだったか分かんなくなってくるしで、だんだんヒステリックな気分になってきたときにふと思ったことは・・・、
「猿之助さんがあんなに頑張ってらっしゃるんだもの、私だって頑張らなくちゃ!」(健気でしょ?)
「この間あんな良い思いしたんだから(数日前に最前列で『夏祭』を見てきた)、これくらいやらなくちゃ!」(ますます健気でしょ?)
そしてさらに、「これってもしかして、BENちゃんさんの言う『ぐるぐる周り』から抜け出せてるんじゃないかしらん」なんて思ったら嬉しくなっちゃって、シャーレ床にぶちまけることもなく無事に終わることができました。
普通こういう仕事をする人は、「脳腫瘍の患者さんが治せるかもしれない」とか、「良いデーターが出たら論文が書ける」とか、そういうこと考えてがんばるものらしいですが、私のバヤイ、猿之助さんのこと考えるのが一番効き目あります。
それにしても、美しい舞台でしたね。あの、長町裏の殺し場の美しさ!これぞ歌舞伎、という感じでした。絵金の絵が生きて動いているようで(絵金に『夏祭』の絵はなかったと思いますが、美の本質が共通するんです)、最高の団七でした。
「翔」でリクエストした甲斐がありましたね!絶対あうと思ったもん。
次は知盛よね!
夜の部の浪七がまた惚れ惚れする男っぷりで、変な言い方ですが、この方のファンで本当によかったと思いました。やっぱり猿之助さんの真骨頂はこういう役だと思いません?硬質な、鋼のような男の色気!BENちゃんさんの、「ぐるぐる回ってまんがな、それじゃ!」は私もグサッときてたのですが、何だか今月の舞台見てたら、こんなきれいな、素晴しい舞台見られるんならもう何でもいい、人間に生まれた甲斐あった!と思っちまいました。
1997年7月25日 /kyouko.0
■ 劇評の多くが指摘している通り、大阪の夏独特の、蒸せかえるようなべたつく暑さはあまり出ていなかったと私も思います。というよりスッキり、颯爽、そんな印象の舞台でした。
泥場は私の観た日はとても盛り上がっていて、客席も大沸き。「この間よりズッとよかった」(初日あたりに観た人らしい)なんて声も聞かれました。
実際、あの場の猿之助さんはどの見得も美しく決まり、力にあふれ、殺しの美学の典型をたっぷりみせていたのではないかと思っています。もう少し義平次のいやらしさ、憎々しさをしつこく出した方がよかったのではないかとか、団七の動揺、苦悩をもっと色濃く出してもいいんじゃないかとか思わないでもなかったけれど、あの美しい、男の色気が匂いたつような猿之助さんの団七はやっぱり何たって天下一品!!
それと、もしかしたら歌舞伎座の空間はあのお芝居にはちょっと大き過ぎるというのもあるかもしれません。例えば1100人くらいが定員らしい松竹座などでやると、またガラッと感じが変わるんじゃないでしょうか。ぜひぜひ再演してほしいと思っています。
1997年7月20日 /Tomoko. N
■ 「なぜ男に生まれて来なんだ、あったらものを落として来たなあ」とは三婦の台詞ながら、猿之助歌舞伎をまっこと楽しめるのは女性ならではのことです。
BEN之助めは男に御座る。あのまあるいお腹の下になりたい!とはどう転んでも思えません(勿論、上になりたい!とも)。胸がキューンとか、男っぽさにドキドキなんて、ちょっと無理です。
歌舞伎役者ってみんな男ですやん(当たり前やろ!)。綺麗な女形にすら「うっかり、もよおす」なんてこと滅多にありません。うっとりするのが限界ですわ。だったら宝塚観んかい!ったって、観たけど格好良過ぎる男役に気を取られ、あんな奴おれへん!。男はつまらないものです。
おやおや、今午後11時過ぎ、「歌舞伎帰り」のYUKA蔵が意気揚々帰って参りました。もう、ニコニコ顔です。「(出待ちして)素顔の猿之助さんを拝んで来たぞ!」とのたまう。おいおい、俺はまだ夜の部観てへんのやからネタ漏らさんといてや。その上何か、隣りの部屋で踊ってるようです(笑)。何や、小栗判官ってお笑い系の踊りあるんですかい?えっ?橋蔵?ほう?! 1997年7月18日
/BENちゃん
■ 現在16日の午前2時。もう9時には成田にスタンバイしなきゃならないのに、興奮して眠れません。15日が私の千秋楽でした。9、10日と夜、12日は昼、そして15日、昼夜観たわけですが、とても理性的な思考は出来ず・・・
今更ながらですが、猿之助さんは本当に「美しい人」ですね。こんなに素敵な人と出会えて、この観劇の喜びを享受出来る人生で本当によかった。
今まさに猿之助さんは収穫の季節にいらっしゃる感じですよね。奮闘公演、古典復活、スーパー歌舞伎の創造、21世紀歌舞伎組の養成etc
・・・青春時代、朱夏(燃える夏)の時代の全てのものが、豊かに実りつつあるという感じ・・・。
私は生まれる時代を間違えたので、猿之助さんの青春には間に合わなかった。辛うじて夏―晩夏―に間に合ったといった処。でも肉体と芸の力の拮抗した最も良い時代に間に合って良かった!!
そうそうHPに出ていたL.Hさんとも会いしました。BEN&YUKAさんに会うのも楽しみです。
私は27日 9:30のフライトでもどります。そのまま歌舞伎座に駆けつけ舞踊会を観てから帰宅する予定。それから29〜31日が造形大、10〜13日が軽井沢で“ひと夏の思い出”(NHKセミナー)です。
あ〜、仕事なんて行きとうないっ! 私も 誰か
家賃払って ご飯食べさせて、チケット買うてくれる(なぜかここだけ関西弁)ダンナ様いないかしらん・・・。
1997年7月 16日 Yasuko . w
■ 朝日の劇評。『猿之助はエライ』というのが書き出しで、見出しも同じでした。昼夜3本に出ずっぱりの奮闘をしていることや、若手をよく育て上げたこと、歌舞伎座史上初めての完全通し『夏祭』上演等を、猿之助あってのこと、なんて感じで誉めてあるのだから文句いうこともないのだけど、どうせなら『男くさい大人の色気横溢』とか『世話物に溢れる様式美と絵画美』とか、そんなこと書いてほしかったわ。
コクーン歌舞伎の『夏祭』でも「お鯛茶屋」「田島町」「屋根上」の場が出て、初めてお話の全体が分かった気がしたけど、今回はさらに「道具屋」「番小屋」がついて、殺しの背景になったもっと細部の事情までがよく分かり、さすが猿之助さんだわ・・・と感心もしましたよ。
でも『夏祭』って、大胆に言ってしまうと、結局は「長町裏」の殺しの場が見せ場で、そこでの団七が思いっきりカッコよくなくちゃ駄目なんだから・・・。
で、もちろん猿之助さんの団七、思わず私も殺してー!
って叫びたくなっちゃう程カッコよかったですよー!!まだ見ていない人、いろいろ都合つかなくて今回はパスなんて思ってる人も絶対、絶対行かなくちゃホントに大損ですよ。
BENちゃんの感想で≪「ひょんなことからとんでもないことを…」という動揺が、「型」(見得)にこだわる故凝縮しきれていない印象があった≫って意見、ナルホドなァ・・・と思いました。ただ私はむしろあのカドカドの極まった団七の見得の一つ一つが最高に美しい、官能的な、それぞれが一枚一枚の絵のように鮮明に網膜に焼き付いて離れない・・・それが猿之助さん演ずる団七の特長じゃないかって気もするのですが。
あーァ、BENちゃんが奥さんのことを嘆く気持ちスゴーック分かる私ですが、いまは何度も駆け付けちゃう奥さんの気持ちもやっぱりスゴーック分かるわァ・・・。
ホントにホントに、何度も行ける人がうらやましーい!
NHKで放送してくれないかなァ・・・。 うわっ!
そうよ、そうよ。 希望すればいいのよ、NHKに。だって歌舞伎座史上はじめての『夏祭』通し、なんですよ。しかもあの大変さじゃあ猿之助さん、そう繰返しやるとも思えないし。ということは、とっても貴重な舞台ってことでしょ。
善は急げ、私、明日NHKに電話します。 同感の人がいたら貴方もお願いね。
電 話 :03-3465-1111
それから夜の部 『当世流小栗判官』 はとってもよく出来たお芝居で、何度も見ているのだけれど、改めて「これって、名作だわ!」と思いました。
猿之助さんは何てったって浪七! これが最高!!
カッコいいの一言です。
猿弥さんの橋蔵、大健闘で客席は爆笑、爆笑。
それと亀治郎さんと笑三郎さんががっぶり組んだ娘殺しの場が、濃密なお芝居を見せるとっても見ごたえのある場になっていて感心。あの二人はほんとにスゴイなァ・・・というのも印象的でした。
1997年7月 13日 Kanoko.S
■ BEN之助(屋号阿呆屋)に御座りまする(笑)。妻YUKA蔵が歌舞伎座へ出掛けましたので、独りでのびのび御留守番相勤めおります。
それにしても、YUKA蔵で御座いまするが、昨年12月に娶りまして大阪から東京へ連れてきたのを幸い(更に歌舞伎座・新橋演舞場・国立共電車一本の地の利!)、猿之助狂に拍車が掛かって御座います。今月の7月猿之助歌舞伎は5回を確定、更に6回目を狙っているようす。結婚前から「歌舞伎は自腹で!」というのが了解事項なのでいっこうに構わないのですが、24歳の普通の勤め人なれば可処分所得も限られておるはずでしょう。私と行く2回は桟敷席、他は一等席と三等席。エンミル(猿観る)係数の高さや如何に!!!妻のお金は歌舞伎以外には回るはずもなく、BEN之助めはビールは家計外で買って来たり、スーツを買い与えたり、香水まで…。気の揉むことで御座りまする。
まあ、私も感化されて猿之助贔屓になった以上、「観たらアカン」とは言えません。いや、寧ろ猿之助丈が仰せの如く「感動して、生きるエネルギーを貰って」来て欲しいと願うのですが、そのエネルギーを再び観ることに費やしてしまう(笑)。「猿之助丈を観るために働き、働いた自分へのご褒美に猿之助丈を観る」…グルグル回ってまんがな、それじゃ…。
あなたの生産性や創造は?人生や自己実現とかは?折角貰ったエネルギーや、自分の人生にも注入して欲しいと願うものです。猿之助丈の生き様などにも触発されて、今度は「受け手」でなしに「出し手」として立って欲しいのです。「観たぁ、良かったぁ、もう一遍!」の循環から抜け出て欲しい…。(勿論、BEN之助めも歌舞伎好きですし、猿之助丈と同じ時代に生きていることを誇りに思う一人です。ですが、当然「自分の主戦場は別」ですわ。歌舞伎が我が人生のはずがない。猿之助丈とは別の世界で第一人者となり、やはり感動を与えたい!と願う者です。)「猿之助丈を追っかけてればご機嫌な妻」というのも単純でいいですけどね(笑)。
9月は一人で大阪帰って『カグヤ』を観るそうです。BEN之助はその間は独身!有り難いことでも御座いまする(笑)。ああ、その前に今月末から『京都造形大の集中講義』でした。BEN之助&YUKA蔵が雁首揃えて阿呆面晒しに参りますよってに、これをご覧の皆々様と知己を得られましたら幸いで御座りまする。
さて、BEN之助めはまだ『夏祭浪花鑑』しか観とりませんが、スッキリ出来上がって上々でした。やや、大阪弁が薄いのは仕方のないところでしょうか?本当はもっとドロドロ濃いもんやと思てました。「通し」故、筋の運びも親切で明瞭かつ見所多いように思います。義平次がホンマに憎々しげで、毎度決まった出方のこっぱの権らもホンマに懲りない連中で可。それにしても「こちの人の好くのはここ(顔)じゃない、ここ(心意気)でござんす」エエ台詞やわ、これ。
団七は…というと長町裏の土手が見せ場。辛抱が切れて切り付けた塩冶判官や封印を切った忠兵衛とは違い、もののはずみで親を切った無念さやりきれなさが身上。それゆえ悲劇性が更に濃い。動揺しながら切った事実を咀嚼して「最早逃れぬところ」と観念してトドメを差す。祭り囃子や本水が緊迫感を盛り上げるのに効果的なのは歌舞伎の表現技法の豊かさでしょう。観る人に「ひょっとしたら、自分もこんな風に意図せず人を殺してしまうかも知れない」との恐れを抱かせるものがありました。
ただ、「ひょんなことからとんでもないことを…」という動揺が、「型」(見得)にこだわる故凝縮しきれていない印象があったのです。勿論、素人眼でのことですが…。
1997年7月 13 日 BENちゃん
■ 大切なバックナンバー回覧して頂きありがとうございました。
『猿之助の仕事』(演劇出版社)を読んだ時も、初めて幼少の頃の写真を見て、「あァ・・猿様も普通の人間だったんだ!よかった!!」と思いました。そして今回五号を読んで、役者としてファンの多大(で過剰な)な愛を受ける以前からこんなに強い大きな愛情を沢山受け取って成長して来られたのだと知り、とても嬉しかった。
猿様の孤独はとても深いんじゃないか、こんなに光を放つ彼の影はもの凄く濃いのではないかなんて、勝手に想像してはとても苦しくなったりしていたのだけど・・・・
ファンを含め無条件の愛情を投げかけている人々がこんなにも沢山いるんだから、猿之助様は全然≪孤独≫じゃないですよね。(一般人の方がよほど孤独だー!)
だって猿様に命預けられるっていう人、いるでしょう?
ただ 「猿之助様のために死ねるか 」 と言われても、私、死ねません。≪猿之助≫観れなくなっちゃうもん!!でも「一緒に死んでくれ」と言われたら(言うわけないけど)死ねますね。
この熱病が小康状態を保っていた青春時代、昔から指向性のあった海外生活をして、欧州の一流オペラ劇場で観劇もし、世界的に有名なミュージカルも観、そうそう昨年は45000円払って『ザ・スリーテノールズ』も聞きました!!
世界の有数な美しい都市のみならず、秘境の地も歩き、もちろん多くの刺激は受けたけど、再発病、いや再発狂中の現在、猿之助様の産み出すもの、猿様の存在に勝るエクスタシーはないと断言致しましょう!!
やっぱり最初出会った時に≪魂≫抜かれてたんですネ。この10年は、その確認のための人生だったような(!?)気がします・・・・
1997年7月 6日 Yasuko . w
■今月の奮闘公演にかけています。と、言うわけではりきって初日の夜の部を観てきましたので(3階席ですが)ご報告いたします。
実は『當世流小栗判官』を観るのは 初めて。天馬に乗っての宙乗りはやっぱり見てて嬉しくなってしまいますね。思わず、真剣に見入ってしまいました(^_^;
別に天馬なんて 架空のものに乗らんでも 早馬で
花道駆け抜けてもエエやんなんて言うのは野暮というもの。そういう突飛なところが歌舞伎っぽくて楽しいんですよ。
そんなことより、浪七がメッチャ かっこいい〜♪ (周りが とぼけてるから余計にかっこよく見える)考えてみたら猿之助丈ももうすぐ(!)ってお歳のはずですが、まだまだ、まだまだイケますよ。うんうん。(生意気なこと言うてすみません)
猿弥さんの矢橋の橋蔵 も面白かったです。ずーっと
宗十郎さんで観 てはった方はどう思わはるか分かりませんけど、猿弥さんも頑張ってはります。『8時だよ!全員集合』の♪エンヤ〜コラヤ!・・・が流れた時は思わず手拍子打ってしまいました(*⌒-⌒*)あ、ネタバラさんほうがエエですよね?この話しはやめとこ。
ホントに 何ヶ月ぶりかに 猿之助歌舞伎が観れて
1人で大はしゃぎ でした。(BENちゃんとは夜の部は千秋楽に行く予定。)中日くらいにもう1回くらい観たいなぁ・・・なんて言うたら「貧乏ったれがなに言うてんねん!」ってダンナさんに言われるでしょうか・・・?夜の部やから内緒では行けへんやろ〜なぁ・・・。ちっ。
近くに住んでると欲が出てアカンなぁ・・・と思う
今日このごろです。
1997年7月3日 Yuka . Y
■ 猿之助先生の授業を一緒に受けませんか!
今年こそは、京都造形大学の歌舞伎講座に行ってみたいと思っています。でも、同行者に恵まれず(;O;)、いざとなったら、大人の女なんで、ひとり旅でもでもいいのですけれど、もし、私のような人がいらっしゃれば、ご一緒出来ないでしょうか。
一人で受けるより何倍も楽しく有意義な時を過ごせるのような気がするのです。
私は、横浜市港南区在住です。
ところで、 まだ舞台は観たことがないのですが、去年の夏の千秋楽のときだったと思いますが、出待ちを、一般ピープルと共にしていらっしゃる藤山直美さんの姿をみかけました。楽屋とかいくらでも行ける人なのに、あのBS生中継の時の一ファンって感じそのままの様子に感激しまして、超好感を持ってしまいました。
1997年6月 18日/ Reiko .H
【翔・編集部より】= BENちゃんご夫婦は早々に初参加を決められたみたいですね。ヨーッシ、私もこの際初参加しよう!、Hさんと一緒に行きたい!という方がいらっしゃいましたら、「翔」の方までご連絡ください。
■ 「翔・五号」 お貸しいただき本当にありがとうございました。
大好きな猿之助さんのことをもっともっと知りたいと思っていた私にとって、五号は正に夢のような本でした。子供の頃の事なんて、フツーのファンでは知ることなどぜーったいにありませんものね。
早くお返ししなくては!と思いながらも、なかなか手放せなくて・・・。
あまりに楽しそう、嬉しそうに読んでいたのか、夫に「楽しそうだねェ」と言われてしまいました。
また、パソコンの前に座る時間も長くなり、ブックマークにしている「翔」のHPを見ている時は夫も話し掛けることをせず(話せない雰囲気らしい)、横で一緒に見ています。
私のメールが「お便り集」に出ているのを見つけた時には、私は涙をこぼす、夫は「スゴイ、スゴイ!!」と連発するで、大騒ぎをしてしまいました。皆さんと仲間になれた気がしてホントに嬉しかったんです。
ところで五号の重版予定はまだ実現には至らないのでしょうか。
五号を読むと、いつも側に置いておきたいという思いが強くなってしまって・・・。
是非ほしい!と思っています。重版のこと、どーぞお考えになって下さい。そしてもし重版になりましたら、私のこと忘れないでくださいネ。
1997年6月17日/
Kazumi .S
■ 近頃、我が家ではこーんな会話がありました。
BEN「今年はなんか変わった夏休みを過ごしたいなぁ・・・」(去年はハウステンボスに行った)
わたし「9月に夏休みとってくれんのとちゃうの?(BENちゃんの会社は7〜9月の間に社内調整して1週間休みを取る)私、『カグヤ』観に行きたいねんけど・・・」
BEN「オレ、別に『カグヤ』は(去年観てるし)エエわ。
『ヤマトタケル』なら何回でも観るけどナ。」←うわっ!そんなこと言ってエエわけ?!爆弾発言や!
わたし「何でよ! 去年は去年やん!今年はまた違うの!」
BEN「(無視して)う〜ん・・・そうやなぁ・・・・・・なぁ、今年の造形大の講義っていつやったっけ?」
わたし「7月の歌舞伎座終わってからやけど?<あ・・・っ!もしかしてコイツ・・・>」
BEN「よし!それや!由華、造形大に問い合わせろ!」
わたし「<やっぱり〜!>ちょ、ちょっと待ってよ!本気で言ってるん?」
BEN「オレほどキャンパスの似合うヤツはおらんで!」<アンタ、自分が30歳やってこと忘れてんのとちゃう?>
わたし「・・・・・・。」<イヤやーっ!夫婦で何してんねんって感じやん!>←世間体を気にする妻
BEN「何やねん。イヤなんか?じゃ、BENちゃんだけ
行〜こぉ!残念やなぁ、夫婦別々の夏休みかぁ(妙に嬉しそう)。由華、東京でお留守番?かわいそ!オレは猿之助の旦那の講義受けて来るねん。う〜ん充実した夏休みや!帰って来て歌舞伎役者になってたらどうしよ!!!」<すっかりその気になってる>
わたし「私だって行きたいよ!でもでも私にもファンとしての立場ってもんがあるねん!もし誰かに『ダンナさん、どうしたの?』って聞かれて『あそこに座ってます・・・』って・・・あ〜っ!考えただけでも恥ずかしいわ!」
BEN「キャンパスライフ♪キャンパスライフ♪」←きっと何か他に楽しみがあるに違いない
てなわけで、京都造形芸術大の講義に夫婦そろって参加することになりました。(と、言っても申込をしたところです。)彼は『翔・7号』の特集を読んでえらく感動していたので、それに影響されたのだと思います。私も、歌舞伎をまた別の角度から知ることが出来るという点で、以前から参加したいとは思いていましたが、まさか、夫婦で受けることになるとは・・・・・・複雑な心境です。
1997年 6月 5日/ Yuka . Y
■ 遅くなりましたが、「オオクニヌシ」の感想です。
一幕、二幕と長時間やっていたわりには、三幕目があっけなく、「高き志」も軽くなってしまった気がしました。おまけに、お約束(?)の長いカーテンコールもなく、えっ?!という感じで・・・。
このお芝居では、各クライマックスへむけての演出やセリフが、どうしてそういう結末になるのか・・・が分かりづらかったように思います。
スセリヒメが父が病だからと暇乞いを切り出した場面では、そんなのすべて捨てたうえでオオクニヌシと一緒になったんじゃないの?と女性像が最初と違ってきてて、変でした。
コトシロヌシが即位式を演じて海中に身を投じる場面も、まつりごとは性格的に合わないと言っていたのに、本当は王位を受け継ぎたかったとか言い出すし・・・死の決意があまく、ずいぶんあっさりとミホツヒメもついていっちゃったものだとも思えました。
シェイクスピア的といわれる作品だけに、スペクタクル性が多いスーパー歌舞伎では、心理面の表現が難しいということなのでしょうか。「ヤマトタケル」や「オグリ」等ではその両方が見事に融合され、表現されていた気がするのですが・・・。
せっかくの立派なテーマなのだから、再演のときは、ぜひ一幕、二幕をもっと生きたものにして、三幕をクライマックスらしく心揺さぶる場にしてくださるよう期待します。
1997年 6月 1日/ Asako.Y
■ 中途半端な好きじゃダメ、全身全霊熱烈激愛!!じゃなくっちゃと思いつつ12年。どうして、このグループ翔の存在に気付かなかったの!というか、私は勝手にこの地球上で自分ほど猿之助歌舞伎と出会って幸せを感じている人間はいないと自惚れていたので他の事は目に入らなかったのね。
85年、欧州公演バージョンの『義経千本桜』と出会い衝撃を受け、以後、取り憑かれたかのように猿之助さんの舞台に通いつめました。
ついに、87年、南周りの格安航空券を握り締め(パリまで24時間よっ!)ユースホステル・夜行列車を乗り継いで、(しまいには教会の慈善団体で無料の食事を提供してもらい)バックパッカーしながら追っかけたヨーロッパ公演。豪華で普遍的な美を持つ歌舞伎の舞台が与えてくれる陶酔。ホント、これを知ることの出来た人生で良かった!!と思いました。
その後しばらく海外に住んで89年3月に日本に戻ったのですが、仕事柄、年に1/3しか国内にいることが出来ず、平成に入ってからは殆ど観劇することが出来なかったのです。
でも、今年1月(歌舞伎座)久々に一つの演目を数回観比べるということをして、やっぱりこれしかないっ!と初心に返って(?)足を運んでいます。
『連獅子』素晴らしかったですよね。幕見で2回、夜の部通しで1回観ましたが、猿之助さんの演目となると明らかに舞台に漂う空気も、客席の熱気もまったく別のものとなる。特に千秋楽、決まりの処でかかった「おもだかや!!」の大向こう。いつもにもまして情熱があり大向こうも“ピッタリ”!幕が下りたあとの大喝采、この興奮、この感動。
そして、1月の出待ちで見かけた顔が、国立劇場・春秋会の楽屋口にもやはりいて、言葉にはしなかったけど、わかるわかるその気持ちと・・・。歌舞伎(猿之助)ナシでも楽しく生きている人の方が(地球上には)多いん訳なんだから、「ホント、この寒空の下、ワタシもアナタも同類項ね。なんなんでしょうね」なんて・・・(忘れもしない23日は−2度よっ!)
でも、どんなに高度なテクニックや華やかなステージも、役者が放つ何かを受けとめ、それを増幅してまた舞台に投げかえす存在の“観客”という私たちがいないと、真の完成というか、演劇は創造されないんじゃないかしら。
人生を賭して役者が目指すもの。それが何であるか、どういう言葉で表せばいいのか分からない。でもそのことに少しは寄与しているという想い、あの舞台上に私たちの想いも取り込まれていると感じられることが、無上の喜びを授けてくれ、なにかしら共有観のようなものが芽生えて、役者さんたちを客観視することが出来ず、身内のように感じて(勘違いして)しまうのよね。だけど、この幸福な錯覚がたまらなく嬉しいのよね。
なんだかだんだん言ってることが支離滅裂になってきましたが、「何ゆえ私は、この人たちはここにいるのだ?」と、考えました。
まあ、そんな理屈は抜きにしても、というか、もともと理性じゃないからね。もう恋愛と同じ、いやそれ以上(?)。とにかく愛してますっ!!
『オオクニヌシ』 も最前列をはじめ、1等席で三回、立ち見で一度と仕事の合間をぬって、国内にいて時間の許す限り(と財政)観にでかけました。6月の中日も、見逃してるので『カグヤ』(大阪)にも出かけるつもりです。
猿さま命!の方々、私がここ数年見逃した舞台の数々について、皆さんのオリジナルエピソードについて共有させて下さい。もうホント、このホームページを覗いて目から鱗、こんなにも超猿之助(←自分でもよく分んないけど、なんかこんなカンジ)の方々がいるなんて・・・。
パソコンはまだデビューしたばかりで、Eメールがちゃんと届いているかどうか送った先に電話で確認しているような状態(!)ですが、是非「パソ通」しましょう。
また、私は千葉県市川市在住ですが、関東近郊で翔のバックナンバーを見せて頂ける方がいらっしゃいましたらご連絡下さい。
1997年5月31日 YASUKO.W
■ 私は猿之助さんのファンになってまだ三年目です。
おもだか会にも入っていますが、「囲む会」等のイベントに一人で行く勇気が無くて、ファンの方たちとお知り合いになる機会もないので、グループ翔のホームページを見て、みなさんの熱い思いを読ませていただくのを楽しみにしています。
はじめに スーパー歌舞伎「八犬伝」を見て感動し、その翌年の「ヤマトタケル」で夢中になり、たてつづけに5回見に行きました。まさに舞台からエネルギーを与えていただいています!
そしてその年の7月に歌舞伎座で見た「黒塚」と「荒川の佐吉」で、「ものすごい人なのだ!」と思い、特に「黒塚」では呼吸をするのを忘れてしまうくらい、猿之助さんの動きをじっと見つめてしまいました。それからは、一人で京都の南座や、名古屋の中日劇場まで公演を見に行ったりもしました。(でも、一人で行くと感動を語りあうことができないのが、とてもさみしい・・・。)
昨日は、「オオクニヌシ」の千秋楽を見に行ってきました。まだ興奮さめやらずといった感じです。千秋楽は初めてだったのですが、カーテンコールでは観客が座席から舞台に向かって夢中で手を振るなど、その熱狂ぶりが、また感動的でした。
パソコンを買ってからもまだ日が浅いのですが、テレビでグループ翔のホームページの存在を知ったことが、パソコン購入のきっかけの一つでもあります。インターネットで歌舞伎関係のサイトを覗いたり、CD−ROMの「デジタル歌舞伎エンサイクロペディア」を買って、大向こうの方の「おもだかや!」の声を何度も聞いてはニンマリしてます。
これからもホームページ楽しみにしています。翔
8号もとても楽しみです!
1997年 5月 24日/ Yumi.I
■ 私は、行政などの文化振興施策づくりや文化施設づくりのお手伝いをさせていただいております、いわゆるシンクタンクに勤務しておりますS.Mと申します。
実は京都造形芸術大学で猿之助さんが初めて集中講義をなさったとき一般聴講者として応募して幸い連日聴講させていただくことができ、その折りに、仕事を持っているらしい男性なのに、毎日通っているのが不思議だったから、何をしている方かと思って、と北前様にお声を掛けていただいき、猿之助さんや段四郎さんのお話も間近にうかがう幸運に浴した者です。 その上、後日「翔」第7号をおつくりになったときには、1冊をお送りいただきました。
内容のびっしり詰まった、しかも御手づくりの本当に「贅沢」な出来映えに感動し、圧倒されました。
ちょうど仕事で海外へ行く直前で、帰国後に腰をすえて感想をと思い、とりあえず葉書か何かでごく簡単なお礼のみ申し上げたことを覚えております。
ところが帰国後は、ろくにできない外国語の資料を読み解きながらの報告書づくりやら他の仕事の重なりに日々追われて、心ならずもとうとう時機を逸してしまいました。
その後、猿之助さんの寝屋川公演の記事を新聞で拝見し、そこに北前様のお名前を見つけて、「ああ、あのときの方だなあ」と嬉しく思っておりました。
ずっと熱烈なファンでいらっしゃって、猿之助さんもそのお気持ちにお応えになる、役者と本当のファンの理想的な関係だなあと感動を新たにしておりました。
私のほうは、文化とは申しましても、それこそ人々の暮らしがどうなっていくのかというような生活文化のことから、地域開発の中の文化的な要素、芸術芸能の分野でも、美術から音楽、演劇、伝統芸能まで、ホール・劇場からギャラリー、博物館の類まであまりにも幅広い分野に関わっておりますために、ひとつひとつの関わりが浅く、ともすれば観念的になりがちです。
こんな私からみますと、北前様をはじめ皆様方のように、とにかく好きで好きでたまらないから、時間がかかるとか労力がかかるといったことさえも楽しいからいいんだ、という、そういう関わり方というのが、結局は一番ハートがあって、一番深くて、一番強いんだなあとつくづく思わずにはいられません。
ちょうど映画でいうと淀川長治さんのような・・・。いくら東大教授の蓮見重彦さんなんかが小難しいフランス哲学の言葉なんかで批評しても、淀川さんの好きで好きでたまらなくて、とにかく「全部見てきた、すべてを映画を愛してきた」というあの蓄積には絶対かなわないですものね。
閑話休題、突然こんなお手紙さしあげてすみません。たまたま仕事の関係で演劇関係などのホームページを見ていくうちに、はじめて「翔」の頁があるのを知り、急に懐かしくなってしまいました。「ああ、あれからもずっと続けて走り続けていらっしゃるんだ」と思うと本当に胸があつくなってしまいます。 あのときお送りいただいた「翔」第7号はもちろんいまも大切にしておりますが、実はそのことをある方にお話ししたところ、ぜひお読みになりたいとおっしゃるのです。
幸いホームページを拝見して残部があるとのことでしたので、1部購入させていただけませんでしょうか。手づくりの何よりも精魂込めておつくりになったご本を、わずかな誌代でいただくのも心苦しいのですが、どうぞよろしくお願い申しあげます。
1997年 5月 19日 / Sei.M
【編集部より】=皆様方以下の太字の部分、なぜかしらジーンときちゃう嬉しいおことば。「翔」に集うファンは、みんなみんなこういうファンでありたいですね。
■
ごぶさたしています。「翔」6、7号を送っていただきながら感想も書かずに、すみません。
なにしろあまりにも中身が濃くて、しっかり考えをまとめて書こうと思っているうちに、何か書きそびれちゃって・・・。
まあ一口で言えば、「ここまで想ってくれるファンがいる猿之助さんは、何て幸せな人なんだろう!!」って感じに尽きますね。ファンである自分たちにさえそう思えてしまうくらいでした。
結局はフツーの観客の心をしっかり掴んだ(味方につけた)役者は強いということですね。専門家の言うことなんかよりも、観客の声に耳を澄まし、観客と向き合って、要するにいつも私達の気持ちになって演じてくださっているからこそ、私達ファンも本気で燃え、本気で応援しちゃうんですよ。
「翔」を読んでると、猿之助さんと私達ファンは、お互いの熱情に打たれ合ってよりパワーアップし合っている関係なんだってことがよく分ります。それくらいこの「翔」に登場する方々の想いは相当なものでした。
それにどの文章も素晴らしくて、猿之助ファンはみんな文章を書くのが上手いのか?なんて思いましたが、それは猿之助さんの与えて下さる感動が本物だからってことなんですよね。ありきたりの表現や、カッコつけた上っ面だけのきれいごとを並べるのじゃなくて、感動を、想いを、感じたまま素直に文字にしていくと、自然に素晴らしいものになってしまうという・・・。
ところで 4/27付でお便り集に登場したNatumi.W
さん! 私と同じ福島県いわき市とあってビックリでした。
いわき市にも、こんな私と話の通じ合えるほどのファンがいるんだと知ってとても嬉しく、これはすぐにでも連絡をとらなきゃ!と思ってしまいました。「ここにも同志がいるわよ!」って知らせてあげたいのです。「翔」HPにはまだファン同志の交流コーナーがないので、申し訳ありませんが伝えていただけませんか。「同じ市内にこういう人が(私のこと)いて、連絡を取りたがっているよ」と。
お手数ですがよろしくお願いします。
1997年 5月 18日/ Keiko. Y
【翔・編集部より】=お伝えしました。近い内に多分連絡が行くのでは・・・。
■ 夫婦共々皆様方の力作「翔」を楽しませて頂きましてありがとうございます。(昨日、猿之助丈のソヴィエット紀行&卒論を拝見させて頂きました。)「翔」についての感想は後日にさせて頂きまして、今日は観てきたばかりの『オオクニヌシ』の感想を述べたいと存じます。
由華に「エエ、エエ!」とさんざん聞かされて相当な期待で臨んだ所為もあったのでしょうが、イマイチ「パンチ不足」の感は否めませんでした。残念ながら泣けなかったのです。(『ヤマトタケル』はボロ泣き、『カグヤ』はう〜ん、感動!、『引窓』は涙で舞台が良く見えない・・・の私で、結構感激屋さんなのですが)何やらスッキリしないものを胸に家路についたのですが、その原因をあれやこれや考えてみました。
悲劇にしては詰めが甘いのです。あまりにあっけない大大和の陥落。子供達が次々に滅ぼされるのは良いのですが、大和に「ご注進」が来た時にはほぼ筑紫東征軍の到着。時間的なものを無視したために「手に汗握る」緊迫感が生じず、空間的な被征服の恐怖が伝わって来ないのです。
更に「国譲りのあっけなさ」でしょう。「どうしても国を譲るより他にない」のだという必然性をもっと強調して欲しかったと思います。それには大和の民衆の動揺やあるいは御前会議で主戦論と和平論の衝突といった場面の挿入が必要ではなかったかと。
そういう場面の後、「私は愛による国造りを目指してきた。武力による統治などもっての他。このごに及んでさへ武力には頼るまい」「我が身がどうなろうとも、民草の尊き命には代えられぬ」の決断、そして民草の啜り泣きが欲しかった。出雲へ移送の際にも同様で、もっと民草に愛され慕われた徳のある君主の追放という悲劇性をこれでもか、これでもかで押し通して欲しかった気がしました。
「神は気まぐれである」という大前提は古今東西演劇の大テーマであるわけで「それに翻弄される人間」の図も大して目新しいものでもない。「人を愛し人を信じる」純粋性は弱さでもあり強さでもある、だかしかしそれなしには人間ではないのだ。それを誇りに思い、それなしに生き長らえることを潔しとせず、それによる国造りの達成で神を見返すことを「高き志」として後生に託して死んでゆく高潔な魂の物語であれば、特に3幕目もっと緻密な盛り上げかたがあったろうにと思います。
「みんなみんな死んでもーて、ああ可哀相・・・」「人は神には逆らえん」ではアカンのは当たり前。神ならぬ人間であれば命は線香花火の如きものなれど、その輝きは何にも増して美しい、その美しさが愛であり信じる心であり慈悲である。3幕目に猿之助丈に全部を語らせるのではなく、演技で無言の間に悟らせるべきでしょう。人間の凛々しさ、美しさを。語らずとも分かるのです。
もっともっと、練り上げられた台本での再演を期待したいと思います。
1997年 5月 12日/ BENちゃん
■ 今回の猿之助さんが私にはとても新鮮でした。特に後半の何もしない、ジッと座っているか、立っているか・・・、ただそれだけの猿之助さんにしびれてしまったんです。
幕切れの絶叫癖(ワッ、言ってしまった!)とか、ものスゴーイ大泣きとか、「もうチョット抑えた方がいいんじゃないの〜?」と思っちゃったりもするけど、ジッとしているだけの猿之助さんの、他を寄せ付けないような、威厳に満ちた存在感にすっかり魅せられたというのでしょうか。寂しさ、苦悩、怒り、絶望、それから誇り・・・。そういうものが猿之助さんの身体をスッポリ包み込んでいたと私には見えたんです。
確かに地味だし、これまでのスーパー歌舞伎とはガラリと趣きの違う舞台ですが、それが却ってとても新鮮でした。
友達( 大阪の高槻市在住 )も「ヤマトタケル以来の感動らしいから、来週見に行こ思てるねん」っていってました。あ、この友達に「ヤマトタケル以来の感動・・・」と伝えたのは私ではありませんよ。
因みに私は2階最前列で1回、 3階3列目で1回
観劇しました。
1997年 5月 11日/ Junko .N
■
最初に観たとき、う〜んって思ってしまった「オオクニヌシ」でした。素材は決して悪くないのに、ちょっと料理法を間違えたかなあって感じかな。毎年、百点でなきゃならいってことは、決して無いけど、初回を観たときは、70点とか思ってしまった。(ま、感動を点数で表すなんて言語道断なんで、今のは、あくまで、例えです。)
では、何がいけないのかなあって考えると、「暗い」(話も舞台も)のと「くどい」のがいやかなあ。あと、「地味」なのも。オオクニヌシのキャラクターもグチグチいってるばっかで、あまり魅力的じゃない気がします。
毎回、初回を観るときは、ものすごい期待の固まりなので、寝ちゃったことなんて無かったのに、一瞬とはいえ、ついウトウトしてしまったですよ。全部上演したら9時間かかるというお芝居でも、突然20年の月日が流れちゃうってのは、唐突すぎませんか? 青年・壮年期のオオクニヌシが、もっと観たかったよう。でも、それは進行上しょうがないとしましょう。(ま、スムースに移行したし)そのくせ、繰り返しの台詞回しが、くどくてくどくて。(いつも、そういうきらいがあるけども今回は、特に気になりました。)そういうとここそ、カットできるんじゃないのかしら。
そして、2回目・3回目を観てゆくうちに、いつも睡魔が襲ってくるところを(私だけかなァ)チェック。二幕目のスセリ姫が暇ごいをするくだりとか、スクナヒコが、常世の国にいかんとするくだり、三幕目のオオクニヌシが入水する前の心情を吐露するくだりなんですよね。
三幕目は一番、感動する場面でもあるけれど。台詞の繰り返しが多いのは、きっと、猿之助さんは、親切だから、いろいろと説明しないと、みんなわかってくれないんじゃないかと、ダメなんじゃないかと思っちゃうからだろうけど(?)、もっと、フェードアウトするような言い回しにしてくれても、いいんじゃないかしら。観客の側にもっと、想像させてもらうゆとりっていうか、ゆるみが欲しいです。言葉の洪水になってしまうと、なんか、流して聴いてしまうのがコワイから。
そして、最後、入水前の、心情を吐露する場面で、せっかくの「高き志」という崇高なテーマが、話の流れ上とはいえ、「復讐」になっちゃうのに、違和感を感じました。言わんとしてることは、わかるんですよ。だからこそ、「復讐」なんて、言葉を使われると、途端に、アララって思ちゃっう。なんか、もっとうまい言いようがなかったんでしょうかねえ。やたら、『男は』みたいのを、強調してるのもブ〜かなあ。(『人は』っていうんじゃいけないのかしら)
さて、厳しい意見は、ここまでにして、あとは、細かいけど、いいと思ったところを。
一幕目の、オオクニヌシが黄泉の国で寝ているときの、ムカデが壁飾りのまわりをグルッとしてくるのが、いいです。ゾクゾクしました。かっこいい。
二幕目、オオクニヌシの子供たちが、最初に出てくるところで、猿也くんの子役がスッゴイそっくりで、笑えました。
沼の婆あの、金の魚の髪飾りは、欲しくなってしまうくらいキュートでかわいかったし。外部からの助っ人は、徳三朗さんの二役といい、團蔵さんに、いたっては、あまりに、どの役も怪演すぎて、客には、大うけでしたね。この二人の人選はバッチリでした。
亀治朗くんの、女形ぶりもよかった。それに、なんだかんだ、言っても、入水の場面じゃ泣けちゃうしなあ。
やっぱ、好きです!猿之助さん。そうなんですよ。だから、もし、再演するときに、練り直してもらったら、素材がいいんだから(役者も物語も)絶対、いい作品になると、思います。(えらそうでゴメン)
あと、舞台が、もっと、明るかったらなあ。途中にある宙乗りも、なんか、ものたりないしなあ。
全般的に地味ですよ〜。スーパー歌舞伎は、派手じゃなきゃ。(あ、また、ブツブツいってしまった。)
猿之助さんは、みんなの意見を、どんどん、取り入れてくださる方だから、再演時に期待します。いつものように、どんどん、改訂・改良していってくださいね。なんか、とりとめなくなってしまって、すみませんでした。
観た日にちは、4/8・22・5/6の三回とあと、千秋楽です。ハンドルネームは、しあわせごはん。初演のヤマトタケルからのファンです。これからも、どうぞよろしくお願いします。
1997年 5月 10 日 / 幸せごはん
■ 5月5日観劇メモ <1列目からのいろいろ>
1列目の醍醐味@・・・細かいところまでヨク見える!!
★ヨク見える その1;オトウタリの團蔵さんの爪をチェック・・・衣裳と同じブルーの付けヅメ発見!!
★ヨク見える その2;白ウサギに扮した笑也さん。オオナムチを騙す場面・・・片袖で顔を隠すのですが、その袖の下では・・・しっかり舌まで出していました。これは3階からは発見できませんでした。花道よりの前の席からならチェックできるかと思います。
1列目の醍醐味A・・・さわれる!?
★さわれる その1;これは別に1列目とは限らないのですが、宙乗りの時のテープにさわれる(もちろん拾える)
★さわれる その2;一幕目のラストで落ちてきた<樽>をさわれる。→ 舞台に返してあげられる。(幕中ではなく休憩に入ってから舞台に戻してあげた<一度やってみたかったのです>のですが、取りに来た大道具の方が会釈してくれました)その他;場面によっては見にくいところもありますが、ちょっとした表情や小さな台詞まで聞こえるのが一列目の醍醐味です(衣裳もその小技に改めて感心)。また、余計なものが一切視界に入ってこないので、お芝居に集中できる事は言うまでもありません。
本日の“似てチョー”
“似てチョー”@ 團蔵さん(オトウタリ)とデーモン小暮
“似てチョー”A ラストの踊り・・・思わず“エンヤー コーラヤット”とつぶやきたくなってしまいました。1幕目のラストの立廻りとともに懐かしの「全員集合!!」に似てチョー。
“似てチョー”B 延夫さんと元・花組芝居の篠井さん(マニアック過ぎますよね。友達がどうしても入れろ!!というので。)の声。
以上、せっかくの1列目なのでミーハーに徹して楽しんできました。
1997年 5月 6 日 / Keiko .H
■ うーむ・・・いろいろ考えさせられた『オオクニヌシ』でした。
確かにオオクニヌシって、いままでのお芝居にはない人物像ですね。だからお芝居の主題がいままでにないものになるのも当り前で・・・。
忠義や、義理人情や、色恋や、或いは復讐劇やと・・・、そういったものとは全く次元の違う、思想劇というか、人間としてのあり方を問う魂の物語というか・・・要するに、とってもメッセージ性の強い舞台だったんじゃないかって気がします。
もちろんスーパー歌舞伎だから、言葉は現代語だし、視覚的にもよく工夫されているしで、メッセージ性云々なと度外視しても、観客それぞれがそれぞれの感性で楽しめるように創られているところなどはサッスガーって感じでした。
ホントのこと言うと、楽しみたい!心を開放したい!と出かける劇場で、生き方だのあり方だのを教えられたりするみたいなお芝居って、私、個人的にはあんまり好きじゃあないんです。
でも猿之助さんに、あれだけ照れず臆せず正面きってやられると、不思議に「ははーっ」って気になってしまう・・・・。
考えてみると、小説、映画、もちろん舞台も含めて、みんな人間の醜さ、愚かさ、弱さといったものをさらけ出すことにばかり、長い間、一生懸命だったような気がします。
人間が醜くて、愚かで、弱い存在だってことは確かだけど、人間にはまた崇高な心、気高い魂も宿っているんだってことも忘れてはいけないなァって・・・ね。
命をはって人質を救出したというバレル大佐(だったかな?)だの、マザーテレサだのの例を思っただけでも、とっても素直に頷ける気がするでしょ。
環境問題だとか何だとか、地球の将来、人間の将来が案じられているいま、醜さ、愚かさ、弱さといった面ばかりを言わず、もっと人間の崇高な心、気高い魂等をクローズアップして思い出させてくれるような、そういうものがもっとあっていいんじゃないかという気がします。
そういう意味で、スーパー歌舞伎第六弾『オオクニヌシ』からのメッセージを高く評価している私です。
ただあの衣裳(ワンパターンに陥ってますよネ。それも少しずつグレードが落ちてみえるのは哀しい。スーパー歌舞伎の衣裳ってう何故いつも毛利さんなの?)、あの台詞(毎度のクセ(?)だけど、会話というより説明くさいというか演説くさいというか・・・)で、その肝心のメッセージがどれだけの人に正しく伝わったか・・・ちょっと疑問だなァ・・・って。
あのダラダラーっと長い原作から(梅原さんの原作って、確かに猿之助さんのおっしゃるように哲学に裏打ちされた骨太さが魅力だと思うけど、細部の整合性が少々なおざりで、読み進みながら私はいつも何度か???となってしまうんですが・・・)よくあそこまでの台本になったものだと感心もしています。ただどうせなら細部のチグハグにももう少しこだわってほしかったなァ・・・と。
最後にミーハーな私らしい感想を。
「白髪頭のおじいさんになっても、やっぱり、ハーッって言うくらいキレイな猿之助でしたよね!!」
1997年5月 2日 / Kanako
.S
■ 「オオクニヌシ」観てきました。■
HPの投稿にもありましたが、私も今回の脚本は台詞で説明され過ぎる気がします。幕切れのシェ
ークスピアばりの長台詞も猿之助サンはとても気持ちよさそうだし(某役者さんのオハナシによると、今回猿之助サンはオオクニヌシ一役なモンで、・・・つまり声も変えずに済むのでラク、早変わりも無いので体力的にもラク・・・ってことで、実際ゴキゲンだそう。)、観ている方も感動するのですが(子役:コナムチの「大父君〜!!」・・・いいですねぇ)、なんだか歌舞伎って感じがしないのです(この感想はどこかの劇評家みたいで、我ながらイヤな言い方なのですが)。
今回はお得意のパワフルな踊りも観られなかったし・・・全体的におとなしくて(ジイさんの場面が多いので、そう動くわけにもいかないのでしょうが。)なんとなく物足りない気がしました。(別にケレンをたくさんヤレ!!と言っているのではありません。念のため。)
どうも私の中ではスーパー歌舞伎は「オグリ」が頂点!!(歌・舞・伎 の要素が見事にはいり込んでいたので・・・)って気がしています。解りやすいのはヨイのですが、「八犬伝」あたりから“ナンカ違うぞ(シャウトする台詞回し(猿之助サマの台詞ではありませんが)、ツケに伴うピンスポット・・・などなど)”・・・と思っていたら今回の台詞劇。もともと台詞主体の新歌舞伎をニガテとする私にはこれはチト辛い。う〜ん。
「ヤマトタケル(初演)」で猿之助サマにはまってしまった私なのですが、このところのスーパー歌舞伎にはあまり入り込めなくなってきました。解りやすい・・・という点では文句なく解りやすく、誰を連れていっても、その解りやすさと舞台面の美しさで楽しんでもらえるのですけどね。
来年のスーパー歌舞伎は「オグリ」の再演との噂を聞き、そちらを心待ちにしつつ(豪華な踊りもあるし、涙ものの道行きもあるし)・・・5月5日には一番前の席で「オオクニヌシ」を観るの楽しみにしている・・・という一見矛盾した行動を取っている私です。
ついでにお得な情報をひとつ。 すでに購入された方も多いかとは思いますが、演舞場でも売られている(¥2100)写真集「PASSION/情熱」、銀座松屋ウラの「奥村書店」で¥1900で売られています。いつまで置いてあるかはわかりませんが、私は今日(5/2)買ってきました。演劇界の新刊も割引価格で買う事が出来ます。ではまた。
1997年 5月 2 日 / Keiko .H
■ 昨日、1等席2列目真ん中で見て参りました。
いやー何と申しましょうか、大熱演でありました。もちろん初日もそうだったんでしょうけど、やっぱり近くで見ると迫力が違う・・・。3週間たって、すっかり手に入ったってこともあるかもしれませんし。
とにかく、スーパー歌舞伎はちょっとなあ・・と言う様な不信のやから(だれのことだ)をも納得させずには置かぬ、と言うキョーレツな意思がビンビン吹っ飛んでくるようで(これはもちろん、猿之助さんへ余計な手紙なんぞ書いた〔初日の舞台への疑問をタラタラ〕負い目がこちらにあるからなのですが)、「私がまちごうておりました、ご免なさい」って感じでした、ホントに。
ンでも私はやっぱり「7月夏祭だって、キャー!お金とっとこ!!」と思ってしまうヒトで、好き嫌いの世界だから仕方ないですよね?(聞いてどーする)
でもまあ、このページ見る限り評判は上々のようでよかった。嬉しいです。自分の好き嫌いは別にして、猿之助さんの作品がヒョーバン悪いと落ち込む、ややこしいファンなので。私の友達も、感想の第一声は「今回ジミじゃない?」でしたが、よく聞くと、「最後泣いちゃったよ」だそうで、メッセージはしっかり伝わったようです。
それから急に話がかわりますが゛、ハラハラもののあの飛び込み(背ギバ?)。さすがにすごくきれい!みごと!けど、コワイ。ドラマに引き込まれるよりも、猿之助さんに何かあったらどーしよ!なんて思って、私は泣けるどころじゃありません。
P.S 7月の夏祭は通しですよ!!!(昼)
1997年 4月 30 日 / kyouko.o
【翔・編集部より】=キャー!! う、う、う、うれひィー!!!
■ BENちゃん(主人)もやっと試験が終わって食い入るように『翔』を読んでいます。私も5号を読み終わったところ。自信作だけに、たっぷり楽しませて頂きました。
再版の準備があるとHPに書いてありますよね?私もぜったい欲しいです!早く再版してくださ〜い!若き日の猿之助丈(と、言うか“喜熨斗政彦”ですね)の姿が浮き彫りにされていてとても面白いです。すっかりハマってる自分が怖いわ・・・。
でも『翔』を読んでたらなんか安心できるのも事実ですよね。「私だけやないわ!」とかって。←ウソ。ホンマは「私ってまだまだ普通の子やわ」って安心してる。(^o^)めっちゃ、失礼なやつ・・・。
そろそろ、本題の報告を・・・え〜実は、主人が試験日で出かけるのをいいことに新橋演舞場にかけつけました。4月27日(日)の昼の部です。それも、勿体無いことに1階の最前列のど真ん中の席で!横に座ってはった方も言うてはりましたけど「ドキドキするわ」って。ホンマにそうですね。
ところて゜16日(水)に観た時とは力の入れ方が違う!
心なしか役者さんの台詞も丁寧やし。やっぱり平日と休日は違うのかなぁ・・・なんて。一番前やから、役者さんの細かい表情とかもよく見えるし(猿之助丈の二重アゴのラインも・・・っぷ。)たまにはこういうドキドキもエエなぁ・・・と思う私でした。
入水のシーンには、改めて感動!「水底に参るとしよう・・・」
その後のオオクニヌシの笑みがいいんです。その潔さが涙を誘うの。「行っちゃいけない!」と繰り返し叫ぶコナムチの台詞には耐え難いものがあります。涙がにじみ出てしまって拍手どころじゃないよ〜!う〜っ。そんな心境でした。もちろん入水のシーンばっかりがいいわけじゃないですけど。
それからコトシロヌシが大和の国の使者から報告を受けた後の「(悪い予感が)当たったぞ」と言うくだりも泣ける。人って悲しすぎると笑ってしまうことってあるんですよね。右近さんの熱演にも好感。いつもの右近さんの役どころと違うので、どうかな・・・と密かに心配してたんですけど、私は好きだなぁ、コトシロヌシ。(う〜ん、なんかしんみりしてきちゃった)
そうそう、舞台の感想からちょっと離れてしまいますけど『オオクニヌシ』を観てて思ったアホなこと、聞いてやって下さい。(探偵ナイトスクープで言うところの小ネタ集。←知
らなかったら御免なさい。)
★オオナムチがガマの穂を取りに花道に駆けていくところ、猿之助丈の走り方が妙に可愛い♪♪ああいう役の猿之助丈って「守ってあげたい!」系の可愛さがありませんか?(しかし、実の父より年上のおじさんに言うことかね・・・)
★ヤガミヒメも、スセリヒメも、「可愛い顔してやるわね」なんて思うくらいの大胆さですが、暗転になるまで「デバガメか」ってくらい、どこまで近づくかじーっとみつめてしまう私もたいがいよね・・・。笑也さんと春猿さんって毎日丈の鼻息くらいはかかってるよな、なんて余計なこと考えたりして・・・。
★沼のばば(徳三郎さん)の髪飾りって魚の骨だったのね!
★笑三郎さんの登場は、どうも小林幸子さんと錯覚しがち。♪無〜理してぇ飲んじゃ・・・スミマセン!
★團蔵さん、誰かに似てるなぁ・・・って思ってたんですけど、もしかして東野幸二?(ダウンタウンの『ごっつええ感じ』とかに出てる)フツヌシの後ろ頭を見て「あっ!」と思いました。←大ヒンシュクかなぁ・・・しょうもない感想でスミマセン。(こんなんHPにアップしたら『翔』のレベルを疑われる?)どうも失礼いたしました!
1997年 4月 29 日 / Yuka .Y
■「翔」スタッフ&読者の皆さまはじめまして。Natumi.W
と申します。高校二年生です。
さて、去る4/10,念願のスーパー歌舞伎「オオクニヌシ」を観て来ました。
思えば私が初めてビデオで「八犬伝」を観たのが約2年半前。その頃私はアメリカに住んでいて、歌舞伎に興味を持ち始めたのですが、歌舞伎を観る手段といえば、テレビ放映されたものがビデオになってくるのを待つばかり...
その頃観たものは「船弁慶」「勧進帳」「曽根崎心中」(お初の長台詞、何を言ってるのか全然わからなかった)と難しいものばかりで、ちょっと歌舞伎を倦厭し始めていました。そして出会ったのがスーパー歌舞伎「八犬伝」。入門書でかじった知識から勝手に作っていたイメージとは全く違っていて、とても衝撃を受けました。「歌舞伎ってこんなに面白いんだ!」と。
それからです。歌舞伎が面白くなってきたのは。不思議ですね、スーパー歌舞伎の台詞は現代語なのに、その後、古典物を観てみると、何を言っているのかばっちり理解できてしまったのです。スーパー歌舞伎に、歌舞伎の「イキ」とか「間」を教えてもらったのだと思っています。
それからはもう歌舞伎、特に猿之助さんにハマって、「八犬伝」「ヤマトタケル」のビデオは擦り切れる位観ました(今も!)。
昨年夏に帰国して、私の誕生日に「右近の会」を観たのが、私の記念すべき「ライブ」歌舞伎初体験。初めてだというのに興奮して、「段治郎!」「おもだかや!」と声をかけてしまいました。もちろん12月の「千本桜」も観ましたよ。そのときは、これもまた歌舞伎初体験の祖母が同行してくれたのですが、幕が閉じてからその祖母が涙ぐんでいたのは忘れられません。歌舞伎を初めて見る観客をも魅了してしまう猿之助さん...恐るべし!
余計な話が長くなってしまいましたが、とにかく、スーパー歌舞伎はこの2年半の間、ずっと私の憧れでした。それがやっと「オオクニヌシ」で実現することになったのです。大幸運なことに最前列で観ることが出来たのですが、3時間半、夢のように過ぎ去っていったような気がします。
1幕目はスペクタクルはもちろん、笑也さん、春猿さんとの熱烈な(!?)ラブシーンもあってドキドキさせられました。2幕目の成功ぶりとはうらはらに、3幕目はオオクニヌシ一族が次々と滅ぼされてゆく...テーマとしての「滅びの美学」は理解するのが大変でしたが、オオクニヌシの子供達が次々に自害したり心中したりしていく過程が哀しく、また美しく、一つ一つの場面は心に刺さりました。そしてクライマックス。オオクニヌシが入水して懐かしい人々に再会するフィナーレでは、運命の儚さ、人間の絆、視覚的な美しさを全身に感じて、感極まって涙があふれました。壮大で感動的な舞台でした。
もっと近くに住んでいたら(福島県いわき市在住です)何度も何度も足を運びたいところなのですが...ジレンマに駆られる毎日を送っています。ふと時計を見て、「今は3幕目だな」とか考えてしまって、自分がその場にいないことが悔しくてなりません。恋人が他の女と一緒にいるのを知っていて悶々としている女性の気持ち、分かるような気がします(笑)。
7月の歌舞伎座には、絶対絶対行くつもりです!!猿之助さん、段四郎さん、歌六さん、その他一門のみなさん、まっててね。
☆「翔」スタッフ&読者のみなさま、これからもよろしくお願いします。長文につきあってくださってありがとうございました。
1997年 4月 27日/ Natumi.W
■
「オオクニヌシ」、観て参りました!
予備知識全く無し! 筋書きも(途中で写真が変わると売り場の女性が言ったので)買わず、チラシすら見ていなかった・・・といった状態での観劇でした。
私の定席(3F)は完売で、一大決心のもと、2Fの一等席で観ることに。席につくと両側はどうやら株主招待の客らしく、「いつもは1Fの2〜3列目なのに、今日は悪い席で云々」なんて話してるんです。「文句あるんやったらお金払ろて観れ!!」って思いました。
それはさておき感想ですが、まさしく 『梅原猛の世界』でしたね。
オオクニヌシって神だと思い込んでたら、えらく人間くさくて「私は女の人と二人きりになったことがない」てなことを言いながら、すぐにくっ付いてライトを消す・・・。う〜ム・・・好きですねェ、猿之助さん。
登場人物はどれも神だか人間だか、私にはようわからん・・・。まぁ、神話神話した世界だろうと思い込んでいたのは私の勝手なんですけどね。
てな訳で途中まで「あんまり面白ないやん・・・」って後悔しかけてたんです。(15000円払ったことに)
でもいつの頃からかグングン話に引き込まれていました。観終わったあとでぐーっと胸に迫ってくるものがあるんです。理不尽なものにいっさい逆らわず、しかしあくまでも自分の信じる理想を貫く。まさに「高潔純粋な魂で貫かれたオオクニヌシの孤高の生涯を描く」でした。芝居の根底にある壮大なロマンに触れた気がして、しばしぼー然。
で、何が何でももう一度みたいー!!と思うようになり、五月分のチケット発売日に会社(大阪)からTELし続け、15:00時過ぎにやっとチケットGet。もちろん3F席1枚でございます。それに合わせてゴールデンウィークの旅行予定も変更。
ここまでしてしまうのは、やっぱり猿之助さんのパワーのなせるワザですね。ちょっと正常に戻りつつあった猿之助熱が、またもや上昇して来ました。これは吉なるや、凶なるや???
興奮でわけのわからん文章になりそうですが、猿之助さんにもお手紙書きたくなっています。
ええ役者はやっぱりええんやあぁぁ・・・
1997年 4月 26日/ Junko .N
■ 四月の十二日、猿之助さんの「オオクニヌシ」を見に行きました。いや、もう素敵で素晴らしくて、涙うるうるものでした。やっぱり、猿之助さんはすごい御方ですね。
昨年の三月だったかな?NHKで「ヤマトタケル」をやったのは、、、。私はその時ちょうど「トゥルーライズ」見ようと思っていたのに、母にこれは見てみたら?と言われて、どちらかと言えばイヤイヤそれを鑑賞したのです。ところが、それが終わるころには、私はすっかり猿之助さんのとりこ、歌舞伎のとりことなってました。
それまで、私は歌舞伎なんてくだらないと思い込んでいた、役者の顔の区別もできない素人でしたが、それから一生懸命、本を読んだりして歌舞伎の勉強をしています。
芸術って、伝統やなんだらじゃなくて、人を感動させるものだと私は思っています。猿之助さんにはやっぱり輝くものがある!だから、人を感動させることができると思ってます。
そして、今回の「オオクニヌシ」を見に行って、私は感動だけでなく、素敵なお土産まで手にいれちゃいました。そ・れ・は、あの火山の噴火で使われた赤いテープです。妹にわいろをやって、一階席のところまで取りに行かせました。(
もちろん、休憩時間の時ですが。)
1997年 4月 25日/ Hiroaki .H
■ 『翔』回覧用4冊、本日受け取りました。大事に読ませて頂きます。
今、6号を3分の1ほど読んだところですが皆さん凄いですね。私が猿之助丈にハマるずーっと前から沢山の人が猿之助丈をこんなに一生懸命応援してはるんやなぁ・・・ってしみじみ思ってしまいます。
『オオクニヌシ』の感想については、「こんなこと書いてエエんかなぁ」と思いながら書いてたんですよ。でも、前に電話で「素直な感想がいい」とおっしゃていたので、「その時そう思ったんやからエエか」と開き直って送信してしまいました。
ただ、オフレコのはずの件までがアッケラカン(?)と公開されていて、思わず目が点(・o・)。「え〜?こ、これって、もしかして猿之助丈の目にもふれるんと違うん?」とちょっと恐ろしくなってしまいましたが、直ぐに「そんなことで怒るような器の小さい人やないからエエわ!」と思い直してしまう私って大阪人やなぁ・・・。←小心者のくせに開き直るのも早い。
昨日、大阪の友人が『オオクニヌシ』を観に来たついでにウチにも寄ってくれたんですけど、評判は賛否両論みたいですね(新作の宿命!?)。友人も入水のシーンには「涙が出るよね。でも(私も泣いたと知って)安心したわぁ。周りの人らあんまり泣いてはらへんし、私も年とったんかなぁ(涙もろくなって)って心配しててん」と言ってました。(「年とった」はないやろ!私と同い年のくせに〜!)
あと、必ず話題に上るのは「團蔵さん」。失礼ながら、今までこんなに「イイ!」と感じたことはありません。オトウタリと老神クニトコタチのギャップは凄すぎる!もうひとつの敵役もうまくこなしておられるし、オイシイとこ持ってくなぁ・・・って感じですよ。
ところて゜、私が観にいった日は夜の部が休演で時間に余裕があるし、久しぶりに出待ちをすることにしたんです。平日だから、人が少なくていいんだけど、何せ小心者でしょ?人垣がない分、緊張するんですよねぇ。いや、ホンマに。
丈はそんなことなどつゆ知らず、颯爽と出てこられて・・・。「お疲れ様でした!」のご挨拶が精一杯の私を頭の先からつま先までさーっと見てまずは姿を確認(?)。その後会釈をして下さいました。「不信な者じゃございません、貴方のファンなんですぅ〜」と心で叫びながら、例のベンツを見送る私でございましたが、エビかザリガニのように後退しなかっただけ進歩したかな、と思っています。(^_^;それでは、また何かありましたら
E-mailで報告いたしますね!
<PS>6号、徹夜でやっと半分ばかり読み終わりました。いろいろと考えさせられますね。
私は自分の感性を信じるタイプのようで、劇評は最初の頃からあまり当てにはしていませんでしたが、皆さんのご意見を読んでいて共感する部分は沢山あります。
劇評家に限らず、「ホンマに歌舞伎を楽しんではるんやろか?」って人もいはるし、八割方が寝てしまうような舞台でも、劇評家紛いなこと言ってる「かっこつけ」もいますやん?可哀相な人やなぁ・・・って。
歌舞伎って、「芸術」であり「娯楽」であり、「伝統文化」であり、紛れもなく「現代の演劇」でありetc。役者さんによって、演目によって、それぞれの度合いが違うし、観客の目的も違って当然やと思います。観る側も型に嵌まりすぎずに楽に見はったらエエのにね。
私みたいな素人には何度観てもいろんな発見がありますよ。歌舞伎ってホンマに面白い!そんなキッカケを作って下さって、今もその魅力をもって引き寄せて下さる猿之助丈に本当に感謝しています。
1997年 4月 22日/ Yuka . Y
■ 個人で歌舞伎のページを作っていらっしゃる方はまだまだ少なく、ちょっと淋しい思いをしています。しかも、男性はほとんどいない。なんとも残念です。
私たちのささやかな試みが、少しでも歌舞伎の隆盛に役立てば嬉しいのですが・・・。
<「翔」猿之助ファンの広場 >は、何度か拝見させていただき、その大変な努力と、並々ならぬ熱意にちょっとたじたじ、といった感じを受けておりました。
実は私も、猿之助さんは大のファンで、舞台を拝見する度にその迫力に魅了され、またとことん観客を楽しませる姿勢にも共感しています。確かに、ケレンだ、という批判もあるのでしょうが、ケレンはケレンで見せ、それでいて、歌舞伎の基本はきっちり押さえている、猿之助さんの舞台は、それはそれは魅力的です。
ただ、最近特に感じるのは、もっと他の役者さんたちと一緒の舞台を踏んでいただけないか、ということです。私の大好きな勘九郎さんとがっぷり四つに組んだ舞台を是非見てみたいものです。
1997年 4月 21日/ Akihiro .M
■ 『オオクニヌシ』を観てまいりましたのでそのご報告です。
泣かされましたよ、しっかり!!
ただ、待ちきれなくて戯曲を先に読んでしもたのがアカンかったかなと・・・。やっぱり、本を先に読むと「こんな感じかなぁ」って自分の中に想像が出来上がってしまいますよね。だから一幕目には正直いって少しがっかり。「大和一の大アホのオオナムチ」をもっと見せて欲しかったです。
一幕目は目を奪う場面の連続で、客席も大沸きですが、ストーリー展開ばかりが先に立って、何か大事なものが抜けているような気もします。コザルマやヤガミヒメとの関わりとかここで見せてくれてたら三幕目にも効いてくると思うんですけど・・・。
でもね、冷静に観てられるのも二幕目の始め辺りまでなんです。三幕目の
オオクニヌシの入水ともなるとね、胸ふさがるというか・・・。コナムチの「大父君ーッ!」で、大泣きッ!!
私 アカンのですよ。客席にいながら架空の登場人物になってる人やから。『黒塚』初めて観た時は“すすきに隠れて一部始終をみていた村人”の気分やったし。(←なんやそれ。)
とにかく初回やから・・・あんまり余裕なかったですね、私自身。
ところで、幕切れの踊りを(しかも曲付きで)踊る夫婦ってヘンかしら?(主人はまだ『オオクニヌシ』を観てませんが、強制的に仕込んでます。でも、なーんか吉本新喜劇調になってるあたり・・・。)
【以下はEメールで交わされた会話です】
<ここだけの話(こんなとこで公開して何がここだけや・・・)、猿之助さんって台詞に頼って表現するタイプの役者さんじゃないと思うんですけど>
私もそう思います。長ゼリフだけでもたすのはどうしたって単調になりがち。(うわぁぁぁ!私めっちゃ怖いもん知らずかも!オフレコですよ!)それでも泣いてしまう私ってどういうんでしょうか?
『オオクニヌシ』も全体的に 説明の要素が強い台詞がちょっと浮いてるかな・・・と。観客の想像力にまかせてくれたらエエのに・・・って思うところまで言うてくれはるから・・・。
< でもBS2の情報番組で、男性コメンテーターもさめざめ泣いてしまったって言ってましたよ・・>
<動きや、型や、表情や、風情や、存在感やetc、身体から発せられるエネルギー、オーラ、そういうもので全てを表現してしまえる、得がたい稀有な役者さんだと思いません?>
そうそうそう!そういうところに魅せられるんですよね。それこそ、人それぞれ感じ方が違うんでしょうけど、引き込んでしまう力が強い!!
私なんか初めて観たとたんに 猿之助 様・様ですもん。
教祖様(^_^;「一生ついていきますぅ〜っ!」
すみません、つい力が入ってしまって長々と・・・。なんか、取り止めもなく延延書いてしまいそうなのでこの辺でしめたいと思います。それでは、乱文にて失礼いたしました!
1997年 4月 19日/ Yuka .Y
■
「オオクニヌシ」が始まってそろそろ10日。
4、5 月は超忙しくて、いまだにチケットの手配すら出来ない!!
だって観劇日も決められないんですから。評判はどうかな?入りはどうかな?猿之助さん、お元気かな?
etc
どこかに関連記事が出るんじゃないかと、毎日、新聞の隅々にまで目を通していたら、出ましたね、読売の夕刊にカラーでデカデカと。
「いろいろな試みが積み重なって型になった。歌舞伎は昔から実験だったんです。僕もそう。永遠に実験中なんです」というお話にはウンウンなんて頷いたけど、「自己犠牲によって後に続くものを生かすという、滅びの美学に打たれましたし、彼の中に自分の分身を見る思いなんです」というお話には何だかちょっと心が疼きました。
「自己犠牲」だなんて悲しいし、「滅びの美学」なんてことも考えたくないよ。周りに犠牲を強いても、周りを滅ぼしまくってしまってもいいから、猿之助さんにだけは永遠に輝き続けていてほしいなんて思ってる私なんですもん。
1997年 4月 15日 / Kanako .S
■ 猿之助さんを心から愛してやまない方々がお作りになっている「翔」。
何度か拝見させて頂き、猿之助さんに負けないその瑞々しいエネルギーの燃焼に驚き、同じ猿之助ファンとして感激しておりました。その「翔」がHPになった!!このことを仙台のローカル情報誌で見つけたときにはもうびっくり!
それからいったい何ヶ月すぎたことでしょうか。パソコン購入。やっとみれました。うっ、うれしい。気分は「初音の鼓」を返してもらった狐忠信。私の心は宙乗り状態。
これからも猿之助ファンの大切な情報源として、また観劇後「アリス」で芝居談義もままならない地方ファンの交流の場として頑張って下さい。
「オオクニヌシ」もあと少しで幕をあけます。超かっちょいい猿之助さんのご活躍が楽しみ!!そして「翔」のスタッフのみなさまのご活躍も。
1997年3月28日 NAOMI.S
■ 行ってきました、21日22日と。両日ともよく入っていましたよ。特に22日はビーッシリ!
それにしても『春秋会』公演は、猿之助ファンにはこたえられない公演ですね。昨年同様、今年もやっぱり6時間15分もの間、猿之助さんは出ずっぱり。七月や十月などの奮闘公演にさらに輪をかけたような大奮闘公演で、F.Yさんの「見逃したりしたら大損ですよ!!」は全く全く同感です。
『双蝶蝶曲輪日記』(ふたつちょうちょうくるわにっき)の通しと聞いた時、「どうしてまたあんなジミ〜なのを…」なんてちょっと???だったのです。だっていつも上演されるのは『引窓』と『角力場』くらいだから、何時の間にかそういうイメージを持ってしまっていたとしても仕方ないんじゃないでしょうか。
でも観てみて、猿之助さんがなぜ取り上げたかったのかがヨーッく分かりました。なかでも『引窓』のくだりはその中心を成しているのだけれど、その場が終わった途端、「ハーッ」と大きく息をついて「『引窓』って、こんなにいいお芝居だったのねェ」と感嘆の声をあげた、いかにもお芝居好き、歌舞伎好きらしいご婦人連がいらっしゃって嬉しくなってしまいました。
発端から結末までを筋を通してみせることで、例えば『引窓』にしてもはじめて100パーセントの面白さや味わいが発揮できたのでしょう。これまでのやり方ではその半分も伝えていなかったんじゃないかって気がしました。
それからどうして『双蝶蝶…』なんていうのか?ってことなども案外知らない人多いんじゃないかな?もちろんそれだってしっかり納得!
『春秋会』は、猿之助さんが苦手な役、或いはまだやっていない役に挑戦するという御自身のための勉強会なのだけれど、ただ新しい役をやって自分のレパートリーを増やすということだけに止まらず、必ず新しい再生と創造を伴っているところなど、いかにも猿之助さんの真骨頂という気がしました。
1997年2月22日/ Miyako.K
■ 昨日、国立劇場・第九回『春秋会』の初日に行ってきました。
やっぱり通しで見ると面白いです。『引窓』が実によくわかります。与兵衛もお早も濡髪も、みんな人物がたってくる、というのでしょうか、とにかく面白かったです。(こんな報告じゃわかりませんね)
私は『角力場』を見たことがなくて、いつも『引窓』だけでは濡髪ってよくわからなかったのです。それが通しで見ると、この誠実な巨漢の悲劇がよく見えます。
段四郎さんも好演でしたし、素敵な濡髪でした。もちろん与兵衛はカッコ良かったし、放駒はとってもかわいくてきれいでした。
ただお客さんの入りは、平日ということもあって、満杯というほどにはいっていませんでした。
2階など結構空いていて、もったいないったらありません。
ホントにあんなに面白いのに、見逃したりしたら大損ですよ!!
今からでも遅くはない、このメール見た方は行ってみてください。土曜日以外なら、当日券ありそうです。というわけで、「呼びかけメール」になっちゃいました。
宗十郎さんのお早も田之助さんのお幸も、やっぱりいいです。大きな声では言えないけど、若い人がそこそこの出番で、出過ぎていないのもわたしゃうれしい…。とにかく面白いです、お楽しみに!
1997年2月19日/ Fumiyo.Y
■ 「お知らせ」によると、『翔』は、多分八号が最後になるとのこと、残念でなりません。
私のように、舞台だけはもう15〜16年も拝見し続けていますけれど、生の猿之助さんに触れることを、あえて避けてきたというか、してこなかったり・・・、また出来ない大多数のファンの人たちにとって、『翔』は、唯一、素顔の猿之助さんを知ることが出来たり、自分以外の多くのファンの人たちの存在を感じ、生の声を聞くことが出来る場でした。『翔』は、猿之助さんとファンの間ばかりでなく、ファン同士の間にもかかる架け橋のような存在だったのではないでしょうか。
しかし一冊を仕上げられるまでの、気の遠くなるような時間と労力を思うと、もうこれ以上は言えません。いまはただ、お礼と感謝の気持ちでいっぱいです。
最終号 、『翔・八号』 の完成を楽しみにしています。
1997年1月 29日 / Akemi.S
【翔・編集部より=涙、涙・・・ 嬉しいお便りありがとう。 でもご安心を。確かに「本」という形は次号が最後ですが、以後はホームページの『翔』をさらにさらに充実させて続けます。猿之助さんがキラキラ輝いていらっしゃる限り、『翔』は不滅です!!】
■ HPへの投稿掲載ありがとうございました。
ちょっと書いただけのつもりだったのに、結構長い文章を書いていて、なかなか読めるじゃないのと思ってしまいました。「翔」のHPに載ってるなんて、名誉ですからね。^0^”ここのお便りコーナーは日付け入りだから、しょっちゅう感想を更新していかなきゃならなくて大変でしょうね。
それから スタッフの件、手伝ってもいいということで うれしいです。まだファンになってまもない者は、心配だからダメかなーと思ったんで、色ぬり希望だったんですが、あのすばらしい表紙を見たら、とんでもない!って感じです。だから簡単で単純なやつだけお願いします。
それと清書もお手伝いしましょうか? 頑張って大人っぽい字で書くようにつとめますので。莫大な量の原稿ですから、私が書くことで少しでも皆様の書く量が減ればお役にたてるかなーと。ただこれも、特集などのおもしろい原稿はあとから読む楽しみに取っておきたいので、なるべくバックナンバーの感想のお便り集など、堅めのやつがいいのですが・・・。
製作がはじまりましたら、ぜひお声をかけてください。 2月は、2日の春猿さんの会と23日の春秋会で上京します。妹が新宿にいるので、たいがい土曜日仕事が終わってからその日のうちに高速バスで福島、東京間を移動しています。
1997年1月26日 / Keiko.Y
■ さっそくのご配送ありがとうございました。
HPで概要は分ってはいたものの、実際届いてみると、そのボリューム感、豪華さに圧倒されました。
まだ、藤田・衛 両氏の寄稿を読んだだけですが、早くも感動があちらこちらに見えてこれから先、読み進んでいくのが楽しみです。
藤田氏の“猿之助の復活狂言は、かならずドラマの部分を大切に生かしていることを思い起こしていただきたいと思います。・・・今、あれだけ工夫を行き届かせて芝居をつくりあげられる歌舞伎の演出家はいません。”のくだり、また、衛氏の“重要なことは、ひとりの観客として、先入観なしに目の前の舞台と向かい合えるか、その舞台に、その役者に、そのドラマに感動できるかなのです。・・・知識は豊富にあっても,観ることのプロでなければ単なるデータマンでしかないと思うのです。”の言葉にうれしく思っているところです。
貴誌の届いたちょうどその日に、国立の舞台「壇浦兜軍記」を見てきました。期待通り、玉三郎丈の阿古屋は素晴らしいものでした。しかしながら今回の上演の目玉のひとつであったはずの、「復活」という点については首を傾げざるをえませんでした。先の寄稿で藤田氏のおっしゃるところのドラマの部分・・・「井場十蔵の場」が今一つ盛り上りに欠けるのです。猿之助丈が台本をつくり、演出していたら・・・と思いつつ、藤田氏の言葉を思い起こしながら、何となく流れていく舞台を観ていました。
とりとめのない文章になってしまいました。「翔」を読み終えたところで改めてメールさせていただきます。次回の「翔」に大いなる期待を寄せて・・・。(できれば、近頃あまり劇評欄でお目にかかっていないT.渡辺氏の寄稿が読みたいものです。多分ムリでしょうが。)
1997年1月 22日 / Keiko.H
■ 7日の『スタジオパーク』を見逃して落ち込みまくっていたYKです。
でもその傷も今日消えました。ファンのHさんからVTRテープお借りしたんです。それで今はとてもHAPPYな気分。なんて単純な女なんでしょう。
猿之助さん、奇麗!の一言でしたよね。 さいしょの登場シーンの、歩いてらっしゃる姿だけでも後光が射して見えましたもの。お話の内容もとても深くて、これぞ頭脳明晰の見本!って感じでした。
もう嬉しくって、夢中になっちゃって、(VTRなのに) あやうくNHKに質問電話を掛けるところでした。
英語の先生からのメッセージへのリアクション、何だかカワユかったでしょ。野球の話の時も、「スポーツニュースがあるのに、どうして芸術ニュースがないんですか?!」なんて、いかにも猿之助さんらしくって…
お手紙書きながら、いまだにニタニタが止まらない私。我ながらちょっとコワイです。
1997年1月 16日 / Yoshimi.K
■ 「翔」をありがとうございました。こんなに大判のスゴイ本とは思いませんでした。
表紙も貼り絵で、あまりにも美しくて… (透明カバーを付けさせてもらいます。)
まだパラハパラと拾い読みですが、「翔」をいろんな人に贈呈しょうと郵便局に出しに行くのに、贈呈相手によって服装を変えて行った話、笑っちゃいました。(でも絶対そうなっちゃいますよ)極めつけは首相への手紙、「日本のため、世界平和のため…」にも大笑い。
会社の先輩にも貸してあげようと思いますが、とりあえずは「どれくらいこの本が面白いか想像つくでしょ」とここを開いて見せるつもりです。
他にも猿之助さんのいろんなクセの話や、「みんなで落ち込めばこわくない」のコーナーや、芸術院のことなど、とても興味深かったです。先代門之助さんの奥様からの手紙や造形大での涙の別れのシーンなどは、泣いてしまいました。
「翔」のことは以前、古本屋で昔の「演劇界」を買った時に載っていて、「ああ、こういうのがあるのか」と知ったのですが、ページ数が多いから「堅い研究本だったらイヤだしナ」と、気になりながらそのままにしていたのです。それが夏頃(昨年)右近ファンからの情報で、八号が出ることやHP開設を知りました。それでインターネットを覗いていたら、新着情報で偶然発見して…
HPのバックナンバーを読みましたが、チラッと読んだだけなのに私は泣いてしまいました。
ところで編集スタッフ募集についてですが、遠く(福島県)に住んでいてもお手伝い出来るんでしょうか。因みに私は色塗りが好きなんですが。「翔」読み終えたら、また感想送ります。
1997年1月12日 / Keiko.Y
【翔・編集部より=やってやろうか、という方には喜んで手伝っていただきます!!北海道は旭川市の方や、瀬戸内海の小島に住んでいる方も助っ人スタッフをやってくれていますよ。よかったら表紙の彩色をお手伝い下さい。】
■ 元旦早々から、テレビとはいえ猿之助さんの『釣女』が満喫でき気をよくしております。
八号の原稿、とうとう書けないままになってしまい申し訳ありません。想いの量、想いの種類が多すぎて、テーマが絞り切れませんでした。
三十数年にわたる長いファンの歴史の末、いまはすべてを許容して見守る心境です。
ただただ猿之助さんが健康で精神的にお幸せなら、それでいいと思うようになってきております。
1997年1月10日 / Sachiko.K
■ !!!! ・・・!!!!!! ・・・!!!!!!!
もう言葉が出ないのです。 どんなに言葉を尽くしても、あの猿之助忠信の“輝き”を半分も伝えられないのがくやしーィィ!!!
それにしても『鳥居前』のあの、あのすばらしさ!
鳥屋口から「待ちゃがれ、ええー!!」と、八年ぶりの懐かしい声が聞こえたとたん、私思わず泣いてしまいましたもん。「そうよ、そう、これがホンマモンの『鳥居前』やねん」って。
最近は右近さんのばかりを見ていたから、『鳥居前』って、華やかな立ち廻りが見物の、溌剌とした若さを楽しむ、まァ、言うなれば“元気が売り”の場なんて印象になってしまってませんでした?
でも『鳥居前』って、それだけの場(右近さんごめん。右近さんには右近さんのよさがあること分かってるんですが)じゃなかったんだってこと、よーっく分かりました。
とにかく、ゼーンゼン違うんです、何もかもが。極端に言えば、右近さんの忠信は、元気溌剌の体育会系『鳥居前』って感じかな。
それを猿之助さんがやると、大きくて、おおらかで、香しくて、妖しくて・・・。
右近忠信が十人集まったくらいに強そうで、なのに柔らかで・・・
。 花道で見せる最後の引っ込みなんて、劇場全体がワーッと妖気に包まれた感じがしました。
そして続く『吉野山』、『四の切』、『花矢倉』。
各場の幕が開き幕が閉まる度に、舞台と客席のボルテージはうなぎのぼり。最後は劇場内が拍手、悲鳴、どよめきの渦と化していました。
ところで、もう一つオマケに印象的だったこと。
隣席の、歳の頃なら80歳前後のおばあちゃまが、猿之助さんの出の度に「はァ〜、いいオトコだねぇぇ・・・」だの、「なんて奇麗なんだろ!」だのといちいち感嘆の声をあげるんです。チラッと見たら、椅子から乗り出してもう夢見ごこち。男女を問わず、そして学生、ギャルから80歳のおばあちゃままでを虜にしてしまえるってスゴイでしょ。やっばり猿之助さんだからこそですよね!!!
1996年12月25日 / Miyako.K
■ 現在私は学生で、来春には就職することになります。
けれど考えてみると、私にはこれまでの生活の中で、これといって、熱中出来るもの、関心を引かれるもの・・・いまどきの言葉で言うならハマルものがありませんでした。いつでも友人に引きずられ、ちょっと真似をして、タレントとかマンガとか、まぁいろいろですがそれなりに好きだと思っていました。
けれど今回は違います。キッカケは戴いたチケットでしたが、自分から積極的に歌舞伎を好きになっているのです。いま私の周りには歌舞伎に関心を持ってくれる人があまりいませんが、それが却って自分らしくあるためには良かったのかもしれません。今迄のようではなく、自分から進んで共通の友人を探したり、また自分から歌舞伎について知るための活動をしようと思うようになったからです。ただそれだけのことですが、それは私にとっては凄いことなんです。凄い進歩なんです。
いつも一歩前に出ることが恥ずかしく気後れしてばかりの私でした。けれど舞台上の役者さん達の熱演、生き生きとした動き等を見ていると、「うらやましい!私も前向きでありたい!!」と心から思えるのです。猿之助さんの歌舞伎を見たことが、これから私が変わっていくためのキッカケになってくれるのかもしれません。
1996年12月23日/ Hitomi.K
■ 「千本桜・忠信編」最高でした!!
スーパー歌舞伎の人気が余りにも高すぎて(確かに圧倒する豪華さと、面白さと、感動的なドラマがあるのだから当然なのですが)、いつの間にか“スーパー歌舞伎の猿之助”みたいな認識が定着してしまうんではないかと、ちょっと不安な私でした。だってスーパー歌舞伎の上演は、猿之助さんの多岐に亘る歌舞伎追求のジャンルの一つなのであって、猿之助さんのバックボーンは、やっぱり古典歌舞伎だってことは明らかでしょ。その証拠に、猿之助さんの役者としての輝きは、絶対に古典の舞台の方が勝っていると思うんです。スーパー歌舞伎の猿之助さんも素敵でカッコイイけど、古典歌舞伎での猿之助さんはもっともっと10倍も素敵でカッコイイと私は思っています。
そんな私にとって、七月の「独道中五十三駅」は、こたえられない、輝く猿之助さんを満喫できた本当に嬉しい公演でした。
そして十月の「四天王楓江戸粧」!
あの国立劇場が連日大入り満員となり、沸きに沸いたサマを見て、「猿之助さんにこそふさわしい」「猿之助さんなればこそ」と、めいっぱい興奮しまくり、誇らしさに震えまくった私だったのです。
でも「千本桜・忠信編」を見たらどう表現すればいいのか、とにかく、もう、もう、これこそ正真正銘の「猿之助全開!!」って感じで、涙がこぼれて来ちゃうような(ようなじゃなく、ホントに泣けた)舞台でした。そして心の底から「これ、これ、これこそが猿之助さんの世界なのよ!」と叫んでしまいました。
ファンは誰もがそう思っているにちがいないけど、猿之助さんと同じ時代に生きている幸せを、あらためてしみじみかみしめた私です。
1996年12月17日 / Makiko Y
■ 猿之助初体験をしてびっくり仰天!大いに感動しています。
歌舞伎を見たのは、随分古い話ですが、学校から集団で見に行かされた(殆ど眠っていたらしく、どんな話だったかも、誰が出ていたかも印象なし)のが後にも先にも一回きり。そんな私が、このHPのお知らせページを覗いて何故か「二度とないかもしれないのなら、一度見てみようか」と思い立った次第。
同じく猿之助初体験の妻も大興奮で、一年の締めくくりのよい贈り物になりました。
しかし、行ってみた歌舞伎座の雰囲気は、若い観客が多くて熱気ムンムン。このHPから受ける印象そのままだったことも面白く感じました。
ところで猿之助さんはいったい何歳なんでしょう。そういったプロフィールの項目もあるといいのでは。
それではちょっと早いですが、よいお年をお迎え下さい。
1996年12月9日 / Tadao H
【翔・編集部より=何とメールを戴いた日が丁度お誕生日で、ほっかほかの57才です。「翔・八号」完成の暁には猿之助さんのプロフィール紹介頁もドーッと作るつもりですのでまたお訪ね下さい。】
■ こんなに素晴らしいファン誌を作っていただき、何と申し上げてよいやら、
感謝、感激、本当に涙しつつ読ませていただきました。
その暖かい手作りの、猿之助さんへの愛情の深さに言葉もありません。
私は今年の四月の「カグヤ」を初めて観て以来のファンなのです。ですからまだ何も分からず、何も知らず・・・
こんなにも強い逆風の中にいらしたことを初めて知りました。そして今もなお闘い続けていらっしゃるのだということも。
遅れて来たファンだということは仕方ないとして、これからは一生懸命応援させていただきたいと思います。少しずつ私の視界を広げさせていただきながら・・・
勉強することばかりですので、よろしくご指導下さい。
1996年11月14日 / Shizuko S
■ こんにちわ。Keiko.Oの友達の東京1号です。
彼女のメールにもありましたようにいつも一緒に「キャーキャーワァーワァー」騒ぎまくっています。今は猿之助さんは軽井沢・若手は巡演中と、とっても淋しい11月を過ごしています。
実は私も彼女と同じで「お勉強モード」なので、きっと神様がやるべきことはキチンとやった上で(12月の歌舞伎座で)思う存分遊びなさい!って、こんな状況にしたんだわぁ〜なんて勝手に思い込んでいます。
でもでも、そんな状況にもかかわらず、突然思いたって(どうしてももう1回観たくなって(会いたくなって)”「あらっ?誰に??」っていう声が聞こえてきそうだ・・・”)二十一世紀歌舞伎組の伊勢崎公演に行ってしまいました。(ちなみに私は東京都足立区:東武伊勢崎線沿線住民)
今は中部地方、関西・四国・九州と「追っかけ」するには厳しい距離になりつつあるので「落ち着けぇ〜」っと自分を戒めている今日このごろです。
最近は、毎週毎週国立劇場に通い詰めていた(昼夜で計11回)10月に比べるととっても静かで・・・だけどそれがなんか物足りないんです。あのテンションとパワーよ!蘇れ!!みたいなかんじで「あの時」「その時」を思い出してため息をついています。
そんな私の心の支えは「蜘蛛の糸」。1F1 列目で観ていた時に降ってきました!それを1円玉くらいの大きさにクルクルきれいに巻いてみました。(ヒマ人?!でも結構いるはず!!)
3Fの時は宙乗りの猿之助さんに向かってオーバーアクションで椅子から半分ズリ落ちながらOtaさんと2人で手を振りまくり・・・いやぁ、楽しかったです!
12 月も、楽しみ!楽しみ!!
私たち駆け出し(ひよこ)たちもどんどん頑張って行きますので、みなさんも一緒に伝説を作っちゃうぐらい張り切って応援しましょう!!それでは、また・・・
そうそう、ここでついでといってはなんですが「翔」のバックナンバー
の申し込みをお願いします。
5号はないんですよねぇ〜。 6号&7号を1冊ずつお願いします。
あと、8号の予約もお願いします。お忙しい中大変申し訳ございませんがどうぞよろしくお願いします。
1996年11月12日 /Hisako T
■ さっそくのご送品ありがとうございました。24日(木)無事に頂きました。
当然といえば当然ですが、期待以上の内容で、毎日読み進むのが楽しい、といった毎日です!!特に6号・7号の最後に記載されている、皆さんの雑談形式のコーナが大好きです。HPでも紹介されていた、名古屋駅での件も何度も読み返しては、その度にニヤニヤしちゃっています。また、おめでたい勘違い話も、自分たちにもすっかり当てはまる内容で、「先輩ファン(?)たちと同じ道を歩んでるんだー」と妙に喜んじゃったりして。
そして、京都造形大学での講義の内容!微に入り細にわたっての、しかもイラスト入りで、「そうそうこんなことを知りたかったのよー」と、3人(下記記載の名古屋2人)でまたもや感動感動!!
それにしても、どこを開いても、物書きを生業としている人たちのような文章で、それにも脱帽です。ス・ゴ・イ!!もしや、殆どの方が、編集者とかプロの作家の人だとか・・・楽しい乳母様の話しが掲載された5号の入手ができなかったのが残念ですが、再発行されるまで首を長くして待つことにします。
私達は、たかだか3年前からファンになり、2年前から出待ちや入り待ちをするようになった、駆け出し(ひよこ)です。ひよこならではの超ミーハーな騒ぎ方で、周りの方に迷惑をかけているのかもしれませんね。「おもだか会」の囲む会で一緒になった名古屋の女性2人と意気投合し、会社で仲良しの3人と合わせ、いつも5人でキャーキャーと。
さて、10月の国立劇場もとうとう幕を引き、今は脱力感。12月までこの状態が続くのかと思うと、とても切な〜いですね。しかし、私は12月7日に会社の昇格試験のためちょっと「お勉強モード」に入ってしまいますので、ちょうど良かった(?)といえば良かったのかも。また、その後でよろしければ、そして、私のお手伝いできることがあれば(といってもワープロ打ちとか、データベース化とかコンピュータ絡みの事ぐらいナノかしら)させていただきたいと・・・・希望しているのですが・・・・まだまだ楽日の余韻に浸っている Keiko
O でした。本当にいろいろありがとうございました。
1996年10月30日 / Keiko O
■ 「四天王楓江戸粧」千秋楽、大いに盛り上がりました。
補助席ビッシリで、国立劇場があんなにはちきれるような活気を帯びたのは開場以来じゃないかしら。ここ十年来、国立の歌舞伎公演は欠かさずに見て来ましたが、あんなのは初めてでした。楽だというのに1Fには団体が沢山入って(こんな日に団体入れるか!
)たんですが、彼らをも巻き込んで場内熱気ムンムンになっちゃった訳ですからスゴイですよネ。
江戸歌舞伎の最大イベント、『顔見世興行』の完全復活上演が眼目なら、ただやっただけじゃ駄目。江戸の庶民の熱狂ぶりをも復活してみせてこその完全復活ですもの。
盛り上がると言えば、朝、何と当日券売り場のとこで「今日はカーテンコールが付きまーす!!」なんて案内さんが呼び込みしてたんですって。つまり、国立劇場でふだん靜か〜に働いてる人達まで含めてハイなお祭り気分にしてしまったんだから、本当に快挙ですよね。
たぶん国立の一部の人達は猿之助ファンになったことでしょう。「これこそホンマモンの歌舞伎だ」って。「今まで国立でやってたのは何か違うんじゃないか?」って。でも大半の人達は夢から覚めた時、「あれは一体なんだったんだ!?」「お祭り気分で一緒にはしゃいでいた自分は何だったんだ?」なんて思うんじゃないのでしょうか。
そしてまたジミ〜な舞台、シ〜ンと静まり帰ったロビー等、再び学術的伝統芸能鑑賞の場へと戻って行くんだろうなって気がします。
それからカーテンコールでの亀治郎さんは輝く様でした。才能ある人って日を追うごとに、目を見張るほどハナが出て来るんですね。赤姫で出てきのですが、パアーッ!!と花(しかも初々しい)が咲いたようでしたよ。それでは今日はこの辺で。
1996年10月29日/ Naomi K
■ さっそく「翔」をお送り頂きありがとうございました。
届いた時はその美しさと共に、大きさ、分厚さ、そしてビッシリと書込まれた手書き文字に圧倒され、どれから読んだらいいのか途方に暮れてしまった程ですが、先ずはお返ししなくてはならない五号から…とページを開いた途端、ご飯も、お風呂も、眠るのも忘れて読みふけってしまいました。
私の周りは最近からのファンが多いもので、昔の貴重なお話はとても興味深く、またいまの猿之助さんの人気からは想像も出来ない当時の様子を知って、何度も涙が流れてしまいました。
私は94年1月に「雪之丞変化2001年」を見るまでは、猿之助さんは名前を知っている程度、二十一世紀歌舞伎組に至っては花組芝居や鳥獣戯画のようなネオ歌舞伎系の小劇団だと思っていました。
ところが幕が開いてみると「これは何?!、この人たちは何者!?」と叫ばずにはいられませんでした。今まで観てきた芝居とはまったく違う世界!!こんな凄い舞台を作り出す市川猿之助って、一体どんな人??と興味を持ってしまったのです。
そして次が「八犬伝」。正直に言うと、「八犬伝」のチラシで猿之助さんを見て、ちょっと引いてしまいましたけど。だって親と同年代のおじさん(す、すみません)が白塗りして女形までやるなんて、気持ち悪いなんて思ってしまって。でも実際の玉梓は、女から見てもゾクゾクするほど色っぽくて奇麗でした。笑也さんが透明で肉体を感じさせない美であるのに対し、猿之助さんの玉梓は、肉感的で存在感があり、遠くからでもゴージャスな香水が香って来るようでした。そうして私はすっかり猿之助さんの創り出す世界の虜になってしまったのです。
それでは八号の編集、頑張って下さい。楽しみにしています。
1996年10月23日/ Hiroko H
■ ホームページは早速に友人宅で引き出してもらい、拝見いたしました。
美しい出来上がりと共に、画面からも伝わって来るその熱っぽさに只々感じ入りました。
「翔」6号、是非お送り下さい。それから8号は予約申し込みをさせて頂きます。また8号編集の段階で、ご入用でしたら校正の方をお手伝いさせて頂きたいと思っていますので、お心にお留めおきくださいませ。(歌舞伎観劇歴?十年。そしてボランティアで校正らしきことをしています)
10月の国立は初日と二日に拝見しました。当分は感動さめやらず、気分高揚の日々が続くことでしょう。猿之助さんはとっても意義のあるお仕事をされたと、本当に嬉しく、誇らしく思いました。
創造力の豊かさ、センスのよさ、そしてあのパワー。
あの意義ある大仕事をやりおおせるのは猿之助さんをおいて他にはいないというのが舞台を観ての実感です。【そう言えば朝日の劇評にも書いてありましたっけ。「国立劇場は、開場三十周年の”顔見世”にまたとない俳優を得たことになる」ってネ←翔編集部より】
1996年10月21日/ SACHIKO K
■ はじめまして。京都のKUMAMOTOと申します。
Webの翔「猿之助ファンの広場」を拝見しました。
「インターネットで歌舞伎情報が流れている」それだけで嬉しくて、ご挨拶したくなりました。
昨年、市村萬次郎さんがサポートされている
'KABIKI FOR EVERYONE' をWeb で見つけた時は、本当にうれしかったのです。ところが、5月歌舞伎の掲載以来、データ更新がないので、KABUKI
MASTER のMatthew Jhonson さんが帰国されているのかなと。と寂しく思っています。今年になって松竹がホームページ'KABUKI
& STAGE INDEX 'を開いているの を知りましたが、当初は残念ながらスケジュール情報と演目のちらしのイメージデータだけでした。でも、このところ、結構充実してきました。もうご存じとは、思いますがhttp://www.shochiku.co.jp/play/です。5月だったと思いまが、新橋演舞場の「カグヤ」の紹介ページは、その準備
>までの情報などあり、大阪のKさん(沢瀉会)にWeb画面のコピーを差し上げたらとても喜んでくれました。翔「猿之助ファンの広場」については、Kさん、彼女から教えてもらいました。歌舞伎界では、役者さんもファンの方々も沢瀉会はパワーフルですね。
それにしても、これだけのホームページ作りは大変!
ホームページ作成奮闘記には、さもありなんと、感動しました。今後の益々のご発展を願っております。ちょこちょこ、これから訪問させていただきますので、よろしくお願いいたします。
1996年10月9日 / EIKO K
■ 「パソコンどうすりゃ委員会」拝見しました。
私も仕事上パソコンを使ってますが、ワープロとしてか、成績集計ぐらいで、インターネットはまだまだです。そんなものが出来る機種でもありませんし・・・
本作りに対する皆さんの熱心な姿が画面から伝わって来ました。「翔」のメンバーの方々のお顔も分かって、「あの本はこの人たちが作ってたんだ・・・」と改めて見入ってしまいました。
いま私は仕事でいろいろあって、ちょっと落ち込んでいます。が、こんな時だからこそ原稿書きに挑戦したり、10月のお芝居のことを考えたりして気持ちを変えなくてはと思っています。「翔」の皆さんのパワーに負けぬよう頑張ります!!
1996年9月24日 / YUKIE K