音楽日記をやめることにしました |
これまでも何回もやめようと思ったことはありました。その経緯において、初期の頃に比べ、文章の書き方もずいぶん変わってきたと思っています。また、web上に公開する時は、明け方までかかって書いたり、さらに必ず最低一日は寝かせて推敲をして、いつでもそれなりの時間をかけてアップしてきました。どんなことを書くにせよ、なんらかの悪意を抱いて書くとか、他人を中傷するとか、遊び半分で書くといったことは決してしてきていないつもりです。愛情、呼びかけ、そういう気持ちを常に持って書いてきました。さらに、書いた言葉のすべてに対して、私は全責任を負う覚悟で書いてきました。 正直に言えば、この日記の記述内容及びweb上に公開していることについては賛否両論あり、いずれの感想も私の耳には入っていました。某者からの抗議により文章の一部を削除したこともありますし、直接本人と会って話し合いをしたこともあります。が、自分が思っている以上に、この日記を愛読してくださっている方々がたくさんいることを知ったり、顔も知らない方から励ましのe-mailをいただいたりして、そのたびにやめることを思いとどまってきました。 私が自身の日記を書いてきたのは、まず、ほかならぬ自分自身のためだったと思っています。音楽家は自らが奏でる音楽がすべてで、その「音」でなんらかの表現をして、他人の心になにがしかを伝えることがすべてだと思っています。前提として、音楽できちんとものを言っていない音楽家はイモでしょう。その意味では、確かに音楽に言葉は必要ないと思っています。 例えば、演奏者自身が楽しければ、聞いている人もきっと楽しいはずだ、ということをよく聞きます。これは実際事実だと思います。が、日々、音楽を垂れ流し、あとはお酒を飲んでくだをまき、その日を忘れるといった、ただそれだけに終わってしまう、きわめて無反省で、楽観的な態度をとることは、私にはできないことでした。私にはその時、その場所で、どういう人たちと、どんなことが実現できたのか、できなかったのか、ひとつひとつ、立ち止まって考える、すなわち言葉を紡ぐ時間が必要でした。 あるいは、音楽に国境はない、ということもよく聞きます。これもまた一面事実だと思います。が、ことはそう簡単ではないと思っています。私は音楽はまず他人を理解する、理解しようとするところからしか生まれないと思っていますが、そもそも生まれ育った環境や習慣などが異なる他人を、そう簡単に理解できるはずがありません。いわんや、使っている言語や文化が違う他人をや、です。それは夫婦、恋人、友人といった、日常生活の人間関係を思えば、容易に想像できることだろうと思います。他人と豊かな関係を、かけがえのない時間や場を作りたいと思った時、感情に流されるだけではなく、言葉を用いて思考するということが私には大切なことでした。 自分にとって、こうした「言葉」に向き合う厳しい作業は、自分自身を作っていくこと、すなわち自分を鍛えることを意味していると思っています。そしてそれは自分が奏でる音楽に少なからず反映されるものであり、そういう意味で、音楽家として世の中に立っていこうとしている私には、文章を綴るという行為は、自分のことや音楽のことを考えたり、整理したりする一つの有効な方法だと思っています。演奏行為においてもまれにそういうことがありますが、書くという行為自体の中で、自分はこう思っていたのかとか、なんらかの発見をすることも少なくありませんでした。さらに、書くことで自分が救われていたり、自己の存在を主張するような部分があったのも、確かなことだったように思います。 また、非常に僭越なことを言えば、例えば、先月下旬から約二週間、私は坂田明(as,cl)さんのユニットmiiで東北をツアーしてきました。この不況により、そのメインストリートではシャッターが閉まり、張り紙がしてある店舗が多く見かけられた町や、若者が都会に出て行き、過疎化が進んでいるような小さな町でも演奏しました。ピアノはと言えば、3年前(2000年)にやはり坂田さんのユニットでツアーして以来、調律されていないアップライト・ピアノや、調律師さんが「僕はこのピアノと友だちになれない」と言った、2年間調律していないグランド・ピアノなども弾いたりしました。自分のピアノを運ぶことができ、お抱えの調律師も付けることができるような、よっぽどの待遇を受けられる偉いピアニストにでもならない限り、通常、ピアニストはその現場にあるピアノを弾くのが宿命です。私は何もそういう状況に文句を言いたいわけでは決してありません。それはもう仕方がないことなのです。誤解を恐れずに言えば、そんなことはどうでもいいのです。 そんなことよりも、何を言いたいかというと、どんな小さな町にも、ピアノが演奏されたりする催しが頻繁にはないような町にも、こんなにもジャズあるいは音楽、文学などを、自身の生活と切り離しては考えられずに生きている、愛すべき、どうしようもなく、すばらしい人たちがたくさんいるということを、私は多くの人に伝えいと思ってしまうのです。人を集めて、チケットを売りさばき、手作りのコンサートを開くことが、どれほどたいへんなことであるか。主催者、ボランティアの人たち、マネージメントしてくださった人、音響さん、照明さん、調律師さん等々、どれほど多くの人によって、私たち音楽家が支えられているか。 そして、こうしたことは、既成の大きなメディアやジャーナリズムでは決して取り上げられることはありません。今回の東北ツアーに限らず、では、どこのメディアが、例えば私が同じく坂田さんと行った5月のヨーロッパでのコンサートのことを取り上げたでしょうか。あるいは、'97年に開かれた山下洋輔(p)さんの大掛かりなライプチヒでのコンサートのことを、誰が書いたでしょうか。(ご本人がその著作の中で書いておられますが。)また、東京周辺の小さなライヴハウスなどでも日々起こっていることを、どこのジャーナリズムが追っているでしょうか。 この日、この場所で、こんなことが起こったとか、今日のコンサートはこんなによかったとか、決して有名ではないけれど、こんなすばらしくへんてこりんな音楽を演奏する人がいるとか、ここに頑固でやさしいマスターがいるとか、とてもすてきな場所にあるコンサート会場だとか、などなど。そうしたことを多くの人に伝えることができるweb上に文章を書くことは、私はそれなりに意味があると考えてきました。 もっと大風呂敷を広げて言えば、見えない、あるいは見えにくい音楽の状況(シーン)を書くことで、こんな面白いことがありそうだとか、こんな楽しいことがあったといったことを、多くの人に知ってもらいたい、呼びかけたい、だから聞いてみたらどうかしら、現場に足を運んで欲しい、という気持ちで書いてきました。また、そこには、多少辛口な意見や感想も含めて、全体のシーンを活性化させて、良くしていきたいという気持ちもありました。仮に、所詮マイナーな話じゃないか、無名な人間のあがきではないか、と揶揄されたとしても、です。 そもそも最初は、現在のようなインターネットという新しいコミュニケーション・ツールが一般的になる以前の、パソコン通信の時代に、日記は始まっています。私はBiglobeの前身であるPC-VANに身を置いていました。1990年代初頭、そのPC-VANの他には、nifty、asahi-netあたりが大きなパソコン通信を提供している会社でした。それらの中にはフォーラムといった形で、会員が自由に書き込むことができる、ま、現在の掲示板のようなものがありました。そのフォーラムで、当時駆け出しだった私のことがどうも話題になったらしく、その部長さんのような方が、私のプロフィールを知りたいと言っているという連絡が私の元に入ったのが、パソコン通信との関わりの始まりでした。 その時、私が抱いた第一印象は、不愉快きわまりない(笑)。自分が預かり知らないところで、自分のことが他人の間で話題になっているということ事態が、私にはイメージしにくく、相当わかりにくかったためだったと思います。パソコン通信?なんじゃそれ?という感じです。不気味で、不安でした。 が、そうした人たちが実際に演奏を聞きに来てくださって、彼らと直接話をしたり、誘われるままにパソコンをもらい、その輪の中におそるおそる入ってみると、そのパソコン通信の世界も、結局は「人間」の関係の世界であることを知りました。誤解を恐れずに言えば、それは社会人が集まって作っている、(大学の)サークル活動のノリに近いものがありました。忘年会はあるは、花見大会はあるは(笑)。そしてそこで出会ったのは、並みの音楽家よりも遥かに広く、深く音楽を聞いている、それぞれに自分の好きな音楽に強いこだわりを持ったすてきな人たちでした。 ただ、パソコン通信はそのコミュニケーションの形がピラミッド形をしていて、いわば閉じた世界の話ということが言え、過渡期として、例えばPC-VANとniftyがゲイトウェイできるような時期を経て、時代はインターネットへと変わっていきました。私の日記も、私のwebを作ってくださるという方が現れ、その最初は英語版だけでしたが、そこに私が日記をe-mailで送り、その方がアップしてくださっていました。そして自分でもインターネットができる環境が整った時、ほどなく自分でwebを立ち上げて、現在に至っています。 この、パソコンを操作できる環境にある人ならば、誰でも自由に見ることができるインターネット、webの世界。そこに私が日記を「公開」しているというのが、自分なりに目的や意義を感じながら日記を書いているということとは、また別の問題を提起していると思っています。 特に、私のように、現在生きている現場を書き留め、多くの人に知ってもらいたいと思っている人間にとっては、どうしても生きている人間のことを書かざるを得ないわけですが、そのことによって、多少ならずとも不愉快に思っている人がいるというのが、一方の現実であるのが事実です。さらに言えば、これはあまりよくないのではないか、と思ったことを、年々自由に書けなくなってきています。それは様々なことに配慮してのことではありますが、この国ではweb上に限らず、真の対話は成り立たないのではないかとさえ思ったこともあります。それゆえ、私は日記を公開することをやめることにしました。その初期の段階で「自分の首を絞めている」と言われたこともありましたが、これ以上続けると、いよいよそうなり兼ねないかもしれないとも感じています。 几帳面、クソ真面目、バカ正直といった、生来の性格を持つであろう私そのものに問題があるのかもしれません。実際、事細かに書き過ぎている部分や、その文章の書き方にも、いろいろ問題はあったのだろうとは思っています。もしかしたら私はほんとうのことを書き過ぎているのかもしれません。ほんとうのことを書けばいいかと言われれば、そういうことでもないだろうとは思っていますが。また、かなり婉曲的な表現を使ったりしても、例えば、その表現が冷たいとか批評家のようだ、と言われたこともありもしました。そういう意味では、もっと一般の読者受けするように、面白おかしく書いた方がよかったのかもしれません。でも残念ながら、私にはそうした才覚はどうもありそうにありません。 付け加えれば、このインターネットに対する考え方は世代によってかなり考え方が異なるように思われます。正確に言えば、webを通した人間のコミュニケーションの考え方、信頼感あるいは不信感などなどが違うのではないかと。私とほぼ同世代あたりが、パソコン通信からインターネットへ移っていく時代を、同時代的に生きた世代だろうと思います。その一回り上、あるいは一回り下では、その接し方、利用の仕方、考え方がもう大きく異なるのではないかと思っています。ま、あまり世代を言っても意味がないとも思っていますが。あくまでも個人の問題だと思いますし。 また、インターネットの功罪はほとんど毎日のように耳にします。現在、例えばデジカメあるいはカメラ付き携帯電話の普及によって、ミュージシャンはいつでもどこでも簡単に写真に撮られてしまいます。そしてその映像は勝手に友人に送られたり、承諾など得られることなくweb上に公開されたりします。肖像権なるものがあっても、ないのも同然の状態でしょう。また、iPod(MacのAppleが出している、HD内蔵型のMP3プレイヤーで、なんと2000曲も収めることができる代物)が出たようですが、こうした機器はやがて小さなマイクで高音質で録音もできるようなものになっていくでしょう。著作権などというものも、ないも同然の状態になるかもしれません。いわゆる個人情報など、今やどこにも秘されていないのが現実だろうと思います。 かくのごとく、法的整備の問題はもとより、これまで(特にこの国に色濃く残っている)暗黙のうちに機能していた人間のモラルのようなものは、これからまだまだ変わっていくと思われます。現在において、その現実に誰も追いつくことができず、これだけ混乱しているというのに。 でも、私はこの新しいコミュニケーション・ツールは、あくまでも人間が利用しているツールである限り、基本は「人間」にあると考えています。人間同士のコミュニケーションを考えた時、直接その人と会うことがもっともたくさんの情報を得ることができるのは事実だと思います。それはパソコンを通じて人とやりとりをすることの比ではないだろうと思います。それを承知の上で、web上でどういう関係を保つことができるかは、そういう意味で、まだ誰もきちんと獲得していないのではないかと思います。 だから、私は文章を書くことをやめません。これまでのような日記という形態をやめ、書く内容や書き方についてはちょっと角度を変えて、日々の雑感を書き留め、web上にアップしていこうと思っています。 ということで、ひとまず、音楽日記を掲載することをやめます。これまで読んでくださった方々には、この場を借りて、心から感謝いたします。ありがとうございました。 ってなことで、日々雑感はこちらからどうぞ。 <音楽日記をやめることを決意したのは2003年7月半ばのことでした。その後約二ヶ月間(2003年7月&8月)『洗面器』と名付けた日々雑感の文章をアップしましたが、2003年は非常にツアーも多く、結局途中で線香花火のように終息してしまいました。というより、どうweb上に自分の文章を公開していくかといった考え方や文体について、自分の考えが固まらなかったということもあったと思います。/'04年7月26日、追記> (なお、私は今のところ、自分のwebに掲示板を持つつもりはありません。インターネットの一つの特色でもある、インタラクティヴな関係を構築していないではないかと批判される方もいると思いますが、どうも内輪向きになるような気がして踏み出せません。すごく閉じた世界のことだったら可能だと思うのですが、掲示板を持つことによって、逆に狭くしてしまう気がしているのだろうと思います。私に意見がある方、あるいはこれまでの日記などを読んで感想を持った方は、ぜひ直接e-mailをお寄せください。私はいつでもそういう開き方をしているつもりです。) |
2004年7月26日 再アップ |