7月
7月1日(木) 伸ばす

午後、太極拳の教室。

中国式の体操、練功十八法は後段の最後までたどりついた。「伸ばす」意識が全然足らないことを注意される。

さらに、前段の最後の方に出てくる「まっすぐ歩く」これがまた全然できない。身体をまっすぐにして前へ足を出す、という単純な動作だけれど、できない。

そして、太極拳、十六式。「前へまっすぐ進む」意識。まるでできていない。

できていない。の、オンパレード、だ。



7月4日(日) アート・デリバリー

午後、渋谷毅(p)さんがその音楽を引き受けられた映画のことで打ち合わせ。内藤誠監督が撮られる映画で、渋谷さんとは古いおつきあいのある方だそうだ。

原作は色川武大さんの『明日、泣く』(1986年初出)という短編小説。60年代の日本の黎明期のジャズ状況を背景にしたもので、その世界で生きようとする女性ジャズピアニストの生き様を描いたものだ。

その脚本は原作とはかなり違うところもあるが、主人公の“キッコ”は時折荒々しいタッチでピアノを弾き、「私はカクテルピアノなんかじゃなくて、カルテットでジャズを演奏したいのよ!」みたいな感じが、どうやら渋谷さんが私を指名した理由の一つになっているらしい。

実際、撮影、録音の現場に立ってみなければわからないことだらけなのだが、って、打ち合わせしてもなんだかよくわからないのだけれど。んでも、ちょっと楽しみ。

って、もちろん、私は女優をやるわけではない。私の役目はピアノを弾くことと、もしかしたら演奏している手が映るかもしれない、だけだ。

主人公は20歳代の設定なので、もっとも私が心配したのは、この“手”のことだ。ま、皮が一度全部むけて、ちょっとはきれいになったかも?って、映像は却下されるかもしれない?わっはっは。と言いながら、毎晩、せっせと「水の天使」を塗って寝ているのだった。

夕方からは、門仲天井ホールで行われた“アート・デリバリーを考える会”に出席。(「アート・デリバリー」という言葉がどうもあまり好きになれない、と意見として述べたけれど。)

これは、基本的には老人ホームや障害者施設を対象にしたもので、音楽の好きな人には音楽を、絵を描きたい人には絵の先生を、朗読に興味のある人にはその専門家を、各施設に派遣することをビジネスにしよう、というものらしい。そうしたことが、これからの高齢化社会において、「質のよい生活」を保つことにつながっていくと考えられる、というのだ。

集まったのは主催者を含めて15人。2人を除いて、ほかはすべて女性だった。また、意識としては、たとえば高齢者や障害を持っている人たちに、何かしてあげる、というより、このまま生きていれば、あと5年、10年で、自分自身の身に降りかかってくる切実な問題として受け止められていることがよく感じられた。今は元気だけれど、車椅子の生活になった時に、自分の好きな音楽家が来てくれて演奏を聴かせに来てくれたら、というような発想、あるいは動機だ。

こうした“アート・デリバリー”という考え方は、2002年に設立されたというNPO法人ARDA(芸術資源開発機構)が既に提唱・実践していて、この代表者も出席していたのだが、芸術と収益をどう結びつけるか、さらに福祉という側面も考慮しなければならないことが、難しい問題としてあるようだった。

会場では、映画に副音声をつける仕事をされている方が、ライヴで披露してくださる。つまり、視覚障害者などのために、セリフの合間に、台本のト書きのような感じで、状況説明などをうまく差し挟んで話す、というものだ。これがけっこうニーズがあるらしい。

今日のところはともあれ第一回目の勉強会ということだったので、思うところはいろいろあったけれど、これからもおそらく少しかかわっていくことになると思う。

それにしても、出席した女性たちは、若い時は生徒会長をやっていました、という雰囲気の方たちばかりだった。筋の通った生き方をしている人たちといった感じで、頼もしい。演奏している時以外はだらだらずぼずぼぼろぼろのミュージシャンとしては、かつての自分を観るような思いが少しばかり。

終わってから、大泉学園・inFへ急ぐが、小竹向原駅で15分待たされ、結局門仲から大泉までかなり時間がかかってしまい、喜多直毅(vn)さんと翠川敬基(vc)さんのクラシック曲を演奏するライヴに間に合わず。話声が聞こえると思って扉を開けたら、ちょうど終わったところだった。残念。及びでない、こりゃまた、失礼いたしました、という感じ。



7月6日(火) ハイドン

「金山」がうまくいかないと、ハイドンやモーツアルトのピアノ・ソナタをさらう。とても快活で楽しい。まあ、若い時にやった曲は、この指が実によく憶えているものだ。



7月8日(木) 再びのレコーディング

午後から夜遅くまで、坂田明(as,cl,al,cl)さんのトリオのレコーディング。既に3月に一日かけて録音を済ませ、マスタリングも終えているのだけれど、ボスのご命令により、録り直しする曲も含めて、再びのレコーディング。

梅雨時は湿気が高く、たいていのピアノのピッチは上がってしまう。調律師さんの話だと、現場に着いたらピッチは444くらいだったという。それを442に低くする作業及び全体が安定するまでに、相当時間がかかった。ピッチは上げるより下げるほうがたいへんらしい。

実際、ピアノの状態が落ち着いてきて、その音色やタッチが立ってきたように感じたのは、夕飯をすませた後くらいだったかもしれない。ああ、このまま弾き続けていたいとさえ感じさせる状態だった。

調律師さんには、今日も終日付き合っていただいた。心から感謝。新しい形をした特製のインシュレーターも美しい。これがあるとないとでは、音色が大きく異なるから、ほんとうに助けられている。



7月10日(土) 4本のペダル

昨日から三日間に渡って行われている『『JAZZ ART せんがわ 2010』。今年で三年目になるフェスティバルに、完全即興演奏ユニット“太黒山”(太田惠資(vn)さん、山口とも(per)さん)で参加する。

私たちが演奏するアベニュー・ホールに去年から常設されたピアノは、イタリア製の“ファツィオリ”というもので、関東では初めてここに入った、日本ではまだきわめて珍しい楽器だ。

以前より耳にしていた噂のピアノには、ペダルが4本ある。通常の位置に普通に3本のペダルがあり、一番左側にもう1本付いている。これは鍵盤全体を下げ、ハンマーを上に上げる機能を持ったペダルだ。(アップライト・ピアノの弱音ペダルの動きを、横にして想像してみるといいと思う。)

この仕組みにより、通常の状態よりもハンマーと弦の間隔が狭まるため、ピアニッシモを音色を変えることなく弾くことができ、また連打に適している、ということになる。

しかも、このピアノ、仕様のすべてが銀色と黒色に統一されたデザインのものだった。通常、金属フレームの部分は金色にコーティングされているが、これが銀色。他に金色になっている個所もすべて銀色。さらに、響板は無色のコーティングがされているのだが、これが黒色。キャスター部分も銀色で、固い黒色のゴムのラバーが貼られている。

見た目が普通のピアノとかなり異なるので、なじむまでに少し時間がかかる。このように、4本のペダルを持ち、色が銀色と黒色のピアノを弾くのは、私にとっては初めてのことだ。あとで、この日の夜に演奏する林正樹(p)君に聞いたら、ファツィオリは海外で2〜3度弾いたことがあると言っていたけれど。

タッチは全体に軽く仕上げられている感じで、質感も軽く、音色も明るい雰囲気。まだ1年という若い楽器だったこともあると思うけれど、たとえばベーゼンドルファーのように、重厚感や陰影、深みがあるといったタイプではない。

この4本目のペダルをうまく使いこなせるようになったら、それなりに面白いかもしれないと思った。なんとなく、ちょっとスカした格好いいイタリア男性を相手にしているような気分。

ちなみに、会場に着いてから、このピアノを弾くにあたって、内部奏法はやらない、肘打ちやゲンコツでは弾かない云々といった誓約書を見せられ、説明を受けた。相当高価なピアノだから、このピアノを所有している方の気持ちはわからないではない。

けど、・・・なあ。それに、巻上公一(vo)さんや坂本弘道(vc)さんなどが、このフェスティバルの主催者だ。正直、非常に複雑な気持ちになる。坂本さんのように、自分の楽器を燃やそうが壊そうが、それは自身の責任だから問題にならないが、かくのごとく、持ち主からお借りして演奏するピアノはいつでも面倒を引き起こす。

終演後、ともさんや友人たちと、立ち呑み屋へ行き、串カツで一杯。少し酔っ払って、せんがわ劇場へ戻り、坂田明(as.cl)さん、ジム・オルーク(g)さん、八木美知依(筝)さん、ピカ(ds)さんの演奏を、途中でアベニュー・ホールに移動して、さがゆき(vo)さん、林正樹(p)さん、山本達久(ds)さんの演奏を聴いて帰る。



7月11日(日) 再放送

朝6時半に起きて、愛知県大府市へ向かう。鎌田實さんと坂田明(as,cl)さんの講演とコンサートの仕事で、日帰り。

帰宅後、期日前投票を済ませていた参院選の様子をテレビで観る。どこの局も参院選のことを放映している中で、唯一、NHK教育テレビだけがドキュメンタリー番組の再放送をしていた。『ETV特集 死刑囚 永山則夫〜獄中28年間の対話〜』。

このドキュメンタリー番組は、2月末に門仲天井ホールで行われた企画で初めて観て、非常にショックを受けたものだ。その時は、女性ディレクター・堀川惠子さんのお話も聴くことができ、自らの意思を貫き、地道な仕事をされている姿勢に感銘を受けた。(その門仲では、光市母子殺人事件の番組も観て、その男性ディレクターの話も聴いたのだけれど、お二人はまったくタイプが異なっていて、それもたいへん興味深かった。)

それにしても、参院選開票速報が刻々と入ってくる時間帯にこの番組、というのには、何か意図があったのだろうか。

明け方、3時半から、ワールドカップ決勝戦を観る。今日はほとんど寝ていなかったので、ものすごくつらかったが、観たいという気持ちが勝った。途中で眠ってしまった時もあったし、早く眠りたいから延長戦だけにはならないで、と思っていたら、延長戦になってしまうし・・・。だったが、最後の歓喜の瞬間、スペインの主将、ゴールキーパーのカシリャスが金色のトロフィーを掲げるシーンまで観ることができてよかった。



7月12日(月) つかこうへい

劇作家・演出家、つかこうへいが62歳で亡くなった。訃報を知って、瞬間、涙ぐんだ。一つの青春が消えた気がした。私の場合、これで吉田拓郎と五輪真弓がいなくなったら、完全に終わりだ。

大学時代、雑誌「ぴあ」の存在は実に新鮮で、最先端の情報を得て、ちょいと文化を気取るのには最新のアイテムだった。私もまた脇に抱えてキャンパスを歩いていたっけ。

そんな頃、つかこうへいの演劇が好きで、何度も観に行った。故三浦洋一、平田満、風間杜夫、加藤健一といった役者たちが、紀伊国屋ホールやパルコ劇場の舞台を、右から左に思いっ切り走っていた。反社会的なメッセージのある内容に、笑っては涙して、心は揺さぶられた。

また、つかこうへいは、役者さんたちが稽古場で即興的に発する台詞を台本にしていく「口立て」という手法を使っていたそうだ。こうして振り返れば、私がひっかかってきたものには、どうもこういう要素が多々含まれているようだ。

唐十郎、鈴木忠志といった人たちの芝居はなぜだか観に行かなかったと思う。本は読んでいたと思うけれど。

故寺山修司の芝居は、ほんとに最後のほうの『観客席』だけを、渋谷ジャンジャンで観ることができた。観ている自分の存在がおびやかされ、不愉快になった。忘れられない強烈な印象。

ほかによく足を運んだのは、故太田省吾さんの転形劇場の演劇。能楽を学んでいた自分には、無言劇を含めて、その著書からも学ぶことがたくさんあった。後に、私はORT(オルト)というユニットを始動するのだが、この“場”という考え方は、当時確か氷川台にあった転形劇場の在り方からも影響を受けている。あ、明日は太田太田省吾さんの命日だ。

ものごとのとらえ方や見方、さらに社会と演劇とのかかわり、あるいは世界と文化や表現に対する考え方、といった点においても、演劇からは非常に影響を受けた。

つかこうへいさんのご冥福を祈る。




7月14日(水) あなたは17歳

渋谷毅(p)さんが音楽を担当する映画の録音のため、早起きして出勤。

今日はいわゆるジャズにおけるピアノ・トリオ(コントラバス、ドラムス)の編成での録音が先に行われる。振り返れば、こういう編成で演奏することがめっきりなくなった最近の私だ。なぜか、なんだかちょっと恥ずかしいような心持ちになる。

脚本の流れから、いきなりハイ・テンションでブルーズを演奏しなければならない。時計を見れば、まだ午前中の11時半頃・・・まだ人間になっていない時間帯だ。

ともあれ、大昔に作った自作のブルーズのリフで、その時代設定の関係から、ビ・バップのスタイルで演奏する。ハードバップもちょっとNG、いわんやフリージャズをや、だ。

が、何テイク目かで、思いっ切りフレーズがアウトしそうになって、自分でものすごい急ブレーキをかける。かたわらにいる水谷浩章(b)さんの目が笑っている。むふっ。

その後、あまり得意ではない、いわゆる循環ものを演奏したり、渋谷さんのトリオ編成によるテーマ曲の演奏を聴いたり。

さらに時間があったので、ピアノ・ソロを録音。一般的な映像のバックで流れるBGMの録音ではなく、私に与えられたのは、主人公のジャズピアニストをめざす女性が、映画の中で実際に弾いているシーンに使われるので、そこには様々な要求がある。

「とっても幸せそうに弾く」とか、「憧れのドラマーと初めて共演する喜びと緊張、さらに挑みかける雰囲気も」とか、「思うように弾けなくてイライラしている感じ」とか。

これまで演劇の音楽は、本番での舞台で自分も演奏することも含めて、たくさん手掛けてきた。が、こうした短時間に勝負をしなければならない録音かつ撮影の現場は、コマーシャルの仕事以外に、多くの経験を積んでいるわけではない。

コマーシャルの仕事は、なんたってクライアントが一番偉いわけで、言ってみれば、完全に自分の演奏は消費される商品、という感覚になる。でも、こうした映画音楽の録音や、依頼されて引き受けるレコーディングの仕事は、職人気質の人がたくさん集まった創造行為だと思う。

そして、私は自分の音楽、あるいは自分自身をやればいいわけではない。言ってみれば、同じ曲を幾通りものヴァージョンで演奏できるような、職人的な技量が、私には求められていることになる。耳触りにならないBGM・カクテルピアノから、丁々発止の駆け引きのある熱いジャズ演奏まで。

なので、こうしたことが、思いの外、非常にたいへんであることを、現場で悟った。それにしても、ビバップ、否、ジャズは、私はやっぱりヘタクソだよなあ、と思ったり。

また、主人公の女性がフォスター作曲「金髪のジェニー」を一人で弾くところで、スローなテンポからだんだん早くなってノってくるところでは、「えっと、・・・17歳、だから〜」と言われる。演奏にアドリブを入れ過ぎたようで、そんな風に弾けてはいけなかったらしい。なので、もっとメロディーに沿った演奏をこころがけたり。

終了後、渋谷さんと浅草の赤ちょうちんへ。初めてのことで、なんだかうれしい。こうして大先輩と夕方からちょいと一杯という機会はそんなにあることではない。いろいろお話をうかがう。

その後、両国へ出て、秋の『耳を開く』コンサートの打ち合わせ。話している中で、いろいろ見えたり確認できたりすることがある。で、副題は「いとおしく、カバレット」にすることに決めた。



7月15日(木) 悲愴

昨日に引き続き、映画の録音。

まず、クラシック曲を弾くところから。主人公が高校生で、音大受験を目指し、音楽室で練習しているシーン。ある小節に来ると、指が必ずもつれて、音をはずして苛立ち、指導教員に叱られる、みたいな場面だ。

ここで何を弾くか。自宅であれこれ弾いてみて、自分の指がここで間違える、という箇所を拾い出してみる。私が最終的に選んだのはベートーベンのソナタ「悲愴」。いまどきの音大受験生がこの曲を弾くのかどうかはまったく知らないけれど。

で、私がやってきたのは、間違える箇所、のみ。その前のシーンに、その曲をまじめに弾いているところがあることをすっかり忘れていた。ものすごくあわてた。じょ、じょ、上手に、ひ、ひ、弾けない、じゃないの。・・・しかも、また朝の11時半、だもの。

うーん、あれは実際の音大生に弾いてもらって録り直すか、別の曲にしたほうがいいかもおおお。すみませ〜ん。

そのほか、テーマ曲を強いタッチで一人で弾く主人公の録音。映画の始まりと終わりに、この曲が流れることになるようだけれど、それは渋谷さんご自身の演奏によるもので、それとまた違った趣き、演奏内容を要求されている感じで、これがなかなか難しかった。

また、昨日は主人公がカクテルピアノを弾くところでは、私が「To Love Again」を演奏したが、今日は別の女性がカクテルピアノを弾くというシーンも録音。それは渋谷さんがものの2〜3分でその場で作曲して、ご自身で弾かれた。すごい。なんだか、多分、エリントンなど、こんな風に作っていたんじゃないか、と思わせるものがあった。

録音はこの二日間で終了。とてもいい体験をしたと思う。声をかけてくださった渋谷さんに感謝。

終了後、北千住に出て、友人がやっている喫茶店へ寄り、帰宅。



7月16日(金) 反オペラ

夜、神楽坂にあるシアター・イワトへ、高橋悠治さんの『影の反オペラ』jを聴きに行く。

入口から斜めに舞台が造られている。つまり、たとえば、歌舞伎の花道に沿って観客が向かい合って座っている感じだ。演奏は、ピアノ・高橋悠治さんのほかに、声・波多野睦美さん、そして3曲目にAyuoさんがブズーキを演奏される。

チラシには、

一つの声に潜むたくさんの声
よみがえる反権力の野の夢
モンテヴェルディの「オルフェーオ」の鏡像にシューマンの「夢のもつれ」や水の女メリザンドの影を映して

とある。

これだけでは何が何やらわからないとは思うけれど、ともあれ、1曲目は高橋悠治さんが、辻まことさんが書いた詩に作曲したもの。2曲目は、ショスタコーヴィッチ最晩年の作曲、コントラルトとピアノのための組曲「マリーナ・ツヴェターエヴァの六つの詩」。自殺した詩人が権力の犠牲者たちをうたった詩、とのこと。

休憩をはさんで、3曲目は、悠治さんとAyuoさんが舞台の両端に位置し、波多野さんは舞台を行ったり来たりして、うたい、時に朗読したり。うたが語る言葉になっていくところ、あるいはその逆、本を読みながら朗読するところなどは面白く、自分の秋の試みにとても参考になった。

不協和なピアノ演奏と声がうたうシンプルなメロディー。さらに、現代ピアノとブズーキの響きの交ざり合い。決して甘く寄り添わない三人の距離感と音色。そして、日本語がきちんと問題にされている。こうした選び抜かれた硬質な方法は、自分が逆照射されているように感じられた。

さらに、悠治さんの姿勢、あるいは社会や世界に対するまなざしは一貫していて、それは今回のプログラム、内容に色濃く、かつ厳しく反映されている。

今日買って帰った、座談会が記録されている冊子『ピアノは、ここにいらない 祖父と父とぼくの時代/シリーズ この人に会いたかった・3』(高橋悠治/編集グループSURE)を読むと、ますますそう思う。

帰宅して深夜に読み終えたが、言っていることが明晰。かつ、シニカル。音楽のことをきちんと言葉で考えることは、私にはやはり大切なことのように思える。

JSバッハ作曲『ゴルトベルク変奏曲』のコンサートに行った細川周平氏が、当夜の悠治さんの演奏は、ものすごくミスタッチが多く、練習していなかったような演奏だったけれど、というのに応えて、

悠治さんは、
「ミスタッチって、なに?」

ここで、私もまた声を出して笑ってしまった。

また、たとえば、

「リズムは音楽の時間で、音色は音楽の空間、音色の中には、メロディーも入るわけ。それから「制度」がある。「創造」がある。創造っていうのは制度からいかに逃れていくかっていうことなんだよね。いろんな逃れ方がある。」

など。

ほかに、即興演奏に言及している箇所もあり、そうなのよねえ、と今更のように思ったり。

ずいぶん昔から、その著作に影響を受けているところもあるし、振り返れば、この仕事を始めた頃、おそらく20年前くらいに、いわゆるタイバンで、いっしょに仕事をさせていただいたこともある。その頃からおいそれと口など聞けない方だったわけだけれど、その距離は全然縮まらない自分の小ささを思う。

ちなみに、IMFJから出版されているオムニバスCDには、内橋和久(g)さんと私のデュオ演奏が収められていて、その中で、私は悠治さんが訳詞されたブレヒト・ソングを歌っているが、これはもちろんご本人の許可を得ている。

それにしても、悠治さんももう72歳だそうだ。渋谷毅(p)さんは70歳だとおっしゃっておられた。今も尚お元気で、現役で活躍されている先輩方に脱帽。




7月20日(火) いわゆるジャズ

午後、遅めのランチで、高瀬“まこりん”さんと、10月の『耳を開くvol.3 〜いとおしく、カバレット〜』の打ち合わせをする。きっと面白くなる予感。

夜はとても久しぶりに横浜・バーバーバーで演奏。ベース、ドラムスという、いわゆるジャズのトリオにヴォーカルの編成。1時間3回ステージは、さすがの私も集中力を最後まで持たせるのがちょっとたいへんだった。

バーバーバーのオーナーは、以前、渋谷の宮益坂にお店を構えたこともあり、当時は私もずいぶん演奏したものだ。かれこれ15年以上前のことになるだろうか。

したらば、「まだ現役で元気にやっているんだ」と言われる。思えば、いわゆる「伝統的なジャズ」(って、なんだ?)をやるようなお店とは、もうほとんど関係ないところで自分は生きているのだと思った。



7月21日(水) ともさん

小学校の教員をやっている友人から、その小学校で演奏して欲しいという依頼を受け、夜のライヴの前に、山口とも(per)さんと打ち合わせ。場所は体育館で、全校生徒が鑑賞するというものだ。

その友人とは小学校時代からの付き合いで、今、彼女は図工の先生をやっている。それで、そのコンサートに合わせて、子供たちにたくさん絵を描いてもらうことになった。楽しみ。

夜は、大泉学園・inFで、“太黒山”で演奏。いつもながら、ともさんの演奏は楽しい。



7月22日(木) エアコン壊れ

午後、太極拳の教室。“練功十八法”を重点的に行う。身体のどの部分にどういう風に効いているのか、という意識がまだまだ足りない。

それにしても、暑い。一度修理した私宅のエアコンは、今年はどれもまったく稼働せず。毎日、汗をだらだらかきながらピアノを弾き、パソコンの前であれこれ考えるも、集中力を保つのがたいへん。

なので、夕方頃には近くの図書館に避難して、ゆっくり考えをまとめる時間を持つようにする日々が続いている。



7月25日(日) デュオ

夜、渋谷・dressで、喜多直毅(vn)さんとデュオで演奏。

お店のマスターは、今晩までにもう一機エアコンを用意する予定だったらしいが、それが間に合わず。店内はサウナのよう。

お客さんもちょっとたいへんだったと思うが、演奏しているほうもかなりたいへん。久しぶりに汗をぬぐいながら演奏した。縦縞模様に透けている黒いシャツを着てきた喜多さんは、長袖のジャケットを脱ぐことができなかったようで、おそらく汗だくのはず。

今日はいろいろな曲を演奏。「悲しい酒」をこんな風に奏でるヴァイオリニストは、そうはいないだろう。どこまでもこよなく歌う。なんとなく、お互いに、さらに自在になってきている感触。



7月26日(月) オルトンクヴァリテート

この10月から、新宿ピットインで、ライヴ・シリーズ『オルトンクヴァリテート』を始めることにした。できれば、季節ごとくらいのペースで、企画できればと思っている。

このシリーズ名は、1980年代後半、ワークショップのかたちをとっていた「ORT」(オルト/独語 場所の意)と、直接的には音質(こめられたものとしては、音の質感、肌触り、色、倍音などの響き、あるいは音そのもの)を意味する「Tonqualitaet」(独語/ae は aウムラウトを開いた表記)を勝手にくっつけた造語だ。

これまで、新宿ピットインでは、1980年代後半に「ORT」(大友良英さんなどがメンバー)、さらに1990年代半ば頃には「Ortpera Ensemble」(オルトとオペラをくっつけた造語/クラシック音楽を経た歌手と、まだかなりたいへんだった時代に、コンピュータ・ミュージックをてがけていた人たちなどとやっていた)をやってきた。

ちなみに、2000年には、横浜ジャズプロムナードで、役者と歌手と演奏家が混在した編成で、「Ortpera Ensemble」として音楽劇を行った。

そして、2000年代の半ば頃からヴァイオリン、チェロという編成のピアノ・トリオの経験で学んだことから、さらにその先へいってみるために、今回は、基本、即興演奏を軸に、上記に書いたようなことにこだわった時間と空間を創るこころみをしてみようと思う。

その第一回は、10月28日(木)、喜多直毅(vn)さん、mori-shige(vc)さんのトリオ。初顔合わせ。未だに弦楽器とピアノの響きにこだわり続ける私がここに。そして、この三人で、様々な声やざわめきに満ちた森へ旅をするこころみ。みなさん、ぜひ来てください。



7月27日(火) お年寄りは

午前中、母から電話があり、電器屋のお兄さんが来ているから、という。地デジ対策で、今回、母は新しくテレビを買い替えた。さらに、もうそんなにテレビは見ないと言うので、およそ25年以上前に家を建てた時から導入した、多数チャンネルのあるケーブルテレビを解約して、屋根の上に光かがやくUHFアンテナを取り付けた。

そのテレビの据え付けをしている時に、突然、掃除機が壊れたので、母はお兄さんからほとんど強制的に掃除機も買わされたらしい。音がうるさい、掃除機が重い、操作がよくわからない、ピカピカ色が変わったりするのが気に入らないなど、ブツブツ文句を言っている。ゴミを探知するセンサーが付いていて、その仕組みがよくわからないようだ。・・・が、もう仕方ない。

ある時は、証券会社の若いお姉さんが訪問してきて、この商品はいかがですか?と勧められるままに、購入してしまう。母は別にボケているわけではないので、だまされたとかそういうことではまったくないのだけれど、お年寄りが言われるがままになってしまうのが、なんとなくわかるようなことが続いた。

また、テレビの環境を変えたということは、NHKとの契約も変えなければならない。それでNHKへ電話する。ネット上で手続きをしようと思ったが、どうも衛星契約から地上契約へはできないようなのだ。うんむう。

最近は、電話をかけると、「お客様とのやりとりを録音させていただきます」と、機械のお姉さんがしゃべる。よほどクレーマーが多いのだろう。家電製品や生活環境をちょっと変えただけで、世の中がどんな風になっているのかが垣間見える。

かくて、今日は自分のことをあまりできず。夜は母と鰻を食べに出る。



7月28日(水) 難産中

秋に予定しているコンサート・シリーズ『耳を開く vol.3 〜いとおしく、カバレット〜』のフライヤー用文章に四苦八苦している。言葉が貯まっていかない、あるいはきちんと文章化できないでいるのは、私の中にまだ不明確な部分があるためだろう。難産中。

ちなみに、上記コンサートは、
10月21日(木) 歌手・高橋“まこりん”麻里子さん
11月18日(木)女優・森都“のんち”のりさん
にお願いしていて、いずれも私が演奏する。

しかし、暑い。タオルの中に、保冷剤を入れて、首にまきながら、各種作業を続けている。ひっきりなしに水を飲んでいる感じ。

日にちが変わって、深夜3時近く。ともあれ、なんとか文章を書きあげた。しかし、長い。少し書き直さなければならないだろう。



7月30日(金) テレビ通販

久しぶりにジャパネット・タカタの番組を見た。こうしてたまにテレビ・ショッピングを見ると、家電の進化のようなものを具体的に知ることができて面白い。



7月31日(土) 母校の変貌

午後、大学時代に所属していたサークル、能楽研究会のOB会に出席する。それで、久しぶりに母校の大学へ足を運ぶ。

駅の改札口を出ると、小雨まじり。アスファルトから湯気が出ているのではないかと思われるような、暑さでムッとする中、「能」と書いた紙を持った男子学生が二人立っている。

見るからに、今年入学したばかりという雰囲気で、30歳も年が離れたおばさんにどう接したらよいものか、皆目わからないという応対。人の目を見てちゃんと話をしなさい、と喉まで出かかる。

昔は安倍能成(夏目漱石門下の四天王の一人/学長)先生が書かれた“能楽研究会”の看板を持って、男子学生が7〜8人、ガクランを着て出迎えてくれたものだ。って、まるで運動部のようだけれど。って、年寄りの愚痴のようだ。

OB総会では、4年後のワールドカップの年に創部五十周年を迎えるので、その記念誌や記念事業などについての話し。また、膨大にたまった写真のアルバムを随時デジタル化しているのだが、そのアルバムの処理や抱えているCDの在庫問題などのことが話し合われる。

その後、現役部員との懇親会。OBは女性の出席者は圧倒的に少ない。イマドキの若者たちとも話をする。

夕刻、キャンパス内を少し歩く。全体の敷地のほぼ中央に、ピラミッドの形をした校舎、俗称ピラ校があったのだけれど、それも取り壊されて、今はピラ校広場になっていた。ピラミッドの最上部だけ、モニュメントとして残されていたけれど、ひどく味気ない。

ピラ校では、大学祭の時にコンサートなども行われ、どういう経緯だったか、裏方を手伝った私は、山崎ハコや泉谷しげるの楽屋付きの仕事をしたことがある。

こういう講堂のような所には、なぜかちょっと薄暗い空間があって、そこには表の華やかさとは違った空気が漂っていた。思い返せば、昔から、私はそういうところにもいたように思う。

ピラ校の西側には、私たちが現役の頃に主として語学を学び、謡や仕舞の稽古を積んだ古い校舎が残っていた。が、あとは、もうほとんど新しい校舎に変わっている。時代が移り変わったことをしみじみ感じた暑い夏。






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