6月
6月2日(金)  箱根満喫

一年に一度、母にプレゼントしている小さな旅。今年は5月31日から二泊で箱根を周遊した。フリーパスなるものを購入して、ロマンスカー、昔と変わらずスイッチバックする登山電車、ケーブルカー、工事のために6月1日から1年間乗れなくなるという古いロープウェイ、悪趣味に感じた海賊船、バス、と使えるだけ使ってまわりまくる。晴天に恵まれ、いい旅になった。

一日目は、母のリクエストに応えて、箱根湿生花園とポーラ美術館を見学。湿生花園ではブルーポピー(ヒマラヤに生息する青い芥子)を初めて見て、少々感激。ポーラ美術館ではピカソ展を企画していて、なかなか見ごたえがあった。どうころんでも、およそピカソのようには絵を描けないとしみじみ思う。絵に圧倒的な力がある。ちなみにこの美術館、建築もお姉さま方も、“ポーラ”している。

一泊目は芦ノ湖畔の温泉に宿泊。平日ということもあって、泊り客は少なく、いつ温泉に入っても貸切状態。食事は部屋出しの所を選んだ。

二日目はキャリーサービスなるものを利用して、今晩宿泊する宿まで大きな荷物は届けてもらうことにして、ひたすらてくてく歩く。

箱根野草園から出発。ここでも再びブルーポピーを見た。かつ、湿生花園よりもたくさんの小さな草花を見ることができた。野の花はけなげでやさしく美しい。そこに生きていることを殊更に主張していない感じがするのがいい。

その後、箱根の関所を見学。これがなかなか面白かった。“入鉄砲と出女”とはよく言ったもので、女性が関所を通る時に検査する役割を担っていたという「人見女」は性悪そうな感じ。江戸時代の処罰のことなども知ることができて、ほんの200年前くらいの現実を目の前にして、思わず自分の足元を見る。

それから、杉並木を歩いて、成川美術館に寄る。堀文子さんの作品は三点のみ展示されていて、かのブルーポピーも拝む。なにゆえ湿生花園や野草花園にブルーポピーがあるのかがわかった。今や堀さんの絵は、例えばバッグ、ネッカチーフ等々に使われていて、要するに形を変えて売られている。この美術館には大型バスが大挙して訪れるようだから、そのおばさま方には気に入られるのだろう。正直、この売られ方とご本人及びその絵の力に、非常にギャップを感じる。ともあれ、美術家も音楽家も食べていかなくてはならないのだ。決して悪いことではない。(ちなみに、6月16日から約三ヶ月間、堀さんの企画展が予定されているようです。)

そして、その美術館のちょいと先を右に折れて、旧街道の石畳を登る。これは母の第二の希望。石畳というのは案外歩きにくい。ぜいぜい。どうやら通常は湯本の方から芦ノ湖へ向かうのがコースらしいのだけれど、私たちは逆のコースをたどり、途中から下り一方。下りの方が足をやられるから、結局甘酒茶屋で甘酒を飲んで、そこからはバスを利用。ほんでも、よく歩いた。元気に歩く母が眩しく、うれしく思う。

寄木細工で有名な畑宿でいったんバスを降り、簡単なコースターを作る。パズルのような作業で、途中でわけがわからなくなる。数学的頭脳が必要か。それにしても、既に夕刻になっていたとはいえ、町の施設である寄木会館も、ちょっと入ったお店も、非常に無愛想。平日に訪れる人は少ないのだろうけれど、あれじゃだめでしょ。

かくのごとく、とにかく歩くことを目指した日にそのまま帰るのはいかがなものかということで、この日は奥湯本に宿をとり温泉につかる。川沿いに露天風呂があり、非常に気持ちがいい。されど、どうも宿泊客は私たちだけのような雰囲気。今晩もまた食事を部屋出ししてくれる所を選んだのだが、夜も更けると母は少々怖がっていた様子。おかしいなあ、地元の旅行会社から予約した時は、「この宿は人気の宿で、あと一部屋しか空いていませんから、よかったですね」と言われたんだけどなあ。ちなみに、地元の市ではリクリエーション費として、年に二回だけ3000円ずつ、市民に宿代補助金が出る制度があるので、それを使ったのだ。

翌日は午前中のロマンスカーで帰京。夜は10時少し前から11時半過ぎまで、、高田馬場ホット・ハウスで竹内直(ts,fl,b-cl)さんと一本勝負のライヴ。あいや〜、夕飯を食べて温泉につかって寝まくった二日間とは、あまりにも違う生活時間だ。いきなり自分の現実へ引き戻された気分。


6月4日(日)  友人

父が亡くなってから丸五年が経とうとしている。家は神道なので、五年祭にあたる。が、それは去年やってしまったと告げた父の東高時代の友人のみなさん8人が、わざわざお墓参りに来てくださった。

墓前で、校歌、応援歌、寮歌を声高らかに歌ってくださり、東高音頭を歌いながら踊ってくださった。実に、父はいい友人たちに恵まれていたのだと思う。その後の昼の宴では、昔の父の思い出話などをたくさん伺う。知らないことばっかりだ。

夕方からは大友良英(g,etc)君が企画することになった、新しいオープンスペース“GRID605”のプレ・オープニングに行く。平井玄さんの著書『ミッキーマウスのプロレタリア宣言』(太田出版)を主題として、平井さん、音場舎を主宰している北里義之さん、大友君が鼎談。宇波拓さんや大友君の短い演奏、昨年末の大友君のNYでのライヴ映像も交えて、長時間に渡って狭いマンションの一室にぎゅうぎゅう詰めになって、暑さと酸素不足と闘いながら話を聞く。

その詳細についてはここには詳しくは書かないが、大友君、平井さん、北里さん、振り返ればORT(オルト)をやっていた頃からの付き合いになるから、かれこれもうすぐ20年近い歳月が流れていることになる。当時はブレヒト・ソングをやっていたからか、平井さんに声をかけられて、昭和天皇の命の灯が消えかかりそうになり、歌舞音曲が自粛された時に、東大の教養学部の構内(野外ステージ)で演奏したことを思い出す。

ああでもない、こうでもない、と散々議論した友人たち。実に得難い。そして、感謝。


6月7日(水)  合わせ過ぎる

真夜中の『NHKラジオ深夜便』を聴く。先月行われた 「にっぽんの歌こころの歌のつどい」と題された公開コンサートの録音で、私はおおたか静流(vo)さんといっしょに演奏した。

おおたかさんの声は細かいニュアンスまでしっかりと伝わってくる。声の微妙なふるえのようなものまで耳に届く。また、二胡奏者の単旋律だけで、あるいは鈴の音一つで歌を届ける彼女の立ち方と力は圧倒的だと思う。

そして、自分の演奏を聴いてつくづく思う。私は歌に、否、その呼吸に合わせ過ぎている。それは音楽を小さくしている。彼女の音楽の世界はもっと大きく、深く、光にあふれている。まだまだだぞ、自分。


6月8日(木)  北インドの即興

夕刻、秋に企画している二つのコンサートのフライヤーの打ち合わせの後、乃木坂・凛で行われた、吉見征樹(tabla)さんと井上憲司(sitar)さんの“インド古典音楽レクチャー&コンサート”に足を運ぶ。この場所、妙に落ち着く。

吉見さんとは今週月曜日にいっしょに演奏したばかりだったが、彼と初めて出会ってからはや20年近くになるとはいえ、こうして北インドの古典音楽をやる彼の演奏を聴くのは初めてのことだった。共演しているのだから、ちゃんと知らなきゃあかんやろ、と思ったのもきっかけだったが、実際にインドに修業に行って学んで来ている彼らが言うところの“即興演奏”にも興味があった。

その即興演奏の方法はオーソドックスな、典型的なものに感じられたが、両者とも気合の入った演奏で、どういうところを楽しんでいるかが手にとるようにわかった。吉見さんの指が素早く動いていて、間近で観ていてすんごーいと思ってしまった。

前半は1曲だけ演奏して、あとはレクチャー。後半はタンプーラも入って、40分くらいの1曲。長い時間聞いていると、だんだんくらくらしてくる。シタールとタブラのキーンとする金属音のような響きが、耳を通って、だんだん身体感覚を麻痺させていくような感じ。どっかへ行っちゃうもんね〜、みたいな。あれに御香が加わっていたら完璧じゃないの。それにあのまま続けられていたら、私は踊り出していたかもしれない。左スピーカーの真下辺りに座ってしまったせいもあるとは思うけれど。

即興。

私にとって、即興は“自由”という概念と分かち難く結びついている。その元をたどれば、私の場合はジャズに出会ったことが決定的な意味を持っているが、自由というのは、そこに在るものではない。いつでも自由を制約するものがあるから、自由への希求が生まれるという相対関係にある。その制約するものは、例えばごく簡単な約束事だったり、はたまた究極には自分自身でさえあったりする。そして即興音楽はその希求へのプロセスを聴くようなものでもあると言えるだろう。

さらに、自分が自由になるために音楽はあるのではない。自己主張をすることが音楽ではない、とこれまでも言ったり書いたりしてきているが、多くのミュージシャンはこの辺りのことを誤解していると思う。

私が時々弾かないのは、おそらく本能的にそうしていると思われる。人が演奏しているのを聴いている自由に満たされているからかもしれない。あるいは、一度演奏をやめると、新たに選択する自由(おそらく、個人が自由に選択できる状態にあることが自由ではないかと思っている)が生まれるからかもしれない。そして、それは時折共演者をひどく孤独に陥らせることもあるかもしれないが、自由とはそういうものだとも思う。

というより、他者を自由にする、というのも、自由だと思っているところがある。その時の私は決して不自由を感じてはいない。この辺りのことは、実際の音の現れを形式的にしか受け止められない人には、なかなかわかってもらえないかもしれないと思っているけれど。

それに、それでなくても、ピアノという楽器は非常に威圧的な楽器で、他の楽器奏者の細かい音色や奏法を一発で壊す可能性がある。そんなどうしようもない楽器だと思っているから、その場の関係性などには普段から相当に注意しているつもりなのだが。

何を言っているのか、自分でも少々わからなくなってきた。いずれ、こうしたことに関する考えはきちんとまとめなくてはならない。


6月9日(金)  実現のために

午前中から打ち合わせ。地元でなんとかできないかと働きかけた『子供ミュージカル』が、このままうまく事が運べば来年末に実現できそうな気配になってきた。これから突破しなければならない難関、問題はまだまだ山積しているが、ともあれ多くの人の協力、努力によって立ち上げられるかもしれないという状況になって、とてもうれしい。


6月10日(土)  永遠の憧れ

午後、NHKで放映されていた『芸能花舞台 〜現代邦楽の魅力〜 』を観る。すべて筝、十七弦による演奏で、最後は沢井忠夫作曲「二つの群れのために」が、沢井一恵(筝)さん、沢井比河流(十七弦)さんを先頭に、沢井軍団のみなさんによって演奏されていた。

一恵さんの一爪の響きは、まるで侍が刀を一振りして相手を倒すような緊迫感にあふれていて、ものすごい。十七弦の響きは何故あんなに人の深い闇に立ち降りるような響きを携えているのか。といったことを改めて感じる。

ピッチが自由になる楽器。一音を変化させることができる楽器。

これはピアニストにとって、少なくとも私にとっては永遠の憧れ。生まれ変わって音楽に関わるなら、私、今度は絶対ピアニストになんかならないんだからっ。


6月11日(日)  バロック精神なるもの

“レッド・プリースト”=「赤毛の司祭」。アントニオ・ヴィヴァルディのあだ名を名前にした、イギリスの4人(リコーダー、ヴァイオリン、チェロ、チェンバロ)グループの演奏を、パルテノン多摩に聴きに行った。

2月にオペラシティで、ファビオ・ビオンディ(vl)や一噌幸弘(古今東西の笛)さんの演奏を聴いた時にもらった、クラシック音楽らしからぬフライヤーがちと気にはなっていた。けっこうあざとい演出が施されているんじゃないかなあと思って打ち捨てていたのだが、結局直前に行ってみる気になった。まさか、今年、ヴィヴァルディを二回も聴くことになるとは思ってもいなかったけれど。

私が聴いたのは、“カーニヴァル・オヴ・ザ・シーズンズ”と題されているBプログラム。実際、4人は客席の方から演奏しながら登場し、クラシック音楽のコンサートには珍しく、これから演奏する曲についてなどの“お話”から始まった。途中でも何回も“お話”が入る。かつ、非常に演劇的だった。「これはバンドだ」と思わず口走ったのは私だが、日曜日の昼下がり、会場は気楽に音楽を楽しむという雰囲気に包まれる。

ヴィヴァルディの『四季』を軸として、季節にまつわる他の作曲家の曲を入れ込みながら、全体の演奏が進められる。パンフレットに載せられている文章で、リーダーのピアーズ・アダムスが言っているように、「その明瞭な標題音楽的性質」を持ったこの曲に、「ドラマ的な可能性」を見出した彼らは、全体を通して大胆に編曲し、(クラシック音楽としては)思い切った演出を施して演奏していた。

その演出はあらかじめ決められたものであろうことは想像にかたくなく、おそらくどこに行っても同じことをしているのだろうとは思うが、私が一番感じたことは、音楽は生活と共にある、という感覚だった。簡単に言うと、音楽を真ん中にして、名人芸も披露されて、みんなでわいわい楽しんでいる、という感じだろうか。

これは、例えば非常に感動したビオンディ率いるエウローパ・ガランテの在り様とは異なる性質のものだ。ビオンディが奏でる音楽は制度化されたコンサート・ホールで聴くことにあまり違和感はないが、赤毛の司祭の人たちには空の下の広場や市場、あるいはちょっとした小さなお祭り広場のような所が似合っている感じがした。空気感や時間の感覚が違う。

「バロック音楽は昔から娯楽として生きてきました。この分野の音楽家の多くは歴史的に“正しい”演奏をし、聴き手を“教育”しようと考えていますが、私たちは同じ出発点、つまり歴史的な演奏技法の知識をもとにしつつも、より劇的でケレン味があって、即興性を大事にしたパフォーマンスを心がけています。」

「バロックはとてつもない実験精神に満ちていた時代で、クレイジーな演奏家たちがいつも競い合っていました。互いの作品の剽窃や書き換えなどは日常茶飯事。いろいろなスタイルを混ぜ合わせて新しい表現方法を編み出したり、人々の耳と心をくすぐる目新しい“何か”を常に追い求めていました。音楽はあらゆる意味で生きた芸術でした。」

「ですから私たちはバロックの文献ではなく、バロックの精神を蘇らせることを目標として活動しています。」

上記の言葉はピアーズ・アダムスがインタビューに応えたものだ。

ここで言われている「即興性」というのは、奏でられた音楽にその場の即興演奏があったとは思えなかったから、その時、その場の空間や聴衆を常に意識しながらパフォーマンスをする、という“場の作り方”に関わることだと思う。少なくとも、クラシック音楽のコンサートでは何故誰も何も話さないのか?という素朴な疑問を抱いている私には、そうした通念を破っているだけでも、彼らの在り様は異端なのかもしれないが。

そして、問題は“バロックの精神”だ。これは何だ?この辺りのことは私にはまだよくわからない。なんとなく感じはわかるような気もするが、もっとヨーロッパ史を勉強しないと何も言えない。

ただ、「バロック精神を蘇らせることが目標」らしいのだが、それがどうした?と思ったりもしなくもない。業界を相手にしていたって、だめでしょう。「あんたの音楽をやれよ」という声を持ってしまう自分は何なのだろう。ここまでやるなら、あなたたちが作った曲が聴きたい、と感じたのだと思うけれど。

追記

例えば、A・ヴィヴァルディの『協奏曲 第8番 イ短調 Op.3-8,RV.522』は、この日に購入してサインまでしてもらった彼らのCD『Nightmare in Venice』に収められていて、これを聴いて、あ、やってみたいな、なんて思った。けれど、同じ曲を演奏しているファビオ・ビオンディのエウローパ・ガランテのCDを聴くと、何故だかそう感じなかった。同じ曲なのに、まったく違う曲に感じられた一品。


6月13日(火)  即興的な自己

友人から頂いた『チェンバロ・フォルテピアノ』(渡邊順生 著/東京書籍)という、厚さ5〜6cmはあろうかという本を、少しずつ拾い読みし始める。

その最後の方に、

「自身作曲家でもあったフルトヴェングラーは「即興演奏とは事実あらゆる真の音楽演奏の根本形態」なのであり、従って、音楽作品とは「自己完成としての即興演奏」と呼ぶことができる、と言う。」

「演奏家たるものは、作曲家がこのように全体のビジョンから出発して細部を作りながら「作品の完成」に至る「即興演奏」の過程を再構築して、「即興的な自己」を通じてそれを表現しなければならない。演奏家の仕事は「再創造」であって「再現」ではない。なぜならば、・・・音楽作品とは、演奏されるたびにその演奏のうちに生起し、一回ずつの演奏において一度限りの異なる生命を生きるからである。」

自身も演奏家である著者のこれらの言葉は、実に簡潔だ。約30年ぶりにクラシック音楽に挑戦した時に、私が直面してうまく言葉にできなかったことが書かれていて、なんだか非常に合点してしまった。これまでも例えば高橋悠治さんなどもこうしたことについて繰り返し書いてきていると思うのだが、胸がすっきりした気分。

そういうことなのだ。

音大を卒業してレッスンに来ている生徒は、私などよりもずっと上手にクラシック音楽を奏でる。あるいは、最近はよく音大生がライヴに来てくれたりする。そして話をしてみると、どうも今の日本の音楽教育は、とても大切なことを教える(気付かせる)ことを忘れているのではないのかと思ってしまう。私に習いたいという奇特な人には、まずその回路を、すなわち“自分”が音楽と“即興的”に関わる意識を開くことから始めているのだけれど。


6月15日(木)  つなげる視点

『作曲家の道具箱』(林光 著/一ツ橋書房)を読み進めている。どうもなんとな〜く近くにいる感じがして(ブレヒトや宮沢賢治の作品による演劇に関わっていることなどから)、これまであまり積極的に関わるのを避けていたような気もしているのだが、林さんが作る曲が面白いと感じることもしばしばあり、ちょいと読んでみることにしたのだ。

林さんのものごとをとらえる視点がすこぶる面白い。バッハやモーツアルト、宮沢賢治を、その人間や生活のレベルにまで引き摺り下ろして語っている。そして、バッハとモーツアルトと宮沢賢治がつながっている。

「楽譜上における作品の完成によって彼の思考がそこで停止するわけではないことは、多くの作曲家が、一度完成した作品にふたたび手を入れなければいられず、時として大掛かりな改作にまで及ぶ幾多の例によっても実証されている。・・・一つの作品には一つの真実しかないかもしれないが、それを実際に音にする方法は無限のバリエーションがあり得る。」

これは前述の『チェンバロ・フォルテピアノ』からの文章だが、こうしたこを宮沢賢治は文学でやっているというのだ。宮沢賢治の作品はとても音楽的だとは感じていたが、私の理解がどれだけ表層的なことであったことか。林さんの対象への対峙の仕方、言葉の持ち方に比して、自分のそれはまるで幼稚園児のようだ。猛省。


6月16日(金)  裏方

秋に予定している“耳を開く”コンサートの打ち合わせ。当日は自分も演奏するため、本番の日はできるだけ煩わしいことは避けたいという思いがある。早過ぎるかもしれないとは思ったが、舞台監督、スタッフの統括をお願いした方々と、ともあれ一度あれこれ話す。

実際、自分で企画してコンサートをやるとなると、自ら買って出た苦労ではあるものの、想像以上にたいへんであることがわかってきた。そして、これまで様々なコンサートで演奏してきているけれど、裏方の仕事をいかに知らなかったかということにも気付いた。

それでホールでコンサートをする機会を得ると、つい、そういう裏方の視点で見ている。そっか、楽屋にはゴミ袋が必要で、それを机にとめるガムテープ、そのガムテープの上にはゴミの分別を書いておくマジックが必要なのね。ホール側のスタッフの人たちと上手くコミュニケーションをとることが肝要なわけね。PAの人たちはケーブルをちゃんと束ねて、足元を養生することに気配りをしているんだ。とかとかとかとか。

こうしてあらためて裏方の仕事を見てみると、ミュージシャンというのはずいぶん我儘だなあと思ったりする。あるいは、王様になったかの如く錯覚して、傲慢な態度をとる人も少なくないように思う。無論、人に寄るのだけれど。

コンサートやライヴは決してミュージシャンだけの力で成り立つものではない。多くのスタッフが関わり、聴きに来てくださるお客様がいて、初めて成り立っている。みんなで創っているものだ。長年、裏方もすべてやるような小劇団の芝居作りに関わってきていることもあり、こういうことをこれまでも大切に考えて仕事をしてきたつもりだが、ますます謙虚であるべきだと思うようになった。


6月18日(日)  耳の変質

どうも自分の耳が変わってきている気がする。PA(音響装置)を通した音に、だんだん耐え難くなってきている。

黒田京子トリオでは、真ん中に位置する太田惠資(vl)さんがヴォイスも披露する関係で、ヴァイオリンとチェロの間にアンビエントな感じでマイクロフォンが立つことが基本スタイルになっている。活動し始めてから約2年間くらいは、チェロはギター・アンプか何かに通して音を増幅していたけれど、最近はまったく使わなくなった。17日のライヴもこのような状態だった。

実際、翠川敬基(cello)さんが奏でるピアニッシモを聴き取るのに、ものすごく神経を集中させる。逆に、ピアノをフォルティッシモで弾いてしまうと、正直、時折チェロの音は聞こえなかったりもする。でも、アンサンブルになっているという信頼というか確信のようなものがあり、そのサウンドは私の中に響いている。

15日に喜多直毅(vl)さんとデュオで演奏した1曲については、私の希望で彼には生音で演奏してもらった。大塚・グレコ(地下)での演奏だったから、ピアノの蓋を半分にすればだいじょうぶだろうと思ったし、生音で演奏する方が音の強弱を含めたダイナミズムや、音色に配慮する音楽を創ることができるのではないかと思ったためだ。

18日、今日の坂田明(as,cl)さんとのデュオでも、マイクを使わないで演奏した。キャパ1200名くらいの市民会館で、客席は二階の後方に席を残すくらいでほぼ満席。でも、生音でも充分。

ちなみに、坂田さんのmii(みい)で演奏する時も、この約6年間、バカボン鈴木(b)さんが小さなベースアンプを使うのみで、どんな所でもほぼ生音で演奏してきている。ドラムスがいないということもあるが、例えば200名くらいの人が入っているホールや体育館のような所でも、ピアノがグランドでありさえすれば、PAは使わない。主催者が用意してくれたモニターは、せっかくながらお引取りいただくことが多い。それに、新宿・ピットインで演奏する時も含めて、今の私はほぼモニターから音を返してもらっていない。

先の大友良英(g,etc)さんが主宰した“GRID605”で、現在のライヴハウスなどにおける音響装置の進歩は、10年前、20年前では考えられないような状況にあるという話題が出た。電気の力を使わないと音が出ない楽器、エレキ・ギターやコンピュータなどは、そうしたことに大いに影響を受けると思う。

が、私は次第にどうも逆行しているらしい。その人がそこで演奏しているのだから、そこから音が聞こえているのがもっとも望ましいと思うし、どこか別の所から増幅され、加工された音が聞こえてくることに、非常に違和感を抱くようになってきている。

以前、ジョン・ゾーンがマサダで演奏した時はすべて生音で、その頃は正直面喰った。よく聞こえないじゃないの、と思ったものだったが。また、ジョンの作曲による“コブラ”も、演奏者がいる所から音が出る、というのが前提になっている。

また、小松亮太(バンドネオン)さんが売れる直前に加わっていた、斎藤徹(b)さんの“ピアソラ・ユニット”でレコーディングしたのは、1997年12月のことになるが、その録音の時は生音だった。公共ホールを借りて、ステージ上には演奏者(モニターなど一切ない)、マイクは客席のほど良いポイントに置かれたLR1本のみ、という状態での録音だった。

つまり、空気、がある。これはリーダーである斎藤さんの音に対するこだわりだと思っているが、当時の私は他の人が奏でる音を聴くのに多分必死だった。おそらく今ならもっと楽に聴くことができると思う。というより、もっと全体のバランスを感じながら演奏することができるように思う。なんて、実際、約2年前に黒田京子トリオで演奏したブラームスの時にさえ、そうしたことはわかっていなかった私なのだが。

この楽器はヨーロッパで生まれたもので、その演奏環境はよく反響する教会や石造りの小屋だったりするので、リヴァーヴ感が欲しい、音を大きくしたいと、例えばヴァイオリニストなどの弦楽器奏者はよく言っている。この間聴いたインド古典音楽を演奏したシタールとタブラの演奏でも、そもそも天井がとても高い広い所で演奏される音楽だからということで、外のスピーカーも使っていた。私はあの店の広さで少なくとも外音は絶対必要ないと思ったのだが。

事は音やサウンドのイメージに関わることであり、演奏者がいかに気持ちよく演奏できるかという環境の問題ではあるが、物理的な音量は圧倒的にあるものの、ピアノだってヨーロッパで生まれた楽器だ。弦楽器などと同様、特に湿度に大きな影響を受ける。さらにはっきり言って、楽器そのものの状態がひどい場合も少なくない。

何故多くのミュージシャンは小さなライヴハウスでもPAで音を増幅したがるのだろう?石造りの教会や反響が計算し尽くされた立派なコンサートホールのイメージで演奏したい気持ちはよくわかる。私だって同感だ。が、たかだか20〜30畳くらいの広さの所で演奏するのに、そうしたイメージを持ち込むこと自体が、ちょっとおかしくはないだろうか?と私は思うようになってきている。

『西洋音楽史 〜「クラシック」の黄昏〜 』(岡田暁生 著/中公新書)を読んであらためて感じたことでもあるが、宗教、宮廷のための、時代が下ってくればいわゆる市民のための、すなわちブルジョワのものであったクラシック音楽においては、当然PAなどはない状況で、しかもかなりサロン風な所で、音楽はずっと演奏されてきている。

それは例えばビバップ創世記頃のジャズにしても同様で、20世紀になってから録音技術は飛躍的に進歩したといっても、夜な夜なジャズ・ミュージシャンがセッションを繰り広げた店に、立派な音響システムがあったとは考えられない。生音で勝負の世界だったろう。

音色や響きはその人の好みが反映されることでもあるから、こうしたことは一概にこうでなければならないなどということは言えない。ほとんど残響がないような(デッドな)場所で演奏する場合は、自分で演奏していてもとても辛く、悪いことにそういう時はたいてい無駄な力が入っていて良い音が出ていない。

あるいは、例えばおおたか静流(vo)さんのように、基本的にPAを通したリヴァーヴ感のある声そのものが彼女だ、という音楽的必然性があることも理解しているつもりだ。要はPAを使うなら、そのことも込みで自分の音の在り様や表現方法を確信しているべきだということなのだろうけれど。大きなコンサートであれば、PAさんとの信頼関係がなによりも大事だということは言うまでもない。

ただ、どうもPAに頼り過ぎるのもどうなんだろうなあ、と思う今日この頃になりにけり。


6月18日(日)  調律師との幸福な関係

先に記述したように、この日は愛知県・常滑市民文化会館で演奏した。港に隣接した古い建物で、その舞台は客席から約1mも高くなっている。キャパは1200名くらい。舞台の後方はすべて黒幕。講演も伴っているので、中央には白いスクリーンがあるという状況。ピアノは25歳になるスタインウェイのフルコン。今年に入ってからいわゆるプロの演奏会は2〜3度あった程度で、ほとんど稼動していないという状態。そして生音での演奏。

で、リハーサルをしていて、どうも聞こえ方がヘンだと感じる。特に左耳の聞こえ方がヘンで、なんだかベールがかぶったような感じがする。何回も唾を飲み込んで耳抜きをしてみる。それでもダメだ。ちょっと困ったなあと思っていたら、客席でリハを聞いていてくださった調律師の方が、「ピアノの蓋を半開にしたらどうでしょう?」と控えめに言ってくださる。

その理由は、蓋を全開にすると二階席にはとてもよく届くが、舞台が高いため一階席の人にはよく聞こえないこと。さらに、私の左側、割合近くにある黒幕とスクリーンが音を吸収してしまっていて、演奏者にとっては響きが遮断されてしまっているのではないか。などが挙げられた。

助かった。そしてまた一つ学んだ。

私は広い会場だから、当然、ピアノの蓋は全開だと思い込んでいた。それに共演者は坂田明さんだ。でも違っていたのだ。蓋を半開にしたら、自分にストレートに、音が立ってよく聞こえてきた。それに、サックスとの共演だから、おそらく音の発信位置が半開にした方がバランスが良かったのではないかと想う。

かくのごとく、そのホールの響き(それはお客様が入ったらまた変わる)や状況、ピアノの持つパワー、弾き手の技量、共演者とのバランスなどなど、その時の状況をきちんと見極める、否、聴き極める“確かな耳”を持つことが、とっても大切なのだということを、あらためて学んだ。音は空気の振動で伝わるのだから、そのことを敏感かつ繊細に感じ、すべての状況を把握してバランスをとれる自分をもっと創らなくてはいけない。

こうしたことが大事だと言ってくださったのは調律師の辻秀夫さんだが、このホールでの演奏でアドヴァイスしてくださった調律師さんも含め、散々書いてきているが、ピアニストにとって調律師さんとのコミュニケーションはもっとも大事なものだ。ちなみに、そういう考えから、例えば秋の二つのコンサートのフライヤーに、私は“協力”のところに調律師さんの名前を記載させていただくことにした。

よっぽどでない限り、ピアニストは自分の楽器を演奏できないというハンディを常に背負っている。だが、その現場で、楽器の状態を見てくれている人がいて、その人の力を借りることができるということは、他の楽器奏者にはほとんどない実に幸せなことだ。短い時間(たいてい満足な時間は得られない)にそのチャンスを生かせるかどうかが、その日の演奏のすべてに関わっていると言っても過言ではない。だから、自分のピアノへの意識がやっと人並みになって以来、私はできるだけ調律の最後の方に立ち会うことを主催者に希望している。

さらに、調律師の辻さんからの提案で、今後、ホールで演奏する機会を得て、自分が信頼する調律師さんに頼める場合、すなわち、私の場合は辻さんになるのだが、ホールに提出する書類と共に、この調律師さんに依頼する理由を書いた自分の文章も添付することにした。

概ね、ホールで演奏する時は、そのホールにピアノを入れた楽器メーカーの調律師がメンテナンスや調律をしていることが多い。つまり、自社お抱えの調律師以外の人にはピアノを触らせないわけで、他を排除している。そして、そのピアノを持っているホール(管理者)は楽器のことなどほとんどわからないから、業者の言いなりなわけで、こうした構造は時折独禁法に抵触するのではないかとさえ思われる時もある。

事実、何年か前に独禁法の御触れが出て、某輸入楽器店の系統が壊れて以来、また最近は公共施設が民間委託になったりすることも多く、多少〜はゆるくなってきているようでもあるのだけれど。が、ピアノを良い状態に保つという意識レベルの問題は、そう変わってはいないように思われる。低い、のだ。一番可哀想なのはピアノで、次はそれを弾くピアニストだ。そして誠意ある調律師さんは苦労する。

ともあれ、保持者、管理者としてのホール側、さらにメンテナンス、調律をする会社。これらと実際にそのピアノを演奏するピアニストとの関係は、名のあるピアニストは別として、通常、切れているということが言える。ピアニスト及びその音楽はそれぞれまったく違うのに、その日の演奏者の演奏も聞いたことがない調律師がピアノの調律をする、というのは考えてみればとてもヘンだ。だが、これがあたりまえになっている。

こうした風潮、既存の制度はおかしいのではないか?というのがそもそもの話の発端で、私はその辻さんの意見に共感した者の一人だ。で、これからは、演奏者が何故この調律師にやって欲しいのか、といったようなことを書いたものを、ホール側に伝えるようにすることにした。

ま、こんなことは誰も頼んでいないし、ホールの管理者にはほとんど無視されて、紙切れは捨て去られるに違いない。でも、可能な限り、状況は少しずつでもそうなっていくべきではないかと私は思う。

さらに欲を言えば、調律師さんのネットワークがあると私はうれしい。楽器メーカーでつながっているのではなく、個人で良い仕事をしている人たちの互いの信頼に基づいた糸のようなものがあれば、地方などで演奏する時に個人を通じて依頼できるようになる。今の私にはすべての演奏会に信頼する調律師さんをお願いできる程の財力など到底ないから、この地方だったら、この調律師さんを、という所が少しずつではあるが増えている感じだ。ただ、独立して仕事をしている調律師さんというのも、ジャズ・ミュージシャンと同じように、どうやらかなり一匹狼的だから、これは相当難しいかもしれない。

余談。
この日の演奏はいわゆるコンサートではない。鎌田實先生の講演、坂田さんの講演、そして音楽があるイベントだ。そういう場で演奏して、世の中から見て自分がどういう所に立っているかが、逆によくわかった。ほとんど寝ずに常滑まで行って昼間に演奏したから、終了後自分はあまり良い演奏ができなかったと思っていたのだが、反応は違っていたようで、私はしばし呆然としてしまった。


6月24日(土)  楽器店なるもの

某Y楽器。クラシック音楽に詳しくない私に、とても親切に調べたり教えてくれていた店員の若いお姉さんが、その才覚のためか、他の支店に移動になってしまった。痛〜。

それが3月末のことで、以来、時々CDを購入しているのだけれど、そのたびに他の店員さんの対応がすこぶる悪く、腹の立つことしきり。CDなどのモノを売っているには違いないが、音楽を売っているのだから、もう少し音楽を愛する者の立場に立って、誠意を持って働いて欲しいと思う。と、社長に手紙を送ったろか。

今日の午後、某Y楽器にて演奏。演奏内容はなかなか良かったと思われ、事実、インストア・ライヴ、無料、通りすがりの人ご自由にどうぞ、あ、そこのおじさん、そのCDを買うよりこっち見て、みたいな状況の中で、ほとんどの人がその場を立ち去らず、フロアも2階もいっぱいのお客様だった。ヴァイオリン界の貴公子(と、私はしつこく言い続ける)のCD発売のプロモーション・ライヴだったが、良い出だしだ。がむばれ〜。

んが、どうもPAの状態がかんばしくなかったらしい。と、お客様から聞く。何故真剣に音楽を創ろうとしないのだろうか。音が大き過ぎるとレジの対応の時に困る、ったって、ライヴじゃろがっ。プロじゃろがっ。

どうやら日本の音楽教育もなかなか悲惨な状況らしいことがわかってきたが、こうした有名楽器店もろとも、構造的な問題があるような気がしてきた。さらに、そうした楽器店や輸入代理店、いわゆるメーカーとミュージシャンのつながりというものもある。私には生涯縁がないと思うけれど。うんむう。


6月25日(日)  よく観る

昨夕、銀座・ナカジマアートで行われている“堀文子展”に行った。堀さんの米寿の誕生日をちょうど真ん中くらいにして、この22日から来月12日まで開かれている。

印象に残ったのは、蜘蛛の巣。そういえばアトリエにスケッチがあったのを思い出したが、あの作品は何で創ったのだろう?小さな作品が多いが、どれも堀さんの一筆、一筆に込められた気持ちと時間を感じる。ほんとうに対象をよく観る方だと思う。その力がすごい。

20日(火)に放映されたTV『徹子の部屋』に出演されていたのも見たが、最初に「日本画家の」と紹介されていた。猪熊弦一郎の言葉ではないが、何故「日本」とか「邦」という言葉がつかなくてはならないのだろう。少なくとも堀さんはとっくにそうした範疇から飛び出ていると思う。どこまでいっても、堀文子、以外の何者でもない。そんな風に思うからだろうか、いわゆる牡丹の絵などが飾られていると、どうにも周りが仕組んでいるようにしか感じられない。無論、堀さん自身が描きたくて描いているのだろうとは思うが、正直、少々違和感を感じる。

「個展は葬式なの・・・」と堀さんは言ったらしいことを聞いた。それまで時間をかけて創ってきた、すなわち育ててきたものが、自分の手から離れる感覚だろうか。だから、そこに込められた時間をよく観ること、あるいは感じようとすること、が大切だと思った。

夜、TV『情熱大陸』で採り上げられていた奈良美智。口がひんまがったような女の子の絵を描く画家だ。なんでもアメリカでは一枚に一億円の値が付いているそうだ。で、本人は相変わらず山の中のプレハブのアトリエで創作活動を続けている。

私がもっとも興味を抱いたのは、ある作品のプロセスを公開していた映像だった。なかなか見られないだろう。最終的な作品になるまで、それはおそろしく変化していているように私には見えた。それは行くべきところへ辿り着き、一つの作品になっている。これもまた、その時間をよく観る、ことをしらされた思いになる。

してみれば、特に即興演奏などというものは、この時間の経過(プロセス)そのものをみなさまに聴いていただいているわけで、ちょっと見方を変えれば、無責任きわまりない行為とも言える。あるいは、堀さんの言葉を借りれば、出産すると同時に葬式を挙げているようなものだ。

そう考えると、私は無責任ではありたくないと思い、自分が出した音は、さらにその場で共演者といっしょに演奏された音楽は、なんらかの願いと共に天に届くものを、と思ってしまう。硬いかなあ、私。いずれにせよ、畢竟、その音を出すのは人間で、その人間に蓄積された時間なり経験なり思考なりが音になるのだから、自分を深める以外にやるべきことはない。


6月25日(日)  よく聴く

友人に誘われて、生まれて初めて太極拳とトランポリンを体験した。非常に面白い。

太極拳は広場でじいさんばあさんがやっているものかと思っていたが、これは武術であり、どうやら相当深い思想を持ったものらしい。その辺りのことはさっぱりわからないが、ゆっくりと手や足を動かしていると、妙に“空気”を感じて身体が開放される気分になった。

もっとも興味を抱いたのが、“よく聴く”という概念。太極拳は必ず相手がいて、その関係性において、この言葉が使われるらしい。気配、ちょっと先を予測する、判断と即応力、そんな風に言える分野のことかもしれない。この辺りのことはすごく追究したくなった。

そして、“引く”という動作。話を聞いていると、思わずニュートンの力学を思い起こしたが、相手の力を自分が引くことによっていったん吸収しておいて、攻撃に出る、というような感じだろうか。

それに基本の構え。目を閉じて両腕を胸の前くらいに輪を描くように保つのだが、このままの格好で3分くらい立ったままだっただろうか。現在右腕が若干腱鞘炎気味なのだが、それが痛くなってきて、非常につらい。こんなこともできないのかと自分で思ったが、達人は8時間でも何時間でも保っていられるとのこと。ひえ〜。

以前から漫画『龍(RON)』が好きで、ずっと単行本を購入し続けているのだが、それにも中国武術が出てきて興味は抱いていたから、太極拳、これから少しずつやっていくかもしれない。

トランポリンも面白かった。要するに、重心、が肝心かと。普段の生活で、自分の身体の重心などに意識が及ぶことはない。が、ピアノの椅子に座る時は必ず意識している。

かくの如く、すべてはピアノを演奏するフォームや、ちょっと練習すると腕などが痛くなる自分をなんとかしたいものじゃ、と思っていたところでの出会い。うまく生活に取り入れられるといいのだけれど。







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