5月 |
5月2日(火) いろんな歌 去年頃から、事前に見たり聞いておく必要のある資料が、ほとんどDVDで送られてくるようになった。さらに、メール便で。ということで、いよいよ必要に迫られて、再生だけできる安いハードを購入。 んでもって、一番最初に観たのが、ちあきなおみ(歌手)のDVD(NHK BS2の番組を録画したもの)。これは親しくさせていただいているヴォーカリストからいただいたものだが、気絶するほどすんばらしい。 「四つのお願い」「」「雨に濡れた慕情」「X+Y=LOVE」といった歌や、もちろん「喝采」など、同時代にテレビの歌謡番組を見ていた私は、それらの歌をちょいと口ずさめる。のだが、問題はそれ以降の彼女の歌だ。 ぶったまげた。スッゲエ〜、と叫んでいた。ピッチは安定しているし、その声域は多分3オクターヴ近くあると思われる。歌唱力は文句ない。演劇的な表現を伴った、女性特有の、しかも非常にしめった感触の日本的な感情投入。いったい何が彼女をあそこまで駆り立てるのか。 アイドルとして売れてしまった彼女が、その後、自分が本当に歌いたいうたを歌いたい、と歩んだ道。そこにはビリー・ホリデイを一人で演じた系譜も入るが、旦那様を亡くしてから引退してしまったそうだ。惜しい。 日曜日、都営線新宿三丁目駅から新宿・ダグの方に向かって新宿通りを歩いたのだが、新宿通りは歩行者天国になっていて、連休の始まりということもあってか、大勢の人が行き交っている。銀座もホコテンを復活させたようだし、なんとなく'60年代末から'70年代の雰囲気を勝手に感じながら道を歩いた。 「死んだ男の残したものは」は、今さら言うまでもなく、作詞:谷川俊太郎、作曲:武満徹による名作品だが、ここ二回ほど、坂田明(as,cl)さんのユニットで演奏している。ホコテンとこの曲が、私に“時代”を運んでくる。この曲は確か高石ともやが歌っていたと思う。「受験生ブルース」も歌っていたっけ。他に、加川良「教訓」、高田渡「自衛隊に入ろう」、岡林信康「友よ」などなど、いろんな歌が浮かんでくる。そういえば、最近、なにやらかつての"うたごえ喫茶"が流行っているらしい。 そして、この「死んだ男の残したものは」は、私にとっては忘れられない曲だ。'80年代後半、今はもう天国に逝ってしまった篠田昌巳(sax)さんと、この曲をデュオで演奏したことがある。その時、私は彼から“うた”について実に多くのことを学んだ。若気の至りか、それまで、いわゆる“うたばん”(歌の伴奏)ということを、器楽演奏より一段低く見るようなところがあった私は、その頃(ブレヒト・ソングにも関わっていた)から認識が変わった。ちなみに、地方などに行ってサインを求められた時、今もなお、この篠田君とのデュオのカセットテープを携えて来てくださる方がもっとも多い。 そして家へ帰る途中、とある目的で、普段あまり足を踏み入れることがないツタヤに入った。らば、かかっていたBGMに足を止められた。それはデフテックだった。で、当初の目的は果たさず、DefTechのCD『Catch The Wave』を購入。抜群に面白い。歌詞もいいと思うし、リズムに言葉を載せる感覚も、音楽のセンスも光っていると思う。 彼らの歌はCMに使われたりもしているが、このCDはツタヤのお兄ちゃんも敢えて「インディーズですから」と言っていた。これだけの曲が入っていて2千円を切る値段で売っているのだが、そこには彼らなりのポリシーがあるようだ。 そうした姿勢も含めて、現代の若い人たちが彼らの歌に共感するのがよくわかる気がした。彼らの時代のメッセージ性は、私が若い頃にフォークソングを聞いていた頃のメッセージ性につながるものがあるように思う。 あ、急に、テレビには出演しないと断言していた吉田拓郎が、演奏途中にトイレットペーパーを投げられたりしていた(メディアに出てしまった)コンサートの光景が蘇ってきた。その時の拓郎は精彩がなかったなあ、こちらは家の門限破ったのに。 |
5月6日(土) そのようにしか・パート1 人はそのようにしか生きられない。 と、どこかで誰かが言っていたような気がする。 そのような、って、どんな? 世の中の連休中、今年は私も連休中。仕事の事前準備をしなければならないのは少々そっちのけで、NHKのhi-visionやBS2を観る。 4日は小澤征爾。昨年秋、中国の北京と上海で、学生オケを相手に指揮棒を振ることになった彼の苦闘の姿。中国で生まれた小澤にとって、この企画はとても大切なものだったようだ。 70歳になったという小澤が「どうしよう」と頭を抱えていたのが印象的。それは初めてのリハーサル直後の姿。オーディションの時は、皆、素晴らしいソロ演奏を聞かせていたが、彼らは他者と合わせるアンサンブルがまったくできていなかったのだ。それでなくても、中国は一人っ子政策の国だ。 ともあれ、そんな状況の中で、小澤が学生たちに要求していたことや、日本から呼ばれたプロの演奏家の指導が、私にはとても面白かった。やっぱり裏が面白い。 5日はずいぶんと大きくなったヴァイオリニストの五島龍。もう大学生だそうだ。確か真部裕(vl)君がソロで弾いていたような記憶がある、イザイ作曲の超難曲(無伴奏ヴァイオリンソナタ)を弾いていた。すんごく上手い。 小さい頃から続けていて、現在住んでいるNYでも、何があっても一週間のうち二日は空手の道場に行っているという彼の空手は、その演奏に反映されていると感じる。 同じく5日、同時刻に小室等。約35年ぶりくらいに、及川公平とオケイを見た。「時々やっているんだよ」とはご本人から聞いてはいたが。コーラスの声質の感じがかつての六文銭を支えていたのだと、あらためて感じる。 谷川賢作(p)さんも出演。温かい空気に包まれた音楽があった。そして、小室さんの生き方にはいつも人間の在り様ということについて考えさせられる。9月にまたいっしょに演奏させていただく予定なのだが、楽しみ。 6日、ジョン・レノンのドキュメンタリー映画。1940年生まれの彼は1980年(40歳)に撃たれて死んだ。ジョンが作る歌はとてもシンプルだ。すごい。平和のこと、オノ・ヨーコのこと等々、思うことがあまりに多くて、ここには書けない。なんだかわからないが、見た後に泣いていた。 同じく6日、ジミ・ヘンドリックス。1942年生まれ、1970年に27歳で死去。死ぬ一週間前のコンサートの模様。音が太く、ヘヴィで、私の中のエレキ・ギターの音、はこういう感じだと思う。楽器が人を選んでいるような気になってくる。 未来に溢れる五島龍。 ジョンとジミヘン。夭折した二人。 言い方は悪いが、生き延びている小澤征爾と小室さん。 そして、私は何なのだ? 麺鳥をやって己の限界を知り、どん底に落ちてから、なかなか浮上できないでいる。あなたはあなただ、と他人は言うだろうし、自分でもそう思っている。が、現在の自分の生活や人間としての在り様、畢竟、ではその“自分”とはいったい何なのだ?という方向へ思考が降りていっている。 |
5月7日(日) そのようにしか・パート2 うだうだと考えていても、そうした時間をやり過ごしているだけで、どうにもならんだろうがっ。 ということで、注文していた三冊の本が手元に届いた。 1. 美しい音と優れたテクニックをつくる 『正しいピアノ奏法』 脳・骨格・筋肉の科学的研究によるメソッド(御木本澄子 著/音楽の友社) 2. 『ピアノを弾く身体』(岡田暁生 監修/春秋社) 3. 『シャンドール ピアノ教本』 身体・音・表現(ジョルジ・シャンドール 著/岡田暁生 監訳/春秋社) 藁をもすがる、とはこのことか。 ざっと、ぱらぱらっとめくった感触では、おそらくシャンドールの本がもっとも実践的に合点がいきそうな気配。2.は各時代の作曲家や演奏家に沿った、多少学術的な内容のようなので、これもピアノの演奏方法や教育の歴史を客観的に知ったりするのに良さそう。1.は・・・そもそも題名からして、私らしからぬ選択か?セロニアス・モンクを見てみなさい、バカヤローみたいな。 いわゆる演奏テクニックはあればある程いいのだろうとは思う。が、誤解を恐れずに言えば、弾けてしまう人の弱点も知っている。無論、音楽の本質がテクニックだとか、上手いとか下手といったことにあるとは、さらさら思っていないし、この歳になって現状以上の技術を飛躍的に獲得できるとはまったく思っていない。 私がこうしたことに関心を抱いているのは、少し集中して練習するたびに、身体(指、手首、両腕、背中、腰など)を痛めている自分を直したいこと、さらにこれからどんどん肉体的に衰えていく自分とどう折り合っていけばいいかを、今、初心に返って、きちんと考えておく必要があるように感じているためだ。 結局、ピアノ、か。音楽、か。あああああ。 |
5月8日(月) 身体と音楽・パート1 藁をもすがって、さらに落ちた、と思った。 『ピアノを弾く身体』(岡田暁生 監修/春秋社)を読み進める。この本は、序に書かれていることを要約すれば、「“完成品を受け身で聴くもの”としての、身体不在の音楽体験に対する反発」を潜在的なモチベーションとして、「演奏という形で自らの身体を響きと共鳴させてみてはじめて浮き上がってくる音楽の諸相」を主題にしたものだ。 なんのこっちゃ、ようわからんと思うが、もう少し具体的に言えば、実際のピアノ演奏の所作(手つきや指使い、手の形、身振り・・・等々)から、音楽について考えてみるという、どうやらこれまでにはあまりなかった研究本らしい。従来の“演奏論”にはおよそ3つのやり方、すなわち、演奏についての美学的思弁、過去の演奏についての歴史的研究、演奏録音分析といった方法があるが、この本はそれらのどれもとっていない。 もう少し言えば、そこで生まれている音楽について言葉で何を語れるか、という時、その発想を人間の身体性に置いているところが、さらに、聴覚でもなく、視覚でもなく、第三の立場、触覚あるいは身体感覚中心の立場をとったところが、2003年に出版されて話題になったらしい。ちなみに、そうした試みが単純に言えば恣意的にならざるを得ない危険性を孕んでいることは、著者たちの誰もが前提として書いているが。 まだ第一部を読み終えたところだが、例えば、指使いに関して、私は譜面に書かれていることにそむいて自分なりに振ることもある。また、譜面を書き直すということもしている。実は今回も“麺鳥”の第二楽章の最初の二頁は、全部手書きで書き直した。それらの行為について、具体的に考えさせられた。 さらに、その第3章は「ハイフィンガー奏法と近代日本の精神風土」という副題が付けられている論考なのだが、ここに来て、私は自分の演奏法がまったくわからなくなってしまった。非常に恥ずかしいことだが、これまであまり演奏法について意識してこなかった自分の姿を見た。 この論考では、主として19世紀後半にヨーロッパのアカデミズム界で全盛だったハイフィンガー奏法は全面的に否定されている。日本でこの奏法の問題が広く意識されるようになったのは、なんでも十数年前に出版された、中村紘子さんが書いた著書がきっかけで、「この奏法では潤いのない音しか出ず、音楽的に極めて弊害が多いこと等に注意を促した」ものだそうだ。かつ、今もなお、いわゆるピアノ教室で教えている人たち、そこでお稽古をしている人たちには、こういう奏法をしている人がたくさんいる、とも。 それで我が身を振り返った。私が主として小学校の時に習った“技術”は、おそらくこのハイフィンガー奏法(あるいは指奏法?)だったと思うのだ。だから、これを読んだ時、ほとんど、あ、とうとう全否定されてしまった、と真っ暗闇に突き落とされたような気分になった。 今は少し冷静になったので、そうした奏法の良し悪しについてはもう少し具体的に探ってみなければならないと思っているし、本に書かれていることすべてを鵜呑みにするつもりは勿論ない。また、今の自分がそういう奏法だけをしているようには思えない。それにいつだってセロニアス・モンクやデューク・エリントンの演奏姿は私の味方だ。 私の場合、幼稚園のオルガン教室と小学校の時のピアノの先生は同じ先生で、この先生に演奏法を叩き込まれた。自分ではどうにもあがなうことができない、いわゆる“刷り込み”だ。「手は丸めて、おむすびを握っているような感じで」と言われたことをなんとなく憶えている。この先生は私を音高・音大へと進学させたかったことを後になって知ったが、小学校でその先生につくのはやめた。幼い私にはよくわからなかった、いわば運命の分かれ道がここにあったのだろうと思う。 中学になって先生が変わり、高校2年生の半ば頃までお稽古をしていた。何故中学に進学した時に先生が変わったのかは全然わからないのだけれど、ハンドボール部と生徒会中心の生活で、決して真面目な生徒ではなかったと思う。けれど、その教室では弾ける方だったらしく、発表会の最後はたいてい私だった。(小学校の時の先生の教室だったら、私より優秀な人たちはいっぱいいた。) この変わってからの先生の教室では技術的なことはほとんど習わなかったと思う。少し歳をとった先生で、合唱も好きな先生だったから、小学校の時の先生とはなんだかまるで違う感じがしたことを憶えている。技術よりも感情や心、「た〜ららら〜」と歌って、みたいなことを、結果的には学んだのだろうと思う。 というようなことまで考えさせられてしまう自分になり、こうやって書いている自分にもだんだん呆れてきた。ここまで落ちれば、もう何も言うことはない、というような気分だ。へらへら笑うしかない、か。 |
5月8日(月) 身体と音楽・パート2 そんな本を携えながら、映画『Touch the Sound』を吉祥寺・バウスシアターに観に行った。これはパーカッショニストのエヴリン・グレニーのドキュメント。 偶然ではあったが、本の内容とこの映画の内容がシンクロしてしまった。件の本は聴覚でもなく、視覚でもなく、第三の立場、触覚あるいは身体感覚中心の立場から書かれているものであることは前述したが、映画の中で彼女は例えば第六感というような言葉を用い、音やリズム、呼吸などを身体で感じることを折に触れて言っている。 ずいぶん前に彼女が来日した際(確か紀尾井ホールだったと思う)、その演奏を一度生で聴いたことがあるのだが、彼女は10代で聴覚機能を失い、ほとんど聞こえない音楽家だ。 そんな彼女が「耳が聞こえないのにどうやって音楽を奏でるのか?」と、おそらくもう飽きるほど質問されているであろうことに対して、「時々腹が立つ」と言っていたのが印象的だった。 ここにはとっても大切な、根本的な音楽への深い問いかけがある、と私は思った。 音楽は耳で聞くあるいは聴くもの、か? 答えは、否、だ。 「私は音楽を考えるだけでなく、それに触れることを必要としている」と言ったのはストラヴィンスキーだが(上記の本の序の最初に掲げられている言葉/他にM・メルロ・ポンティの言葉などもある)、この言葉とはまたちょっと違う内容を指しているとはいえ、同じように「音楽に触れる」ということを言っている。つまり、おそらく心も含めた身体が波動に触れて共振する感覚を“音楽”と言っているように私には思える。 たまたま日曜日、友人の息子さんが近くのホールで高校の軽音楽同好会の定期演奏会に出るというので、買い物ついでに覗いてみたのだが、管楽器を演奏している学生たちの中では、その息子さんに私は一番音楽を感じた。なんだかお父さんによく似た演奏姿に見えたけれど、リズムに乗って身体が揺れていたし、サックスを持つ構え方が他の人たちとは違っていた。かくの如く、演奏する姿、みてくれは、必ずなにがしかを伝えているのだ。もっとも、これは視覚の分野に多くを依存していて、上記のこととはまた異なることとは思うが。 そして、もう一つ。 この映画では、彼女とフレッド・フリス(g)が、廃墟となった広い工場でレコーディングをしている模様も映し出されている。二人の即興演奏で、多分この映画に全面的に使われている。 かれこれもう15年〜20年前くらいになるだろうか、私が天鼓(vo)さんとよく演奏していた頃にフリスとは会ったことがあるのだが、その時と変わらず、まるで少年のような目を持ち続けていたことが印象的。その後、彼のコンサートに行った時は、この人は非常にプリミティヴな、根本的な“音”の在り様を問題にしている、と感じた。 このフリスが何気なく、風に消え行くように話していた、「ImprovisationはLifeそのものだ」という言葉。 これもとっても深く、重い、と思う。世界中に即興演奏はあるが、この言葉が意味するものは、即興は単なる方法ではなく、音楽、さらに人間の存在論や世界認識に関わっていることを示していると思う。 こんなようなことは即興演奏に関わっている人なら、おそらく誰もが一度は口にしたりすることだろう。プロ、アマ問わず、その考え方や方法論などが異なっていたとしても。あるいは、即興演奏を音楽という言葉に置き換えれば、そういう人はもっといるだろう。 でも、私にはこんな風に言える人生を送り、そこから素晴らしい音楽を生んでいる人は、日本においても、世界においても、ほんのひとにぎりしかいないような気がする。もう少し言えば、この世界に偏在する音や声に、耳を、否、身体を開き、自分自身や世界の在り様のすべてを、まるで空気のように受け入れて、超一流の音楽を創っている人はそうはいないだろう。 なんだか音楽について非常に根本的なことを考えさせられる映画を観てしまった気分だ。このwebには“耳を開く”と冠しているが、それだけじゃあダメなんじゃないの?と自身に問いかける自分を感じている。 私はどうやって“音”に触れているのだろう。そうしたことに対して、これまであまりにも意識してこなかったのではないか?繊細さに欠けていたのではないか?また、、どういう“音楽”あるいは“世界”で、外に開き、他者とつながって、生きたいと思っているのだろう。 それでなくても時々観念的に過ぎるあなたは、そんなこと考えてないで、とっととピアノの前に座りなさい、ってか。 |
5月16日(火) ディスタンス いつでも、適当な距離は必要。 この“適当”がなかなか難しい。 13日(土)、青年団の公演『上野動物園 再々々襲撃』を、紀伊国屋サザンシアターへ観に行く。 いつものように、既に舞台上には人がいて、本を読んでいる。そこは喫茶店の風景。開演のベルなど鳴らない。客電が徐々に落ちていき、ふっ、と芝居は始まる。転換などしない。暗転もない。そこに集まる人々は、通常、私たちが喫茶店にいる時のように会話をしたりしている。無論、いつものように、観客席に対して背中を向けている人、そうやって話す人もいる。 ストーリーは単純で、その喫茶店に葬式帰りの人たちが集まってくる。みんな小学校の同窓生で、歳の頃はもうすぐ還暦くらいだろうか。同級生の一人が死んだのだ。そして次第に名もなき一人一人の人生の重みのようなものが、会話の中から浮かび上がってくる。みんな、そりゃあ、いろいろあるわけよ、みたいな。 『上野動物園』というのは、その小学生の時に、駱駝に乗ったマドンナが出てくるような学芸会があって、みんなで深夜に実際に動物園に偲び込んだことから付けられている。最後のシーンは、3人の人たちが駱駝を模し、その上には一人乗っている、という構図が二組。全員が大きな声で、なんとなく物哀しい「月の砂漠」を歌っている中で、一人一人が言葉を叫ぶ。最後のシーンは、その中の一人が癌で余命1年位らしいことをみんなに伝え、マドンナが「死ぬんじゃないぞー」と呼びかけて、終わる。 ラストシーンはなかなかうるうるしてくる。というより、人間のいとおしさのようなものがじんわりと心に伝わってくる感じ。 この演劇の脚本・構成・演出を手掛けているのは、青年団主宰・平田オリザだが、彼が求めている演劇には音楽は必要とされていないと感じる。歌、はある。今回もその「月の砂漠」ともう1曲(題名は失念)のみ、役者によって実際に歌われていた。が、音楽と呼べるものはそれだけで、舞台となる喫茶店にはBGMは一切流れていない。 つまり、すべては“言葉”なのだ。今回の場合、言葉を伴った歌(正確に言うと、メロディーの情緒性)は人の記憶を呼び起こす装置として使われており、その他の音楽は意識的に拒否、排除されている。現代口語演劇についての著書も多く書いている彼と言葉の距離は、他の媒介を必要としないくらい、とても近く、密接に関わっている。 この日、夜は両国・b.b.(ベーベー)で、坂田明(as,cl)さんとデュオで演奏。最近“がんばらないレーベル”(売上の一部がチェルノブイリ基金にまわされる)から出された『ひまわり』というCDに収められている曲は、そのほとんどが歌だ。 今晩は「遠くへ行きたい」「見上げてごらん夜の星を」「死んだ男の残したものは」といった曲を演奏したが、どの曲も既にかなりの記憶を持っている。その歌詞や歌われた時代といったようなものと、演奏する坂田さんのメンタリティはぴったりくっついていて、それゆえの説得力を持つ。 ほんでも、例えば黒田京子トリオでそうした曲を演奏したら、おそらく違った演奏内容、表現になると思う。歌との距離、あるいは歌手との距離、これは通常の器楽演奏とは異なる姿勢が必要だ、と私は思っている。 14日(日)、下北沢・レディージェーンで、喜劇映画研究会が提供した無声映画に音楽を付ける、というライヴをする。共演者は太田惠資(vl)さん。私は事前に一回だけビデオを観て、ごく簡単な流れ(構成)だけを汚い字でメモくらいはしたが、基本的に即興演奏。事前に二人で話したことは、映像に合わせるか、合わせないか、のみ。 映画と音楽。ここにもちょいと難しい距離がある。 前半のステージ最初にやった「キートンの傑作集」は、キートンの素晴らしい映像が編集されたもので、映画というよりはコラージュ作品。当時としてはまったくもって驚異的な映像を残しているキートンだが、チャップリンとの唯一の共演になったらしい、ヴァイオリニストとピアニストのユーモア溢れる映像(『ライムライト』の1シーン/ちなみに、チャプリン扮するヴァイオリニストが奏でている曲を、太田さんは実際にちゃんと弾けるのだからさすがだ)、他に流れの速い川を落ちていくとか、大きな岩が追いかけてくる山を駆け下りるといった、非常にスリリングな映像が7つほど続く。 太田さん曰く「キートンやチャップリンたちへの尊敬をこめたオマージュ」という感じで、私たちは映像にほとんど合わせない方法をとった。つまり、をっ、危ないぞ、という箇所に効果音を付けたり、観ていてはらはらするようなお客様の感情に沿ったり、あるいは煽ったりするような音楽を奏でない。内容的にはかなりアブストラクトな演奏になったが、想像以上にすてきな仕上がりになった、と私は思っている。 途中、私は演奏をやめて、太田さんを一人ぼっちにした。お客様が少々困惑しているのを背中に感じて(この店のピアノはアップライトで、ピアニストはお客様に対して常に背中を向けている)、音を減らした。やっと少し笑いがこぼれ、空気が柔らかくなったかしらん。その時、私にはカメラに振り向いたキートン自身が鮮やかに浮かび上がった気がした。不思議な瞬間だった。映像の面白さや奇抜さといったことではなく、これを作った人がこちらに何かを語りかけているような感じがしたのだ。 その後の海のシーンでは、ちょいと映像に合わせてしまった私。チューブを上手く振り回せなかったわん。けれど、太田さんがおもちゃで助けてくれた。ちょっと甘いかな、とも思ったが、全体の構成や流れの中で、ちょっと緊張した空気を温かくしたような感じだっただろうか。 その後は、太田さんはもう何回もやっているらしい「モロッコ製の女給」(1926年/C.ラモント監督)。後半は演奏を1曲やってから、「ちびっこギャング」(1924年/R.マクギャバン監督)。このニ作品についてはかなり映像に合わせた。時々、ツボを得ていない演奏を私はしてしまったように思うが、概ね面白くできたように思う。 15日(月)、水曜日の山田うん(ダンサー)さんと平野公崇(sax)さんによる、ダンス公演のリハーサル。 今度はダンスと音楽、だ。ここにもちと難しい距離がある。その間をつなぐものとして“即興”があると、なお複雑になる。 前半は平野さんと他サックス奏者二人によって、あらかじめ選曲されたJ.S.バッハ作品が演奏され、3人のダンサーの振り付けも決まっている。これがなかなか観ていて楽しい。問題は後半の即興をメインにしたプログラム。私はこちらに参加することになっている。 この公演はまだこれからだから、今、ここに多くは書かない。いいものを創りたい。 それにしても、つくづく思う。 “即興”は人と人をつなぐ。それには、他者あるいは他事(演劇、映画、ダンス、美術など/とどのつまり、それらを創っている人)を理解しようとする心、開いた身体、そして、その時と場や状況、距離(関係性)を判断し、構成していく力、五感だけではなく、空気や気配を感じる繊細で鋭敏な身体感覚や、一歩先を読む感覚、さらに自立し、かつ、柔らかい自分の在り様が必要とされている、と。もっともっと自分を鍛えないとあきまへんでえ〜。 |
5月17日(水) 絶品 なんて生き生きとしたJ.S.バッハだったことか。 涙がこぼれそうになり、心の底からわをーっと叫びそうになり、もうどこへでも連れてってちょうだい、というような気持ちになった。 自分の葬式には、小澤征爾が棒を振っている武満徹作曲の「弦楽のためのレクイエム」のCDを、と思っていたが、もう一つ増えた。それは平野公崇(sax)さんが演奏するJ.S.バッハ作曲「無伴奏チェロ組曲第二番 プレリュード」。あまりにも感動して、本人に生前懇願してしまった。 今日はすみだトリフォニーホール・小ホールにて、『山田うん(ダンス)×平野公崇(音楽)』と題された公演で演奏。 前半はすべてJ.S.バッハ作品を元にした音楽で、平野公崇(sax)さんが三管編成にアレンジし、松井宏幸さんと貝沼拓実さんという若手演奏家を従えて演奏。振り付けはすべてあらかじめ考えられており、山田うんさん、田畑真希さん、伊藤知奈美さんの3人が踊った。 凛として快活な演奏だった冒頭の「イタリア協奏曲 第三楽章」。即興要素も交えて演奏された「ゴルトベルク変奏曲」など。平野さんの意思にあふれた、素晴らしいソプラノ・サックスによる演奏と、J.S.バッハに対する確かな姿勢と深い理解を内包したアレンジは、絶品。 松井さんはバリトン・サックスを担当。その髪の毛が昔のリーゼント風で、なんでもプレスリーが好きらしく、そういうバンド活動もしているという。ほんとに今の若者たちは面白い。貝沼さんはアルト&テナー・サックスを担当。二人とも平野さんの芸大の後輩で、貝沼さんは小柄で控え目な感じの人だが、2004年に器楽科を首席で卒業し、数々の賞も取っているなど、なかなかすごい履歴を持った人だ。 リハーサルの時から私は笑っていたが、このバッハ作品とダンスがなんだかよく合っている。バッハの新しい曲面を見たように感じた。新鮮だった。 そして、平野さんはまさしくimproviserだと思う。 前半、客席の感じが硬いと感じられたのか、急遽、後半が始まる前にトーク・タイムを提案したのも彼だし、通常ダンス公演では行われないらしいアンコールをすることになったのも、やりましょう、という彼の一言だった。全体の流れや空気を常に身体で受け止めているし、さらにその判断力がすぐれている。 後半は、あらかじめこの辺りでこの曲(平野さん作曲)が入ってきて、最後はこの曲(J.S.バッハ作曲 プレリュード)で終わる、ということだけは決まっていたが、基本的にすべて即興演奏及び即興によるダンスのステージ。 私はこれに参加したわけだが、あまりに暑くて汗がだらだら流れ、おまけに眼鏡には大きな水滴が付くし、汗は眼に沁みるし。ピアノはスタインウェイのフルコン。しかも調律をお願いした辻さん曰く、なかなか良い状態のピアノだったから、指も心も踊る。 そのトーク・タイムで、平野さん自身が「意外に埋まらない距離があった」と正直に言っていたが、実のところ、本番二日前のリハーサルでは、これはいったいどうなってしまうんだろう、と思った。“即興”について、山田さんと平野さんの間で合意ができているとは感じられなかったからだ。あるいは、「自分は大きな間違えをしていた」とも平野さんは言っていたから、山田さんと何ができるか、について、選曲なども含めて相当な苦労と努力をしたことと思う。そのリハーサルから一日置いて、平野さんはしっかり方法を考えて来ていたから偉い。 全体を振り返れば、この公演はダンスと音楽のコラボレーションだから、やはりその関係が問われるだろう。その点において、前半のJ.S.バッハ作品とその振り付け、また特に即興を主体とした後半のステージが、お客様にどう伝わったかは、もはや私の預かり知るところではないと思う。 無責任かもしれないが、ステージに置かれたピアノの位置により、踊り手をほとんど見ることができなかった私は、ただひたすら平野さんの音と呼吸と身体を感じながら演奏するほかになかった。演劇でも舞踏でも、私は相手に合わせ過ぎるところがあるから、それでちょうどよかったのではないかと思っているけれど。というより、それで成立している(個と個が対峙している)ことが、平野さんの即興に対する考え方だと思っている。 また、音楽にのみ視点を注げば、非常に質が高く、かつ即興魂(説明すると長くなり面倒臭いので、とりあえずこう書いておく)にあふれているクラシック音楽と、文字通り素晴らしい即興演奏を奏でる、現在を生きる平野さんの音楽のすべてが、この公演にはきちんと現れていたと思う。私は彼は既存の日本の音楽界(主としてクラシック音楽業界)に対して、実に孤高の闘いをしていると思っているのだが、ともあれ、その場に居合わせ、時間を共にすることができて、とても幸せだった。 |
5月19日(金) 迷え、若者 久々にとても骨太な音を出すコントラバス奏者に出会った気がする。吠えていた。荒巻茂生(b)さんの演奏はお客さんとして聴いたことはあった。が、いっしょにやってみて、通称“ゴリさん”とも言われているらしい彼の演奏は、時折ミンガスのようにも感じられた。実際、演奏中に彼は大きな声で叫んだりもしていたっけ。自分の居場所がしっかりわかっていて、音に意思が漲っている。 吉祥寺・サムタイムで、井上juju博之(sax)さんのセッションで演奏。 (ちなみに、今年の10月5日には、この井上さん率いる“サキソフォビア”と“黒田京子トリオ”のジョイント・コンサートを企画している。現在、フライヤー制作中。みなさん、来てね。) 井上さんも、荒巻さんも、日野皓正(tp)さんのグループで活躍しているという井上功一(ds)さんも、私よりずっと年下の人たちだが、こうした人たちといっしょに演奏できる機会を与えてもらったオバサンは素直にうれしい。 終演後も、終電ぎりぎりに間に合うまで店に残り、両井上氏とあれこれ話す。迷え、悩め、若者よ。って、他人のことを言っていられる場合じゃない私だけれど、ほんとに感謝。 |
5月21日(日) 馬が光る 年に一度の“競馬ピクニック”。お弁当作ってランランラン。 素晴らしい晴天。日頃、お天道様の陽を浴びることが少ない私は、幾分くらくらしながら、干上がらないように水分補給をしつつ、地球の空気を存分に吸う。今日はお客さんが入れる場所がダート近くまで開放されていて、目の前を駆け抜けていく馬と騎手を、とても近くに見ることができた。美しい。馬が風になり、光っている。 メインのG1レース・オークスでは、払い戻し機から万札が2枚出てきた。こんなことは初めて。つぎ込んだ額は云千円だが、500円がこうなってくれた日にゃあ。もっと賭けて秋のコンサート資金にするんだった。なにはともあれ、あな、うれしやなん。 |
5月22日(月) どすこい、春場所 太田惠資(vl)さん、山口とも(per)さんと組んでいる、完全即興ユニット『太黒山』のライヴ。大泉学園・inFにて。 ともさん、またまた新作楽器を二つほど披露。ほんとにユニークな音楽家だ。素直に笑みがほころぶ。とっても小さく細かな音から、すっとぼけたユーモアのある演奏まで、それはそれは楽しい。 今晩はかなりお疲れ気味の太田さんが、「今の曲は“仲間はずれ”でした」と、絶妙なネーミングを付けてお客様を笑わせていたが、実際、何故か今日はともさんと私の呼吸はよく合っていたと思う。いつもは私がけっこう置いていかれるのだけんども。 先週、平野公崇(sax)さんが音楽を担当した公演のダンサー、山田うんさんと伊藤知奈美さんが足を運んでくださった。後半、少しだけ即興で踊る。ともさんの音楽とはちょっと合い過ぎているか?でもやりようによっては多分面白い。 |
5月25日(木) 天の声 朝8時には起きて、今日はダブル。午後はNHK『ラジオ深夜便』の公開コンサートが、代々木上原にある古賀政男音楽博物館内にあるホールで。おおたか静流(vo)さん、程農化(てい のうか/二胡奏者)さんと演奏。夜は大泉学園・inFで、黒田京子トリオで演奏。 『ラジオ深夜便』は深夜2時とか3時に放送されている番組。夜眠れない人や孤独な夜を過ごしている人が聞いているらしい。あるいは、ご夫婦で夜8時には寝て、これを聞くために起きる生活をしている方もいると耳にした。また、雑誌「NHKラジオ深夜便」の創刊十周年を記念したイベントでもあるのだが、現在この雑誌は10万部も出ていると聞いた。恐るべし、長寿番組。 このコンサートは“にっぽんの歌こころの歌のつどい”と題されており、蘇州夜曲、花、悲しくてやりきれない、ゴンドラの唄、上を向いて歩こうなどなど、昭和期の日本のうたがたくさん歌われた。 ピアノは小型ながらベーゼンドルファー。調律師さんは少々苦労されていた様子で、例えばリストなどの作品をガンガン弾くような演奏には応えられない感じではあったけれど、ピアニッシモは美しい響きを奏でていた。今日の音楽の内容なら充分。うれしい。 今年もまた海外での公演や沖縄でのレコーディングなどなどで、ほとんど東京にはいないのではないかと想像されるおおたかさんだが、その歌が、その声が、また深く、広がったように感じられた。これまで以上に肌触りのようなものがふくよかになり、色彩感が豊かになったように感じられ、鍵盤に触れる指が震えた。 彼女と演奏すると、時々、不思議な感覚に包まれることがある。これまでにも何回か感じているのだけれど、光というか、天というか。願いというか、祈りというか。「踊りは天を呼び寄せ、音楽は天に呼びかける」と言っていたのは斎藤徹(b)さんだが、天の光の世界にいるような感じだろうか。そんな世界は見たこともないのだけれど、きわめて感覚的なもので、この日もそんな空気を感じた。 途中、アナウンサーとの歓談や、38歳で中途失明されたエムナマエさん(イラストレーター)とのお話タイムなどもあった。エムナマエさんはご自身の会社に“絵夢”と名付けられているが、その名の通り、彼が描く色彩にあふれた絵は、とても温かく、ファンタジーに満ちている。目が見えないのに何故絵が描けるのか?と誰しも思うだろうが、彼の頭の中には色が見えており、自身の病とずっと闘いながら絵を描いておられる。とても励まされる。 夕方急いで一度帰宅してから、大泉学園へ。眼が痛く、電車通勤。登校拒否児童の気持ちがよくわかる気がしたが、自分を奮い立たせて足を前に出す。とにかく、ピアノを弾く、ことだ。 追記 NHK『ラジオ深夜便』の放送については、トピックスへどうぞ。 追伸 古賀政男音楽博物館では企画展が催されているが、かつて“大衆音楽と食べ物”という小企画展があったようだ。 その中で目を惹いた曲名。こまどり姉妹が歌ったという「涙のラーメン」。ちょっと聞いてみたい。他に、並木路子は「バナナ娘」、久保幸江は「かまぼこ娘」、美空ひばりは「チャルメラそば屋」、笠置シヅ子は「キツネうどんの唄」なんていうのも歌っているそうだ。 現在は“日本の喜劇と大衆音楽・2”という企画展示が行われている。いやあ、懐かしい。算盤を片手に「あなたのお名前、なんてえの」、つまりトニー谷じゃないの。幼い頃はよく真似をしたっけなあ。 |
5月26日(金) detail 今日は、昨日受け取った先月のクラシック曲だけを演奏したライヴの録音CD-Rを聴き、先週の山田うん(dancer)さんと平野公崇(sax)さんの公演の録画ビデオを観て、ひたすら一人で反省会。 先月の麺鳥以来、かなり落ち込んでいた私だが、今月に入って、即興演奏を主体としたライヴやコンサートで演奏して、気持ちは少し浮上してきた。近頃、何故か、めっきり普通のジャズを演奏する機会がなくなってきているが、これも自然の流れなのだろうと思う。その分、すなわち適当に寄りかかるものがないところで勝負しているからけっこう疲れるが、やっぱり演奏しているのは楽しいし、有り難く、なんて幸せなことだと思う。 そして、ずいぶん多くのことを学んだ。特に、平野公崇(sax)さんの演奏、山口とも(per)さんの演奏、おおたか静流(vo)さんの歌、この三人から考えさせられたのは、“音の成分”というようなことについてだった。 平野さんが共演した若者たちは芸大を立派に卒業している人たちだが、彼らが練習しているのを聴いていて、一音の在り様や、一つのフレーズの歌い方、お腹や呼吸の使い方、テンポ感などへの意識が、平野さんはダントツであることを感じた。自らアレンジしているのだから当たり前ではあるのだが、それでもすごい。特に、クレッシェンドなどを含めた一つのフレーズの歌い方、その終わり方など、すべてに深く広がりのあるイマジネーションがあり、神経が行き届いている。そして、あの音色、だ。 ともさんの非常に細かい小さな音。一瞬身体の動きを止めたりする間合いというか呼吸や身体の在り様。まるで初めてその音に出会ったかのような、音との触れ合い、関わり方。音色(楽器)を作り、音色を選択する姿勢。音を放った後の響き。日本人が好むような深刻な哲学や思想性のようなものはないかもしれないけれど、そこには圧倒的なともさんの宇宙とエンタテイメントにあふれたパフォーマンスがある。 おおたかさんが歌う言葉。「あーーーーー」と歌ったとして、その間の「ーーーーー」の部分の震えやふくらみ。哀しみやいつくしみや愛や願い、といった言葉さえも空しくなるような、言葉では決して置き換えられない何かが息づいている。そしてやはりその終息の仕方、及び解き放ち方。そして彼女もまた、何かとても大切なことを、いつも私に気付かせてくれる。 三人に共通しているのは、この一音やフレーズの“間(あいだ)”の音の成分と、その終わり方や解き放ち方への意思だ。それは意識している、していないに関わらず存在している意思だ。そして、音色。イメージの豊かさ。さらに、ピアニッシモの美しさ・・・などなど。 ああ、私ももっと表現の幅を広げたいと、心の底から思う。 そして、今月も二回ほどライヴがあった、くろきょんトリオの二人、すなわち、翠川敬基(vc)さん、太田惠資(vn)さんという二人の弦楽器奏者。今、このトリオは3年目に入っているが、上記のようなことを身近で教えてくれていたのが、この二人だと思う。太田さんの独特の音色や歌い方。翠川さんのピアニッシモ。二人がそれぞれに持っている様々な演奏法から導き出される響き、などなど。 それに、最近、このトリオでは太田さんがヴォイスをするために、なんとなくアンビエントな感じでマイクは立っているものの、基本的には生音で演奏している。坂田明(as,cl)さんのmii(みい)でも、例えば100人〜200人は入る体育館のような所で演奏しても、ピアノにマイクは立てない。新宿・ピットインで演奏する時も、モニターから音は返してもらっていない。マイクを通した音に、私の耳はだんだん耐えられなくなってきているし、多分マイクがなくても、聞こえるようになった気がしている。ちっとは自分の耳が変わったのだろうか? こうしたことは非常にトリビアルなdetailだと思う。普通に聞いている分にはどうでもいいことかもしれない。けれど、とっても大事なことだ。少なくともプロの演奏家にとっては、こうした部分への意識が積み重なって、全体として、何がしかを音楽として他者へ届けているのだと思う。 クラシック曲を演奏した録音を聴いて、ああ、自分はほんとにまだまだだと思う。それでも、前半のステージはそれぞれ少々ピッチが悪かったり、決して完璧とは言えないながらも、何かが面白いと感じた。これはいったい何なのだろう?後半のメンデルスゾーンは語りたくないほど、やはりひど過ぎると思う。破綻している。音楽になっていない。 平野さんのJ.S.バッハの作品に対する意思が明確だったことは先に書いたが、それゆえ共演者に対する要求もはっきりしていた。「バッハにはドラマがある」と言っていたのは平野さんだが、クラシック曲を演奏するには、あれくらいの高い志と意識がなければいけない、と強く思った。今の私には彼の言葉を受け止めるだけの、J.S.バッハに対する理解はないが。 ビデオを観て、あのデブチンが私か?あそこで演奏をしているのは私か?というなんだか非常に客観的な気分になった。遠い目。いったい私はいつからあんな演奏をするようになったのだろう?そこには例えば初めて出したソロCDを弾いていた頃のピアニストの私はいない。どこでどうして、ここまでやってきたのだろう? 自分がやった即興演奏について、私はすべてを言葉で語れないし、説明もできない。演奏したいように演奏した、としか言いようがない。否、したいというような意識すらなかったように思う。ということに、自分でしばし呆然としてしまった。 なにゆえ、西洋合理主義の権化のような、馬鹿げた楽器を演奏しているのか?息を吹き込む楽器、弦をこする楽器、人間の声、どれも“間(あいだ)”を表現できる楽器だ。ずっと憧れてきた音の在り様でもある。あるいは、それゆえに、自分でも能管を習ったり、歌ったり、ピアノ以外の楽器に触れることをしてきたのではなかったのか。 ピアノという楽器で、その“間(あいだ)を表現できるのだろうか?できないから、作曲家は右手も左手も、パラパラパラパラと音符を書き連ねるんじゃないのかしら?って、クラシック曲の譜面を見ると、時々そういう要求が書かれていることがあるじゃないの。二分音符にクレッシェンドが付いているとか。 ともあれ、この“間”の表現が欲しい。私はどうしても欲しい。猫でも弾ける、鍵盤を叩けば音が出てすぐに消えていく哀れな楽器だが、音を出す時、のみならず、鍵盤から指を離す瞬間にもっと意識を持っていくとか、鍵盤を押さえた時の意識を明確にするとか、タッチに対してもっと繊細になるように努力するとか、ペダルの使い方をもっと勉強するとか、なんとか表現できる道があるはずだと思う。というか、おそらくこれは技術の問題だけではなく、意識の問題のようにも思えるのだが。 「(クラシック音楽を)知ってしまったのだから、やるべきだ」と、お父さんは言う。「僕らなりのクラシック音楽ができると思う、そしてそれはきっと面白いと思う」とお兄さんは言う。 音楽のための音楽など、私にはやる気はない。今の私には人前でクラシック音楽を奏でる気持ちはない。されど、こんな不自由な西洋で生まれた楽器を奏でているのは自分で、かつもっとも自分が自由になるのもこの楽器であることは否めない。とどのつまり、向かう、しかない。 |