『子供ミュージカル ドリーム』
主旨文
〜この子供ミュージカルを上演することの意義などについて、私が考えること〜
(注:これはこの企画に関わっている人たちの総意ではありません)
2005年12月18日に、横浜市港南区上大岡にある“ひまわりの郷”というホールで上演された『子供ミュージカル ドリーム2005』について、私が考えるこの企画の意義や主旨について、以下に書きます。 なお、私はこのミュージカルに出てくる音楽のすべてを作曲及び編曲し、子供たちの稽古にもあたり、本番でも演奏しています。音楽に関する総監督の立場にある者です。 これは横浜市の芸術文化振興財団が主催している企画で、昨年に引き続いて二回目の上演になります。一般公募(市民広報に掲載して広く希望者を募る)で集まった小学校4年生から高校3年生までの、演劇や音楽、ダンスには素人の子供たちが、約4ヶ月間(去年は半年間)かけて毎週末稽古に励み、本番に臨みます。 このミュージカルの脚本は、一昨年、参加した子供たちに”夢”について書いてもらった作文をもとに(あるいはそれらに触発されて)書かれています。 全体は七場に分かれていますが、21世紀の子供たちと23世紀の子供たちが出会うところから物語は始まります。 21世紀半ばから子供の数は激減し、22世紀には人工的に子供が作られるようになり、23世紀の子供たちは20歳までしか生きられないようにプログラミングされている状況の中、最後に残った23世紀の子供たちが21世紀の子供たちといっしょに、最後に残った”命の花”を探しに、タイムマシーンで旅をする、といったスト−リーになっています。 最初に訪れたのはトランプ王国。その国には差別があり、争いがあります。トランプは4つのマーク(民族)が揃って初めてトランプなのに、何故争いをするのか?これまでそうだったから、ではなく、自分でちゃんと考えよう、と気づき始めるトランプ王国の人たち・・・。 次に訪れたのはミニミニの森。そこでは幼児虐待などで親に捨てられた子供たちが仲良く暮らしていましたが、その森を切り崩して新興住宅地にしようとしている大人たちがやってきます。それは建設会社の社長さんや町長夫人、補導員、先生などで、子供たちは森を切り崩しにかかるブルトーザーと闘いますが・・・。 次に、地球創世記までやってきた21世紀と23世紀の子供たちは、その地球の美しさに感動し、再び21世紀に戻ってきた子供たちは、探し求めていた”命の花”は、実は道端に咲いている小さなシロツメクサであったことを知ります。そして、21世紀の子供たちは、23世紀の子供たちのために、自分たちが何をしなければならないかに気づきます・・・。 最後の歌の中では、子供たち一人一人が各自の将来の夢をひとことずつ客席に向かって言うところが設けられています。このシーンを見ていると、なんだか胸がじーんときます。この子供たちのために、今、大人たちができることは何だろうと、自分に問いかけながら。 脚本の内容はおおざっぱに以上のような感じです。 この子供ミュージカル。どなたか、あるいはどこか自治体、芸術文化振興財団など、やってみたいと思う方はいらっしゃいませんか? 参考資料として、一回目のビデオがあります。今回も本番を収録してありますので、近々DVDになって送られてくる予定です。これらの映像と台本などを資料としてご用意することができます。 なお、一回目のものは初めての顔合わせから毎週取材を続けた横浜市のケーブルテレビが、その稽古の一部始終と本番の公演をまとめたドキュメントになっています。(後日、神奈川方面のケーブルテレビで放映されました。) 予算のことなど、適宜対応いたします。 ぜひともご一考いただければ、うれしく思います。 一般公募によって集まった子供たちは、一回目は約45名、今回は63名にのぼります。子供たちが通っている学校はそれぞれ異なりますが、一回目の公演を終えて私が強く思ったことは、こうした一つのミュージカルをみんなで協力し合ってやりとげることが、子供たちにとって大切な財産になっていると感じたことでした。 私が幼い頃は学校が終わった後、隣近所のお姉さんやガキ大将と遊ぶことは普通にありました。同世代の方たちの小さい頃もそうだったと想います。ころんで膝をすりむいたり、ケンカをしたり、泥んこになったり。子供たちなりの人間関係の中で、社会性のようなものを自然に学ぶ場所や時間があったと思っています。 が、現代の子供たちは塾やお稽古事に通ったり等々で毎日忙しく、あるいは友だちと集まっても、それぞれ勝手にテレビゲームやパソコンの画面に向き合っているだけ云々といった状況にあることが現実かと思います。 つまり、学校以外の場で、人との関係を作っていく(コミュニケーションをはかる)時間を持たずに、言い換えれば、そうした中で、うれしかったり、傷ついたりといったことを体験することなく、年齢を重ねていかざるを得ないような環境があるように思います。 そういう今の子供たちにとって、こうしたミュージカル作りに関わることは、いわば“社会性を学ぶ場”として機能していると私は強く感じていて、そこにこの企画の大きな意義があるように考えています。 演劇というものにはそれは多くの段取りがあり、そこには自分のことだけ考えていればいいというような状況はまったくありません。常に他者の動きや言葉の中で自分自身がどうすればいいかを判断し行動しなければならない“自立性”が求められています。 具体的に言えば、Aさんが舞台の下手(しもて)から登場し、Bさんが同じく下手へ退場する、といった段取り一つをとっても、それが上手くいかなければAさんとBさんは舞台の上でぶつかってしまう、といったことが生じます。そうしたことは無論演出家が指示するわけですが、そんな些細なことにおいても、子供たちはそこに“他者”がいることを学びます。 また、子供たちには一人一人“役”がふられます。全体の演劇の流れの中で、その場における役割といったものを意識し、他者との関係を自分なりに把握して演じることが必然的に生まれます。 さらに私が少々驚きと感動を抱いたのは、稽古を進めていくプロセスにおいて、子供たちが自然に仲良くなっていったことでした。いろんなことがわかっている高校生が知らないうちに小さな子供たちに慕われ、高校生が小学生に「ここはこうしたらいいと思うよ」といったアドヴァイスを送ったり、楽器演奏の指導をしたりしています。あるいは、稽古の後、小学生の子供は背の高い大きなお兄さんに甘えたりもしています。指導者や大人が特に強制したり言ったわけでもないのに、彼らの中にそうした人間関係が自然に生まれていました。 隣近所の付き合いがほとんどなくなった現代において、こうした“年齢を超えて子供たちが他者と関わる”ということが、この演劇の枠の中では生きていると思ったのです。 そして、そうした他者との関わりを学ぶことで、子供たちの”意識”がどんどん変わっていき、そこに新たな”自分を発見”していく姿を、私たちは目の当たりにすることができます。 このように、先に書いた現代の子供たちをとりまく環境や状況、さらにお姉さんや弟といった関係すら持つことができない現代の深刻な少子化の問題も含めて考えれば、こうした市民への一般公募によるミュージカルを企画することは、非常に面白く、意義のあることではないかと考える次第です。 無論、それを指導する方はたいへんです。膨大な労力と時間を費やす作業になります。はっきり申し上げて、決して儲かるような仕事ではありません。 中心になって指導をする人たちは桐朋の演劇科を卒業して真面目に演劇に取り組んできた人たちです。高校演劇の指導もしています。全員、こうしたことをすることに積極的で、時間を惜しまず、良いものを創ろうと努力している人たちです。 実際、本番前にあまりの緊張から熱を出したり、鼻血を出したりする子もいれば、ケンカをする子もいたり、いろんなことが起きますが、終わってからみんなでジュースで乾杯して、子供たちが泣いたり笑ったりしているのを見ていると、すべてがふっとびます。それくらい子供たちはきらきら輝いていました。 最後に。 私の祖父はかつて外科医院を営み、医師会長のみならず、市の助役も務めていたこともある者です。戦前、戦中、戦後と、この市の町づくりに力を尽くしたと聞いています。戦後、これからの日本を担う子供たちの教育をしっかりやっていかなければならないと提唱し、小学校の増設や、野球場の造成などに直接当たったとも聞いています。祖父が残した仕事やそのやり方にはおそらく賛否両論いろいろあることとは想っていますが、この町に生まれ育った私には、この祖父の遺志を受け継ぎたいという思いがあります。 そんな思いが強くなったのは、1997年から5年間に渡り、東京・府中市生涯学習センター(府中市教育委員会)からの依頼で引き受けた「ジャズ講座」を務めた頃からです。では、この私に何かできることはないだろうかと考えた時、残ったのはこうした“文化”に関わることでした。 この町には駅前にシネコンができましたが、映画館が9つあるからといって、それが直接市民の豊かな文化創造につながるとは、私にはあまり思えません。なぜなら、文化は他から与えられるものではなく、その土地と歳月に培われ、そこに住む人たちが創っていくものだと思うからです。 各自治体、どこでも財政難であることは承知しているつもりです。が、こういう時代だからこそ、未来を担う子供たちのために、ぜひお力を貸していただけないでしょうか。仮に子供たちが大人になって、一旦町を離れても、ああ、またあの町に戻りたい、もう一度住みたいと思えるような文化を育てていくことに、ご協力願えないでしょうか。 私は以上のような考えで、この子供ミュージカルが再びどこかで実現されることを、切に願っています。 |