8月
8月10日(水)  このごろ

時間が許す時、戦後六十年ということで組まれている様々な特集番組を見る。

広島と長崎からの生中継で、元ちとせと坂本龍一が「死んだ女の子」を演奏していた。かつて、高石友也などがうたっていた歌だ。歌い手の表現や編曲者が作ったサウンドで、同じ歌がまるで違って聞こえてくる。
「どう歌うか」はたいへんな問題だが、子供を産んだという、奄美生まれの元ちとせの目は、なんだか信じられるような気持ちになった。

深夜の討論番組に、今や70歳いや80歳を過ぎた”元帝国軍人”さんたちが出て、戦争当時の話をしていた。かなり生々しい。人間魚雷の部隊にいた人、細菌部隊にいた人、戦艦「武蔵」が沈没して約20時間泳いで一命をつないだ人などなど。
高校生の時に大岡昇平の「野火」を読んだことを思い出したが、こうして目の前のブラウン管を通して、顔を見ながら当時の話を聞くのは初めてのことだった。読み手の過剰な啓蒙主義のようなものに飾られている”朗読”より、よっぽどリアリティがある。
そして、太平洋戦争がいかに日本が負けていく道をたどったかを知った。

広島に原爆を落としたエノラゲイの乗務員であるアメリカ人が、初めて広島を訪れて、被爆者の人たちと話をしていた。「私は決して謝罪しない」「パールハーバーを思い出せ」
彼の発言には批判も多くあるだろうとは思う。
が、戦争というものは単純に加害者−被害者といった構図では、決してとらえることができないものであることを考えさせられた。
映画「東京裁判」が初めて公開された時観に行ったことがあるが、あの裁判はいったい何だったのだろう。
あの時も、今もなお、”アメリカ”が問題。

被爆体験をされた方の映像や話、広島や長崎の原爆記念館を訪れた子供たちの涙も放映されていた。

その一方で、webの自殺サイトで知り合った男女3人を殺害した事件が報道されている。30歳も半ばを過ぎた彼は、殺した時の声を録音し、その様子をビデオにも録画していたという。「人が苦しむのを見たかった」のだそうだ。病んでいる。

女子高校生100人を相手に、女性占い師が親への感謝の気持ちを持つように諭していた。何事もはっきりと”断言”するところがウケているのだろう。電車の中で座り込んでいる彼女たちに声ひとつかけられないだらしない大人の男性たちより、叱ってくれる怖いおばあさんのほうがまだましかもしれない。

郵政民営化法案は参議院で否決され、総選挙へ。反対した議員が立候補する選挙区すべてに対立候補を出すと宣言した小泉総理は、同じ自民党員から「想像を絶する変人だ」「常軌を逸している」と言われている。
それでも、おそらく私はコイズミのほうに票は流れるのではないかと想像する。旧態依然の状態から、どこかへ脱け出たほうがいいと思う人が多くいるような気がするからだ。
としても、この郵政民営化法案の具体的な内容について、国民のどれくらいの人が語ることができるのだろう。また、その内容について、どれくらいの立候補者がきちんと私たちに説明してくれるのだろう。

今は下火になったが、若貴問題。貴乃花もまた旧態依然たる相撲業界に改革案のようなものを発言したら、本番中に呼び出されて協会から厳重注意された。心情的には貴乃花の肩を押したい気分だが、まずは部屋を大きく、強くしないとだめかなあ。

時代はなかなか動かない。そして、”歴史”というものがいかに作られていくものであるかについても、きちんと目を向けなくてはいけない。

でもって、私はといえば、11月の演劇のための音楽を作曲、編曲作業中。ほどほどに目を休めながら、えっちらおっちら。この状態から早く脱け出したい〜。


8月15日(月)  記憶が消えていく60年

歳をとったせいかもしれないけれど、戦後50年より、何故か戦後60年の今のほうが、戦争の記憶を持っている人たちがだんだん世の中からいなくなっていくという現実に対して、その人たちの声をきちんと聞いておこう、というような意識が強くなっている自分を感じる。だから、何ができるということではないのだけれど。

某テレビ番組で、ドイツの戦後処理についての特集を組んでいた。ドイツが国のレベルで自国が犯したあやまちについて積極的に取り組んでいることがよくわかった。

そして私はかつてドイツに行った時、ポツダムの地に立ち、またミュンヘン郊外のダッハウ収容所を訪れた時のことを思い出しだ。特にダッハウでの印象は強烈なものだった。展示されている当時の等身大以上の生々しい写真をなかなか直視できず、ドイツはここまでやっているのかと思って、愕然としたのだった。その時、私の横にはリュックサックをしょった小さな子供たちもいた。

戦争の話をする時、その記憶の中に、多くの人がテレビやラジオや本では伝わらない”臭い”のことを口にするが、まさにその”臭い”と共に、私の記憶はよみがえる。例えばガス室に足を踏み入れた時、ベッドがずらりと並んでいる部屋に立った時、無論実際にそういう臭いがするわけではない。少し空気が淀んでいたか、静かな風が吹いていただけだ。でも、今、思い出しただけでも少し気分が悪くなるような感覚にすごく襲われる。

日本にも原爆資料記念館など、その記憶をとどめておこうとする施設などはある。が、被害者としてだけではなく、もっと国のレベルで、自国がやった事実をきちんと表明するなり、かたちにするなり、といった姿勢が求められていると思う。「戦争を知らない子供たち」という歌が流行ったのは、私が小学生が中学生の頃だったと思う。それから時はだいぶ経っているが、こうしたことは教科書問題も含めて、次の時代を担っていく若い世代に伝えていくために大切なことであり、大人の責任だと思う。


8月18日(木)  ああ、エンタテイメント

席から立てなかった。

若い層を中心に、けっこう老いも若きも、とにかく客席はほぼ満員で、最後の曲が終わった後、まわりの人たちはどんどん立ち始めて、サンバのリズムに合わせて手拍子を打ったり、手を振ったりしている。いわゆるスタンディング・オベーションの状態。「そっか、みんな、そんなに踊りたかったのかあ。浴衣を着て盆踊りに行ったのかなあ。」などと静かに思う。

『ブラスト!』を渋谷文化村オーチャードホールに観に行った。今年で三回目の来日公演と聞いている。

これがいわゆるエンタテイメント、というものか?
いったいぜんたい何を言いたいんだろう?
いやいや、そんなことを考えちゃいけない。これはショーなのだ。

金管楽器群とドラム、パーカッションを主体とした音楽。これがもっと生音で迫力のあるものだろうと想像していた私は、正直かなりがっかりした。あらかじめ打ち込みされている音楽も含めて、立派な音響システムがモノを言っていた。

ハイ・ノートを吹きまくるトランペッター。チューバ群の重厚な響き。柔らかいホルンの音色など。そしてまるで新体操の選手のように身体を動かしながら演奏し、バトン・トワリングのように楽器を上へ放り投げ、受け止めてまた吹き出す。をを、エンタテイメント。

ドラム・コー(マーチング・ドラム)を主体とした、いわばドラム合戦。何故か故ジョージ川口さんを思い出し、大法螺吹きとは言われていたけれど、ジョージさんのドラムのほうに何故かリアリティを感じながら、ああ、上手いなあ、と思う。日本人が一人フィーチャーされていて、彼はどうだ、と微笑を客席に投げかける。マリンバの人の演奏だって、なかなかの腕だ。名人芸、曲芸といった感じ。 で? だから考えちゃいけない、ってば。

ラヴェルの「ボレロ」から始まり、ブルーズ、ロックっぽいもの、ラテンっぽいもの、アフリカを想起させる革もののパーカッションとディジュリドゥのアンサンブル、ミニマム、7拍子のバラード、クラシック音楽の声楽曲っぽいものなどなど、音楽もそれなりによく作られている。

他に、ヴィジュアル・アンサンブルと称するダンサーたちもいる。ピナ・バウシュやラララ・ヒューマンステップスなどと比較してはかわいそうか。あるいは、アルビン・エイリー舞踏団がエリントンのナンバー「Solitude」で見せた、あのダンスと比較してはいけないか。ともあれ、基本はバトン・トワリングで、よく揃っている。

そして、紫、青、緑、白、黄、オレンジ、赤といった風に、色彩ごとにステージは変わり、照明も実によく考えられている。

それでも、 で? と思う私は、相当ひねくれているだろうか。私はヘンか?何もない、という空虚感が私を包む。

いわゆるアメリカのマーチング・バンドから発想また発展しているこのブラストの公演は、金管楽器とドラムを主体としたブラスバンドの延長線、バトン・トワリングを主体としたチア・ガールの延長線、と考えてみれば、その意味ではすこぶるアメリカ的なのだろうと思う。

パンフレットを読むと、メンバーの平均年齢は20歳代半ばになるようだから、言ってみれば、大学を出てわずかしかたっていないような若い人たちの集まりだ。そして彼らは廃校になった小学校を借りて、そこで合宿のような生活をしながら、日々練習を重ねているらしい。それはいわば社会から隔離された訓練所のようなもののような気がする。

無論、その上には年齢も重ねたプロデューサーや監督などがいるわけだけれど、それにしてもどの音楽もどうもなんだかちっとも地に足がついていない感じがしてしまった。何かを支えるべき下半身がないという感じだろうか。なんというかまさしく都会の現代的な設備が整ったホールで見るショーとして作られている。

そして、こんなに大勢の観客。S席で1万1千円するわけだから、と計算すれば、一日の売上げ、日本公演での売上はすぐに計算できる。マチネの公演のある日は、一日で軽く2〜3千万円は計上できる。ふえ〜っ。

今の日本人がこうしたエンタテイメントを享受することに喜びを見出していることを思うと、思わずため息が出る。私にはどうしても表層的で、単に与えられるものを楽しんでいるという風にしか感じられないからだ。東京の渋谷でエンタテイメントを堪能して、帰りにはワインでも飲んで、一日を終えるという、都会の時間の楽しみ方の見本みたいだ。

うーん、ここに足を運んでいる人たちは、例えば黒田京子トリオの演奏なんか聞きに来たりしないんだろうなあ。楽しい問題がいっぱいあるのに。


8月22日(月)  夢

11月中頃、12月中頃と、いずれも”ドリーム”と名の付く演劇に関わることになっている。あっちもこっちも”夢”で、スタッフも同じだから、話がややこしてくていけない。

現在、11月の芝居のためのアレンジと作曲を手掛けていて、いつのまにやら見開きB4に書き込まれた音符たちが踊っている手作り五線譜は50枚にのぼっている。それでもまだ終わっていない。目も痛いし、気が狂いそうだ。が、何故か真っ白な五線譜に小節線を書く瞬間が気持ちいい。って、ほとんど自虐的になっている。

今朝は7時に起きて、12月の子供ミュージカルの初顔合わせに行く。なにせ会場が遠い。これでも現場に着いたのは10時で遅刻。既に顔合わせは始まっていて、小学4年生から高校3年生まで、60名近い子供たちと会う。今回は管楽器の演奏者が変わるので、こちらもまた少しリ・アレンジする必要がある。どへ〜。

そんなこんなで、家にいれば譜面を書いていて、食事をすることもままならず、寝るのは明け方の毎日。今日はほとんど寝ていなかったから、身体が悲鳴をあげているのを感じる。頭も重いので、これは何か別の空気を入れないといけないと直感したのだろう。

というわけで、特別な理由もなく、駅前にできたシネコンに初めて足を踏み入れてみた。観た映画は『亡国のイージス』。実は映画館は冷房も効いていて、字幕も読まなくていいし、ゆっくり休めるだろうと思ったのも半分。でも、全部見入ってしまった。

テーマはかなり重い。総制作費12億円だそうだが、この映画、初めて海上及び航空自衛隊の協力を得て実現したものらしい。物語の中心となるイージス艦は、最新鋭の防空システムを搭載し、専守防衛の象徴ともいえる海上自衛隊の護衛艦で、海上自衛隊の全面協力のもと、本物の艦を使用して撮影されたという。無論CGも使われているが、戦後60年を考えるには充分な内容だったと思う。

226事件ではないが、事の発端は防衛大学生が自身のwebにアップした、日本国を憂える文章というのが、少し今風か。にしても、危機を救ったのが、モールス信号と手旗信号というのも、なんとも。今でも生きているのだろうか。思わず、駅の自動改札と、昔はテンポよく鳴らして切符に挟みを入れていた人たちのことを思った。昔はバスにもお姉さんがいて、切符を切っていたものだ。よくバスごっこをやったっけ。

1リットルで東京1200万人(千代田区から半径30km範囲内)の命を奪うという、”GUSOH(グソー)”と称される最新科学兵器が積まれているイージス艦が、某国の対日工作員とそのメンバー、護衛艦の副長(上記のwebに文章をアップしたのは副長の息子)を頂点とする、有事なんとか研究会のメンバーたちによって乗っ取られる。

それをめぐって、ほとんど戯画化して描かれていた総理大臣以下、政府及び防衛庁などの人々の会議場。総理は「今日は選挙区に行かなきゃならんのに」と言って時計を見ながら入場する。そのイージス艦を撃沈するミサイルを搭載した戦闘機の出動を総理が命じ、三沢基地から飛び立たったそれが寸前で回避されるまでの物語。政府関係者の描き方には最後までほとんど緊迫感のようなものを感じられず。

それを救ったのは、イージス艦の先任伍長や、若い防衛庁情報局の秘密調査員、さらに最後は工作員に傷を負わされた副長が自ら艦を爆破する。所々に、娘や息子への思い、「人を撃つ前にためらうだろう」とか、「死ぬな。みっともなくても生きろ」といったような言葉たちが散りばめられていた。

中身を書けばキリがない。最後のシーンは防衛庁情報局・内事本部長が、幼稚園児たちが通り過ぎるのを見送り、その向こうに見える国会議事堂。

戦後60年、この国はどんな夢を見て、どんな夢が実現でき、あるいは文字通り夢と散ったのだろう。何を得て、何を失ったのだろう。いったい”国”とは何なのだろう。うーん、ちょっと筑紫哲也のような言い方になってしもうた。

私にできることは何だろう。
せめて、例えば子供ミュージカルで関わる子供たちには、なんらかの夢を持って生きていく気持ちになれるような、楽しかったり辛かったり、いろんなことがいっぱいある時間を生きて欲しいと思う。

それにしても、シネコン。220〜230席はあろうかというのに、客は10人もいたかどうか。噂ではいつ行っても人は少ないと聞いている。あれで維持していけるのだろうか。それを誘致したこの市は、間違ってもこれで”文化”とは言わないだろうなあ。


8月31日(水)  声と言葉が拓く世界

何故かなんだか忙しくていけない。山形県・天童市での野外ジャズフェスティバルで、だらだらと汗を流しながら演奏した翌々日、午前中の新幹線で名古屋に向かい、午後リハーサル。翌朝10時半過ぎには会場に入り、リハーサル、それから約1時間半強、休憩なしの本番。終演後、30分もたたないうちにタクシーに乗り、深夜遅くに帰京。

名古屋でのコンサートは第二部に朗読劇が企画されていて、映像、照明、そして朗読する役者さんたちと初めて合わせたのが、本番当日の午後。通し稽古を都合3回もやって、ほぼホールの開場時間にリハーサルがアップして、本番に臨むことになった。

演劇や朗読とのコラボレーションは長年やっていることもあってだいぶ慣れてはいるが、通常の音楽だけのコンサートと異なり、把握しておかなければならない情報量が圧倒的に多い。あらかじめ決められた”きっかけ”というものも多く存在するから、なかなかの仕事量になる。

そんなこんなで、今日はお休み〜、と決め込んで、何も考えない一日を作り、夜は東京・外苑前にあるZ.IMAGINEというライヴハウスへ、溝入敬三(b)さんと村田厚生(tb)さんのデュオを聞きに行く。

と書けば、誰しもが小難しい現代音楽かと思うかもしれないけれど。
はい、そうです、今夜のライヴはまぎれもなく音楽家の強い欲求に支えられた、今を生きている”現代音楽”だった。私好みということもあるだろうが、楽しくて、とてもいい気晴らしになった。

ここでのライヴは溝入りさんが毎月一回やると心に決めてやっていらっしゃるとのことで、今回は『音と言葉の万華鏡』と題されているものだった。

プログラムの中で、溝入さんはご自身で作詞されたもの(替え歌)を、クルト・ヴァイル作曲の「人間の努力のむなしさの歌」「モリタート(マック・ザ・ナイフ)」に載せて、コントラバスを弾きながら一人で歌っていた。他にも自作曲の、松脂の妖精が出てくる「中華街の幻想」や、怪盗キクノロと名探偵アキチくんが出てくる「不思議の大事件」などを、役者顔負けの語りと歌で、一人でやっておられた。見ただけも不自由そうな大きな楽器で弾き語りをする人を、初めて見て、聞いた。

ヴァイル作曲の「ソロモンソング」、山田耕作作曲・北原白秋作詞の「まちぼうけ」は、村田さんとのデュオ。お二人とも大きな口を開けて歌っていたのが、実にユーモラスで愉快。

「悪魔とトロンボーン」は溝入さんが作詞・作曲されたもので、村田さんのソロで演奏された。村田さんはトロンボーンを吹いたり、語ったり、歌ったり、大忙しの曲だ。間にはラヴェルの「ボレロ」やストラヴィンスキーの「兵士の物語」のフレーズもちょこっと出てきたり、はたまたジョン・ケージの「4分33秒」もカリカチュアされて出てくる、凝ったアレンジになっている。演奏も語りも”口”でやらなければならないから、この曲の演奏は外から見ているよりずっとたいへんなのだろうと思う。この曲は初演を聞いているので二回目になるが、やっぱり面白い。語りの部分を、村田さんが溝入さんくらいにもっと思い切って表現するようになったら、私は百倍面白くなると思う。

他には、楽器演奏だけの曲も演奏され、編曲はすべて溝入りさんの手によるものだ。確かテレマンなど、バロック期のものが多かったように記憶しているが、ピアソラの「リベルタンゴ」も二人で演奏していた。なにせコントラバスとトロンボーンのデュオだから、なんだかヘンで面白い。「日陰者の楽器だもんなあ」とは、ステージ上のお二人。

が、今回の企画の目玉はやはりなんといっても上記に挙げたような曲の披露だろう。

お二人とも、クラシック音楽の世界ではいわゆる”現代音楽”の分野でも第一人者だ。無論、演奏技術も非常に優れておられる。しっかりしたテクニックがありながらも、こうしたことをやるのが面白い。のでは決してなく、こうしたことを作曲して自ら演奏する、あるいはそういう人の曲を共感を持って演奏するという音楽家の在り様が、私の心を深く揺さぶる。

特に、溝入さんの在り様は、自らが作・編曲していることもあるし、その楽器の性質もあるとは思うが、コントラバスという楽器を完全に相対化していて、自身の身体がしっかりと言葉や歌を支えているように思えた。

私自身の経験から言えば、自分の楽器を離れて何か別のことをやるというのは、とりわけ自分の身ひとつで聴衆の前に立つというのは、実はけっこう怖くてたいへんだ。'80年代後半、自分のグループで声を出して歌うことになった時、最初しばらくは全然だめだった。なにせ自信がなく、恥ずかしくて仕方なかったのだ。

そしてちと驚くのは、溝入さんはどれかの曲で「これは難し過ぎる、改編しよう」と笑って話しておられたが、これらがすべて譜面に書かれた作品だということだ。私の場合、即興演奏をする中で、こうした場面になることも多々あるが、多分こんな曲の譜面を渡されたら気が狂いそうな気がする。

ちなみに、その難し過ぎるという曲は、おそらく難しいままのほうが面白いと私は思う。あの必死さ加減こそが、そこに生きている音楽を生み出していて、聴衆に伝わるように感じたからだ。溝入さん以外の人はやりたがらないかもしれないし、それは作曲者としての溝入りさんには不幸なことかもしれないけれど、生きている本人が演奏できるのだから、とりあえずそれに越したことはないと思う。

このお店は縦に細長く、演奏を聞くには姿勢は楽ではないけれど、私はこうしたクラシック音楽(と、とりあえず言っておくが)が、このようにお酒を飲みながら気軽に聞けるライヴ・ハウスがあってもいいと常々思っている。話を聞くところによると、今晩カウンターの中にいてお酒などを客に出していた女性二人は、なんとか現代音楽コンクールで優勝したようなヴァイオリニストとピアニストだったらしい。どういう経緯でそうなっているのかはわからないけれど。

ともあれ、開かれた演奏者と開かれた店に乾杯。あ〜、楽しかったあ〜。




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