城見山興龍寺 (瀬戸市中郷町) ▲瀬戸MENU
舟形高42cm 一面二臂 立像
舟形高44cm 一面八臂 坐像
【左】興龍寺本堂前の馬頭観音 【右】本堂の前,円内が馬頭観音
旧三州街道にほど近い寺
瀬戸の市街の東のはずれ,窯垣の小径資料館や寶泉寺の南の山手に興龍寺があります。山号は「城見山」。いったい,どこのお城が見えたのでしょうか。中世にはこのあたりにも武将の館があったでしょうから,そのいずれかでしょうか。寺への道は車が上がれるように拡幅,舗装がされていますが,山頂から南へ,つまり旧三州街道の方へと下っていく道は人一人がやっとの小径。バイクで入り込むのも躊躇されるような,昔ながらの生活の道です。本堂の前に
参道を上って本堂に向かうと,左手に新しい地蔵菩薩が目をひきます。目当ての馬頭観音は向かって右側。小ぶりな基壇の上に一面二臂の立像が少し右に傾いて立っています。舟形の高さは42センチほどですから,その右にある丸彫り聖観音像に比べても,ちょこんと立っているという形容がぴったりです。彫りは比較的浅く,衣の表現も非常に簡素です。ふっくらとした丸いお顔に細い目,口元は軽くへの字型に結ばれています。ほのぼのとしたやさしさを感じます。大き目の被り物には馬頭が浮き彫りになっていますが,右の写真からも分かるように,角張った顔ととがった耳を持ち,見ようによっては狐のようですが…狐頭観音なんてありませんね(笑)墓地にも馬頭観音が?
興龍寺は古くから檀家を集めている寺らしく,参道右手の墓地には,新しい墓石が並ぶ間に古い墓碑がたくさん集められています。そうした中に40体余りの石仏が並んだ一角がありました。聖観音や十一面観音,千手観音などの様々な観音像や地蔵菩薩に混じって,馬頭観音らしいものも一体ありました。多くの観音像には「○○番」と番号が彫られていますから,かつては随所に置かれ,三十三観音の霊場めぐりのようなことをしていたのでしょうか。「文政」の記銘が見られる石仏も見られます。(文政は江戸時代後期,1818〜1830)後列の左から2番目が馬頭観音らしい石仏です。額には馬頭らしい膨らみがはっきり見て取れますが,一面八臂というのはこのあたりでは珍しい様式ですね。小ぶりな坐像で,ほとんど舟形の下半分に収まってしまっていますが,立体感にあふれた彫り方です。目を半眼に閉じ,一心に祈っている真剣な表情です。正面の手は馬頭印を結んでいるように見えなくもありません。他の6本の腕は光背に浅く彫られています。すべて掌を広げており,持物はありません。基壇には「釋」の字が3つ並んでいます。もっとも他から移設した場合,石仏と基壇がごちゃごちゃになることが多いので,これも馬頭観音のものとは断定できないのですが…。ここに集められた石仏は,みな真新しい涎掛けをしていました(下左の写真は外して撮影)。今も信仰の対象になっているんですね。
【左】後列中央が馬頭観音 【右】墓地に並んだ石仏群