2000年4月 EJインタビュー その3
出典: ej-l Mailing List dd 27/APR/2000
copyright: Park Street/Eric Johnson, 2000
original text transcribed by: Nancy Kampe
「日本語文責: 山巻 由美子」
- PS:
- よし、次の質問に行こう。自分自身のスタイルを開発し始めたな、と感じるまで何年くらいかかった?
- EJ:
- 自分のスタイルをほんとに開発したとは思ってないけど.....(長い黙考).....
Hendrixが最初に出て来た時は、シーンの中での彼がどういう存在なのか、誰も定義出来なかったんだ。今でこそみんな彼を聴いて「わあ、すごい」って言うけど。1967年に彼が現れた当時は、シーンの中での位置付けが出来なくて、まるで他の惑星から来たみたいな感じだった。だから僕はHendrixにすごーくすごーく触発はされたんだけど、でも当時は僕の理解を超えててさ。じっと座って聴いてみることも出来なかったし、ノートもあんまり練習してみたりしなかったな。
僕を捉えたのは全体的な感触やアプローチや彼のやり方なんだ。彼の影響から逃れられた人はいなくて、こぞって真似したりしてたけど、僕に言わせれば、Eric Claptonの方が吸収しやすかったよ。ClaptonがHendrixほどすごくないからって意味じゃなく、ブルーズという、すでに存在していて、相応の解釈も成立しているジャンルの出身だからって意味でね。Hendrixもブルーズがベースではあるけど、でも出どころはどこか他の場所、太陽系の外っていう感じだったね。
だから、Hendrixが出て来た時、触発されたのは確かだけど、本当の意味では、最初は違ったんだ。最初って1967年、68年のことね。ちょうどその頃僕はギタープレイヤーとしては変わり目だったんだ。一曲通しで練習出来たのはやっぱりClaptonだな。ブルーズのスタイルをじっくり練習してさ。あとAlbert LeeとかBB KingとかFreddie Kingも聴けたし、それでClaptonや他のブルーズのレコードやらFresh CreamやらYardbirds時代のJeff Beckなんかも聴いたんだ。そのあたりのプレイヤーを完コピし始めたせいで、僕はギタープレイヤーとして変わり始めてね。2年ぐらいの間、まるで「Eric Claptonジュークボックス」になったみたいにコピーしまくってたよ。つまり、まだ独自性は全然なかったって訳。
でも面白いのは、全然独自性がないのが、そういうこだわりから独自性に至るってこともあるってことだよね。だから、そう、Clapton通になった時から、僕は変わり始めたんだ。そして、それが独自性への前奏曲になった。他人の蔵書を使ってとはいえ、きっちり習得してたからね。Hendrixの曲を一音一音きっちり練習して身につけるようになって、彼がどういうところから出て来たのかわかり始めたのは、何年も後の話なんだ。
- PS:
- それじゃ、自分自身のスタイルが出来始めたと本当に感じたのはいつだい?
Magnetsはとても興味深かったに違いないと思うけど.....
- EJ:
- そうだね、スタートはMagnetsだな。というか、多分Magnetsの直前から始まってはいたんだけど。でも練り上げて、細かいとこまで理論立てたのは、確かにMagnetsにいる時だね。というのは、僕は基本的にはブルーズロック出身だったんだけど、Magnetsに飛び込んでBilly (Maddox)とKyle (Brock)とSteve (Barber)と一緒にプレイした当時、彼等3人共音楽学校の学生でクラシックやジャズを学んでいたんで、僕はそういう異なるスタイルの音楽の、いわば速成課程を取らざるを得なかった訳。それが影響したんだよ。
- PS:
- よし、次。現在はどれぐらい練習してる? まだギターを勉強中だった頃は、どれぐらい練習してた? 確か、その頃はまるで
- EJ:
- ギターを始めた頃は、放課後学校から帰ってからだね。その頃は一日に2、3時間やってた。で、卒業した後は、弾く以外何もしなかったよ。他にやることなかったから。ガールフレンドが仕事休みの時はふたりでぶらついたり、それか弾いてるかだったな。どんな責任も全く持てない時期だったもん。
- PS:
- じゃ、その頃は「一日8時間弾く」てな具合だったんだ?
- EJ:
- うん、だから当時は.....というか、今現実的に思うんだけど、当時を振り返ってみると、自分が今よりずっと気ままな時代、なーんにもしなかった時代だったんだよ。ただぶらぶらして、多分今よりもっと自分に甘くて、ホントいい加減でさ。湖のほとりで2日間ぼーっと座って過ごしたとしても全然変だと思わない、みたいな。
- PS:
- それが今じゃ、すっかり変わってしまった訳だよねえ。君がやってることや、関わってることによって変わっているんだろうけど。
- EJ:
- まあ、今は一時期よりも練習してるよ。2、3年前、いろんな理由で、あんまり練習しなかった時期があったんだ。耳を傷めて、ボリュームを抑えるためにそれまで好んで使ってたアンプ類をあきらめて、他のアンプ類を使い始めた時だよ。今はもう、その頃よりは大きい音でやってるけど、それでもまだ以前ほどの大きさではやってないんだ。で、その頃は、新しいアンプの鳴り方は気にいらないは、耳鳴りはわずらわしいはで、数年ばかりの間、プレイすることに興味がなくなっちゃってね。でもさ、耳はもう良くなってるし、まあ今でも大き過ぎる音でプレイしないようにとても気をつけてるけど、でもやっと、自分の音を基本的には得られるようになって、プレイに対する情熱も戻って来たとこまで浮上してるんだ。
- PS:
- そうか、じゃ、以前より小さいアンプから得る音には、とりあえず満足かい?
- EJ:
- そうね、今はもう98%のとこまで持ってきてるんだ。だから、そうだね、かなり満足してるよ。
- PS:
- 自分のサウンドというものを思い描いてたかい? 得ようとしてきたのは、いつもその同じサウンド? それとも今まで長い年月をかけて進化してきたサウンド?
- EJ:
- サウンドというのは、そう、仮に充分なトーンコントロールのあるアンプを一つ自分で造るとしたら、自分が「エレクトリックギターの音」だと思っているある一定の音がフラットEQサウンドになるよね。そうすれば、それを持っていきたい所どこへでも持っていけるじゃない。でも僕の場合、ほしいフラットEQは、古い良質のヴァイオリンが一定のフラットEQを持ってる、みたいな音なんだ。別にヴァイオリンをイコライザーに通してどんな音にでも出来る訳だけど、そういうんじゃなくて、フラットトーンの、とても純粋な、きれいなバージョンの方にもっと興味があるんだ。でもそれは僕だけの話で
- PS:
- 個人的趣味
- EJ:
- その通り。ま、例えばの話だけど、ともかくサクソフォンとか他の楽器なんかでもそうなんだけど、その楽器の純粋な本質の音が好きな訳なんだ。だから、何年もずーっと、自分の頭の中で聴こえてるトーンというのはそれほど変化してなくて、それを出来る限り鮮明で純粋なものにしようと努めてるんだよ。
これは特にロックギター、エレクトリックロックギターの場合は結構難しいよね。なにしろもともと一種つまんないサウンドなんだから。
- PS:
- さて、webやMP3をどう思うかという質問が一杯きてるんだ。MP3みたいなインターネットやwebベースのメディアとか、インターネットラジオみたいなああいうもの全部ひっくるめて、どう思う? 一般的影響や、君個人への影響なんかはどうかな?
- EJ:
- そうね、僕はすばらしいと思うよ。すべてのアーティスト、音楽家、映画製作者や他のクリエイティヴアートが、基本的には本来の姿のままで、ほとんどどんなことでも出来る訳じゃない。世界中の人が見たり利用したり出来るし、エンターテインメント業界内の他の派閥に、網かけられたり変に内容をいじられたりすることもないから。こういうのの比率は増えるだろうね。支持を集めるようなものの比重が優先されるようになって、みんなが楽しめるようなメリットのあるものが、もっと簡単に、楽に利用出来るようになると思うな。それと、これはアーティストにとっては、実にリアルな、実に興味深いサービスだと思う。世界中で自分ちの居間にいる人たちに、彼等のすばらしい作品を送れる訳だから。
- PS:
- アーティストは配給会社の束縛から自由に...
- EJ:
- そう、そこ。
- PS:
- 一握りの大会社のコントロールを受けずに済むようになるよね。さて、次の質問。ベースやドラムズや、要するに他の楽器に対しても、自分のギターに対するのと同じように神経を使ってるかい?
- EJ:
- うん、好きだよ。え、そういう意味じゃなくて?
- PS:
- 「神経を使ってるか」ってのは、多分ベースやドラムズや他のパートについても、「これだ」という音を得るまで頑張るくらい完全主義か、という意味だと思う。
- EJ:
- ああ、そういうことなら、いや、自分のギターに対してほどじゃないな。だって他の人の仕事だから。やるのは彼等だからね。ベースとドラムズに何をやってほしいか明快にプランを持っていて、それをやってもらうんだけど、構成上必要なことを指示通りきっちりやってもらうこともあるし、彼等に任せて、それぞれのサウンドで、それぞれのパートの仕事をしてもらってそれがすごくいいこともあるし。ほら、だってなにも四六時中他人の絵筆を握ってることはない訳だよ。
- PS:
- なるほどね。次の質問はおもしろいぞ。「好きな野菜は?」
- EJ:
- はあ? うーん、まいったな。
- PS:
- (((((爆笑)))))おもしろいだろ。全然毛色の変わった質問で。
- EJ:
- カリフラワーが一番好きじゃないのは確かだけど。
- PS:
- OK、このセンで進めよう。好きなくだものは?
- EJ:
- 野菜は全部好きなんだよ、ホント。カリフラワーだって別に食べれるけど、好んでは食べないというだけで。
- PS:
- 好きなくだものはあるかい?
- EJ:
- 桃が好き。
- PS:
- 有罪宣告受けたら、最後の食事は決まりだな。で、君は椅子に連れて行かれる。(((悪魔のような笑)))
- EJ:
- 椅子って一つ目の? 二つ目の?
- PS:
- ははは。しょーもないな。好きな作家はいる? JonathanとFay Kellermanが君を小説に登場させてるのは知ってたかい?
- EJ:
- ああ、あのテキサスのミステリー小説?
- PS:
- と思うけど。
- EJ:
- うん、その話なら聞いたよ。
- PS:
- どんな風だった? 聞きたいな。
- EJ:
- なんか、僕の名前のギタープレイヤーと、レコードを聴いてた人についての話かなんかだったよ。
- PS:
- ほお。そりゃおもしろいな。変わったファンに絡んで、何か経験はあるかい?
- EJ:
- うーん、そうだなぁ、アーティストは自分の本分にとどまって、良い音楽やなんでもいいんだけど、ともかく良いものを生み出そうと努力して、成功しようが失敗しようがベストを尽くすのが本来でしょ。みんなが楽しんでくれるようなものを提供出来るようにするには、ベストをつくして、その本分にとどまるのが一番なんだから。
もしその本分というか本来のものが変わってきちゃったら、もう人のためになるような良いものは生まれて来なくなるよ。リスナーは作品にあまりインパクトを感じなくなってしまう。だってアーティストが集中してないんだから。アーティスト側が、何を第一義に置くかっていう問題だよね。つまり、ある画家がすごい絵を描いて、美術館に飾られたとするじゃない。でも彼がいつもその絵の前に立っているもんで、その絵を見に来た人は、いつもそこで身だしなみ良くにこやかにアブラ売ってる彼越しに、その絵を見ざるを得ない訳。そういうことが、彼の絵画にも影響するようになるんだ。
アーティストからは何も得るものはないんだよ、ただ作品に的確な視野を与えるだけの存在なんだ。でもやるべきことをやるにしても、こういったことはリスクだよね。どんな分野でもそういうものだけど、特にポップ業界では、ポップのイディオムでは、誇張されたり、おおげさに喧伝されたりしてしまう。そうして、リスナー側はアーティストの全体を混同してしまうんだ。で、アーティストも混同して、自分のやるべきことに意識を集中させるかわりに、自分自身に意識が集中しちゃって混乱するんで、どっちも何やってるかわからなくなっちゃう訳。だから、ファン(fan)という言葉は狂信者(fanatic)からきているというのは、興味深いよね。
でもね、ファンという言葉の、いい方の意味では、ファンは、自分の作った作品を他人に聴かせるという機会を与えてくれる存在なんだ。それはすてきな贈り物だよ。だから、アーティスト側から出来る最大の贈り物は、ひたすらベストを尽くし、努力した作品をみんなが楽しんでくれること。作品「だけ」を、ね。
- PS:
- なるほど。