夕空

【解題】

 夏の夕方、空をながめ、恋人のために蚊遣火を焚いて待っているのに、恋人は来ない。その煙の虚しさとわが身の頼りなさを重ね合わせて、恋の思いのやるせなさを歌った上方唄である。

【解析】


                                   ┌───────────
○筆の鞘 、焚て背子  待つ、蚊やり火の|  |    |上の空に|や|立ちのぼる   、   |
 筆の鞘を|焚いてあなたを待つ|蚊遣り火の|煙が、    |  空に| |立ちのぼって  、   ↓
                        |私の心も|上の空で、 |さまよっているの|だろうか。

○水に数 書く   |            |枕の下は|    恋ぞ |積もりて、     |けふの瀬に、
 水に数を書くような|はかない思いで臥している|枕の下は、叶わぬ 恋 が|積もって、昨日の淵が、今日の瀬に|
                                            |なって流れ続ける。

○  身は|浮き草の   、 寝   |入る|間も|なき、
       
《草》   |《根》
 我が身は|浮き草のような| 根無し草、
             | 寝   |入る|間も|ない。

○ああ| 儘  ならぬ    こそ| 儘  ならぬ    。
 ああ、ままにならないといったら、ままにならないことよ!

【背景】

 筆の鞘

 「筆の傘」とも言う。葦(あし・よし)などの茎を切って、毛筆の鞘に使った。江戸時代、使い古しの筆の鞘をためて
ミカンの皮と一緒に焚き、蚊いぶしにしたという。

○筆のかさ 焚いて待つ夜の 蚊遣りかな (安永三年(1774)・尼芳樹)

 水に数書く

○行く 水に|数 書くよりも|はかなき  は    |思は   ぬ 人を思ふ   |なり|けり
 流れる水に|数を書くよりも|空しい ことは、自分を|愛してくれない人を愛すること|だっ|たのだなあ。

                              (古今集・巻第十一・恋一・522・読人知らず)

 「水に数書く=はかない」という観念の源は「涅槃経」の、次のような言葉にあると、契沖などが書いている。

是身無常念々不住 ○是の身は|無常にして   念 々 |住(とど)まらず
          この身は|無常であって、一瞬一瞬|留まることがない。

猶如電光暴水幻炎 ○猶ほ  |電  光 |暴水 幻炎の|如し
          ちょうど|稲妻の光や|洪水や幻炎の|ようである。

亦如画水随画随合 ○亦(また)|水に  画くが|如く 、画くに|随(したが)いて|随いて |合ふ
          また   、水に絵を描く |ように、画く |度に      |その度に|消えて行く。

 恋ぞつもりて

○筑波嶺の峰より  落つるみなの川 |恋  ぞ|つもり   て淵と     |なり ぬる    |
 筑波山の峰から流れ落ちるみなの川の|水 が |積もり積もって淵と     |なってゆく    |ように、
                私の|恋心 も|積もり積もって淵のように深く|なってしまった事だ。

                                 (後撰集・巻十一・恋三・776・陽成院)

 作者、陽成院(868〜949)は、第57代天皇。脳に患いがあり奇行が絶えなかったと伝えられる。この歌は、後に陽成院
の妃となった綏子内親王(光孝天皇王の皇女)に送られたもの。

 けふの瀬に

         ┌──────────┐
○世の中は 何 |か|常なる  |   ↓
 世の中は、何が| |変わらない|だろうか、いや、変わらないものは何もない。

○  飛鳥川  昨日の淵 ぞ|今日は瀬に|なる
  
《明日》 《昨日》   《今日》
 あの飛鳥川も、昨日の淵が |今日は瀬に|なっている。(古今集・巻第十八・雑下・933・読人知らず)

 身は浮き草の

○文屋の康秀が、三河の掾(ぞう)になりて、「あがた見 |には|え |出で立た|じ     |や」と
          
           「田舎 見物|に!|  |出かける|気に    |
                              |なれ|    |ないでしょう|か」と

○言ひやれりける|返りごとに|詠め|る| 。
 言ってき た |返事  に|詠ん|だ|歌。

○    わび  |ぬれ   | ば |     身を|浮き    |草の   |根を絶えて
                          
|憂き    |
 世の中が辛くなっ|てしまった|ので、私は、我が身を|厭わしく思い、
                          |浮き    |草のように|根が切れて、

○誘ふ    水 あらば|いな      |む |とぞ思ふ
 誘ってくれる人がいたら、付いて行き   |たい|と 思います。
 誘う    水があれば|一緒に流れて行き|たい|と 思います。(古今集・巻第十八・雑下・938・小野小町)

作詞:不詳
作曲:宇野都法師



【語注】


筆の鞘⇒背景
背子 せこ。女が男を親しんで呼ぶ言葉。男が女を親しんで呼ぶ言葉は「妹子(いもこ)」
水に数書く⇒背景
恋ぞつもりて⇒背景
けふの瀬に⇒背景

身は浮草の⇒背景


















思ふなりけり
 「けり」は発見詠嘆。












合ふ 
水が本に戻って、文字が消えること。



筑波嶺
 茨城県にある筑波山(876m)の峰。嶺と峰は同じ意味の語を反復してリズムを付けた表現。この山は古代から歌垣(うたがき・男女が山や浜辺に集まって歌ったり踊ったりして、豊作を祝う行事。男女の自由な性的交わりが行われた)で有名なので、恋と結びつけたらしい。
みなの川 水無の川・男女の川とも書く。現在は桜川と呼ぶ。









 じょう。地方官で、守、介の下の官職。普通は七位。
あがた 県。地方。田舎。

目次へ