四つの民
【解題】 江戸時代には、国民に士農工商という四つの身分があって、それぞれの身分の者がその本分をわきまえ、自己の職業に勤(いそ)しんで泰平の社会を維持していた。この曲は、それぞれの身分の民の歴史や生活の様子を描き、春夏秋冬の季節に割り当てて描写したものである。曲の形式は地歌筝曲で、手事物である。構成は、前唄・枕・手事二段・チラシ・後唄となっており、枕が長いことが特徴である。 【解析】 武士(春) 〇限りなく静かなる |世 や| |吹く風の|勿来(なこそ) の関の| |な・来 ・そ| 限りなく静かに治まった|世であることよ、昔、平安の世に、吹く風よ| ・来る・ | |な・ ・!|という名の関の| 〇山桜 | |鎧の袖に|散りかかり|花摺衣(はなずりころも) |陸奥(みちのく)に| 山桜が|八幡太郎義家の|鎧の袖に|散りかかり、花摺衣の歌枕として知られた|陸奥 に| 〇 | 駒(こま)を進む も| 君がため | | 安部氏、清原氏追討の|軍馬 を進めたのも、大君のために|平安の世を作るためだった。 〇 |弓を袋に | 今、戦国の世を治めて|弓を袋に入れる|泰平の世を幕府が作ったのだ。 農民(夏・秋) 〇 |鋤鍬(すきくわ)や|案山子を友と |野辺(のべ)の|業(わざ) そして農民は平和な世で|鋤鍬 や|案山子を友として、野辺を耕す |仕事 |にいそしみ、 〇菜 摘み| 水 引き |貢(みつぎ) 取り |薪(たきぎ)を肩に | 菜を摘み、田に水を引き入れ、税として納める稲を取り入れ、薪 を肩にして、 〇彼処(かしこ)なる|木の間の月を|楽しみて |山路の憂きを|忘れ めや 遠く に見える|木の間の月を|楽しく眺めて、山路の辛さを|忘れるのだろうよ。 職人(秋) 〇雨 露 霜(あまつゆしも)を|凌(しの)ぐ| 身 の|工匠(たくみ)は| 雨や露や霜 を|凌 ぐ|わが身を守る住居を造ってくれる|大工 は、 〇炭と|かねて |より| 大宮 造り| 殿(との)造り | 墨と|曲尺で|仕事をする。 |むかし |から|皇族の宮殿を作り、貴族の邸宅 を造るために、 〇烏帽子(えぼし)素襖(すあを) も|華やかに| |賎 が軒端も|建てつづき | 烏帽子、 素襖(すおう)の姿も|華やかに|働いてきたが、卑しい庶民の家屋も|建て続けてくれ、 機織り女(冬) 〇錦 織るて ふ(ちょう)|機(はた)ものの|夜寒(よさむ)|いとは|じ | 錦を織ると言う |機織る 女 が|夜寒 も|厭 わ|ないことだろう。 〇綾どりの絹 染めて| | 貴 賎(きせん)の|色 分けぬ| 綾どりの絹を染める|ことは、身分の貴い賤しい の、区別をせず 、 〇 |同じ眺めは 白妙に| |雪 は|一入(ひとしお) まず、同じ色の |純 白 に|染めるのである。 |真っ白 に| |雪の積もった朝は| ひとしお|別れが身に染みて| 〇 |後朝(きぬぎぬ)の|情け |商(あきな)ふ| すぎはひ に | 恋人同士が| 朝の別れ の|情けを交わす | |衣々(きぬぎぬ) | を|売る ことを|生業(なりわい)にする|商人も| 〇姿 言葉は|賎しくて|心計りは|皆やさしかれ | 姿や言葉は|賤しいが|心だけは、皆やさしいのだ。 【背景】 吹く風の勿来の関の山桜 〇陸奥国(みちのくに)にまかり ける時、勿来(なこそ)の関にて|花の散りけれ ば |詠める | 東北地方 に参りました 時、勿来 の関 で |花が散っていたので|詠んだ歌。 〇吹く風を| |な 来 そ| | の関 |と思へ ども| 吹く風を、花を散らしに|吹いて| ・来る・ | |な・ ・!|ここは| |勿 来 | |という名の関だから|と思うけれども、 〇道もせ | に|散る |山桜 |かな 道も狭くなるほど|一面に|散って来る|山桜である|なあ(源義家朝臣・千載集・春・下・103) 源義家は平安時代の源氏の棟梁で、鎌倉幕府を開いた源頼朝の曾祖父にあたる。父頼義と共に永承六年(1051)より前九年の役に参戦、陸奥の安倍貞任らを討った。永保3年(1083年)に陸奥守に任ぜられ、奥州を支配していた清原氏の内紛に介入して後三年の役を戦い、 寛治元年(1087年)11月に出羽金沢柵にて清原武衡・清原家衡を滅ぼした。しかし朝廷はこれを私戦として追討官符を下さず、恩賞も与えなかったので、義家は私財を投じて配下の将兵をねぎらった。翌寛治2年(1088年)正月に陸奥守を罷免された。その後、左大臣源俊房の家来となり、白河上皇の院政下では疎外されたが、承徳二年(1098)には院の昇殿を許された。嘉承元年(1106)七月、出家の後病没。六十五歳。奥州を源氏の支配下に置き、後の鎌倉幕府の関東支配の基礎を作ったので、「八幡太郎義家」「天下第一武勇の士」と賞讃され、源氏武士の鑑とされた。勅撰集には千載集にこの一首だけが入撰している。 花摺衣 ○みちのく|の|信夫(しのぶ)捩(も)ぢ ・刷(ず)り | 《捩 ぢ 刷 り》 みちのく|の|信夫の里の | |忍ぶ草 の |捻(ねじ)り・刷 り染め|のように、 ○ |誰(たれ)|ゆゑ|に| |乱れ初(そ)め|に |し|我|なら|な ・ く| に 《染 め》 〔ぬ ・あく〕 あなた以外の|誰か の|せい|で|心が|乱れ初 め|てしまっ|た|私|では|ない・こと|ですよ。 →他でもない|あなた の|せい|で|心が|乱れ初 め|てしまっ|た|私|な の ですよ。 (河原左大臣古今集・巻十四・恋四・724) |
作詞:赤尾某(京都) 作曲:松浦検校 箏手付:八重崎検校 【語注】 吹く風の勿来の関⇒背景 花摺衣 萩や露草の花の汁を摺り付けて染めた布の衣。⇒背景 弓を袋に 偃武(えんぶ・武器を蔵にしまうこと)を日本風に言った言葉。元和元(1615)年に徳川家康が大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼし、泰平の世を作ったことを「元和偃武」と言う。 かねて 「曲尺(かねじゃく)」は尺貫法の物差し。 烏帽子 貴族の元服した男子の冠り物。正装の冠に対して、略層に用いられた。 素襖 室町時代以降の武士の平服。麻布で作られた。 後朝 男女が一夜を共にした翌朝、それぞれの衣を着て別れることから、「後朝」を「きぬぎぬ」と読む。 な来そ 「な」は禁止の副詞、「来」は「来(く)」の未然形、「そ」は強めの終助詞。 みちのくの忍ぶ捩ぢ刷りは誰ゆゑに以下を呼び出すための序詞。 みちのく 東北地方の、主として東側を指した。 信夫 福島県信夫地方。 捩ぢ刷り 染物の技法の一つ。草を捻(ねじ)り、布に刷(す)りつけて染める。 捩ぢ刷りと染めは縁語。 初めと染めは掛詞(かけことば)。 |