八重垣(やへがき)

【解題】

 山田流箏曲、中伝七曲の一つ。
 出雲の国の名所旧跡を訪ねながら、春夏秋冬の四季の変化の中にその道中の風物や風俗を織り込んで歌詞とした。参詣道行物の一つ。山田検校の作品の中で、最後のものと言われる。曲題は、最後の方に引用される須佐之男命の歌の一句によっている。


【解析】


○春 立つ   や、かど は|松 え   の|若緑     、雲井     斜めに |  白波   の、
 春が訪れたことよ、    |松 江の家々の|
         | 門 には|
         | 門    松     の|若緑が鮮やかで、大空が水平線に傾斜して|沖の白波と接し 、
                                          |その白波   が|

○渚(なぎさ)に寄する|荒乳(あらち)山   、 光 のどけき日の岬、その      |簸(ひ)の河の|
                       
<ヒカリ>  <ヒノ>         <ヒ   ノ>
 渚     に寄せる|荒乳     山の麓の、 光 のどかな日御埼、その近くを流れる|簸   の河の|

○流れ汲む 、鰐(わに)が淵瀬の| み寺まで、      |ぬかづき|過ぐる|草まくら 、
 下流にある|鰐    が淵瀬の|鰐淵寺まで、出雲の札所を|参詣して|巡る |旅路である。

○         |縫ふ て ふ|鳥もこゑ |にほふ    、梅の花笠 |ひよりがさ、
 柳の枝を片糸にして|縫うという|鶯も 声 が| 匂 やかで  |
                      |匂うように香る|梅の花笠や|日   笠 、

○桜は  ものを|思はする   、朝な朝なの峯の白雲               、
 桜は人の 気 を|もませるものだ、毎朝毎朝の峯の白雲を桜の花が咲いたのかと疑わせて。

○ 浦 は|錦   の|ひかたの貝、  名に|色々  を   |呼びたてて、磯   菜 |摘む て ふ|
     《錦》   《緋》
 ≪浦≫       ≪干潟≫

  浦には|錦貝などの|干 潟 の貝、貝の名に|色々の名を付けて|呼びながら、磯辺の海藻を|摘むという|

○しづの女(め)の、    壺折(つぼをり)ならぬ       |褄(つま)からげ   、
 下賤な女   の、旅装束の壺折     でもないが、それに似た|裾をまくり上げた服装で、

○しどけ|な  りふり|   よ、その十六の島    |小(を)舟、海苔 取るわざも|手馴れ 手馴れて、
                                           <ナレ><ナレ>

 しどけ|ない|
    |着こなし  |であるよ、その十六歳の女の子が|
                |  十六 島   で|小舟を操り、海苔を取る仕草も|手馴れに手馴れて、

                              ┌───────────┐
○棹も|水  馴れ   の|やるせなき  、浪のあら め |や|打ち寄する|    |
      
<ナレ>                                |
                        《荒  布》
             |
 棹も|水  馴れ棹で  |                            ↓
   |扱いも馴れた動作が、悩ましいことよ。浪が 荒 っぽく| |打ち寄せる|のだろうか、それでも、

○よその見る目も何 |よし|あし|の    、サヨエ、闇      を|縫ひ縫ひ       |飛ぶ蛍 、
                                   
《縫ひ》
  人 の見る目も何が|よい、悪い|も構わない。サヨエ、
          | 葭 や 芦 |の茂みの |   |闇の中を針が布を|縫うように点滅しながら|飛ぶ蛍は、

○   |袖師が浦の|模様どり、ほんにほんに|しをらし  や。
    《袖》《裏》《模様》

 まさに|袖師が浦の|模様作り、本当に本当に|可愛い ことよ。

○     |染め  | 色 々 の|つた もみぢ     、手間の関山 |      つい |打ち越えて、
 秋になって、紅葉する| 色は   |
           |いろいろの| 蔦 や 紅葉 を見ながら、手間の関山を|手間もかけず難無く|  越えて、

○サヨエ、月は|夜ごろに|木 隠(こがく)れの、妻に  焦がるる  |さをしかの、ほんにほんに|しをらし  や。
                <コガ>       <コガ>

     月は|ここ数日|木に隠れて     、
            |木の陰で      |妻に恋い焦がれて鳴く| 牡 鹿 が、本当に本当に|可愛い ことよ。

○秋も暮れ、わがの河原のわが思ひ、縁を結ぶのみ社     へ|歩みを運び、かねて   願ひの|一筋を、
     <ワガ>  <ワガ>

 秋も暮れ、わがの河原の私の恋心、縁 結びのみ社、出雲大社へ|参詣して 、以前からの念願 の|一件を、

○つい  |打ち明けて|言う て見よ かいな     、人   目を|はぢ  の|片 里  や、
 ちょっと|打ち明けて|祈願して見ようか なとは思うが、人の見る目を|恥じて  、
                                  |土師の住む|片田舎で!、

○恋ひ わたる     ら む、  |さた の浦 、雪      の苫屋に|友 呼ぶ千鳥 、
               |よい|結末を祈って|
 恋いし続けるしかないのだろう。  |左太 の浦の|雪の積もっている苫屋で|友を呼ぶ千鳥は、

○ちりやちりちり    |散りかかる、吹雪を  花の|    |おもしろ   や。
 ちり!ちりちりと鳴いて、
 ちら ちら  と   |散りかかる|吹雪を桜の花に見立てると|風情があることよ。

○旅の宿り   を|指折れ   ば、はるばる        来ぬる|道しるべ    、
 旅の宿りの回数を|指折り数えると、はるばると遠くまでやって来た |道の      |
                                 |道 案内 のように、

○見 かへる空 も| 八  雲 立つ   |出雲八重垣つまごめに、八重垣つくるその八重垣を、
 振り 返 る空にも|沢山の雲が立っている。
         『 八  雲 立つ   |出雲八重垣つまごめに、八重垣つくるその八重垣を』と歌を詠んだ
                                             須佐之男命が

                                 ┌──────────┐
○守るや神の@国 |       |  すぐに、いく十返りの|春 や待つ    | ら む
      A道
                                    ↓
 守る!神の@国は、邪悪が行われず|真っ直ぐで、 何 千年 の|春を 待っているの|だろうか、
      A道

○   春 ぞ|待ち   |ぬる   。
 いや、         |きっと  |
   |春を!|待っている|に違いない。

【背景】

 八重垣

 乱暴な振る舞いのために高天原を追われた須佐之男命が、出雲の国の肥の河(現在の斐伊川と言われる)の河上に降り、八俣の大蛇を退治して櫛名田比賣(くしなだひめ)を助け、妻とした。そして比賣を伴って須賀(島根県雲南市大東町須賀)の地に宮を建てた。その時に詠んだのが次の歌である。

○八  雲 立つ     出雲   |八重  垣
 沢山の雲が立ち上ってこの出雲の国に|幾重もの垣根を作り、私達を囲んでくれる。

○妻      籠(ご)み  に|八重垣 作る    |   その八重垣を
 妻と私を一緒に籠もらせるために|八重垣を作ってくれる、ああ、その八重垣よ。(古事記・上巻・須佐之男命)

 この歌は、古今集仮名序などで、地上で詠まれた最初の歌とされている。曲名の『八重垣』は、その故事を踏まえ、出雲の国を指す代名詞として使われており、特定の『八重垣神社』などを指しているわけではない。

 鰐が淵瀬のみ寺

 鰐淵寺(がくえんじ)のこと。島根県出雲市別所町148。宗派:天台宗。本尊:千手観世音菩薩、薬師如来。創建年:伝推古天皇2年(594年)。開基: 伝智春、推古天皇(勅願)。
 出雲大社から山を隔てて東北東に6キロほど、鼻高山の山中にある。斐伊川の下流からは6キロほど離れている。
 交通:一畑電車北松江線雲州平田駅から平田生活バスで30分。
 推古2年、信濃の国の智春上人が、遊化して当地に至り、推古天皇の眼疾を浮浪の滝に祈って平癒させたので、その報賽(ほうさい)として建立された勅願寺の名刹である。鎌倉時代には出雲大社と神仏習合の関係となり、その別当寺を務めた。また、武蔵坊弁慶は、ここで三年間修行した後京の比叡山に移り、そこで牛若丸と出会い、家来となった。弁慶は壇ノ浦で平家を滅ぼした後、またこの鰐淵寺に戻り、多くの伝説と遺品を残したことでも有名である。

 縫ふてふ鳥

○返し物の歌

○青柳  を|片糸に  縒り   て|うぐひすの縫ふ て ふ笠は|     梅のはながさ|

 青柳の枝を|細糸として縒り合わせて|鶯   が編むという笠は、そう、この梅の 花 笠 |であるよ。

                                   (古今集・巻第二十・神遊・1081)

 桜はものをおもはする

○世  の|憂さは|忘    るる|  花の木(こ)の下に     
 世の中の|辛さは|忘れていられる|桜の花の木   の下にいるのに、

  ┌───────────────────────────-┐
○など|  散る   ことの|思ひ |添ふ    | らん|
 なぜ|花が散るということの|悩みが|付きまとうの|だろう|か。(古歌)

○世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(古今集・巻第一・春上・53・在原業平)

 朝な朝なの峯の白雲

○吉野山 花     待つ頃   の|朝な朝な|       |心に|掛かる|峰の|白雲
                                  《掛かる》  《白雲》

 吉野山に花が咲くのを待つ頃になると、毎朝毎朝、花ではないかと、気に|掛かる|峰に|
                                  |掛かっている|白雲であることよ。

                                    (集外歌仙・佐川田喜六昌俊)

 磯菜摘むてふ

○  大神宮に|奉りける|百首 歌の中に、若菜を詠める 。
 伊勢大神宮に|奉納した|百首の歌の中で、若菜を詠んだ歌。

                     ┌─────────────────────┐
○今日            と   て|や|    |磯菜 摘む|      らん|
 今日は子の日、若菜を摘む日だというので、 |代わりに|磯菜を摘ん|でいることだろう|か、

○伊勢 島 や|一志(いちし)の浦の海士(あま)の乙女子
 伊勢の国の!|一志     の浦の海士    の乙女子は。(新古今集・巻第十七・1612・藤原俊成)

 手間の関山

 島根県安来市と鳥取県米子市の県境にある要害山を、昔は手間山と言い、関所があった。また、石見銀山の跡もある。

○八雲立つ出雲の国の手間の関てまと名づけし由も知られず(古今六帖)

○さりともと思ひしかども八雲立つ手間の関にも秋はとまらず(堀河百首)

 さたのうら

 「左太の浦」などの地名だが、場所は不明。

○沖つ波辺波の来寄る左太の浦の|この  時(さだ)過ぎて    |後(のち)  |恋ひ   |  む|かも
               |このよい時機  が過ぎてしまって、後で、あの人を|恋い慕うの|だろう|か!

                                    (万葉集・巻第十一・2732)
作詞:不詳
作曲:山田検校





【語注】


松江 島根県の県庁所在地。宍道湖の東端、出雲大社の東方約35kmほどの所にある。
荒乳山 島根県内にあるはずだが、現代では不明。福井県敦賀市南部の旧愛発村と、滋賀県高島市マキノ町小荒路(こあらじ)との間にこの名の山があったことは分かっている。
日の岬 現代の表記は日御埼。出雲大社の北西約6kmほどの所にある、島根半島の西端の岬。
簸の河 現代は斐伊川と表記。島根県と鳥取県の境にある中国山地の船通山に源を持ち、島根県東部を北西流して宍道湖に注ぐ川。上流は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の八岐大蛇(やまたのおろち)退治の地として知られる。
鰐が淵瀬のみ寺⇒背景
草まくら、縫ふ 「草枕」は「結ぶ」「結ふ」などと縁語として使われるが、ここは「縫ふ」と縁語にした。
縫ふてふ鳥⇒背景
桜はものをおもはする⇒背景
朝な朝なの峯の白雲⇒背景
浦・干潟は縁語。
磯菜摘むてふ⇒背景
壺折 着物の裾をはしょる着方。
褄からげ 褄をまくり上げる着物の着方で、ここでは、海で仕事をする時の服装。少女の脚が露出して、色っぽく見える。「褄」は着物のはし・へり。
棹も水馴れ 水馴れ棹(舟の棹)のことで、扱い馴れている意が掛けられている。
十六の島 島根県出雲市十六島(うっぷるい)町に多くの小島がある。うっぷるい岩海苔の名産地として知られる。うっぷるいは、(海藻を)「うち振るい」が訛ったものと言われる。
荒布 あらめ。海藻の名。食用にする。
縫ひ模様は縁語。
サヨエ 歌の中の囃し言葉。
袖師が浦 宍道湖の東岸、松江市袖師町の海岸を今でも袖師ヶ浦と言う。
手間の関山⇒背景







わがの河原
 地名だが、どこにあるかは不明。
縁を結ぶのみ社 出雲大社。祭神は大国主命。
はぢ 「恥づ」は動詞ダ行上二段活用。「はじ(土師)」はハニシの転で、上代に埴輪などの土器を作った部民(べのたみ)。ハニは土。江戸時代の図解入り百科事典とも言える『和漢三才図会・巻第七十八」に「土師天神 出雲の国土師村に在り。」とあるが、現在は島根県に「土師」の地名はない。
さたの浦⇒背景











 @ A
いく十返りの
 松は百年に一度、千年に十回花を咲かせるという伝説による。



































返し物 
和琴の調絃を呂から律に転調すること。
片糸に縒りて 柳の枝は漢語で「柳糸」と言い、糸に喩えられる。また、当時、太い糸は細い糸を縒り合せて作った。その細い糸を「片糸」と言った。
うぐひすの縫ふてふ笠 古くは、笠を編むことを、「笠を縫ふ」と言った。
梅の花笠 梅の花の絵や模様を一面に描いた笠。梅の花の中を忙しく飛び回る鶯を、青柳の細枝を片糸として縒り合せて、梅の花笠を編んでいるのだろうと諧謔的に詠んだ歌。






































 
  
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