十返りの松
【解題】 昭和三年五月、今井慶松主催の『移風会』の十周年記念曲として作曲された、祝賀の格調高い曲である。全体の趣旨は 、様々な松の姿を綴ってその美質を賞し、併せて、移風会の十周年を祝い、また、この年に行われた昭和天皇の御即位の 大典の慶賀の意味も込めている。会の当日、六代目尾上菊五郎が踊ったので、歌詞に、「斧琴菊(よきこときく)」など の尾上家関係の文字も見られる。今井慶松は三世山勢松韻の弟子で、昭和前期の山田流の代表的演奏家。 【解析】 ○青 山(せいざん)に雪 ありて |松 の| 姿を現し、 青い山 に雪が降って木々が枯れても、松だけは緑を保つ|強い姿を現し、 ○碧落(へきらく)に|雲 無(の)うして、 | 鶴の| 心に|かなえり 。 青空 に|雲一つなく て|鶴が飛ぶ時、青空は鶴の|清らかな心に|似つかわしい。 ○わが宿の庭の小山に植ゑ 置ける、若松、小松、姫小松 、緑 重ねて| 十返りの、 私の家の庭の小山に植えて置いた、若松、小松、姫小松が、緑の齢を重ねて、百年に一度、千年に十回 | ○花 咲く春に| | 大 君の、御代はあらたにあきらけく、 光を仰ぐ 朝日 影 、 花が咲く春に、我らが| 会う | |昭和の 大 君の|御代は新しく 又清明に |国民が光を仰ぎ見る朝日の光のように、 ○ 空ものどかにうらうらと、霞 わたれ| る| |四つの海 、 |波の鼓のざざんざ に、 春の空ものどかにうらうらと| 一面に| |霞ん |でいる| |四つの海 。その|波の鼓のザーザーという音に、 ○調べを合わす松の風、君 が 代は 天 の羽衣 |稀に |きて、撫づとも| 尽きぬ | 調べを合わす松の風、天皇の御代は、天人が羽衣を| |着て、 |百年に一度地上に|来て、撫でても|磨り減らない| ○ |岩が根の 、磯馴(そな)れ の松や浜の松、思い入江の底 すみて、 四十里四方の|岩 山のように永劫に続き、 |岩 山の |磯に傾いて生えている松や浜の松、思い入江の底のように澄んで ○鏡を磨く 水の|おもに、映す姿も|相生の|妹背 |わり なき夫婦松 、 鏡を磨いたような水の|表面に、映す姿も|二本で|カップルの|離れられない夫婦松は、 ┌─────────────────┐ ○幾年月を |ふる | ↓|雪 に |なほ| 色 まさる|常磐木(ときはぎ)の| 幾年月を一緒に|過ごしてきた|だろうか、 |降る | |雪の中でも|更に|緑の色が深まる|常緑樹 の| ○連理の 松の下陰に| |落葉 かく子の たわれ歌、 夫婦円満の象徴の松の木陰に|その夫婦松の|落葉を熊手で掻く人の歌う 戯 れ歌、 ○松になりた や 磯辺の松に、女波男波が濡れかかる、 松になりたいなあ、磯辺の松に、女波男波が濡れかかる。 ○松になりた や 高嶺の松に、月が夜毎に 来て|宿る 。 松になりたいなあ、高嶺の松に、月が毎夜 訪ねて来て|夜を過ごしていく。 ○海の貢(みつぎ)や山の幸、わけて |今年の出来秋を、まつ に かいある |おとずれ は、 | 松 | 海の産物 や山の幸、とりわけ、今年の収穫期を 待っているとその甲斐あって、 訪 れてくるのは、 ○神代に通う 神楽歌、五節 の舞 も|時 を得 て、千秋万歳 限りなき | 神代を偲ばせる神楽歌、御即位の祝典も|時宜に適って、千秋万歳に限りなく続く天皇の| ○御代の初めの |大御典(おおみのり) 、 斧(よき) 琴 |菊 |の盃に、 御代の始めの祝賀の|御大典 に重ねて、よき 琴の伴奏で|菊五郎の踊りも花を添え、 |菊 |の盃に、 ○ 松の|よわいを|重ね重ねて| 。 今井慶松の| 松の|長寿 を、重ね て、 |重ね重ね |目出度い祝典をお祝いしよう。 【背景】 青山に雪ありて ○青 山に雪 |あつて 松 | の 性を|諳(そら)んず 青い山に雪が|降って木々が枯れても、松だけは|緑を保つ強い 本性を|忘れない 。 ○碧落に|雲 なくして| | |鶴の| 心に|稱(かな)へり 青空に|雲一つなく て|鶴が飛ぶ時、青空は|鶴の|清らかな心に|似つかわしい。 (許渾・全唐詩巻二十・和漢朗詠集・巻下・松) 姫小松 ○子の日 し て| 占め つる|野辺の姫小松 子の日の遊びをした時に|自分のものと決めておいた |野辺の姫小松よ。あまりに可愛いので、 ┌───────────────────────────┐ ○引か |で |や|千代 の 陰(かげ) を|待た|まし|↓ 引き抜か|ずにおいて| |千年も立派な木陰を作るほど成長するのを|待と| う |かしら。 (新古今集・巻第七・賀・709・藤原清正) 波の鼓のざざんざに 松風の音と波の音は共鳴し合っている、いわば合奏しているという発想は、古来からある。 ○住 の 江の|松を秋風 吹く |から に| 住吉の入江の|松を秋風が吹いて音楽を奏でる|のと同時に、 ○ |声 うち添ふる|沖つ白波 それに|声をうち添える|沖の白波であるなあ。(古今集・巻第七・賀・360・凡河内躬恒) 五節の舞 朝廷で、大嘗祭には五人、毎年の新嘗祭には四人の舞姫たちによって演じられる、舞楽を中心とする行事。陰暦十一月 の中旬、四日間行われる。新嘗祭は新穀を神に供え、自らも食べてその年の収穫を神に感謝する行事。大嘗祭は、天皇即 位後初めての新嘗祭。「舞」は、ここでは菊五郎の踊りの意味も含めている。 御代の初めの大御典 昭和天皇の即位の礼は昭和三年十一月十日、大嘗祭は同十一月十四日、その後の大饗が同十一月十六日、京都御所で 古式通りに行われ、五節の舞も演じられた。この三日は祝日となり、百官が京都に参集した。 (参考) 朕大禮ニ關スル休日ノ件ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム 御 名 御 璽 昭和三年九月八日 内閣總理大臣 男爵 田中 義一 勅令第二百二十六號 左ノ祝日及祭日ハ休日トス 即位ノ禮 昭和三年十一月十日 大嘗祭 昭和三年十一月十四日 即位禮及大嘗祭後大饗第一日 昭和三年十一月十六日 |
作詞:中内蝶二 作曲:今井慶松 【語注】 青山に雪ありて⇒背景 碧落 青空。 植ゑ ワ行下二段「植う」の連用形。 姫小松 「姫」は接頭語。小さな松。⇒背景 十返りの花 松の花の雅称。祝賀の意に用いる。 十返りの花咲く 松は百年に一度、千年に十回花が咲くという伝説。 波の鼓のざざんざに⇒背景 撫づとも尽きぬ岩が根 インドで説かれた話。四十里四方の石山に、百年に一度天人が降りてきて、やわらかな絹の衣で撫でる。そのためにこの石山が磨り減って全部摩滅するまでの時間を一劫と言う。極めて長い時間の単位として、仏教で使われる。阿弥陀如来は五劫の間、思案に思案を重ねて衆生救済の道を考究したと言う。落語の『寿限無』の中にある「五劫の擦り切れ」は、この話に拠ったもの。 五節の舞⇒背景 御代の初めの大御典⇒背景 斧琴菊 三世尾上菊五郎が考案した図案で、「良い知らせを聞く」という慶賀の意に通じる。現在でも手ぬぐいなどに染め出され、歌舞伎のみやげ物として売られている。 子の日 子の日の遊びのこと。正月の初めての子(ね)の日に、野に出て、若菜を摘み、小松を引き抜いて持ち帰る。松は自邸の庭に植えて育てる。松の長寿にあやかる風習。 占め 縄を張るなどして、自分の物と標示すること。 待たまし 「や…まし」はあやふやな意志を表す。 御名御璽 ぎょめい・ぎょじ。天皇のサインと捺印のこと。 |