袖香炉
【解題】 作曲者の峰崎勾当が、天明五(1785)年に没した師、豊賀検校の追善のために作曲した曲で、歌詞は錺屋次郎兵衛に頼 んで作詞してもらったもの。錺屋と豊賀も知り合い同士で、お互いに認め合った通人であったことが、歌詞の行間から伺 われる。和漢の古典を引用して作られた歌詞であるが、故人に対する深い愛惜の念が素直に表現されており、出色の追善 詩と言うべきだろう。「それかとよ香やは」の部分に豊賀の名が読み込まれている。 【解析】 ○春の夜の、闇 は|あや なし 、 春の夜の 闇という奴は|筋の通らないことをするものだ。 ┌─────────┐ ○ |それ|かとよ、 | か |やは|隠るる| | |梅の花 、 《 豊 賀》 ↓ あれが|それ|かと!、美しい色は見えないが、芳しい香り| は|隠れる|だろうか | |いや、隠れない|梅の花が、 ○ |散れ ど |薫りはなほ| 残る 、袂に 伽羅の煙り草 。 |散っ ても|薫りはまだ| 残っている。 豊賀先生は|亡くなっても| |袂に香る伽羅のお香のように |遺徳はまだ|この世に残っている。 ○きつく|惜しめど |その甲斐も、 |なき | 玉 衣 | いくら|悲しんでも|その甲斐も| |なく、 |今は|亡き先生の|御霊(みたま)|は| |きれいな衣装 | |に包まれて、 ○ほんにまあ、 本当にまあ、|こんなになっちゃって!!しかし、季節は春、 ○柳は緑、 |紅の、花を見捨てて| 柳は緑、花は|紅 、 |ありのままを素直に受け入れるしかないか。それにしても、 |紅の、花を見捨てて| ○ |帰る雁。 |帰る雁は北に飛んで行くが、 先生! 遠いところに|行っちゃうなんて…。 【背景】 春の夜の、闇はあやなし ○春の夜の闇 は|あやなし |梅の花 | 色|こそ|見え|ね | 春の夜の闇という奴は|筋の通らないことをするものだ。梅の花の|美しい色| は |見え|ない|が、 ┌─────────┐ ○香(か)やは|隠るる| ↓ 香り は|隠れる|だろうか、いや、隠れない。 (古今集・巻第一・春上・41・凡河内躬恒) 柳は緑、紅の花 ○満 眼 の|春 光 |色 色 |新たなり 見渡す限りの|春景色、何もかも|新鮮だ 。 ○ 花は紅|柳は緑、総(すべ)て | 情に|関す 桃の花は紅、柳は緑、全 ての自然が|私の心に|呼びかけてくる ○将に 鬱結(うつけつ)せる| 心 頭の事|を将(もつ)て 今にも鬱屈しそうな |私の胸の内の声|を ○ 黄鳥 に|付与して|幾声か|叫ば|しめ| ん |と欲す (朱淑真・愁懐) うぐいすに|頼ん で、幾声か|叫ば| せ |たい|と思う。 花を見捨てて ┌─────────────┐ ○春霞 立つ を|見捨てて |行く雁は|花 |なき|里に|住み|や|ならへ| る| ↓ 春霞が立つ都を|見捨てて|北へ|行く雁は|花の|ない|里に|住み| |慣わし|ている|のだろうか (古今集・巻第一・春上・31・伊勢) |
作詞・錺屋次郎兵衛 作曲・峰崎勾当 【語注】 袖香炉 そでごうろ・そでこうろう。袖の中に入れる小さな携帯用の香炉。 春の夜の、闇はあやなし⇒背景 伽羅 きゃら。沈香(じんこう)の芯から取った香料。 玉衣 ここでは死装束のことを美しく言ったもの。 花を見捨てて⇒背景 闇はあやなし 色々な寓意を読み取ることも出来るが、一首の主題は、芳しい香りを漂わせながら、どこにあるかその所在を知らせない梅の花に対する愛着と、そんないたずらをする春の闇夜に対するもどかしさである。 朱淑真 しゅしゅくしん。中国北宋時代の女性詩人。 |