四季の遊び(山田流)
【解題】 春夏秋冬の代表的な自然の景物を次々と配列し、自然を愛でる生活の楽しさを歌っている。 【解析】 ○新玉の|年 |たちかへる| 朝霞 、棚引かれ ゆく|小松 原 、 新玉の|年が|改まる |正月の朝霞に|棚引かれて霞んでゆく|小松の生えている野原で、 ○野辺の遊びも|初若菜 、梅が香 |さそふ 春風に、鶯 き なく|軒のつま| 。 野辺の遊びも、初若菜摘み、梅の香りを|誘ってくる春風に、鶯が訪ねて来て鳴く|軒 先 |である。 ○花の香 に<そめし |そめじ >は |きのふ に| て、 |苗代 水もゆたかなる、 |そめき |初めし | 花の香りに|浮かれ騒ぎ|初めたの|はもう| 昨日 のことに|なって、今は初夏、苗代の水も豊かに張り、 ○かはづ 鳴きたつ |ここかしこ 、紫 匂ふ かきつばた、同じ ゆかりの藤、 つつじ 。 蛙 が鳴きたてる|ここかしこの水辺に、紫が映えるかきつばた、同じ紫の 系統 の藤、そしてつつじが花開く。 ○かくばかり、寝ぬ |夜 重ねて待つ ものを、 これほどに、寝ずの|夜を重ねて待っている のに、 ┌───────────────────────────────-┐ ○など|ほととぎす | |つれなく も、 ↓ なぜ|ほととぎすは| |無情に も|鳴いてくれないの|だろうか。 |季節は|そ知らぬ顔で| |移り、 ○はや |秋風の吹き 誘ふ、 | 星 の夕べは|家々 に、 なびく若竹 短冊の| はやくも|秋風が吹き始めて人々の心を星空に誘う、その|七夕の夕べは、家々の軒に、風になびく若竹や短冊の| ○色の| |千草の 花 盛り 。野辺 は虫の音 |かずかずに| 、 色も| |様々で、 |まるで|色々な秋の花が咲き乱れるようだ。野辺には虫の音が| 数 々 に|鳴き競い、 ○ 分けつつ遊ぶ | 二度の 月 | 二度に分けて 楽しむ|八月十五夜と九月十三夜の二度の明月を見る風習|も風情がある。 ○賎(しづ)が 砧の音 澄みて 、初霜 むすぶ|神無月 、時雨とともに散る木の葉の| 貧しい家 で打つ砧の音が澄んで聞こえて、初霜が降りる|神無月となる。 |神無月の |時雨とともに散る木の葉が| ○池 の|こほりに水どりの| |憂き | 寝を|わぶる| 《水どり》 《浮き》 | 池に浮かび、冬となって、池の| 氷 に水 鳥 が|水に|浮かび ながら| |つらい心の まま |独り寝を|嘆く | ○夜な夜なの、寒さ 忘るる| |埋 火(うづみび)の|光 |のどかに| 夜毎夜毎の、寒さを忘れる|灰に|埋めた|炭 火 | 、やがて、 | 初日 の|光も |のどかに| ┌──────────┐ ○たが 宿も、とし 木| の松|に |春 |や|迎へ | む||。 どこの家も、新年の薪|を焚き、 ↓ |門 松|を立てて|春を| |迎える|のだろう|か。 【背景】 新玉の ○新玉の|年 立ち返る 朝(あした)より| 待たるる|ものは|うぐひすの声| 新玉の|年が 改まるその朝 から、しきりに待たれる|ものは|うぐいすの声|であるよ。 (拾遺集・巻第一・春・5・素性法師) ○明け わたる|高 峰(たかね) の雲に|たなびか|れ |光 消え 行く|弓張りの月| 一面に| 明けて行く |高い峰の上にたなびく雲に|隠さ |れて、光が消えて行く|弓張りの月|であることよ。 小松・若菜 ともに「子の日の遊び」に関係する。正月の初子(はつね)の日に、野に出て小松を引き抜き、門松に用いた。これが「根引きの松」である。また、古代宮中で内蔵寮(くらづかさ・くられう)・内膳司(ないぜんし)からその年の七種の新菜をあつものとして奉った。七種の新菜がどういう種類だったかは分からない。ずっと後の室町時代から江戸時代になって、七日の行事となり、七草、七草粥などと呼ばれた。春の七草は、 ○芹(せり)薺(なずな)御形(ごぎょう)繁縷(はこべら)仏座(ほとけのざ) ○菘(すずな)蘿蔔(すずしろ)春の七草(これぞ七草) の歌で知られているが、これも山上憶良の作として万葉集にある「秋の七草」と違い、確たる文献はなく、近世に作られた歌と言われる。『源氏物語』若菜の巻には、正月二十三日の子の日に、光源氏の義理の娘で今は鬚黒の左大将に嫁いだ玉鬘が、光源氏の四十の賀に、お祝いに来る場面がある。 ○正月二十三日 、子の日なるに、左大将殿の|北の方 、 |若菜 |参り|たまふ。 正月二十三日は、子の日なので、左大将殿の|北の方(玉鬘)が、源氏に|若菜を|献上|なさる。 ○かねて | けしきも|漏らし|たまは|で、いといたく|忍びて|思しまうけ|たり|けれ| ば 、 前もって|そういう 様子 も| | お | | 見せ |になら|ず、ひどく |内密に|準備なさっ|てい| た |ので、 ○ |にはか にて、 え |いさめ返し| きこえ |たまは |ず 。忍びたれど、 源氏には|突然のこと で 、 |辞退 |申し上げ|なさることが| |出来| |なかった。内々とは言っても、 ○ |さばかりの|御勢ひなれば、 |渡りたまふ|御儀式など、 太政大臣の娘で左大将の正妻という、それほどの|御威勢なので、六条院に|訪問なさる|御儀式など、 ○いと | 響き|こと なり。(中略) たいそう| |格別の |大騒ぎ| である。 ○若葉 |さす |野辺の小 松|を|ひき連れて| 《小 松》 《引き》 若葉が|芽生える|野辺の小 松| 幼い | 子供たち|を|ひき 連れて、 ○もとの岩根| を| 祈る |今日 かな 育ての 親 |のあなた様の長寿を|お祈りに上がった|今日でございますことよ。(玉鬘) ┌─────────────────────┐ ○小松原 |末の |よはひに|引かれ て|や|野辺の若菜も|年を積む|べき || 《若菜》 《摘む》 ↓ 孫 達の|末永い| 年齢 に|あやかって、 | 私 も|長生きが|出来るでしょう|か。(源氏) 寝ぬ夜重ねて ほととぎすの初音を聞くことは、古来から珍重された。『枕草子』(四一段・鳥は)にも、次のようにある。 ○五月雨の 短き夜に| 寝 覚めをして、いかで 人より先に 聞かむと|待たれて 、 五月雨の降る短い夜に|ふと目を覚まし て、ぜひ 他の人より先に初音を聞こうと|待ち遠しく思っていると、 ○ 夜深く|うち出でたる声の、らうらうじう|愛敬づきたる| 、 明け方のまだ暗い頃|鳴き出した 声が、垢抜けして |可愛らしい |のを聞くと、 ○いみじう|心 あくがれ 、 |せむかたなし。 もう |心もうっとりして、どうにも|たまら ない。 ○ 夜を 重ね |待ちかね 山の|ほととぎす | |雲 井の| よそ に| 一声ぞ|聞く 幾夜 も重ねて|待ちかねた | |待ちかね 山の|ほととぎすを、今夜|高い空の|かなたに|やっと一声!|聞いたことだ。 (新古今集・巻第三・夏・205・周防内侍) 神無月時雨とともに ┌────────────────┐ ○神無月 時雨の雨に濡れつつ |か| 君 が|行く|らむ || 神無月の時雨の雨に濡れながら、 |今頃 |↓ |あなたは|歩い|ているだろう|か、それとも、 ┌───────────┐ ○宿 |か|借る|らむ |↓ 宿を| |とっ|ているだろう|か。(万葉集・巻第十一・3213・作者不詳) ○神無月 |時雨も |いまだ|降らなく に 神無月になると当然降るはずの|時雨も、今は秋なので| まだ|降らないのに、 ○かねて |うつろふ|神奈備の森 前もって|色づく |神奈備の森よ。(古今集・巻第五・253・読人知らず) ○みづ鳥の鴨(かも)の |浮き 寝 |の 水 鳥の鴨 は水に|浮きながら寝るという定めない境遇だが、それと同じように、 ┌──────────────――┐ ○ |憂き |ながら|浪の枕に|幾夜 |経 |ぬ | らむ |↓ 私は|つらい心の|ままに、浪を枕に|幾夜を|過ごし|たことで|あろう|か。 (新古今集・巻第七・冬・653・河内) |
作詞:不詳 作曲:三世 山登松齢(〜明治36) 【語注】 新玉の 「年・月・日・春」などに掛かる枕詞。⇒背景 棚引かれ 「れ」は受身で、「雨に降られる」などと同じ用法。こういう用法を「迷惑の受身」と呼ぶ。 小松・若菜⇒背景 そめしそめじ この語句は不審。今は「そめきそめし」の誤記として訳した。「そめく」は「ぞめく」と同じで、浮かれ騒ぐ意。 苗代 なはしろ。ナハはナヘの古形。シロは四方を限った区域。稲は春先に田の一角に苗代を作り、籾を蒔いて育て、梅雨時に田植えをして、田に植え替える。 寝ぬ夜重ねて⇒背景 神無月時雨とともに⇒背景 水どりと浮きは縁語。 とし木 年木。歳木。新春の用意のために年末に切り出しておく薪。節木(せちぎ)。また、門松の意もある。 待たるる るるは自発。 弓張りの月 半月。半円の部分を弓、真っ直ぐな部分を弦と見ている。ここは下弦の月。深夜過ぎに東の地平線上に上り、普通は明け方南の空に消えるが、空が澄んでいる時は昼の月となる。 小松と引きは縁語。 待たれて 「れ」は自発。 待ちかね山 摂津の国の歌枕。大阪府豊中市にあり、待兼山町の地名も残っている。 河内 かわち。平安後期の女流歌人永弥僧正の妹と伝える。百合花とも。後三条天皇皇女俊子内親王の女房。 |