笹の露(酒)

【解題】

 孔子や釈迦の言葉、古事記や日本書紀の酒に関する記事、中国の酒豪の詩人たちまで引き合いに出し、酒の徳を称えたもの。「ささ」「笹の露」は、酒の異称。

【解析】

                                   ┌──────────────┐
○酒 は 量り      なしと|宣(のたま)ひし、聖人   は上戸に|や|ましまし  |け   ん|
 酒には、適量というものはないと|仰っ    た、聖人の孔子は上戸で| |いらっしゃっ|たのだろう|か。

                                   ┌─────────────┐
○    |三十六の失 ありと|諫(いさ)め給ひ し 仏  は、下戸に|や|おはす    |らん |
 飲酒には|三十六の害があると|注意   なさったお釈迦様は、下戸で| |いらっしゃるの|だろう|か。

○何はともあれ、八雲立つ、出雲の神               は|八       しぼりの、 酒に
 何はともあれ、八雲立つ、出雲の神の素盞鳴尊(すさのをのみこと)は、八遍も繰り返して醸造した強い酒で

○        大蛇(おろち)を|平らげ|給ふ  。これ みな酒の|徳なれ や。
 八岐(やまた)の大蛇     を|退治 |なさった。これはみな酒の|徳であるよ。

○大石 避けつる|畏(かしこ)み|も、    尊(      みこと)の酔(ゑ)ひの|進む |  なり 。
 大石が逃げたの|       |も、品陀和気命(ほむだわけのみこと)の酔った   |勢いを|
        |畏(おそ)れた|                             |からである。

○           | 姫     の尊(みこと)の|      |待ち酒を   、
 息長帯(おきながたらし)比賣(ひめ)の命(みこと)が|皇太子の為に|待ち酒を用意し、無事帰還を祝福して
                             
○         |さ さ よ |さ さ  |と  の|言の葉|に、
 「残さず飲みなさい。さあさあ! |  
          | 酒   を|さあさあ 、
                 | 酒  を」と歌った|言 葉|に|


○    |伝へ伝へて|今 世の人に|
 酒の徳を|伝え伝えて|今の世の人に|至ったのだ。だから、

○         |きこし召せ |さ さ  、きこし召せ |さ さ  。
 神々と同じ気持ちで、お飲みなさい|さあさあ 、
                 | 酒  を、お飲みなさい|さあさあ 、
                              | 酒  を。

○劉伯倫(りゅうはくりん)や李太白(りたいはく) 、酒を飲まね  ば|ただの 人     。
 劉伯倫        や李太白      も、酒を飲まなければ|ただの凡人だったろう。

○吉野 竜田の花紅葉 、酒がなければ|ただ  の     |とこ|     。
 吉野や竜田の花紅葉も、酒がなければ、ただ普通の風情のない| 所 |にすぎない。

○よいよい、よいの、よいやさ。
 よいよい、よいの、よいやさ。


【背景】

 酒は量りなし

○肉 多し   といえども|食の気  に勝たしめ  ず 。唯だ 酒は  量 なし、乱れに及ばず   。
 肉は沢山食べて    も、飯の量以上に食べてはいけない。しかし酒には定量がない。乱れない程度に飲め。
                                          (論語・郷党第十)

 酒に大蛇を平らげ給ふ

 古事記・上巻に須佐之男命(すさのをのみこと)の八俣の大蛇退治の話がある。以下、その概略。

 天照大御神の弟、須佐之男命は、あまりに乱暴だったので高天原から追放され、出雲の国の肥河(ひのかは)の河上、鳥髪というところに降った。その上流で、老夫婦が美しい乙女を真ん中にして、泣いているのに出会った。事情を聞くと、老夫婦は、足名椎、手名椎、娘の名は櫛名田姫で、毎年高志(こし)の国(越前・越中・越後)から八つの頭、八つの尾を持つ八俣の大蛇が来て、一人ずつ娘を喰っていき、最後に残ったこの娘を食らうために、もうすぐ大蛇がやって来ると言う。

○爾(ここ)に速須佐之男命 、乃ち|ゆつ  爪  櫛に|其の童女を|取り成して、御美豆良に刺して、
 そこで   速須佐之男命は、  |歯の多い爪形の櫛に|その乙女を|変身させて、御みずらに刺して、

○其の足名椎・手名椎神に|告りたまは | く |  、「汝 等 は、八塩   折 の     酒を醸み、
            |おっしゃった|こと|には、「お前たちは、八遍も繰り返し醸造した強い酒を造り、

○亦|垣 を作り廻(もとほ)し、その垣 に|八  門を作り、門毎に八  |さずきを|結ひ、其のさずき毎に
 又、垣根を作り回(めぐ)らし、その垣根に|八つの門を作り、門毎に八つの| 桟敷 を|組み、その 桟敷 毎に

○酒船を置きて、船毎に|其の八塩折の酒を盛りて待て」とのりたまひき。故(かれ)、告りたまひし随(まにま)に、
 酒船を置いて、船毎に|その八塩折の酒を入れて待て」と仰っ   た。そこで 、仰っ   た通り    に、

○如此(かく)設(ま)け備へて|待ち  し時、其の八俣のをろち 、信 に言ひしが如(ごと)|    来つ。
 このように|準備し    て|待っていた所、その八俣の 大蛇 が、本当に言ったとおりに  | やって来た。

○乃ち 船毎に| 己 が頭を垂入(た)れて|其の酒を飲みき。是に 飲み酔ひて   留まり伏し 寝    き。
 そして船毎に|自分の頭を突っ込ん  で|その酒を飲んだ。そして飲み酔ってそこに留まり伏して寝てしまった。

○爾に |速須佐之男命 、其の御佩(はか)せ る|十拳剣を抜きて、其の蛇を|切り散り    たまひしかば、
 そこで|速須佐之男命は、そのお差しになっていた|十拳剣を抜いて、その蛇を|ずたずたにお切りになっ た 所、

○肥河   |血に変り て流れき。故  、其の  中の尾を|切り|たまひ|し|時、御刀の刃 |毀けき。
 肥河の水が|血に変わって流れた。そこで、その真ん中の尾を|  | お |
                             |切り|になっ|た|時、御刀の刃が|欠けた。

○爾に |怪し  と思ほして   、御刀の前以ちて|刺し割(さ)きて 見たまへば、都牟刈(つむがり)の
 そこで、不思議だとお思いになって、御刀の先  で|刺し裂   いてご覧になると、都牟刈      の

○大刀(たち) 在りき。故  、此の大刀を取りて、異しき 物と| 思ほし  て、
 大刀    があった。そこで、この大刀を取って、不思議な物と|お思いになって、

○天照大御神に   |白(まお)し上げたまひき。是 は|草那芸の大刀なり 。
 天照大御神に事情を|申    し上げなさった。これは|草 薙 の大刀である。

○故、是を以ちて其の速須佐之男命、宮造作るべき地を出雲国に求ぎたまひき。爾に須賀の地に至り坐して詔りたまひけらく、「吾此地に来て、我が御心すがすがし」とのりたまひて、其の地に宮を作りて坐しき。故、其地をば今に須賀と云ふ。この大神初めて須賀の宮を作りたまひし時、其の地より雲立ち騰りき。爾に御歌を作りたまひき。其の歌に曰りたまはく、

八雲立つ 出雲八重垣妻籠みに 八重垣作る その八重垣を

とうたひたまひき。


 大石避けつる畏み

 
『古事記・中巻』の応神天皇(品陀和気命・ほむだわけのみこと)の項に、次のような話がある。

○    …須須許理(すすこり)ども、参渡り来つ。故(かれ)、この須須許理 、大御酒(おほみき)を|
 百済から、須須許理      などが渡来し た。そして  、この須須許理は|  酒      を|

○醸(か)みて   |献り き。ここに天皇 、こ   の献り し大御酒に|宇羅宜(うらげ)て、
 醸造し  て天皇に|献上した。そこで天皇は、須須許理の献上した  酒に|気分良く酔っ  て、

○御歌 曰(よ)み |したまひしく、
 御歌の朗誦   を|なさっ た 、

○須須許理が 醸み し御酒に 我 酔ひ に   けり  事無 酒(ことなぐし) 笑   酒(ゑぐし)に
 須須許理が 醸造した 酒に 私は酔ってしまったことだ 平和の酒      、 にこにこ酒     に

○我 |酔ひ に   けり
 私は|酔ってしまったことだ。

○と|歌ひ|たまひ|き。かく   歌ひて|幸行(い)でましし時、御杖を以ちて|大坂の道   中 の
 と|  | お |
  |歌い|になっ|た。このように歌って|お出かけになっ た時、御杖で   |大坂の道の真ん中にあった

○大石を|打ち|たまへ|ば   、その石 、走り |避(さ)りき。
 大石を|  | お |
    |打ち|になっ|たところ、その石が、逃げて|よけ   た。

○かれ 、諺(ことわざ)に「堅 石(かたしは)も|酔人(ゑひびと)を避(さ)く。」と曰ふ|なり 。
 そこで、諺      に「堅い岩      も|酔っ払い    をよける  。」と言う|そうだ。

 姫の尊の待ち酒

 「姫の尊」は息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと)・神功皇后のこと。神功皇后は仲哀天皇の妃で、応神天皇の母。『古事記・中巻・仲哀天皇』に『日本書紀・巻第九・神宮皇后・摂政十三年二月』の記述を補うと、次のような話がある。

 神功皇后は仲哀天皇の摂政として、新羅征伐の後、忍熊王(おしくまのわう)の反乱を制し、内外の治世を固めたが、その治世13年春2月8日、武内宿禰(たけのうちのすくね)を皇太子品陀和気命(ほむだわけのみこと・後の応神天皇)に従わせ、近江の国と若狭の国に禊に参らせた。
 17日、皇太子は敦賀から戻った。この日、皇后は皇太子の無事帰還を祈って用意した「待ち酒」の盃をささげ、祝いの歌を歌った。

○此の御酒は 吾  が御酒ならず  神酒(くし)の司(かみ)   |常世  に|坐(いま)す|
 この 酒は 私だけの 酒ではない。 酒    を司る役職で、今は|常世の国に|いらっしゃる|が、

○     |石(いは)立たす       少名    御神(すくなみかみ)の 神寿(かむほ)き
 この世には|石像として立っていらっしゃる 少名毘古那の 神        が 神の祝福を与え 、

○寿(ほ)き狂ほし 豊(とよ)寿き 、寿き 廻(もと)ほし、献(まつ)り来(こ)し|御酒 ぞ
 祝福し  狂い 、超    祝福し、祝福しまくり    、献上して  き   た| 酒だぞ。

○乾(あ)さず|食(を)せ|さ さ
 残さず   |飲みなさい。さあさあ。

 武内宿禰も皇太子に代わって歌った。

○此の御酒を 醸(か)みけむ人は その鼓 |    臼   に|立てて 歌ひつつ  醸みけめ  かも|
 この 酒を 作っ   た 人は その鼓を、酒を作る臼のそばに|置いて、歌いながら 作った からか!、

○此の御酒の あやに うた  |楽し  さ さ
 この 酒の 目っ茶 やたらに|旨いぞ さあさあ。
作詞 :島田両三
作曲 :菊岡検校
箏手付:八重崎検校


【語注】



酒は量りなし⇒背景
上戸 酒を沢山飲む人。


下戸 酒の飲めない人。
出雲の神 素盞鳴尊。速須佐之男命」とも書く。
酒に大蛇を平らげ給ふ⇒背景





大石避けつる畏み⇒背景



姫の尊の待ち酒⇒背景














劉伯倫 竹林の七賢の一人。酒豪で有名。
李太白 唐代の詩人、李白。酒豪で有名。長江に舟を浮かべ、酒に酔い、水に映った月を掴もうとして、長江に落ちて死んだという伝説がある。
吉野 紀州の吉野山。桜の名所。
竜田 奈良の竜田山、竜田川。紅葉の名所。















速須佐之男命 「速」は美称。「建速(たけはや)須佐之男命」と言うこともある。
その乙女 櫛名田比売。櫛に変身したので、櫛名田比売と呼ばれる。
美豆良 上代の男子の髪型の一つ。左右に分けて、耳の辺りで丸く束ねてある。
酒船 船の形をした酒を入れる器。










肥河 現在の斐伊川。典型的な天井川で、古来から氾濫が多い。八俣の大蛇は、氾濫する川の擬人化と言われる。
都牟刈 語義未詳。



































大坂 大和から河内へ越える坂。



堅石も酔人を避く どういう趣旨の諺かは不明。一説に「酔っ払いには気をつけろの意」と言う。

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