桜狩
【解題】 歌詞は越前家の姫君が作詞され、山田検校が松平楽翁公に依頼されて作曲したと伝えられる。贅を尽くした観桜の楽しさを、古典の名歌、物語の章句などを引きながら豪勢なまでに描き切った名詩と言える歌詞である。 【解析】 ○のどかなる、ころも|きさらぎ|おしなべて、見渡す山も| |うちけむり、柳の 糸の浅緑 、 《衣》《着》 のどかな 頃 も|如 月 |一面に 、見渡す山も|霞・雲・桜に| 煙って、柳の細い枝の浅緑は、 ○春の錦 か| あやなくも 、都に |知ら |ぬ | 白 雲の、 <シラ> <シラ> 春の錦だろうか、模様もはっきりせずに、都では|見られ|ない| 白 雲が ┌─────────┐ ○立て| る| |や| 知るべ| ↓ 桜狩 。人の心も|あこがるる| 立っ|ている、それが| |道知るべ|だろうか、桜狩に出かける。人の心も|浮き立つ 、春霞の立つ都の ○空を見捨てて| 、越 路(こしぢ)には、 |待つ| ら む|ものを 空を見捨てて|北に行く雁を、越後路 では、春の訪れとして人々は|待っ|ているだろう|が 、 ○ 行く雁の、 |かをる、かをる|つばさは|雲 に消え、声 は| あはれ に| その、空を行く雁の、花の香りに| 薫 る、 薫 る|つばさは|雲間に消え、声だけは|もの悲しそうに| ○聞こゆ| なり。 |行方 |慕ひ て立ち止まり、名残りは|暫(しば)し|忘れ|ね | ど、 聞こえ|てくる。その雁の|行方を|見送って立ち止まり、名残りは|しばらく |忘れ|ない|けれど、 ○初 花 車 | |めぐる 日の、轅(ながえ)|連ねて| 《車》 《めぐる》 《轅》 初花で飾った花見の車が| | 回 る。 |日が空を| | 巡 る一日の、長い時を | |轅 を|連ねて|皆が| |野山を| 巡 るので 、 ┌──────────────┐ ○見 | ず |も|あら ず | 、見 もせぬ人 |や| |花 の友| ↓、 見たことが|ない|ので|も| ない|人も、見たこともない人も| |、皆|花ゆえの友|であろうか、 ○知る も|知らぬ |も 花の陰、|相 宿り し て 菅(すが)の根|の 、永き春 日@をAも 知る人も|知らない人|も、花の陰に|共に宿 をとって、山菅 の根|のような 永い春の日@をAも ○徒(いたづら)に、日数(ひかず)過ごして|花 衣 、 馴れし袂(たもと)も| 他に何もせず に、日数 を重ね て|花見衣を着て過ごすので、着馴れた袂 も| ○ 香(か)に|染み て、野辺も山辺も 花 ゆえに、至ら ぬ |隈(くま)は|なけれ| ども、 花の香り に|染まって、野辺も山辺も、花を見るために|訪ね行かない|所 は|ない |けれども、 ○山の、山の岩根を|求(と)めて落つる、千筋(ちすじ)百(もも)筋 |佐保(さほ)姫の、 山の、山の大岩を|伝っ て落ちる、千筋にも 百 筋にも|佐保姫 が、 ○手 引きの| 糸の 滝 | |なく | ば、 手で機(はた)を織る |白糸のような滝が|もし|なかっ|たならば、 ○ |手(た)折りて |行かむ、入相(いりあい)の、|鐘 より|先に 枝を|手 折って持って|行こう、夕暮れ の |鐘が鳴るより|前に、 ┌────────┐ ○春霞 、立ち |な|隠し |↓|そ、 風は吹くとも。 春霞よ、立って|花を| |隠してくれる|な|よ、たとえ風は吹いても。 【背景】 柳の糸の浅緑 ○浅緑 |糸 |よりかけ て白露を|玉に も|抜け る|春の柳 か 浅緑色の|糸を|縒り合わせて白露を|玉として!|貫いている|春の柳であることよ。 (古今集・巻一・春上・27・僧正遍照) 春の錦か ○花盛りに京を|見やり |て|よめ|る| 。 |遠くから見|て|詠ん|だ|歌。 ○見渡せば 柳 桜 を|こきまぜ て|都ぞ| 春の錦 |なり | ける 見渡すと、柳の薄緑、桜の薄紅を|混ぜ合わせて|都は|まるで春の錦の織物のよう|である|ことよ。 (古今集・巻一・春上・56・素性法師) 上の歌は、都の風景を桜と柳で織られた春の錦に喩えているが、それは実は、下の歌に詠まれているような、紅葉が秋の錦であるという既成の発想を踏まえている。 ○嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり (後拾遺集・巻第五・秋下・366・能因法師) ○千早ふる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは (古今集・巻第五・秋下・294・在原業平) ○竜田川もみぢみだれて流るめりわたらば錦なかやたえなむ (古今集・巻第五・秋下・283・読人知らず) 都に知らぬ白雲の ○吉野山 |峰に 波 |寄る |白雲と|見ゆる は |花の|こずゑ|なり | けり 吉野山の|峰に白波が|寄せて|白雲と|見えるのは、よく見ると、桜の|花の| 梢 |であっ|たのだなあ。 (金葉集・第一巻・春・52・藤原忠隆) 人の心もあこがるる ○花盛り 四方の山辺に| あくがるる |春 は 心の身 に|添は ぬ | かな 花盛りで、四方の山辺に|心がさまよい出る|春という季節は、心が体の中に|落ち着かない|のだなあ。 (千載集・巻一・春上・64・藤原公衡) 空を見捨てて ┌─────────────┐ ○春霞 立つ を|見捨てて |行く雁は|花 |なき|里に|住み|や|ならへ| る| ↓ 春霞が立つ都を|見捨てて|北へ|行く雁は、花の|ない|里に|住み| |慣わし|ている|のだろうか (古今集・巻第一・春上・31・伊勢) 越路には待つらむものを ○越の国に| |侍り |ける時 春の比(ころ) 権中納言公雄の許に|遣し|ける| 越の国に|赴任して|おりまし| た 時、春の頃 、都の権中納言公雄の所に|贈っ| た |歌。 ○思ひ き|や |慕ひ なれ |に|し|春の雁| 想像した|か、いや、想像もしなかった。都で| いつも| |見送っ |ていた|春の雁|を ○ 帰る|山路(やまぢ) |に|待た |む|もの|とは その雁が帰る|山路の向こうの越の国|で|待つことになろ|う| |とは。(新後撰集・旅・藤原忠資朝臣) ○返し 返歌 ○ |越 路には |都の秋 |の 心地 |して あなたは、越の国では、|都の秋に雁がやって来るのを待つ|のと同じ気持ち| で 、 ○さぞ な |待つ|らむ |春のかりがね | さぞかし| |春の 雁 を| |待っ|ているのでしょうね。 (新後撰集・旅・權中納言公雄) 見ずもあらず ○昔、右近 の馬場(むまば)の| ひをり |の日、むかひ に立てたりける車に、女の顔の下簾|より 昔、右近衛府の馬場 の|騎馬の競技|の日、向かい側に止めてあった車に、女の顔が下簾|から ○ほのかに| 見えければ、 |中将| な り|ける|男の詠みて| |やり|ける| 。 かすかに|透けて見えたので、近衛の|中将|であっ| た |男が詠んで|相手に|贈っ| た |歌。 ○見 ず | も|あら|ず| |見 も|せぬ | 人 の|恋しく|ば 見たことがない|のでも| な く |はっきり|見たこと も| ない|あなたが|恋しい|ので、 (いつか会ったようでもあるが 、 かといって、確かに |会ったというわけでも| ない|あなたが|恋しい|ので、 どういう人か、逢って確かめたくて、) ┌────────────────────┐ ○あやなく けふ |や| ながめ |暮らさ| ん|↓ わけもなく心乱れて、今日一日中| |思いにふけって|暮らす|ことでしょう|か。 ○ 返し、 女の返歌、 ┌───────────────────────┐ ○知る |知らぬ 何 |か|あやなく|わき て|いは ん|↓ 知っているとか|知らないとか、どうして| |無理に |区別して|言う必要があるでしょう|か、 |いいえ、ありません。 ○ |思ひ |のみ|こそ| | しるべ|なり |けれ | 火 | 男女の間では、恋の|思いの| | 火 |だけ| ! |が|道しるべ|なのです|から! ○ 後は 誰 と|知り|に| けり 。 その後 、男は女に逢って、どういう人か |知っ|た|そうだ。(伊勢物語・九十九段) 菅の根の ○山桜よそに見るとて菅の根の、長き春日を立ち暮らしつる (『風雅集・春中・紀貫之) 至らぬ隈はなけれども ○春の | 色 |の|至り |至らぬ 里 は|あら|じ 春という|季節|が|至った里、|至らない里という区別は|ないだろう。 ○ |咲け|る| |咲か|ざる|花 の 見ゆ | らん | それなのに、 | なぜ 、 |咲い|た|花、|咲か|ない|花という区別がある|のだろうか。 (古今集・巻二・春下・93・読人知らず) 山の岩根をとめて落つる ○さだときの皇子のおばの|四十路の| 賀 |を大井にてしける日 、詠める |四十歳の|長寿のお祝い|を大井 で し た 日に、詠んだ歌。 ○ |亀の をの山|の岩根を|とめて|落つる| 《亀》《尾》 その名も目出度い|亀の 峰の山|の大岩を|伝って|落ちる| ○滝の|白 玉| 千世の かず|かも 滝の|白い飛沫|の数はあなたの千年の齢の 数 |でありましょう。(古今集・巻第七・賀歌・350・紀惟岳) 滝なくば ○石 ばしる | 滝 | |なく | もがな 岩の上を走り流れる|急流|が|なければ|よいなあ。 ○ 桜花| |手折りても|こ| ん |見 ぬ |人のため そうすれば、桜花|を|手折って!|来|よう、あの美しい桜を|見ることが出来ない|人のために。 (古今集・巻第一・春上・54・読人知らず) 春霞、立ちな隠しそ ┌─────────-┐ ○春霞 |なに|隠す| ら ん|↓ 桜花 散る間を| だに |も|見る|べき |ものを 春霞は、|なぜ|隠す|のだろう|か、あの桜花を。 | せめて | 散る間 |だけでも|!|見 |ていたい| のに。 (古今集・巻第二・春下・79・紀貫之) |
作詞:不詳 作曲:山田検校 【語注】 衣と着は縁語。 きさらぎ 旧暦二月。現在の三月頃。 柳の糸の浅緑⇒背景 春の錦か⇒背景 都に知らぬ白雲の 山一面に桜が咲き集まり、白雲のように見えるのを、都では見られない白雲と表現した。⇒背景 人の心もあこがるる⇒背景 空を見捨てて⇒背景 越路には、待つらむものを⇒背景。 聞こゆなり 「聞こゆ」は終止形なので、「なり」は伝聞推定。 車とめぐると轅は縁語。 見ずもあらず⇒背景 菅の根の 「永き」に掛かる枕詞。⇒背景 @ A博信堂 至らぬ隈はなけれども⇒背景 山の岩根をとめて落つる⇒背景 佐保姫 古来、奈良の都の東方の山を佐保山と呼び、佐保川が流れを発し、春の女神の佐保姫が住み、また、桜の名所であるとされた。それと対照されるのが、奈良の西方の竜(立)田山・竜田川で、秋の女神の竜田姫が住み、紅葉の名所である。 滝なくば 形容詞の連用形の後に付いた「ば・は」は仮定条件を表す。⇒背景 春霞、立ちな隠しそ⇒背景 僧正遍照 俗名良岑宗貞 あくがるる 現代語の「あこがれる」は、古くは「あくがる」と言った。「あくがるる」は連体形。 歸る山路に待たむものとは 雁は、都では春、北に帰るのを見送るものだったが、北国に住んでみると、南から春と共にやって来るのを待つものだったと言うのである。 都の秋の心地して 都では、秋の知らせとして雁がやって来るのを待つが、越の国では、春のしらせとして雁がやって来るのを待つのだろう、北国なので、それが待ち遠しいだろう、と思いやっている。 下簾 したすだれ。牛車の前後の簾の内側に垂らす薄い絹布。簾が上げてあったので、下簾を通して女の顔がかすかに透けて見えたのである。 中将なりける男 在原業平のこと。 見ずもあらず… 「下簾ごしに、全然見えなかったわけでもなく、かといって、はっきり見たわけでもない」という意味も掛けている。 恋しくば 形容詞の連用形に付いた「ば」は、普通は仮定条件だが、ここは確定条件に解釈したほうが、分かりやすい。 見ゆらん 「らん」は、原因・理由推量。現在、目の前にある事象の背後にある原因・理由を推量し、「なぜ、こうなのだろうか」と表現する。 大井 桂川の、渡月橋あたりより上流を大井川(大堰川)と言う。大井は、そのあたりの里の名。 亀のをの山 大井あたりにあった山の名。一説に、嵯峨天竜寺の背後の山と言う。天竜寺の南に、「嵯峨亀ノ尾町」という地名がある。亀と尾は縁語。 滝 今日の「滝」と「激流・急流」の二つの意味があった。ここは文脈から「急流」。奈良時代は、今日の滝は「垂水(たるみ)」と言った。 |