夏の曲
【解題】 古今集の夏の部から四首選び、歌詞としたもの。 【解析】 第一歌 ○石(いそ)の上(かみ)| ふるき都| |の|ほととぎす 石 の上 の| 布留の都|は、昔と変わって寂れてしまったが、 |その 古 い都| |の|ほととぎす! ○ |声|ばかり|こそ|昔 | な り| けれ その|声| だけ | は |昔のまま|である|ことよ。(古今集・巻第三・夏・144・素性(そせい)法師) 第二歌 ┌───────────────────────┐ ○夏山に恋しき人 |や| |入り| に |け ん ↓ 夏山に恋しい人が| |修行のために|入っ|てしまっ|たからだろう|か、 ○ |声 振りたてて鳴く|ほととぎす 悲しそうな|声を振り絞って鳴く|ほととぎすよ。(古今集・巻第三・夏・158・紀秋岑(あきみね)) 第三歌 ○蓮 葉(はちすば)の 濁りに|しま |ぬ | 心 もて 蓮の葉 が、泥水の中でも濁りに|染まら|ない|清浄な心を持ちながら、 ┌───────────────────────────────────┐ ○ なに |か|は| |露を玉 と | あざむく| ↓ どうして| |!|その上に置く|露を玉のように|美しく見せて人をあざむく|のだろうか。 (古今集・巻第三・夏・165・僧正遍照) 第四歌 ┌────────────┐ ○夏と秋と |行きかふ| 空の| 通ひ路は かたへ |涼しき風 や|吹く| ら ん|↓ 夏と秋とが|行き違う|今夜の空の|季節の通り道は、 片 側だけ|涼しい風が |吹い|ているのだろう|か。 (古今集・巻第三・夏・168・凡河内躬恒(おほしかうちのみつね)) 【背景】 石の上 大和の国の布留(ふる)一帯の地名。転じて「古(ふる)」に掛かる枕詞として使われた、 ふるき都 石の上は、安康天皇(20代)や仁賢天皇(24代)の宮殿があった所なので、古都である。「古事記・下」に次の記事がある。 ○ 御子 、穴穂(あなほ)の御子 、石上の穴穂の宮に坐しまし て、天の下 治らしめしき。 允恭天皇の御子である|穴穂 の御子が、石上の穴穂の宮にいらっしゃって、天 下をお治めになった。 (安康天皇) ○袁祁(をけ)の王の兄 、意祁(おけ)の命 、石上の廣高の宮に坐しまし て、天の下 治らしめしき。 袁祁 の王の兄である|意祁 の命が、石上の廣高の宮にいらっしゃって、天 下をお治めになった。 (仁賢天皇) 声振りたてて鳴くほととぎす ○一夏山中耳根を驚かす ○郭公高く響(な)いて禅門入(い)る (菅家万葉) 濁りにしまぬ心 蓮は、極楽浄土に生える植物で、仏がその上に座る台となるものでもある。清浄・悟りなどを象徴する植物である。 ○世間の法に染まざることは、蓮華の水に在るが如し。 (法華経・従地涌出品) ○荷 露 団(まろ)しと雖(いへど)も 蓮の露は丸い といって も、 ○豈(あ)に|是れ| |珠| な ら|ん|や どうして |これ|が|珠|であろ|う|か、いや、珠ではない。 (白氏文集・十五・放言五首) なにかは 「かは」は反語の例が圧倒的に多いが、ここでは反語ではなく、疑問。 |
出典:古今和歌集 作曲:吉沢検校 手事手付:松阪春栄 【語注】 第一歌 題に「奈良のいそのかみ寺にて時鳥の鳴くをよめる」とある。石の上寺は、作者素性法師の住寺だった。自然と人間生活を対照させて、時が移ったのを嘆じた歌。 石の上⇒背景 ふるき都⇒背景 第二歌 ほととぎすの声は高く鋭いので、昔から悲しい気持ちで泣いていると捉えられている。夏山に鳴くほととぎすを、恋人が修行のために山に入ってしまったからだろうかと歌っているのは、作者が同じような境遇にあるためかも知れない。 恋しき人 作者の恋人ではなく、ほととぎすの恋する相手である。 声振りたてて鳴くほととぎす⇒背景 第三歌 蓮の花の上に置いた露の真珠のようにきらめく美しさを称えた歌。蓮の葉を擬人化し、露を玉と見せて人を欺くと表現したのは、古今集的な見立てが働いている。 第四歌 「水無月のつごもりの日詠める」と詞書がある。「らん」は現在推量の助動詞なので、理知的に解せば、夏の終わりの日の夜更け、ようやく涼しさが感じらる頃、夏と秋のすれ違う空の通り道を想像して詠んだものだろう。 荷露団しと雖も 蓮の葉の上に置く露が真珠のように美しいということを逆説的に表現したもの。 |