那須野

【解題】

 謡曲『殺生石』の詞章をそのまま歌詞としたもの。美女に化けて、インド、中国、日本の三国の王室を荒らした九尾の狐が、阿部の泰成に正体を見破られ、那須野が原に逃げ、隠れ住んでいたが、射ち手の矢にかかって退治されるまでのことが歌われている。

【解析】


○梟(ふくろふ)松 桂の枝に鳴きつれ、    |蘭 菊の花に隠るる  |野狐(やこ)の|臥所(ふしど)、
 梟     は松や桂の枝に鳴き  、乱れ咲く|蘭や菊の花に隠れている|野狐    の|すみか    、

○虫の声| さへ |             |  分かちなく、荻(をぎ)吹き送る|夜 嵐に|    、
    |その上|
 
虫の声| まで |入り乱れて、どれがどの虫と|聞き分けにくく、荻の葉を 吹き送る|夜の嵐に|混じって、

○ いと |物すごき|景色|   |かな 。野辺の狐火    |思ひに 燃ゆる  |燃ゆる 思ひに、
 
                               《火》《燃ゆる》 《燃ゆる》《火》
 たいそう| 凄惨な|景色|である| なあ。野辺の狐火が、恋の|執念に 燃えている、燃える 思いに、

○    |こがれて|   出でし|玉藻の前、萩(はぎ)の下露      |いとひなく、
     《焦がれ》
 昔を恋い|焦がれて|現われ出 た|
玉藻の前、萩    の下露に濡れるのも|厭わ  ず 、

○月に|そ むけて恨み言    。  過ぎし|雲居|にありし時、  君 が| 情|に   幾年(とせ)も、
 
月に|背を向けて恨み言を述べる。私が昔  |宮中|に い た時、鳥羽上皇の|寵愛|を受けて何年    も、

○比翼  の床(とこ)に|鴛鴦(えんおう)の          、衾(ふすま)重ねて|契り   しことも、
 
比翼連理の床    で|雄雌のおしどり のように仲良くしようと、夜具   を重ねて|約束しあったことも、

○  胸にしばしも   忘れ   は|やらで、独り涙に       |かこち草|    、
 
わが胸にしばらくの間も忘れることは|出来ず、独り涙に暮れて思い出す|嘆きの種|のために、

○濡れて|萎(しを)るる|      |袖の  雨 、
 
                  |袖が涙の雨に|
 濡れて|萎れる    |ばかりである。


○そも  、我こそは 天竺 にて 、斑足太子     の塚の神       、

 
そもそも 私こそはインド で は、斑足太子に千人の首を塚の神に祀らせた妃で、その後、生まれ変わり、

○もろこし|にては褒似(ほうじ)と呼ばれ、         |日の本|にては 鳥羽の帝に宮仕へ  、
 
 中国 | で は褒似     と呼ばれ、また、生まれ変わり、日 本| で は、鳥羽天皇に宮仕えして、

玉藻の前と|なり|たる|  な り。清涼殿の   御遊(ぎよいう)の時、月 まだ出でぬ |宵 の空、
 
玉藻の前と|なっ|た |のである。清涼殿で管弦の御遊びが 行われた時、月がまだ出 ない|宵闇の空に、

○細  砂(いさご)吹き   |こ|し|風 |もつれ     、ともしび |消え|し|その時に、
 
細かい砂    を吹き送って|き|た|風が|定めなく吹きつけ、ともしびが|消え|た|その時に、

○吾 が身より光を放ちて    |照らす  |にぞ、君は|御 悩 |と|なり|たまふ| 。

 自分の体から光を放ってあたりを|照らした時|に!、帝は|ご病気|に|  |お  |
                                  |なり|になっ|た。
 それがきっかけで、安部の泰成に正体を見破られ、帝の寵愛も失い、

○桐の一葉に      秋 立ちて、    きのふ  に |変はる|明日香川、
                     《きのふ》       《明日》
 桐の一葉が落ちて季節は秋になって、わが身も 昨日 までとは|変わり|明日香川|のように運命が急変して、
                                 |明日  |も知れぬ零落の身、

○今は浮き世を|隠れ笠     、        都をあとに|見なしつつ 、関の白河 よそになし、
 
今は浮き世を|隠れ      、
       |隠れ笠に顔も隠し、九尾の狐となって都を 後 に|振り返っては、白河の関も通り過ぎ 、

○那須野の原に住みなれて、つひに   矢先に|はかなくも、かかる  |この身 ぞ
 那須野の原に住みなれて、ついに討手の矢先に|     |かかり  、
                      |はかなくも、射殺された|
                            |こういう |我が身が!

辛 かり|き   。   |殺生石と     世の人に、疏(うと)ま|るる|こととなり |果て |し、
 
つらかっ|たことよ。そして、殺生石と呼ばれて、世の人に 疎    ま|れる|こととなって|しまっ|た、

○          |涙の霰|       、  |荻、すすき|    、
 
こう言って玉藻の前は|涙を霰|のように落とし、髪を|荻、すすき|のように|

○振り乱したるありさまに、消えて|はかなく |なり| に  |けり。
 
振り乱した ありさまで、消えて|跡形もなく|消え|てしまっ| た 。

【背景】

 
梟松桂の枝に鳴きつれ、蘭菊の花に隠るる野狐の臥所

○梟は松桂の枝に鳴き 狐は蘭菊の叢(くさむら)に蔵(かく)る(白氏文集・第一・凶宅の詩)

 箏曲の歌詞『那須野』は、謡曲『殺生石』を下敷きにしているが、『殺生石』には、「…、又立ち返る草の原、ものすさまじき秋風の、梟、松桂の枝に鳴き連れ、狐、蘭菊の花に隠れ棲む、この原の、時しも物凄き秋の夕(ゆふべ)かな。」とある。「梟…」の一句は、かつては『寿競』や『雨夜の月』の冒頭のように、伴奏なしで歌われたのだろうが、現在では演奏されない。そうなった理由は、この話の主題が狐で、梟の叙述はない方が効果的だからだろう。

 野辺の狐火

○狐 百歳に至りて、北斗  を礼 して変化(へんげ)し|男|女|淫   婦|  と為り、
 
狐は百歳になると、北斗七星を礼拝して変身     し、男・女・みだらな女|などになり、

○    |以つて 人を惑はす。又 |能く |尾を  撃ちて|火を|出(いだ)す。
 その姿で|もって、人を騙す 。又、    |尾を地に打って|火を|出すことが |
                  |出来る。

                             (本草綱目・第五十一・狐)

 萩の下露

○秋は なほ |夕まぐれこそ |ただならね|      
 
秋は、やはり|夕まぐれこそが|一方ならぬ|風情がある。

○荻(をぎ)の上    風(うはかぜ)萩(はぎ)の下    露

 荻の    上葉に吹く風、     萩    の下枝に置く露。(和漢朗詠集・巻上・229・藤原義孝)

 斑足太子

 斑足太子についてのもっとも古い資料は『仁王般若経・下・護国品』だが、ここでは、それをほぼそのまま引用した『曽我物語・巻第七・斑足王が事』を、現代語訳して紹介する。

 昔、インドに一人の王様がいたが、その皇太子で斑足王という人がいた。邪法を信じる羅陀という人の教えに従って、
千人の王の首を取り、塚の神にまつり、その位を奪い、大王になろうとして、数万の豪傑・悪漢を集めて、東西南北、遠
国近国の王城に押し寄せては絡め取り、既に九百九十九人の王を捕まえ、もう一人足りないので、どうしようかと言って
いる時、ある悪人が、「ここから北に一万里行った所に王がいる。名を普明王と言う。それを捕まえて、一千人にしたら
よい。」と教えた。すぐ豪傑を遣わして、その王を捕まえた。そこで目標の千人になったので、一度に全員の首を切ろう
とした。その時、普明王が手を合わせてこう言った。
 「どうか、私に一日の暇(いとま)を下さい。故郷に帰り、三宝(仏・法・僧)を頂き捧げ、僧侶に物を供えて回向し
て、冥土での頼りにしたい。」
 斑足王はすぐに一日の暇を与えた。そこで、普明王は自分の宮殿に帰り、百人の僧を招いて、
過去の七仏のお経の中か
ら、
般若波羅蜜の講義を受けたところ、最初に講義をした僧が、

 
劫焼終訖(ごうせうしゆこつ)、○劫  |焼 |終訖
                 
劫火に|焼け|尽きて

 
乾坤洞燃(けんこんとうねん)、○乾坤 |洞    |燃
                 
天地は|     |燃えて
                    |空しくなり|、

 
須禰巨海(しゆみこかい)、  ○須禰  |巨海
                 
須禰山も|大海も、

 
都為灰煬(といけよう)    ○都 |為     |灰煬
                 
全て|      |灰 に
                   |なってしまう。


と唱えた。
 普明王は、この経文を聞いて、
四諦(したい)十二因縁を理解し、法眼空(ほうげんくう)を悟った。斑足王は、普
明王からこの法眼空の道理を聞いて、たちまち悪心を改めて、捕まえた千人の王に言った。
 「あなたたちに罪はない。私が邪法を信じるものにそそのかされて悪心を起こしたのだ。不思議なことに、仏が私を諭
(さと)してくれた。今はもう、あなたたちを助けよう。急ぎ本国に帰り、般若を修行して、仏道を行いなさい。」と言
って、仏道を信じる心を起こし、
無生法忍(むしやうほうにん)を会得した。

 仁王経にも曽我物語にも、斑足太子の妃、華陽夫人については何も書かれていないが、日本で室町時代に書かれた「下
学集(かがくしゅう)」という漢和辞書では、斑足王(太子)の夫人が悪逆で、王をそそのかして、無実の民千人の首を
切ったとなっている。それが更に、夫人が千人の首で塚の神を祭れとそそのかしたという話に発展したのだろう。

 褒似

○褒似は|笑ふ を|好まず   。幽王(いうわう)其 の|笑ふ事を|欲す 。万   方  |すれ |ども、
 
褒似は|笑う事を|好まなかった。幽王は     褒似が|笑う事を|願った。あらゆる方法を|試した|が 、

○故(ことさら)に|笑は ず 。幽王 、     |烽燧(ほうすゐ)・|大皷(たいこ)を|為(つく)り、
 
どうしても   |笑わない。幽王は、以前から、|狼煙(のろし) と|太鼓     を|作    り、

○ 寇 (あだ)の至る 有れば、則ち|烽火を挙ぐ 。諸侯 |悉(ことごと)く至る   。
 
外敵    の侵入が有ると、必ず|狼煙を上げた。諸侯は|皆       駆けつけた。

○   |至れ  ども  寇  無し |               。
 
しかし、駆けつけても、外敵はいない|ので、拍子抜けして帰って行った。

○褒似 | 乃ち |                  |大いに|笑ふ 。
 
褒似は、その時、諸侯とその軍隊の間の抜けた顔を見て、|大いに|笑った。

○幽王  之 を悦び、            | 為 に 数々(しばしば)烽火を挙ぐ 。
 幽王はこれを喜び、それ以後、褒似を笑わせる|ために、しばしば    狼煙を上げた。

 
○其の後、          |信ぜず  、諸侯|益々 |亦(また)至 らず    。
 
その後、狼煙を上げても諸侯は|嘘だと思い、  |次第に|もう  |集まらなくなった。

 
これは『史記・周本紀第四』にある話で、幽王はこのように褒似を偏愛し、従来の后とその子の皇太子を廃して、褒似
の産んだ子を皇太子にした。これが諸侯の離反と外敵の侵入を呼び、その後周が衰退に向かうきっかけになった。このよ
うに、その美貌ゆえに天子を堕落させて国の政治を乱し、国を傾けさせた美人を、『傾国の美女』『傾国』『傾城』など
という。中国では、代表的な傾国の美女として、褒似、妹喜、妲己、西施が知られている。いづれにしても、「史記」は
司馬遷が書いた歴史書だが、ここには、褒似が狐の化身だったとは書かれていない。

 玉藻の前


 『九尾の狐・玉藻の前』伝説は、日本で出来たと思われる。インドの斑足太子の夫人、中国の褒似の本性は、実は『九
尾の狐』で、その後、この狐は遣唐使の船で日本に渡り、生まれ変わって、鳥羽院の寵妃、玉藻の前となったと言う。こ
こで鳥羽院を殺し、日本の国を滅亡させようとするが失敗し、陰陽師・阿部泰成に本性を見破られ、宮中から姿を消す。
その後、狐の姿で那須野に出没し、婦女子をさらうなどの悪行を働いた。朝廷は、三浦介と上総介を将軍、阿部泰成を参
謀に任じ、八万余の軍勢を那須野に派遣する。この時、犬を狐と見立てて騎射の訓練をしたのが、『犬追物』の始まりだ
と言う。ここで九尾の狐は射殺されるが、その後更に那須野の原の、巨大な毒石に変身し、近づく人畜を殺すなどの祟(
たた)りをなしたので、村人はそれを『殺生石』と名づけて恐れた。この話を聞いた会津示現寺の開祖源翁(玄翁)和尚
と言う名僧がここを訪れ、殺生石を教化した。源翁は大きな金槌で殺生石を割ったので、ここから『玄能』(大きな鉄の
金槌)の名が生まれたと言う。これらの話は、『下学集』・御伽草子・歌舞伎など、様々なものに取り入れられているが
、以下は能『殺生石』から、要点を紹介する。

 清涼殿の御遊の時

○或る時帝は、清涼殿に御出(ぎよしゆつ)なり、月卿(げつけい)雲客(うんかく)|堪能なる を召し集め、
 
ある時帝は、清涼殿にお出ましに    なり、公卿     ・殿上人     の|音楽の上手を召し集め、

管絃の御遊(ぎよいう)あり しに、頃は秋の末 、月 まだ遅き   宵の空の雲の気色 |すさまじく、
 
管弦の 宴     をなさったが、頃は秋の末で、月はまだ出ていない宵の空の雲の様子は|不気味で 、

うちしぐれ  吹く   風に、御殿の燈  消え に けり。雲の上人 立ち騒ぎ、
   時雨と共に吹いて来る風に、
御殿の燈火が消えてしまった。貴族達 が立ち騒ぎ、

松明(せうめい)|とく|と進むれ   ば、玉藻の前が身より、光を放して、
 
たいまつ   を|早く|と奔走していると、玉藻の前の体から、光を放って、

○清涼殿を  照らしければ、光 |大内|に満ち満ちて 画図(ぐわと)の屏風、萩の戸 、
 清涼殿の中を照らしたので、光が|宮中|に満ち満ちて、
画を描いた   屏風も萩の戸も、

○    |闇の夜の錦なりしかど 、  光にかゝやきて、ひとへに|月   の|如く       なり。
 
今までは|闇 夜で見えなかったが、急に光に輝い  て、まるで |月がでた |ように明るくなったのだ。

○帝 それよりも、御悩 と|なら|せ|給ひ|しか| ば 、安倍の泰成      |占つて、
 帝はそれ以来 、ご病気に|  | お  |
             |なり|になっ | た |ので、安部の泰成がその真相を|占って、

○勘 状に  |申す   |やう|  、
 
報告書で帝に|申し上げる|こと|には、

○これは|ひとへに|玉藻の前が|所為(しよゐ) な りや、 王  法 |を傾け| ん|と
 
これは|すべて |玉藻の前の|仕業(しわざ)であるよ、天皇の支配|を傾け|よう|と、

○   |化  生し て   |来(きた)り|たり。  調伏の 祭  |ある |べし と。
 
美女に|生まれ変わって日本に|やってき  |た 。邪気調伏の祈祷を|なさる|べきだと。

 あすか川

        ┌──────────┐
○世の中は 何 か|常なる     |               |飛鳥川
 世の中は、何が |不変のものである|か、いや、何も不変ではない。あの|飛鳥川|を見よ、

○昨日の淵 ぞ 今日(けふ)は|瀬になる
 昨日の淵が!、今日    は|瀬になっているではないか。

                      (古今集・巻第十八・雑下・933・読人知らず)

 つひに矢先に・殺生石

 
(前項から続く)その後、勅使立つて、三浦の介・上総の介両人に、綸旨をなされつゝ、那須野の化生の者を、退治せ
よとの勅を受けて、野干(やかん)は犬に似たれば犬にて稽古あるべしとて百日犬をぞ射たりける。これ犬追物の始めと
かや。両介は狩装束にて、数万騎那須野を取り込めて、草を分つて狩りけるに、身を何と那須野の原に、顕れ出でしを狩
人の、追つつまくつつさくりにつけて、矢の下に、射伏せられて、即時に命を徒らに、なす野の原の、露と消えてもなほ
執心は、この野に残つて、殺生石となつて、人を取る事多年なれども…

作詞:佐阿弥(一説)
作曲:山田検校




【語注】


梟松桂の枝に鳴きつれ⇒背景






野辺の狐火 思ひは掛詞。燃ゆる焦がれは縁語。⇒背景


萩の下露⇒背景



 鳥羽天皇・上皇・法王(院)(1103〜1156)のこと。在位は、天皇1107〜1123、上皇1129〜1141、法王1141〜1156。
比翼 翼が連なっている雌雄の鳥。想像上のもので、男女または夫婦の仲が深く睦まじいことの喩。比翼連理とも言う。
鴛鴦 「鴛」は雄のおしどり、「鴦」は雌のおしどり。いつも寄り添っているので、夫婦仲の良い例に挙げられる。

斑足太子 「班」の字を用いる資料もある。⇒背景

褒似 「似」は正しくは人偏ではなく女偏。⇒背景

玉藻の前⇒背景
清涼殿の御遊の時⇒背景









桐の一葉に秋立ちて 「一葉落ちて天下の秋を知る」(白氏六帖・第三・秋の部)などを踏まえる。
きのふ明日は縁語。
明日香川 
飛鳥川。奈良盆地南部の明日香地方を流れ、大和川に注ぐ川。古来、流れが早いことと、淵瀬が変わりやすいことで歌枕となっている。⇒背景
つひに矢先に⇒背景






















































過去の七仏
 釈迦牟尼と釈迦牟尼以前に入滅した六仏を合わせて、過去七仏と言う。名前は省略。
般若波羅蜜 般若は、分別智を超えて、一切の対立を超えて真理を認識する智恵。それによって、生死の対立を超えて涅槃にたどり着く事。









四諦 迷いから悟りに至る四つの実相、則ち、苦諦(この世の現状は苦である)・集諦(苦の原因は無明である)・滅諦(この世の理想は涅槃である)・道諦(悟りの世界に到達する道)。
十二因縁 衆生の苦の原因を順に十二段階を立てて説明したもの。無明・行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有・主・老死の十二項。(広辞苑)
法眼空 仏法を悟った眼で宇宙万物を見ると、すべて因縁によっておこる空(くう。仮の姿)であるということ。
無生法忍 万物が生滅することはないという真理を悟り知ること。
褒似 「似」は正しくは人偏ではなく女偏。
 外から侵入する敵。「元寇」「倭寇」の「(こう)」。






























清涼殿 宮中(内裏)の諸殿舎の中で、帝が日常生活を送る御殿。
月卿 「公卿」の漢詩的表現。公卿は三位以上の貴族。上達部(かんだちめ)とも言う。
雲客 「殿上人」の漢詩的表現。殿上人は、四位・五位の貴族。雲の上人・雲上人(うんしょうびと・うんじょうびと)・上人(うえひと)などとも言う。
画図の屏風 清涼殿の孫廂(廊下)の北の端にある鳥居障子。「手長・足長」(手の長い人物と足の長い人物)の絵が描いてある。
萩の戸 清涼殿の一室の妻戸(開き戸)の名。その前庭に萩の花が植えられていたのでこう呼ばれた。
闇の夜の錦 
非常に美しいのに、惜しいことに誰にも見てもらえないもの。「見る人もなくて散りぬる奥山の紅葉は夜の錦なりける」(紀貫之)を引いた。この貫之の歌は、さらに「史記・項羽本紀」の「富貴にして故郷に帰らざるは錦を著(き)て夜行くが如し」(偉くなって故郷に帰らないのは、錦を着て夜歩くようなもので、人々の称賛を得られず、つまらない。)を踏まえている。










綸旨 天子の言葉。
野干 狐の異称。
追つつまくつつ 「追ひつまくりつ」の音便。追いまくって。
さくりにつけて 
さくり(狐の足跡)を追跡して。

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