六玉川(山田流)

【解題】

 
歌詞は富元の「六玉川」からとったもの。富元の正式の曲名は「草枕露の玉歌和」(くさまくらつゆのたまがわ)と言い、弘化三(1846)年頃、三世鳥羽屋里長が作曲した。作詞者は不詳。山城の井出、紀伊の高野、近江の野路、摂津の三島、陸前(みちのく)の野田、武蔵の調布(たつくり)と古歌に詠まれた6つの玉川を題材に、景色、風物を唄い、虫の音、砧、道行、晒の合い方等が入っている変化に富んだ曲になっている。

【解析】


○鳥が鳴く、東(あづま)からげの     |草枕  、急がぬ旅 も|敷島  の、急がぬ旅も敷島の、
 
鳥が鳴く|東の国の |
     |東     からげの出で立ちで|旅に出る。急がぬ旅だが、日本各地の、

○道 を辿りて|六  玉川 、筆に綴りて書き残す、     景色      は|歌の 徳|なら|  む。
 道筋を辿って、六つの玉川を|筆に綴って書き残す、その美しい景色を味わえるのは、歌のお陰|なの|だろう。

○足曳きの、山 踏み分けて遥々と、霞み棚引く|遠 近(をちこち)の、眺め も飽かぬ |七重八重 、
 足曳きの、山を踏み分けて遥々と、霞が棚引く|遠く近く     の、眺めても飽きない|七重八重と|

○花      の|   しがらみ    影 添へて、    色には|井手の  |山吹に、
 花が沢山重なって|川面にしがらみのように影を映して、鮮やかな色を |見せている|
                                  |井手の  |山吹に、


○蛙(かはず)   も 歌         の風情 あり   。
 蛙     の声にも、歌に詠まれているような風情が感じられる。

○かかる 名所に紀の国の、高野 の奥  の     流れをば、

 こういう名所に紀の国の|高野山の奥の院の下の玉川の流れを!、

      ┌───────┐

汲み   や|しつ  らむ |旅人の、       |ああ|忘れ    ても、
              ↓ |旅人が、立て札の注意を|
  |忘れて     
 汲んで飲みは|しないだろうかと|                       弘法大師が心配なさったが、

                            |ああ、忘れようとしても、

○野路は    ゆかりの色 深く    、
錦 の萩の下葉まで、洩れて   ぞ|置け   る白露に、
 野路は、古歌にゆかりの色に深く染まって、美しい萩の下葉まで、こぼれ落ちて!|とまっている白露に、

○月  は宿りて|夜もすがら、恋しき人は鈴虫の  、  |振り 捨てられて、機織(はたをり)の   、
                   《鈴》      《振り》
 月の光は映って、夜もすがら、恋しい人は鈴虫のよう、私は|振られ捨てられて。
                            |振られ捨てられて、
機織の音    のように|

○夜寒を詫ぶる|閨(ねや)の戸 に、           |つづれ  |  させ|て ふ|
 夜寒を嘆 く|寝室   の戸口に、冬を迎える準備に着物を|縫い合わせ|針を刺せ|と言う|ように鳴いている

○きりぎりす 、誰を| 松    虫 |  焦がれて|すだく  。
 きりぎりすは、誰を|待つのか。
       |誰を|待つのか、
          | 松    虫も、思い焦がれて|鳴いている。

○吾も|      想ひに|耐へかねて、いとど |心の|遣る 瀬 な や  、
 私も|恋しい人への想いに|耐えかねて、いっそう|心の|晴らし所のないことだ。

○  迫る   |悋気(りんき)の津の国や、     |解けて    しっぽり   |相槌の   、
        《悋気》     《角》
 鬼気迫る彼女の|やきもち   の 角  !しかしそれが|解けると二人はしっぽり濡れて|頷きあったが、

○  それさへなく  て|小夜 衣、濡れる袂 や袖の露、一人 焦がれて|繰り返す|
               《衣》  《袂》《袖》           《返す》

 今はそれさえなくなって、 夜の衣の濡れる袂 や袖の涙、一人恋焦がれて|繰り返すばかり、
                                   |繰り返し   |

○打つに  砧の  |おとづれも、絶えて|梢  の松風  は、うき |  妻 琴の音(ね)に|立ちて、
                         《風》                  《立ち》
 打っていた砧の  | 音   も|絶え 、
      あの人の| 訪 れも|絶えて、梢を吹く松風の音は、冷たい|あの人の琴の音のように|聞こえて、

○夜毎   調べの|ゆかしさは、仇な | 浮名 も|調布(たづくり)の、照る月の  |波に   漂ふ玉川に、
 夜毎のその調べの|懐かしさは、浮いた|うわさも|   立つ    、
                        |   たづくり の|照る月の影が、波に映って漂う玉川に、

○干してさらさら 晒す白布。立つ波は、立つ波は、瀬々の網代にさへられて、    流るる水をせき止め   よ、
 干してさらさらと晒す白布。立つ波は、立つ波は、瀬々の網代に遮 られて、網代よ、流れる水を堰き止めてくれよ、

○流るる水をせき止めよ。馴れし手業 の|賤(しづ)の女(め)は、馴れし手業 の|賤(しづ)の女(め)は、
            馴れた手仕事の|賎しい   女   は、

○いざや帰らん|T賤 の戸にU賤 が家へ|     。
 さあ!帰ろう、T粗末な家にU粗末な家へ|と家に帰る。

○ げ に面白き |陸奥の、野田の苫(とま)屋の波  枕、千鳥は歌の  友なれ  や。
 本当に趣のある|陸奥の|野田の苫葺きの 家の河畔の宿、千鳥は歌の道の友であろうか。

○筆のすさび       を|家  づとに    、   残す  言葉は|富本の、
 筆の戯れに書いたこの歌詞を|家への土産に持ち帰り、世々に残すこの歌詞は|富本の|
 
 栄 |久しき |     里の長(をさ)      、めでたく    こそは|聞こえ  けり 。
 繁栄の|長かれと|三世鳥羽屋里 長(りちょう)が作曲し、素晴らしい作品と   |評判が高いことだ。

【背景】

 @井手の玉川

○色も香も|なつかしきかな  蛙(かはづ) 鳴く|井手のわたりの|山吹の花
 色も香も|なつかしいことよ。蛙     が鳴く|井手のあたりの|山吹の花は。(新後拾遺和歌集・小野小町)

 「冷泉家記」によると、「小町六十九才井手に於いて死す」とあり、また「百人一首抄」にも「小野小町のおはりける所は山城の井手の里なりとなん」と記されており、井手は小野小町の終焉の地とされる。

○玉藻 刈る井手   のしがらみ |春    かけて|咲く  や|川瀬の山吹の花 |(新勅撰集・源実朝)
           
《しがらみ》     《懸け》
 玉藻を刈る井手の玉川のしがらみに、春から夏にかけて、     |川瀬に山吹の花が|
                          |咲くことよ。

○足曳の山吹の花散りにけり井手の蛙は今や鳴くらむ(新古今集・巻第二・春下・162・藤原興風)

 A高野の玉川

○高野 の奥の院へ|参る   道 に  |玉川と云ふ河の水上に|毒虫の|多かり|けれ|ば 、
 高野山の奥の院へ|参詣する途中にある|玉川という河の水上に|毒虫が|多くい| た |ので、

○此の流を|飲む  |まじき    由を 示し 置きて後 |よみ|侍り|ける|
 この水を|飲んでは|いけないという事を掲示しておいた後、|詠み|まし| た |歌。

                      ┌─────-┐
○        |忘れても|汲み   |もや|す  ||  らん|旅人の|
 毒虫がいることを|忘れて 、             ↓    |旅人が|
              |汲んで飲み|も |したら|大変だろう。

○  |高野 の|奥の    |玉川の水|
 この|高野山の|奥の院の下の|玉川の水|を。(風雅集・巻十七・雑中・弘法大師)

 B野路の玉川

○明日も  |こ| ん   |野路の玉川|       |萩    越えて   |
 明日もまた|来|よう。この|野路の玉川|の岸から垂れる|萩の枝先を越えて流れて、

○  |色なる   |浪に|月 |やどり  |ける  
 萩の|色をたたえた|波に|月が|映っている|ことよ。(千載集・巻第四・秋上・281・源俊頼)

○さをしかの|しがらむ 萩の  秋 見え  て 月も  色 なる   野路の玉川 
  牡 鹿 が|絡ませ倒す萩の花に秋が感じられて、月も萩の色を湛えている野路の玉川。(新拾遺集・藤原仲光)

 C三島の玉川

○松風の|音だに秋は寂しき に|          |衣 打つ    なり    |玉川の里
 松風の|音さえ秋は寂しいのに、更に寂しさを募らせて|衣を打つ砧の音が聞こえてくる、玉川の里であるよ。

                               (千載集・巻第五・秋下・340・源俊頼)

 D調布の玉川(万葉集、巻十四、東歌・3373)

                          ┌──────────────────────―┐
○玉川に|さらす|手作り   |さらさらに    、
何ぞ|この児の|ここだ |愛(かな)しき|    |
 玉川に| 晒 す|手作りの布が|さらさらするように、                        ↓
               | 更に更 に    、なぜ|この人が|こんなに|可愛い   |のだろうか。

 E野田の玉川

○夕され  |ば 汐風    越して|     |  みちのくの|野田の玉川 千鳥 鳴く|  なり
 夕方になる|と、汐風が芦原を越して|吹いて来て、ここ 陸 奥 の|野田の玉川に千鳥の鳴く|声がすることよ。

                                (能因法師・新古今集・巻第六・冬・643)

○  光 そふ   野田の玉川   月   清み    
 月が光を添えている野田の玉川、その月の光が清らかなので、

○夕汐        千鳥  夜半に    鳴く   |なり
 夕汐と共に飛んできた千鳥が、夜半になるまで鳴いている|声が聞こえる。(後鳥羽院・後鳥羽院集)

 『奥羽観蹟聞老志』に、次のような記事がある。

○往昔河流アリ。潮汐マタ来往シ、石瀬ノ所ハ浮光金ヲ躍ラセ、深潭の地ハ清影壁ヲ沈ム。皆月ノタメニ嘉名ヲ得。如今廃地トナル。唯野田の溝渠ヲ残スノミ。

 享保四(1716)年頃にはすでに「廃地 虚構を残すのみ」と書いてある(奥の細道とみちのく文学の旅 東北地方推進協議会)。

【参考】

『玉川』と名の付く曲は、次のようなものがある。

 『玉川』 寛政の頃京都で活躍した盲人音楽家国山勾当作曲による手事物地歌。
 『六玉川』18世紀中頃に三橋検校が作曲した箏曲。箏組歌。現在は演奏されていないが、楽譜は残っている。
 『六玉川』山田流箏曲。弘化頃三世鳥羽屋里長が作曲した同名の富本節の曲を初世中能島松声が山田流箏曲に移した曲。
 『六玉川』清元節。上と同じ富本節から移した曲。

作詞:清元の六玉川からとったもの。作詞者は不詳。
移曲:初世中能島松声




【語注】


鳥が鳴く 
あづまに掛かる枕詞。
東からげ 着物の着方の一種で二枚目などが旅をする時に着物の脇を裾から1尺6寸位のところを紐で吊り上げて、裾の前が斜に合うようにする着方。吉野山の忠信・道行の早野勘平歌舞伎十八番(外郎売り)の曽我五郎など。
足曳きの に掛かる枕詞。
しがらみ 川の中に杭を打ち並べて、それに柴や竹などを横に渡し、水流を堰き止めるもの。
井手 @井手の玉川。京都府綴喜郡井出町、JR奈良線玉水駅近くを流れる。付近に藤原の仲麻呂(恵美押勝)との政争に敗れた橘諸兄の邸宅があり、玉川の水を引き入れて、山吹を植えたと言う。⇒背景
紀の国の高野 A高野の玉川。現在の和歌山県高野山奥の院御廟楼下を流れる。⇒背景


野路 B野路の玉川。現在の滋賀県草津市内。萩の玉川とも言う。⇒背景
振りは縁語。
機織 きりぎりすのことを機織虫とも言う。













悋気は縁語。
津の国 摂津の国。C三島の玉川。現在の大阪府摂津市三島にある川で、別名「砧の玉川」と呼ばれている。⇒背景
返すは縁語。



立ちは縁語。




たづくり D調布の玉川。東京都南部と神奈川県の境を流れる。「たづくり」は手作りで、手で織った木綿。てづくりとも言う。古代、貢ぎとして朝廷に納めた。調布。⇒背景
立つ波は 調布の玉川で布を晒す景色の連想で、宇治川で布を晒す情景を歌った「さらし」の歌詞を嵌め込んだ。
網代 網の代わりの意。冬、川の瀬に竹や木を編んだものを網を引く形に立て、その端に簀(す)をあてて、魚を捕るのに用いるもの。(広辞苑)
TUのテキストがある。
陸奥の野田 E野田の玉川。現在の宮城県塩釜市附近を流れる。多賀城市と塩釜市をまたぐ低湿地を流れる小流で、塩釜市の大日向を源流とする。⇒背景











玉藻刈る 
「美しい藻を刈る」の意。敏馬(みぬめ)をとめなどに掛かる枕詞。
しがらみ懸けは縁語。












汲みもやすらん 「もや」は「もぞ」「もこそ」と同じく、危惧を表す。

























何ぞ 疑問を表す語なので、文末に「か・だろうか」を補う。


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