水の曲
【解題】 水がもっともかすかな流れから始まり、いろいろと姿を変えながらやがて海へ流れ込むまでを描写した歌詞で、苔清水、山の井、谷川、瀬、淵、滝、いささ川(小川)、大川、瀬戸(海への出口)、わたの原(海)の順に歌われている。 宮城道雄の処女作『水の変態』の歌詞は、水が、霧・霰・雲・露・雨・霜・雪と様々な気象現象に姿を変える様子を七首の連作短歌に詠み込んだもので、「高等学校読本」(今でいう教科書)の中に載せられていたものだが、この曲の歌詞はそれと好対照をなしている。 【解析】 ○山陰の、 ありとも見えぬ 苔 清水、 苔の雫を|たたへては、 山陰の、ここにあるとも見えないほどわずかな苔の間を伝わり流れる清水、その清水が苔の雫を|貯め て 、 ○尾上 の松の 水 鏡 、 曇らぬ 影 の|み空より、 《鏡》 《曇らぬ》《影》 高地に生える松を映す水の鏡となっている、その鏡のように曇りない 光に満ちた| 空から、 ○月 |澄み まさる | 山の井 の、岩 間を洩れて|ちょろちょろと、音もすずしき谷川に 、 月が ますます| |澄んで |照らす山の湧水が、岩の間を洩れて|ちょろちょろと、音もすずしい谷川になり、 ○ 堰か るる 水 の 七瀬八瀬 、淀みて はまた|そこひなき、 淵に渦巻く| 岩に堰き止められる水の流れが、何か所も急流となり、淀みとなる所ではまた|底知れぬ |深い淵に渦巻く| ○散り紅葉 。みづちの竜の| 時を得 て、 |雲 に| あまぎる |荒滝や 、 散り紅葉が美しい。みづちの竜が|好機をとらえて|天に昇り、雲のように|空を曇らせている|荒滝もあれば、 ○霧 立ちのぼる山々の|裾を流るる|いささ川 、その源 は 変はれ ども、 落つれば同じ大川に、 霧が立ちのぼる山々の|裾を流れる|浅い小川もある、その水源はそれぞれ違うけれども、流れ下れ ば同じ大河に| 合流する。 ○唄ものどかな筏乗り 、「花を一枝乗せては来たが、どこの岸辺 に咲かそ や ら」 唄ものどかな筏乗りが、「花を一枝乗せては来たが、何処の岸辺の彼女にあげようかしら」と唄いながら下って行く。 ○水の まにまに|花 筏 、霞も|匂ふ |あけぼのに、みなとの瀬戸を|出で 船の、 水の流れるま まに|花びらの筏が、霞も|色美しく映える|あけぼのに、 港 の航路を|出てゆく船の、 ○真帆 は|鴎 か|千鳥 か |片帆 、 真帆のように見えるのは|鴎だろうか、千鳥だろうか、それとも|片帆だろうか、 ○真帆も片帆も| |ひといろに 、水や空なる |わたの原 、 真帆も片帆も|区別出来ないほど遠く、一色になって|水と空の区別も付かない|大海原となって広がっている。 ○げに 一滴の露しづく 、満ちて 万里の|末 広き 、水の流れよ、とはに|尽きせ|じ 。 本当に初めは一滴の露しずくが、満ちては万里の|遠くまで広がる、水の流れよ、永遠に|尽き |ないだろう。 【背景】 作詞者 中内蝶二 明治8年(1875)〜昭和12年(1937)。本名、中内義一。 旧制東京帝国大学漢文科を卒業。演劇評論家・劇作家・小説家・作詞家。明治34年(1901)小説「懴悔文」でデビュー。一方、「万朝報」、「国民新聞」の劇評記者として活躍。多才で日本舞踊のシナリオから西欧ものの翻訳まで幅広い活躍をした。 著書としては、戯曲「大尉の娘」が代表作で、初代水谷八重子の当たり役となった。訳書に「東海道中膝栗毛」、「理想の美人」、「藻かり舟」、シラー作「ウィルヘルム・テル」、G・サマロフ作「日露戦争未来之夢」 。作詞に今井慶松作曲の「十返りの松」、日本舞踊曲「菊」、長唄「紀文大尽」、清元栄寿郎作曲の「久松の幻想」。編集に、「日本音曲全集」などがある。墓は、本寿寺墓地(谷中1-4-9)。本堂裏墓地入口近く。「中内義一墓」。 苔清水 ○とくとくと落つる岩間の苔清水汲みほすほどもなき住居かな (西行・吉野山の西行庵の歌碑) ○露とくとく試みに浮世すすがばや(芭蕉が貞享一年(一六八四)四十一歳の時、西行庵を訪れて詠んだ句。) 曇らぬ影の ○神代より曇らぬ影やみつの江の吉野の宮のあきの夜の月(新後撰和歌集) 「みつの江の吉野の宮」は歌枕として新古今集などにも出例があるが、場所については諸説がある。 真帆・片帆 ○浦風の真帆も片帆も見え分かず(新続古今・雑中) 水や空なる ○俊綱朝臣の家に、「水上の月」を詠じたる歌を講ず。しかして田舎の兵士、中門の辺に宿してこの事を聞き、即ち青侍に語りて云はく、「予(あらかじ)め今夜の題をこそつかうまつりて候へ」と云々。侍云はく、「興ある事なり、如何」と。兵士詠じて云はく、 ┌───┐ ┌───┐ ○水 や空 ↓|空 や水 ↓とも|見え分か | ず | 水が 空なのか、空が 水なのかとも|見 分けが|つかない。 ○ | 通ひて|すめ る|秋の夜の月 《通ひ》《住め る》 空と水の両方に|行き通って|住んでいる| |澄んでいる|秋の夜の月だから。 ○侍来たりてこの由を申す。万人驚嘆して詠吟し、且つ感じ且つ恥ぢておのおの退出すと云々。 本文は『袋草紙』(岩波書店『新日本古典文学大系』p132。この歌は続詞花集・秋上・184に「題知らず 詠人も」、新後拾遺集・秋上・372に「水上の月を よみ人しらず」として入っている。また、この話は古今著聞集や十訓抄にも収められている。 |
作詞:中内蝶二 作曲:今井慶松(昭和五年作) 【語注】 苔清水⇒背景 曇らぬ影の⇒背景 みづちの竜 みづち。蛟。想像上の動物。水に住み、蛇に似て、角と四足を持っている。「みづ」は「水」、「ち」は「おろち」の「ち」と同じで、「威力ある霊」の意。 いささ川 浅い小川。『高麗の春』にもある。 花を一枝 箏曲だけでなく歌詞の中に挿入される小歌には、さりげなく恋愛感情を歌ったものが多い。 瀬戸 原義は「狭い通路」。海や川が陸に挟まれて狭くなっている所。例えば瀬戸内海は、速吸瀬戸(豊予海峡)・備讃瀬戸(明石海峡)・早鞆瀬戸(関門海峡)・鳴門海峡の四つの瀬戸の中にある。 真帆 順風を受けて十分に張った帆。⇒背景 片帆 横風を受けて帆走するために、帆を斜めに片寄らせて張ること。開き帆。⇒背景 水や空なる⇒背景 通ひと住めるは縁語。 |