明治松竹梅
【解題】 明治天皇・昭憲皇太后・大正天皇・貞明皇后の新年の御詠から、松・竹・梅を詠んだ歌を選び、歌詞としたもの。名曲として知られる「松竹梅」の明治版として、箏の高低二重奏として作曲された。「オルゴール調子」と呼ばれる特殊な調絃法を取り入れるなど、新しい方法を試みている。 【解析】 ○風の音は|静まり|はて て|千代 呼ばふ|田鶴がね |高し | 峰の松原 | 風の音は| |すっかり | |静まっ| て、末長い繁栄を称える| 鶴の声が|高く響く 、その峰の松原が| |高くそびえていることよ。 (松)(明治天皇・明治33年・御題『松上の鶴』) ○ 栄えゆく| 御園生(みそのふ)の松に |雛鶴の|千代 の| ますます栄えゆく|宮廷のお 庭 の松に育った|雛鶴の、千年も長寿を保つというその| ○ 初めの| 声を聞か|ばや 最初の |鶴の一声を聞き|たいことであるよ (松)(昭憲皇太后・明治33年・御題『松上の鶴』) ┌─────────────────┐ ○この 上に |幾重 |降り添ふ |雪 |なら む||たかむら |高くなり |まさり |つつ この雪の上に、更に|幾重に| |雪が| ↓ |降り積もる| |のであろうか。 竹 叢 が| |ますます| |高くなって| |行く。 (竹)(明治天皇・明治34年・御題『雪中の竹』) ○たちかへる| 年の朝日 に|梅の花 | 香りそめ けり | 雪 間ながら に 新しく蘇る|新年の朝日の光の中で、梅の花が|かぐわしく香り始めたことだ、まだ雪が残っている中であるのに。 (梅)(明治天皇・明治35年・御題『新年の梅』) ○大君 の|千代田の宮 の|梅の花 |ゑみほころびぬ |年の始めに 大君のお住みになる |千代田の宮殿の|梅の花が、咲きほころびたことよ、年の始めに。 (梅)(明治天皇・明治35年・御題『新年の梅』) ○新玉の|年の始めの|梅の花 |見る我|さへに |ほほゑま |れ |つつ 新玉の|年の始めの|梅の花が| |微笑もうと| |している、それを見ると、 |見る私|までいっしょに、 |思わず| |微笑んで |しまう|ことよ。 (梅)(大正天皇・明治35年・御題『新年の梅』) ○あたらしき年の|ほぎ ごと 言ひかはす| |袖にもかをる|梅の初花 新 しい年の|祝いの言葉を言い交わす|人々の、袖にも 香 る|梅の初花の移り香であることよ。 (梅)(貞明皇后・明治35年・御題『新年の梅』) 【背景】 御園生の松に雛鶴の 「松上の鶴」など、「松に鶴」の取り合わせは日本画によく見られるが、鶴が松の木に営巣することはなく、松の枝に営巣するコウノトリを鶴として描いたらしい。昔はコウノトリと鶴は明確な区別が付けられていず、日本では、時代や地方によって鶴のことをコウノトリと呼んだり、反対にコウノトリのことを鶴と呼んだりすることがあった。江戸時代に兵庫県地方の大名が、コウノトリの生息地を「鶴山」と名付けて特別に保護したという記録もある。昔の日本では、白い生き物や大きな生き物を神聖なものとする考え方があり、白くて大きなコウノトリや鶴は、神のつかいで目出度いものと受け取られていた。鳥類学会で「コウノトリ」の学名が付けられたのは、今からわずか130年ほど前で、鶴とコウノトリの区別がはっきりしたのは、つい最近のことと言ってよい。 |
作詞:明治天皇・他 作曲:菊塚検校 【語注】 御園生 「御」は尊敬の接頭語、「園生」は果樹・野菜などを植える庭園。 御園生の松に雛鶴の⇒背景 千代の初めの 「鶴は千年、亀は万年」という諺を踏まえている。 昭憲皇太后 しょうけんこうたいごう。明治天皇の皇后。病弱で実子はなかったが、嫡妻として、天皇の側室が生んだ大正天皇を養子とした。生涯に3万首を超える和歌を詠んだ。華族女学校(現在の学習院女子中等科・高等科)の教育指針を詠んだ「金剛石」等も、小学校唱歌として広く歌われた。 たかむら 竹叢。篁。竹薮、竹が群生している所。 千代田の宮 皇居のこと。皇居はもとは「江戸城」であり、「千代田城」はその別名。 新玉の 「年・月・月日・春」などに掛かる枕詞。「荒玉」は、掘り出したままで、まだ磨いていないごつごつした玉。 見る我さへに 「さへ」は添加を表す副助詞。「梅の花が微笑んでいる」という事態に「自分が微笑む」という事態を付け加えている。 ほほゑまれつつ 「れ」は自発の助動詞「る」の連用形。 貞明皇后 ていめいこうごう。大正天皇の皇后。昭和天皇の実母。 |