雲井の曲
【解題】 八橋検校作曲、組歌奥組の一つ。第一歌から第六歌までのすべてが恋を歌った章句で統一されている。題名は第六歌にちなんでいる。 【解析】 第一歌 ○人目 忍ぶ の仲なれば、 思ひ |は胸に|みちのくの|千賀の 塩釜 |名のみにて、 《信夫》 ≪火≫ 《みちのく》《千賀の≪塩釜≫》 人目を忍ぶ二人の仲なので、恋の思いの| | 火 |は胸に|満ちてはいるが、 | 陸 奥 の|千賀の 塩釜が、 | 近 いとは |名ばかりで、 ○ | 隔てて | |身をぞ焦がるる 。 ≪焦がるる≫ 都 から|遠く隔たっているように、 あなたから|遠く離れて 、恋に|身を!焦がす ばかり。 第二歌 ○ |忘るる や、 |忘ら|るる 、我が身の上は 私はあの人のことを|忘れるだろうか、いや、忘れない。あの人に|忘れ|られる 私の身の上は ○ 思はれ| で、 |徒 名(あだな)立つ |憂き |人の、 どうなってもかまわ|ないが、恋の誓いを破ったという|浮き名 が|立つ、あの|冷たい|人の、 ┌──────────┐ ○末の世 |いかが|ある| べ き|↓ 。 将 来は| どう |なる|のだろう|か、それだけが心配です。 第三歌 ○たまさかに |逢ふとても、なほ|濡れ まさる |袂 かな、 たまたまあなたに|逢ったのに、なお| いっそう| |濡れる |袂だなあ、 ○明日の別れを| |かねてより、 |思ふ|涙の|先立ちて。 明日の別れを、別れる| 前 から|辛く|思う|涙が|先立って。 第四歌 ○雨 のうちの|つれづれ、昔を|思ふ | 折から、哀れ を| 添へ |て 雨が降る 中 の|退屈な夜、昔を|思い出す|その時 、寂しさを|一層募らせ|て ○草 の扉(と)|を、叩く や| |松 の |小夜風 。 粗末な扉 |を 叩くのは|人ではなく|松に吹く|小夜嵐の音。 第五歌 ○ |身は|浮舟の楫を|絶え |寄る 辺も|さらに |あらいそ |の、 |あらじ | 《荒 磯》 わが|身は|浮舟が楫を|失って、立ち|寄る岸辺も|まったく|ないような|状態で、 | 荒 磯 |の 、 ○岩 打つ |波の音(おと)につれて、千々に砕くる| 心 |かな。 《波》 《砕くる》 岩に打ち付ける|波の音 につれて、粉々に砕ける|私の心である|なあ。 第六歌 ○雲井|に 響く|鳴神|も、落つれ ば|落つる |世の憤らひ| 、さりと ては 我が恋の、 大空|に鳴り響く| 雷 |も、落ちる時は|落ちるのが|世の習 い|である。それにしても、私の恋が、 ┌───────────────┐ ○ など |かは|叶は|ざる| べき |↓ 。 どうして| |叶わ|ない|ことがあろう|か、いや、きっと叶うに違いない。 【背景】 信夫(しのぶ) 信夫は福島県の歌枕で、 ○みちのくの|忍ぶ |もぢ |ずり | | みちのくの|信夫の里の| |信夫草 の|捻(ねじ)り|こすり染め|のように、 ○ 誰 ゆゑに|乱れ初(そ)め| に |し|我なら |な | く | に |あなた以外の誰か が原因で|乱れ初 め|てしまっ|た|私 で は|ない|こと| ですよ。 他でもない|あなた が原因で|乱れ初 め|てしまっ|た|私 |なのですよ。 (伊勢物語・初段) など、多くの歌が詠まれている。 千賀の塩釜 千賀の塩釜は宮城県の歌枕で、松島湾のことを千賀の浦と言った。 ○陸奥の|千賀の塩釜 | 近(ちか) |ながら、 <チカ> <チカ> | 陸奥の|千賀の塩釜のように、こんなに| 近 くにいる|のに 、 ○辛(つら)き は| 人 に|逢はぬ | な り|けり 辛 いのは|あなたに|逢えないこと|である|なあ。 (続後撰集・恋二・詠み人知らず) など、多くの歌が詠まれている。 ○ |思ひ |かね | 心は空 に|みちのく|の、 あなたを恋する|思いに|耐えられず、私の心は空一杯に|満ちて 、 | 陸 奥 |の ○ 千賀の塩釜 | 近 き |甲斐 |なし <チカ> <チカ> 千賀の塩釜のように|あなたの| 近 くにいても、その|甲斐も|ありません。(平家物語・小督) 忘らるる ○ |忘ら| るる | 身をば |思は| ず あなたに|忘れ|られる|わが身 は少しも辛いとは|思い|ません。それより、神かけて私への愛を ○誓ひ| て |し| |確かに| 誓っ| |た|あなたが、誓いを破ったために罪深い身となり、神罰で命を失うと思うと、 ○ 人 の命 の| 惜しくも | ある | かな あなたの命の方が|気がかりに|思われる|ことですよ。 (拾遺集・巻第十四・恋四・870・右近) たまさかに逢ふとても ○逢ふ |から も|ものは |なほ|こそ|悲しけれ |から も ものは な| 逢ってい|ながらも、 それでも|なお| ! | |もの |悲しいことだ。 ○別れ む ことを| かねて| |思へ | ば 別れる 時のことを|別れる前から|つらく|思ってしまう|ので。(古今集・巻第十・物名・429・清原深養父) 雨のうちの ┌──────────┐ ○昔 思ふ| 草 の|いほりの夜(よる)の雨| に|涙 な| 添へ |↓そ|山ほととぎす 昔を偲ぶ|粗末な| 庵 の夜 の雨|の淋しさに、涙を |付け加えてくれる|な!|山ほととぎすの声よ。 (新古今集・巻第三・夏・201・藤原俊成) ○雲 に |ふす | 峰| の庵の|柴の 戸を、 雲を夜具として|寝るような|深い山|の中の庵の|柴の木戸を| ○人は|音せ | で|たたく 松風 | 人は|訪れて来|ないで| 松風だけが| |叩きに来る |ことよ。 (大江宗秀・玉葉和歌集・雑三) ○盧山(ろさん)の雨夜(うや) 草菴(そうあん)の裡(うち) (和漢朗詠集・「山家」・白楽天) 身は浮舟の楫を絶え ○須磨の|あまの|浦 | |こぐ舟の楫を|絶え 、 須磨の|海女が|海辺|を|漕ぐ舟の楫を|失ったように| ○ 寄 辺| |なき| |身 ぞ 悲しかり| ける 舟を寄せる岸辺|も|ない|私の|身の上は、悲しい |ことだなあ。 (続古今集・雑中・小野小町) ○風を |いた |み |岩 打つ 波の |おのれのみ、 風があまりに|激しい|ので、つれないあなたのような固い|岩に打ち当る波のように、自分だけが、 ○ 砕けて|ものを思ふ| 頃| かな 心乱れて| 恋 に悩む|この頃|であるなあ。 (詞花集・巻第七・恋上・211・源重之) 雲井に響く鳴神も ○天の原 ふみとどろかし |鳴る神 も|思ふ |仲をば裂くるもの| かは 大 空を踏み 轟 かして|鳴る | |かみなりも、愛し合っている二人の|仲を 裂けるもの|だろうか!、 |いや、そんなことは決して出来ない。 (古今集・巻第十四・恋四・701・読人知らず) |
作詞:不詳 作曲:八橋検校 【語注】 【語注】 第一歌 「近不逢恋」(近くして逢はぬ恋)を歌ったもの。 信夫・千賀の塩釜 共にみちのくの歌枕なので、みちのくの縁語。⇒背景 火・塩釜(塩を焼く釜)・焦がるるは縁語。 第二歌 「被忘恋」(忘らるる恋)を歌ったもの。 忘らるる⇒背景 第三歌 「兼惜別恋」(かねて別れを惜しむ恋)を歌ったもの。 たまさかに逢ふとても 引き歌⇒背景 第四歌⇒背景 雨のうちの⇒背景 第五歌⇒背景 身は浮舟の楫を絶え⇒背景 荒磯・波・砕くるは縁語。 第六歌⇒背景 雲井に響く鳴神も⇒背景 もぢずり 「捩(もぢ)り擦(ず)り」のこと。「捩る」は、捩(ねじ)ること。草をねじって、布に擦り付けて色を染めたのだろう。 我ならなくに 従来、「な」は打消「ず」の未然形、「く」は名詞を作る接尾語と説明されてきたが、最近は「ならぬあくに」の圧縮形と説明され、「ぬ」は打消「ず」の連体形、「あく」は「こと」という意味の古語と説明される。 逢はぬなりけり 一般に「aりけり」の形の「けり」は発見詠嘆で、あることに気づいて驚く意味を表す。この場合も同じ。 誓ひてし 「あなたは私のことを決して捨てないと確かに誓ったではありませんか」という抗議と怨嗟が込められている。 人の命の惜しくもあるかな 同時に、相手への断ちがたい未練も込められている。 逢ふからもものはなほこそ 「物名歌」は、物の名を織り込んだ歌で、下線部に「唐桃の花」が織り込まれている。 盧山 香盧峰のこと |