狐会(こんくわい)
【解題】 いわゆる『葛(くず)の葉狐』『信太妻』の伝説を題材にした曲の一つだが、歌舞伎の『蘆屋道満大内鑑』(あしやどうまんおおうちかがみ)(享保19(1734)年・初世竹田出雲作)などでよく知られた話とは、筋立てが大きく違って、主役の狐が女狐ではなく、男狐になっている。 ある男が母の病気を治すために祈祷法師を招いたが、その法師は実は母を恋慕する狐で、母が病気になったのもその狐の仕業であった。男がその狐の正体を見破って追い払うと、狐は未練を残しながら古巣に帰って行く、という物語だったらしい。上方歌舞伎の舞踏劇(所作事)の伴奏(地)として作曲されたが、踊りが残っていないので、正確な筋は分からない。信頼すべき注釈もなく、この解析も、推測で補ったり解釈した点がいくつかある。 元禄16(1703)年に刊行された『松の葉』に三絃の原曲が載っているので、それ以前の作曲と推定され、現行の地歌端歌ものの中では最古の部類に属する。本来は地味な歌物だったが、大正9(1920)年に宮城道雄が華麗な箏の手を付け、歌と手事の両方とも充実した曲に生まれ変わった。 【解析】 ○痛はし や|母上は、花の 姿に|引き かへ て、萎(しお)るる| 露の|床(とこ)の内、 痛わしいことよ、母上は、花のような美しい姿が|うって変わって、しょんぼりと |涙の露に| |萎れる | |床 の中、 ○智恵(ちゑ)の鏡も|かき曇る 、 | 法師に|まみえ 給ひつつ、 智恵 の鏡も| 曇って、分別を失い、病を治す|祈祷法師に|お目にかから れ て 、そのまま法師に| ○ |母を招けば| |後(うしろ)|見 返りて、 連れ出されそうになった。男が、法師の正体を狐と見破って、母を招くと、狐は、後ろ を|振り返って、 ○さらば と |言はぬ |ばかり にて、泣くより外の|ことぞ| なき 。 さようならとは|言わない|だけ で 、泣くより外の|ことは|出来なかった。 (言はん |ばかり にて) さようならと |言いたい|ほどの 様子 で | ┌──―─┐ ○野 越え|山 越え|里 うち過ぎて、 来る は誰 ゆゑ|↓|そ さま |ゆゑ 、 野を越え、山を越え、里を通り過ぎて、私が訪ねて来たのは誰のため|か、あなたさまの|ためです。 ┌──―─┐ ┌──―─┐ ○誰 ゆゑ|↓|来る は、来る は誰 ゆゑ|↓|そ さま |ゆゑ 。 誰のため|か、来たのは、来たのは誰のため|か、あなたさまの|ためです。 ○ 君 恋し 、寝ても覚めてもな、忘ら れぬ 、 |わが思ひ、わが思ひ、 あなたが恋しい、寝ても覚めてもね、忘れられない、あなたへの|私の思い、私の思い、 ○それ |おもん見れば、春の花 散りて|秋の紅葉も色づく、 そもそも|考えてみると、春の花が散って、秋の紅葉も色づく、春夏秋冬が巡る ○世の中は、電光 石 火 の|夢のうち 、捨てて | 願ひをさ 、捨てて |願ひをさ、 世の中は、稲妻や火打石の火が閃く|夢の 中 のようなもの、捨てて!|恩愛の執着をさ!、捨てて!|執着をさ、 ○なむあみだぶつ、なむあみだ。 ○ 君 は| 帰る か|恨めしや 。 |往(い)のう|やれ、わが住む森に|帰らん、 あなたは|家に帰るのか、残念だなあ。私は|立ち去ろ う、さあ、私の住む森に|帰ろう、 ○勇みに |勇み て|帰らん、わが思ふ|わが思ふ、心の内は | 白 菊 | 。 |知ら(ず) 元気を出して|元気を出して|帰ろう、私が思う、私が思う、心の中は誰も|知らない、 | 白 菊 |の咲く野を| ○岩 隠れ |蔦 隠(つたがく)れ 、篠の細道 かき分け 行けば、虫の声々 |面白 や 。 岩間に隠れて、蔦の茂みに隠 れて、篠の細道を掻き分けて行くと、虫の声々が|風情があるなあ。 ○ |降り初むる、やれ、降り初むる、やれ、降り初むる、今朝 だにも|今朝 だにも、 時雨が|降り始めた、それ、降り始めた、それ、降り始めた|今朝でさえも、今朝でさえも、もう ○ 所は| | 跡も| なかり|けり 。西は田の畔(あぜ) |危ないさ。 私の帰る所は|来た時の|足跡も|残っていない|ことだなあ。西は田の畦道、人がいるので|危ないさ。 ○谷 峰 | しどろに | 越え 行く。あの山 越えて|この山 越えて、 谷や峰が|雨にびっしょり濡れて、 |心もびっしょり濡れて、私は越えて行く。あの山を越えて、この山を越えて、 ○焦がれ焦がるる| |憂き 思ひ 。 焦がれ焦がれる|母への|つらい思いを抱きながら。 【背景】 降り初むる ○ 降り初むる今朝 だに|人の |待たれつる 雪が降り始めた今朝でさえ、人が訪ねて来るのが|待たれたが、結局誰も尋ねて来ないまま半日が過ぎ、 ○ |み山の里の雪の夕暮 一入寂しさの募る| 山 里の雪の夕暮であることよ。(新古今集・巻第六・冬・663・寂蓮法師・) しどろに ○菖蒲(あやめ)葺(ふ)く|茅(かや)が軒端に|風 | 過ぎて|しどろに | 落つる|村雨の露 菖蒲を 挿している|茅葺きの家の軒端に|風が|吹き過ぎて、びしょびしょと|散り落ちる|村雨の露。 (後鳥羽院遠島百首・夏・二五 ) 【参考】 元禄16年(1703)9月豊竹座。義太夫浄瑠璃「信田森女占」[紀海音作] 狐会(多門庄左衛門作詞・岸野治郎三作曲)邦楽ジャーナル 107号 |
作詞:多門庄左衛門 (江戸役者) 作曲:岸野次郎三 【語注】 狐会 本来は吼ロ歳で、狐の鳴き声だろう。「吼」は動物の吼える声、「ロ歳」は不詳だが、擬音だろう。「コンコン」程度の意味。「狐会」は、歌詞の内容に結び付けた当て字。 招けば 内容的には、「呼び戻したところ」 言はぬばかり 「ぬ」は疑問がある。参考に「言はんばかり」の訳も示した。 野越え山越え 以下、最後まで、狐のくどき(心中の吐露)。ここから「そさまゆゑ」までは当時の流行小歌の歌詞という。 君恋し ここから「なむあみだ」までは後から付け加えられたと言われ、山田流では歌わない。 忘られぬ 「忘ら」はラ行四段・未然形。「れ」は可能。「ぬ」は打消。 降り初むる⇒背景 しどろに⇒背景 あの山越えて 以下、「憂き思ひ」まで、当時の流行小歌の歌詞と言う。 |