心尽(こころづくし)
【解題】 八橋検校作曲の組歌、表組の一つ。統一のない主題の六つの章句から成っている。曲名は第一歌にちなんだもの。 【解析】 第一歌 ○ 心づくしの |秋風に、須磨の浦わの浪 枕 、衣 片 敷き ひとしおものを思わせる|秋風に、須磨の浦 の浪の音を間近に聞きながら、衣の片方の袖を下に敷いて、 ○一人寝に、夢も 結ば ぬ |夜な夜な 。 一人寝で、安らかに眠ることも出来ない|夜な夜なである。 第二歌 ○ふるさとをはるばると、 |隔ててここに|すみだ川、 ふるさとをはるばると|遠く|離れてここに|住む | 隅 田川、 ○みやこ鳥に|こと問は| ん、 |きみ は| ありや|なし や|と。 みやこ鳥に| 尋ね|よう、都の|あの人は、無事でいるか|いないか、と。 第三歌 ○夏の夜のあけぼの、夢を覚ますほととぎす 、 |白たへに見ゆる は、 夏の夜の明け方 、夢を覚ますほととぎすの声を聞き、外を見ると、真っ白に見えるのは、 ○月に| さらす |卯の花 。 月が|布を 晒 すように白く照らしている|卯の花だった。 第四歌 ○霧 にたたずむをぐるま、やつし て|立つ る をぐるま。 霧の中にたたずむ 車 、質素に装って|止めている 車 。その中にいて、 ○人目 忍ぶの契り こそ、 更けて 閨 の通ひ路(ぢ) 。 人目を忍ぶ 契りを求めるの は 、夜更けて夕顔の宿への通い路 を辿る源氏の君である。 第五歌 ○ 明日香川の水上 を、すずりの水に| 堰き| 入れて 、 流れが激しい明日香川の水上の水を、すずりの水に|堰きとめ、引き入れてあなたに手紙を書いても、 ○書く 言の葉は|尽き まし や、 |今日も |暮らさむ 命かな 。 書く恋の言 葉は|尽きるだろうか、いや、尽きないだろう。今日もあなたを恋して|暮らす 我が命だなあ。 第六歌 ○ 契り |し|宵の|たそがれ 、しるべ 深き|空薫き 、 逢う約束をし|た|宵の|たそがれにやって来ると、道案内のように深い|薫物の薫りが漂っている。 ○ 求(と)め 入(い)る|かたの萩の戸を、開くや| 袖の移り香 。 探し求 めて入っていく|部屋の萩の戸を|開くと、それはあの人の袖の移り香であった。 【背景】 ふるさとをはるばると ○唐衣 着つつ | なれ |に|し|つま| |し|あれ| ば はるばる| 《衣》 《褻れ》 《褄》 《張る》 唐衣を着ていると、糊が取れて柔らかくなる| 私には| 慣れ親しんで|き|た| 妻 |が|!|いる|ので、遥 々と|こんな遠くまで ○ き| ぬる |旅を|し|ぞ| 思ふ 《着》 やって来|てしまった|旅を|!|!|感慨深く思うことだ。(伊勢物語・第八段・在原業平) みやこ鳥にこと問はむ ○さる|折| し も、白き鳥の|嘴(はし)と脚と 赤き、鴫(しぎ)の大きさなる| 、 |ちょうど | その|時| 、白い鳥で、口ばし と脚とが赤い、鴫 の大きさ の |鳥が、 ○水のうへに|遊びつつ 、魚(いを)を食ふ 。京には|見え ぬ 鳥なれ ば 、皆人 |見知らず 。 水の 上 で|遊びながら、魚 を食っていた。京では|見かけない鳥な ので、皆 は| 知らなかった。 ○渡し守に|問ひけれ ば 、「これなん都鳥 」と言ふ を|聞きて、 渡し守に|尋ねた ところ、「これ は 都鳥です」と言うのを|聞いて、 ○ 名にし|負は | ば|いざ|事問は む| 都という言葉をその名に!|持っている|ならば、さあ|聞いてみよう、 ○都鳥 、わが| 思ふ 人は| ありや|なし やと 都鳥よ、私が|恋しく思っている人は、無事でいるか、いないかと。 ○と詠め|り|けれ| ば 、舟こぞりて |泣き| に |けり。 と詠ん| だ |ので、舟の中の人は皆|泣い|てしまっ| た 。(伊勢物語・第八段) 月にさらす卯の花 卯の花の白さを「晒した布」と表現し、月光の白さと対比した歌としては、次のものがある。 ○ |まがふ べき |月 なき頃の|卯の花は| 月の光が白くしていると|間違えるはずの|月が出ていない頃の|卯の花は、 ○夜 さへ| さらす |布かとぞ見る | 夜になってまで|白くさらしている|布かと 見違えるほどである。(夜の卯の花・山家集・0177・西行) 明日香川 ┌────────────────┐ ○世の中 は|なに か|つねなる| ↓ 世の中には、なにが |不変な |ものと言える|だろうか、いや、 ○ |あすか川 |きのふの淵 ぞ|けふは瀬になる | あの|明日香川の|昨日 の淵が |今日は瀬に変わる|ように、不変なものは何もないのだ。 この歌が『古今集』(雑下・933)に載せられて以来、明日香川は世の中が変わりやすいことの例えによく使われるが、それ以前は、もっと色々な側面が詠まれた。その一つは、堰であり、また、水勢が激しいことである。 ○明日香川 |しがらみ 渡し |堰か |ませ| ば| 明日香川に|しがらみを渡して、 |もし |堰き止め| た|ならば、 ┌─────────┐ ○進め| る|水も| のど に|か|あら|まし |↓ 流れ|ている|水も、もう少し緩やかで| |あっ|ただろう|か。(万葉集・0197) ○今 行きて|聞く ものに|もが|明日香川 春雨 降りて |たぎつ | 瀬の音を 今すぐ行って、聞いてみたいものだ|なあ、明日香川に春雨が降って増水し、激流になっている|川瀬の音を。 (万葉集・1878) すずりの水 ○四方の海 硯の水に | 尽くす とも|我が 思ふ こと |書き も|やら| れ | ず 周りの海の水を硯の水として|使い尽くしたとしても、私があなたを愛する思いは| |全部| |書く事も| |出来|ない。 (自在抄・大成抄・藤原俊成) 田藤清風著『山田流箏歌講話・前編』では、 ○明日香川硯の海に流れ来て淵はまされど書きは尽くさじ を「古歌」として引用しているが、出典は未詳。 |
作詞:不詳 作曲:八橋検校 【語注】 心づくしの秋風に⇒『明石』の背景参照。 ふるさとをはるばると⇒『住吉』の背景参照。 みやこ鳥にこと問はん⇒背景 明日香川⇒背景 すずりの水⇒背景 空薫き どこからともなく匂ってくるように燻(くゆ)らせる薫物。来客前にたいておくか、又は来客中に隣室などでたき、客のいる部屋に匂わせる。 萩の戸 宮中の清涼殿の一室。高位の后などが控え室に使った。また、そこに入る戸。 衣と褻れ(糊が取れて柔らかくなる)・褄(着物の裾の左右の端)・張る(洗い張りをする)・着は縁語。 しがらみ 川の中に杭を打ち、柴や竹などを渡して、水流を堰き止めるもの。 |