合唱と合奏による閑吟集                        訳と解説 山戸朋盟

【解題】

 室町時代の歌謡集『閑吟集』から幾つかを選んで歌詞としたもの。NHK邦楽技能者育成会38期生(1993年3月卒業)の卒業演奏会のために作曲された。

析】

一、
○    笑窪 の 中 へ|身を投げ    |ばやと|思へ  ど|   底の|邪   が|怖い。
       
《窪》    《身を投げ》                《底》《蛇》
        窪地の 中 へ|身を投げる覚悟で|
   あの子の笑窪 の魅力に|  溺れ    |たいと、思うけれど、窪地の底の|蛇   が|怖い、それに、
                                 |笑窪の裏の|邪まな心が|怖い。

二、
○思へ   ど|思は ぬ |振りをして|しゃっとして|おりゃる    こそ|  底は|深けれ   |
   好きだけれど、好きでない|振りをして、きりっとして|いらっしゃるお方こそ、心の底は|深みがあるが、

  
○    思へ   ど|思は ぬ |振りをして、なう|  思ひ 痩せに|痩せ|候(そろ)。
   私は女、好きだけれど、好きでない|振りをして、ねえ、恋の思いに痩せに|痩せ|ました  。

三、
○せめて|時雨       よかし。独り|板屋   の|淋しき    に|            。
                    
  |ゐ(る)  |
   せめて|時雨でも降ってくれよ ! 。独り|じっとして 、
                      |板屋で過ごす|寂しさのあまりに、時雨の音さえ慰めにしたい。

四、
○あまり 言葉のかけたさに         あれ 見 さいなう、空行く雲の速さ  よ。
   あまりの言葉のかけたさに|話しかけたが、「あれを見なさいな 、空行く雲の速いことよ」としか|
                                             |言えなかった。

五、
○泣く は我|      |涙    の| 主 は|其方(そなた)ぞ。
   泣くのは私、けれど、私に|涙を流させる|張本人は|あなたです  よ。

六、
○ 鎌倉へ下(くだ)る道に 竹 剥(へ)げの丸橋を|渡いた  。木が|候はぬ  か、
   「鎌倉へ下    る道に 竹をへし折った 丸橋を|渡してある。木が|ないのですか、

  
○板が|候はぬ  か、  |竹 剥(へ)げの丸橋を|渡いた    。
   板が|ないのですか、なぜ|竹をへし折った 丸橋を|渡したのですか。」

  
○  木も候へ    ど、板も候へ    ど、憎い     若衆を|           |
   女「木もありますけれど、板もありますけれど、憎いほど可愛い若衆を|鎌倉へ行かせないために|

  
○落ち入らせ うと  て、竹 剥(へ)げの、竹 剥(へ)げの、丸橋を|渡いた   。
  
 落としてやろうと思って、竹をへし折った 、竹をへし折った 、丸橋を|渡したのです。」

七、
○      |名残り惜しさに|  出でて見れば 山中に 笠の尖り  ばかりが、ほのかに|見えそろ 。
   帰るあなたの|名残り惜しさに|家を出 て見たら、山中に|笠の尖った先だけ が、かすかに|見えました。

八、
○面白  の|花の都     や 筆で書くとも|  及ば じ |  東には祇園     ・
   風情のある|花の都であることよ。筆で書いても|書き切れまい。都の東には祇園の八坂神社、

  
○清水  、  落ち 来る|滝の音羽          |の 嵐 に、地主  の桜は|散り散(ぢ)り、
   
《水》   《落ち 来る》
   清水寺の|流れ落ちて来る|  音羽 の|
               |滝    の|
               |  音   |に混じって響く|
               |  音羽山 |       |の山風に、地主権現の桜は|美しく散り乱れ、

  
○  西は|法輪 、  嵯峨の 御 寺、   |廻ら   ば廻れ   |水車の|臨川     堰の川波、
  
 都の西は|法輪寺、また嵯峨の清涼寺、寺々を|興味があれば廻ってご覧、水車も|
                        |廻るなら  廻れ   、   |臨川寺の前の井堰の川波、

  
○川柳は        |水に揉まるる、腸(ふく)ら雀は|竹に揉まるる、都の牛は|車   に揉まるる、
   川柳は川面に枝を浸して|水に揉まれる、ふっくらした雀は|竹に揉まれる、都の牛は|車の混雑に揉まれる、

  
○野辺の薄は風に揉まるる 茶臼は挽木(ひきぎ)に揉まるる。げに |まこと |      |忘れたりとよ、
   野辺の薄は風に揉まれる、茶臼は挽木     に揉まれる。本当に、そうそう、肝心のものを|忘れていたよ、

  
○小切子(こきりこ)は放下(ほうか)に揉まるる 小切子の二つの竹の|  |世々|を重ねて
                                      
|よよ|
   小切子      は放下僧    に揉まれる、小切子の二つの竹の   |節々、
                                   |その|世々|を重ねて

  ○うち治めたる|御 代かな 。
   平和の続く |ご時世だなあ。

【背景】

 地主の桜


 地主(じしゅ)権現は清水寺の鎮守社で、清水の舞台を出て直ぐの左手にある。ここの桜は有名で謡曲・箏曲「熊野」でも、「地主権現の花の色、沙羅双樹(さらさうじゆ)の理(ことわり)なり」と歌われている。

 臨川堰

 臨川寺の前の桂川の水車が当時名物だったらしい。臨川寺は、建武2年(1335) 夢想国師が開山としてつくられた禅宗寺院。国師は晩年この寺で過ごし77歳で入寂している。開山堂には国師の木像が安置されている。足利義満の筆による『三会院』の額(中門の上)をはじめ書院中の間にある狩野永徳による襖絵「水墨花鳥図」および枯山水(龍華三会の庭)の庭園など往時を偲ぶものが多く残る。京都市右京区嵯峨天竜寺造路(つくりみち)町。京福嵐山線嵐山駅から東に150メートルほどの所にある。

 茶臼挽木

 葉茶をひいて抹茶にするために使う石臼。上臼と下臼の間の隙間に茶を入れ、上臼を回して磨りつぶす。挽木は上臼を回すための取っ手。

 こきりこ

 25センチほどに切った2本のすす竹を、手首を回転させ指先で回しながら軽やかな音に打ち鳴らす楽器。放下(ほうか)師(芸をして歩く田楽法師・大道芸人の元祖)が用いた。


 参考にした本:『新訂 閑吟集』浅野健二校注(岩波文庫)・『謡曲集 下』(岩波 日本古典文学大系)


作詞:不詳
作曲:藤井凡大



【語注】

笑窪(窪地)が掛け言葉。窪地の底には池や沢があって蛇がいたりするので、身を投げは縁語。が掛け言葉。

おりゃる 「おいりある」の転で尊敬語。ここは、女性が男性のことをを述べているのだろう。
痩せ候 「候(そろ)」は謙譲語で、自分のことを述べている。
せめて時雨よかし 時雨の音は淋しいものだが、それさえ恋しくなるほどの淋しさに苦しんでいる。
独り板屋 「板屋」の「い」と「独りゐ(る)」が掛け言葉、「ゐる(いる)は「じっとしている」意。「ゐ」と「い」は閑吟集の編まれた室町時代には、同音となっていた。
空行く雲の速さ 心を言葉に出せないもどかしさと空行く雲の流暢な様子が対照されている。




若衆 奉公や商用で京から関東へ下る若侍や若商人だろう。










落ち来るは縁語。
滝の音羽 清水寺本堂の東の石段を下りたところにある「音羽の滝」を倒置したもの。この滝の水は寺の東方の「清水山」を源流とするが、その別名を「音羽山」と言う。
地主の桜⇒背景
法輪 法輪寺。渡月橋の南詰から130メートルほど南にある。
嵯峨の御寺 清涼寺(嵯峨釈迦堂)。JR嵯峨野線「嵯峨嵐山駅」から北西約800m。
臨川堰⇒背景
水に揉まるる 以下、揉まれるもの尽し。
竹に揉まるる 雀の群れが、竹藪の中を飛び回るさまを表現したもの。
茶臼挽木⇒背景
こきりこ⇒背景
(竹の節と節の間の空洞)が掛け言葉。







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