石山源氏・上
【解題】 『石山源氏 上・下』は、謡曲『源氏供養』の主要部分を抜き出したもので、『上』は安居院の法印聖覚が石山寺に参詣して、紫式部の霊に会い、これに頼まれて光源氏の供養をすることを引きうけ、式部がそのお布施として胡蝶の舞を舞うまでを歌っている。 【解析】 ○ 衣 も|同じ|苔 の道 、石山寺に|参ら む。 私の苔の衣とも|同じ|苔むした道を辿って、石山寺に|参詣しよう。 ○法印「是は|安居院(あごいん)の法印にて| 候 。我 |石山の 観世音 を|信じ 、 「私は|安居院 の法印 で |ございます。私は|石山寺の観世音菩薩を|信仰し、 ○常に | 歩みをはこび| 候 。今日も|まゐら |ばやと|思ひ| 候 。」 いつも|お参りに行って|おります。今日も|お参りに行き|たいと|思い|ます。」 ○時も| 名の花の都| を|立ち出でて、 嵐 に連るる|夕浪の|白 川 表 |過ぎ 行けば、 時も| 花の |頃、 |同じ名の花の都| を|出発し て、強風が吹くに連れて|夕浪が|白く立つ |白 川の畔を|過ぎて行くと、 ○ 音羽の滝| を|よそに見て 、 関の此方(こなた)の | 朝霞 、 清水寺の音羽の滝、それを|横目で見て通り過ぎると、逢坂の関の手前 には|もう朝霞が立っている、 ○されども| 残る 有明(ありあけ) の、影も| あなたに|にほ の海| けれども|まだ空に残っている有明 の月の、姿も|関の向こうに| 匂 い 、 | 行く手に| 鳰 の海|も見えてきた、 ○実(げ)に|面白き |景色 かな。 実 に|趣のある|景色だなあ。 ○さざ波や、志賀唐崎の一つ松、塩 焼か ね ども|浦の浪 、立つ こそ |水の煙りなれ。 さざ波や、志賀唐埼の一つ松、塩を焼く煙は立っていない が 、浦の浪が|立つの が|水 煙である。 ○かく て 御堂に|参りつつ、補陀楽山(ふだらくさん)も|是かと よ。 こうして石山寺の本堂に|参詣して、補陀楽山 も|是かと思うほど感じ入ったことよ。 ○四方(よも)の眺めも|妙(たえ)なる| や、瑠璃 や 瑪瑙の| 石 山寺。 《瑠璃》 《瑪瑙》 《石》 四方 の眺めも|素晴らしい |ことよ、瑠璃 や 瑪瑙の|宝石で飾られた| | 石 山寺。 ○黄金(こがね)砂(いさご)を|地 に敷きて、木々は| 宝 の花盛 。 黄金 の砂 を|地面に敷いて、木々は|まるで宝石を枝に散りばめたように花盛りである。 ○遥か に|月の影 |清く 、光り輝く玉の 堂。 遥かの空に|月の光が|清く照って、光り輝く玉のように美しい御堂。 ○ここ 安楽 の御国ぞと、 |聞く も|妙なる|不断香(ふだんこう) 。 これこそ安楽浄土の御国だと、かねて|聞いていたが、 |嗅ぐ も|妙なる|不断香の薫りが漂っている。その香りに| ○染まり重なる |墨色の、衣 のさまこそ|尊(たとふ)けれ、衣の さまこそ|尊けれ 。 染まり染まった|墨色の、法衣を着た僧たちの様子 は |尊い ことだ、衣のありさま も |尊いことだ。 ○紫式部の霊「なふなふ、あれな る|御法(みのり)の人に、申す |べきことの|候ふ 。 「もしもし、そこにいらっしゃる|お坊さん に、申し上げ|たいことが|ございます。 ○我は紫式部なるが、この 山 に籠もり、あだ 夢の|根 なし| 草 |なる|言葉の末 、 私は紫式部ですが、この石山寺に籠もり、つまらぬ現世の夢の|根も葉もない|作り事| の |言葉の端を| ○源氏 六十帖に書き連ね、拙き筆 に|まかせつつ、 名の| 形見とはなりたれ ど、 源氏物語六十帖に書き並べ、拙い筆先に|まかせては、私の名が|この世への形見とはなった けれど、 ○かの源氏 に|供養 せざり し により| 、 あの源氏の君に|供養をしなかったことにより|苦しんでいるので、 ○願くは| 供養 |御(おん)のべ 、我が 跡を|弔ひて|たび給へ や。」 どうぞ|源氏の供養を|なさって 、私の亡き跡を|弔って、下さいませ!。」 ○法印「 安き間の御事 、 |御願(おんねがひ)に|まかすべし。」 「お安い 御用です。あなたの|お頼み 通りに|しましょう。」 ○ 声 |満つ や、 法(のり)の|山 風 | ふけ 過ぎて、 光 |和らぐ春の夜の、 読経の声が|満ち響くことよ、仏法 の|山の | |山 風が| 吹き 過ぎ 、 |夜更けが過ぎて、月の光も|薄れる春の夜の、 ○眠りを覚ます|鐘の声 、光源氏の| 跡 弔はむ。 眠りを覚ます|鐘の声に、光源氏の|亡き跡を弔おう。 ┌────────────────────┐ ○式部「あら|有り難 や|嬉し やな、何を|か| 布施に|参らせ | 候ふ |べき||。」 「ああ、有り難いことよ、嬉しいことよ!、何を| |お布施に|差し上げたら| |よい|↓ |でしょ| う |か。」 ○法印「 否 や| 布施などは|思ひ も|よら ず。 ありし|都の御手ずさみ | 「いいえ!、お布施などは|考えても|いません。あなたの生前の|都の 手慰み の| ○昔に返す 舞の袖 、 形見に|舞ふて見せ 給へ 。」 昔を思い出させる舞の姿を|この世への形見に|舞って見せて下さい。」 ┌────────────────┐ ○式部「いか で | 仰せを背く |べき|↓、 恥ずかしながら舞は む」と て、 「どうして|お言葉に背けましょ| う |か、いや、背けません。恥ずかしながら舞いましょう」と言って、 ○もとより其の名も|紫の 、色 珍しき 薄衣(うすぎぬ)の、 日も|くれなゐの |扇を持ち、 もともとその名も|紫式部なので、 |紫の |色が素晴らしい薄衣 の衣装で、日も|暮れない時に、 |紅の |扇を持ち、 ○よわよわと |立ち上がり、あはれ|胡蝶の 一遊び | 、 弱 弱 とした風情で|立ち上がり、ああ!|胡蝶の舞の一差しを|舞ったが、 ○ 夢の内なる舞の袖、 |現 に 返す| よし |もがな 。 《袖》 《返す》 実はそれは夢の中 の 舞の袖、紫式部の魂を|現実に呼び返す|手立てが|あってほしいものだなあ。 【背景】 安居院 あごいん。あぐい。比叡山東塔北谷竹林院の里坊(さとぼう)。里坊は、山寺の僧などが人里に構える僧坊。安居院も平安京の中にあり、早く消失したが、安居院の法印聖覚が再興した。左京区大宮通り鞍馬口下がる東入る新ン町にある安居院西法寺がその跡と言われる。安居院の唱導(説法の形式と内容)は西法寺が伝承し、毎年4月の第2日曜の聖覚忌に「源氏供養表白」が唱和される。 法印 法印は僧侶の最上の位。その下は法眼、次は法橋。初めは僧正、僧都、律師に対応したが、後には対応しなくなった。ここは安居院の法印聖覚のこと。聖覚は始め天台宗の高僧だったが、後に法然上人を師とし浄土宗に入った。源氏物語五十四帖の巻の名によせて仏教の教理を説いた『源氏物語表白』を書いた。 補陀楽山 「ほだらくせん・ふだらくせん」とも言う。南海上にあって、観世音菩薩が住むという山。日本では、和歌山県那智山などに擬する。 瑠璃や瑪瑙… 「阿弥陀経」によれば、極楽国土には、七宝(金・銀・瑠璃・玻璃・しゃこ・珊瑚・瑪瑙)の池があり、八功徳の水がその中に充満し、池の底は全部金の砂を敷いてあると言う。また、池の四辺の階道は、金・銀・瑠璃・玻璃より成り、階道の上の楼閣は、金・銀・瑠璃・玻璃・しゃこ・赤珠・瑪瑙で装飾されている。ここは石山寺が贅沢をしているという意味ではなく、極楽浄土に喩えているのである。ちなみに、瑠璃は青色の宝石、また、ガラスの古名。玻璃は水晶、また、ガラスの別称。しゃこは「しゃ(石偏に車)」と「こ(石偏に渠)」で、意味は不明。 根なし草なる言葉の末 仏教には五戒、十戒がある。五戒は在家の守るべき戒律で、「殺生・偸盗・邪淫・妄語・飲酒」。十戒(じっかい)は出家が守るべきもので、五戒に「塗飾香鬘・歌舞観聴・坐高広大牀・非時食・蓄金銀宝」を加えたもの。「妄語」は、嘘をつくこと。物語は絵空事、フィクションだから、それを書くことは妄語戒に触れるという考えである。 |
作詞:金春禅竹(一説) 作曲:千代田検校 【語注】 衣も同じ 僧侶の衣服を、粗末な衣服という意味で「苔の衣」と言う。 石山寺 大津市石山町にある。瀬田の唐橋から南に1.3km。天平19年(747)良弁僧正が聖武天皇の勅願により開基したと伝える名刹。真言宗御室派。本尊は如意輪観世音菩薩。紫式部がここに参篭し、月の光に霊感を得て源氏物語を書き始めたという伝説がある。 安居院⇒背景 法印⇒背景 白川 比叡山の南に発し、銀閣寺の西を南流し、東大路通りと三条通りの交差点あたりを流れ、加茂川に合流する。このあたりから更に東南に下ると清水寺があり、東海道の逢坂の関につながる。 にほの海 琵琶湖の古名。鳰鳥が住んでいたことから、そう呼ばれた。 さざ波や 志賀に掛かる枕詞。 志賀唐崎 近江八景の一。『近江八景』の背景参照。 塩焼かねども… ここは湖で、海ではないので、藻塩焼きの煙などは見えないが、代わりに、浪の水煙が立っていて、それもまた風情があるというのである。 補陀楽山⇒背景 瑠璃や瑪瑙…⇒背景 瑠璃・瑪瑙・石は縁語。 不断香 常に焚いている香。 根なし草なる言葉の末⇒背景 源氏六十帖 実際は五十四帖だが、概数を言ったもの。 袖と返すは縁語。 |