今小町
【解題】 まず、傾城の格式の高さ、美しさを草木や花の風情に喩えて綿々と歌い、次に、小野小町の許に百夜通ったが思いを遂げられなかった深草の少将や、中国の英雄項羽を引き合いに、廓(くるわ)の女の張りと意気地を歌う。後半は一転して、プライドの裏に隠された恋する女心のもろさ、喜び、悲しみを歌う。 【解析】 ○松の位 に 柳の 姿、 桜の花 に梅が香 を、 松の位の大夫(たゆう)という格式を持ちながら、柳のような優美な姿、その上に、桜の花の色艶に梅の香りを| ○籠(こ)めて|こぼるる | 愛嬌は、月の雫(しづく) か、 《こぼるる》 《雫》 添え て、こぼれるような|お色気は、月の雫 に喩えようか、 ○ |萩 の 露 |の |情に憧れて、我も 迷ふや|てふてふの 、 《露》 それとも|萩 の 露に喩えようか。 その|花魁の溢れる露 |のような|情に憧れて、私も蜜を求めてさ迷う!| 蝶 々 のように| ┌─────────────-┐ ○恋し | な | ん | 身の|いく|百夜、通ふ | ↓| 心は| 恋に溺れ|てしまい|そうな|我が身が| 幾 |百夜|通った|ことだろうか。その恋心は| ○ |深草の、少将よりも| 浅 からぬ、 浅 香の沼の底までも、 <アサカ> <アサカ> 《深》 《浅》 小野小町の許に百夜通った|深草の|少将よりも| |深く 、 |その 浅 くない| 浅 香の沼の底までも、 ○引く手あまたの|花 あやめ。 誘う人あまたの|花町のスター。その気位の高さは、 ○たとへ昔の唐人(からびと)の、山を 抜くて ふ 力もて、引くとも|引けぬ |振袖 は、 たとえ昔の中国の英雄項羽 の|山を引き抜くというほどの 力 で 、 |いや、それほどの財力 で 、誘っても|靡かない|振袖の美女は、 ○すいな 世界の|今 小町、 |高き位の|花なれば、思ふに かひも| 嵐 山。 |あらじ | 粋 な花町の世界の|当世の小野小町、大夫という|高い位の| |高 嶺の|花なので、憧れても甲斐も|ないような| | 嵐 山の桜である。 ○されど |岩木に あらぬ| 身の 、意気(いき)な男の 手管には、 |いな|にもあらぬ| けれど実は、岩木ではない |女の身だから、しゃれた 男の誘いの手管には、まんざら|いや|とも言えず、 その|いな|では ない| ┌────────┐ ○いな舟の |沈み も|や|せ | ん|| 恋の渕 。 |逢はぬ | 辛 さ は|足曳きの、 稲 舟のように、 |↓ 恋の渕に| |沈むことも| |ある|だろう|か。 |思う人に|逢えない|つらさには、足曳きの| ○山鳥の尾の |長き 日を、恨みかこちて|人知れず、今宵 逢ふ瀬の新枕 、 山鳥の尾のように|長い一日を|恨み嘆い て、人知れず、今宵あなたと逢う瀬の新枕を交わして、 ○積もる | 思ひの|片 糸も、 解け て|うれしき春の夢 。 積もり積もった|恋の悩みの|硬く絡んだ | |片 糸も、やっとほぐれて|うれしい春の夢を見たいものよ。 【背景】 深草の少将 深草の少将が小野小町に、百夜通えば思いをかなえてやると言われ、徒歩(かち)はだしで九十九夜まで通ったが、 百夜目に病死したという伝説がある。(謡曲『通(かよひ)小町』) 浅香(安積)の沼 ○陸奥(みちのく)の |安積(あさか)の沼の |花かつみ <カツミ> 陸奥 にある|安積 の沼に咲いている|花かつみのような可憐なあの人、 ┌─────────────┐ ○ かつ |見る | 人に| |恋ひ |や|わたら | む|| <カツ ミ> | 一方では|逢っているのに| | そのくせもう一方では| |その人に、こんなに| |いつまでも | ↓ |恋いし| |続けてしまう|のだろう|か。 (古今集・巻第十四・恋四・677・読人知らず) 昔の唐人 楚の項羽のこと。紀元前 210年、秦の始皇帝が没して、一気に秦が衰えた時、後に漢を建国した劉邦と中国の覇権を争って敗れたのが項羽。最後は垓下で四面楚歌の形勢に追い込まれ、愛妾虞美人と次の詩を唱和して劉邦の大軍に攻め入り、敗死した。紀元前 202年のことであった。 ○力抜山兮気蓋世 力、山を 抜き 気、 世 を蓋(おほ)ふ かつて私は、力は山を引き抜くほど強く、気力は世界を覆 うほど盛んだった。 ○時不利兮騅不逝 時 、 利あらず 騅(すゐ)|逝(ゆ)かず しかし今、時勢は|不利に傾き、愛馬騅も疲れて|走れなくなった。 ┌───────────────―-┐ ○騅不逝兮可奈何 騅の逝かざる |奈何(いかん)す |べき |↓ 騅が走れなくなったのを|どう する|ことが出来よう|か、 いや、どうすることも出来ない。 ┌───────────────―-┐ ○虞兮虞兮奈若何 虞や、虞や、若(なんぢ)を|奈何(いかん)せ| ん|↓ 虞よ、虞よ、お前 を|どう し|たらよいのだろう|か。 (史記・項羽本紀・四面楚歌) 足曳きの山鳥の尾の ┌───────────-┐ ┌─┼─────────┐ | ○足曳きの山鳥の尾 の|しだり 尾の 長 々し夜を 一人 |か|も|寝 | む|↓ ↓ 山鳥の尾、その|垂れ下がった尾のように長い長い夜を私は一人で| |寝る|のだろう|か|なあ。 (拾遺集・巻十三・恋三・778・柿本人麻呂) |
作詞:不詳 作曲:菊岡検校 筝手付:八重崎検校 【語注】 松の位⇒『茶の湯音頭』参照。 こぼるると雫と露は縁語。 恋しなん身 「な」は助動詞「ぬ」の未然形で、強意。「ん」は助動詞「む」の連体形準体法で、婉曲。 深草の少将⇒背景 深・浅は縁語。 浅香の沼⇒背景 昔の唐人⇒背景 いな舟 刈った稲を積んで運ぶ舟。 足曳の 山に掛かる枕詞。 足曳きの山鳥の尾の⇒背景 片糸 縒り合わせてある糸の片方の細糸。 しだり尾 枝垂り尾。木の枝が垂れ下がるように垂れた尾。「しだり」は「しだれ柳」「しだれ桜」の「しだれ」と同じ。 |