春の曲
【解題】 古今和歌集から春の歌六首を選んで歌詞とした。勅撰和歌集の歌の配列に倣い、春の初めから終わりへと、季節の進行 を表すように、歌が並べられている。第一の歌は、新春に鶯が谷から人里に出て、人々に春の到来を告げること。第二の歌は若菜摘み、第三の歌は満開の桜、第四の歌はふるさとの落花、第五の歌は藤、最後は絶え間なく囀る鶯の声に託して、限りない惜春の情が歌われている。曲調は雅楽の音階を取り入れた優雅な古今調子によるもので、全体の構成は地唄・箏曲一般に見られる序・破・急の形式によっている。 【解析】 第一歌 ┌────────┐ ○鶯の谷より|いづる |声 |なく |ば |春 |来ることを|誰 か|知ら| まし | 鶯が谷から|出てきて鳴くこの|声が| |もし | ↓ |なかっ|たならば、春が|来ることを|誰が |知る|だろう|か、 |いや、誰も知らないだろう。まだ寒さの残る中に、鶯が初めて春を教えてくれるのだ。 (古今集・巻第一・春上・14・大江千里) 第二歌 ○深山(みやま)には |松 の雪|だに|消え|な |く|に 奥山 では、まず初めに消えるはずの|松の枝の雪|さえ|消え|ない|の|に、 ○都 は 野辺の若菜 |摘み | けり 都に出てみると 、もう野辺の若菜を|摘んでいる|ことだなあ。(古今集・巻第一・春上・19・読人知らず) 第三歌 ○世の中に| たえて |桜 の|なかり|せ| ば|春の 心は のどけから | まし 世の中に|まったく|桜というものが| |もし | |なかっ|た|ならば、春の人々の心は、のどかであっ|ただろうに、 |桜あるが故に、様々に心を砕いて、落ち着かない春の日々を送ることだ。 (古今集・巻第一・春上・53・在原業平) 第四歌 ○駒 |並(な)めて いざ 見に|行か|ん ふるさと は| 駒を|並べ て一緒に、さあ、見に|行こ|う、ふるさとでは、 ○雪|と| のみ | |こそ|花は散る| らめ | |まるで| 雪|と| しか |見えないほど| ! | |今頃 | |花は散っ|ているだろう。(古今集・巻第二・春下・111・読人知らず) 第五歌 ○わが宿に|咲け| る|藤波 |立ち 返り 《波》 《立ち》《返り》 私の家に|咲い|ている|藤波を見て|引き 返して、 ○ 過ぎ|がて に| のみ | 人の|見る| ら ん 通り過ぎ|にくそうに|ばかり|して、人が|見 |ているだろうよ。(古今集・巻第二・春下・120・凡河内躬恒) 第六歌 ○声|絶えず|鳴け|や|鶯|ひととせ に|ふたたびと| だに |来(く)|べき |春| かは| 声|絶えず|鳴け|よ|鶯。 一 年 のうちに| もう一度 |だけでも|来る |はずの|春|だろうか!、 |いや、二度と来るはずさえないこの春、それが今、去ってゆくのだから。 (古今集・巻第二・春下・131・藤原興風) 【背景】 なくば 「なく」は形容詞未然形と説明される。未然形に付いた接続助詞「ば」は、仮定条件を表す。「なくは」という言い方もある。「…ば、〜まし」は反実仮想の構文。 消えなくに 普通は、「な」は打消「ず」の未然形、「く」は名詞を作る接尾語と説明するが、最近の説によれば、「ぬあくに」が短縮されて「なくに」となった。「ぬ」は打消「ず」の連体形。「あく」は「こと」。 ○消え|な | く| に| 消え|ぬ |あく| に| 消え|ない|こと|なのに| 消え|ない| | のに| と考えられる。 ふるさと 今は京に住んでいるので、以前住んでいた奈良を指しているのかも。 藤波 藤の花房が波のように風になびくので、藤波と言う。 ふたたびとだに… せめてもう一度だけでもいいから来て欲しいと願っても、もう一度来ることさえない春。去り行く今年の春が、二度と来ないことを強調した表現。 |
出典:古今和歌集 作曲・吉沢検校 筝手付・松阪春栄 【語注】 第一歌 暦の上では春であるが、実際には春の気配がどこにも感じられない時期に、たまたま鶯の声を聞きつけて春の到来を知り、喜んだ気持ちを、理知的に表現した歌。 なくば⇒背景 第二歌 奥山に住んでいる人がたまたま都に出て、季節の進行の遅速を感じて詠嘆した歌。「深山」と「都」、「松の雪」と「野辺の若菜」が、対比的に扱われている。 なくに⇒背景 第三歌 世の中に桜が存在しなければ、春の心はのどかだろうと空想することによって、桜ゆえに落ち着かない心で春を過ごす人々の桜に対する愛着の深さを、逆に強調している。「せば…、〜まし」は反実仮想の構文。 第四歌 ふるさとへの懐旧の心と桜への愛着を重ね合わせ、ふるさとの桜の美しさ、落花の豪勢な様子を想像し、人々に共感を呼びかけた歌。 ふるさと⇒背景 第五歌 作者は、自邸の藤の花の美しさをかねがね自慢に思い、外を通る人がそれを振り返ったり立ち返ったりして見る様子を想像して、家の中で満悦している。 藤波⇒背景 波・立ち・返りは縁語。 第六歌 去り行く春に対する惜春の情を、鶯に対して、「声絶えず鳴けや」と呼びかけることによって表現している。ここで行く春を惜しんで鳴く、鶯の声は、二度と返ってこない春との別れを悲しむ作者の心でもある。 ふたたびとだに…⇒背景 |