江の島

【解題】

 歌詞は謡曲『江島』から取ったもの。江の島は現代でも関東地方屈指の風光明媚な景勝地として知られ、歴史的な名所古跡を多く残す対岸の鎌倉と共に湘南の一大観光地となっている。江戸時代においても、江の島は信仰と観光の島として庶民に親しまれていた。この曲は、先ず仏教の哲理などを織り込みながら江の島近辺の風光を格調高く叙し、一転して、俗謡風に男女の仲を歌った貝尽くしとなり、さらに深沢の悪竜伝説と竜口明神社の縁起、悪竜を改心させた天女の伝説を語って太古に思いを馳せる。最後に弁財天となって江の島神社に鎮座する天女の悠久の神徳を称えて曲を終わる。

解析

○春 過ぎて、今ぞ初めの  夏衣、  軽(かろ)き|快(たもと)が|浦風|に   、科戸(しなど)の|

 
春が過ぎて、今!初めて着る夏衣、その軽    い|袂     が|  |
                         |袂     が 浦の|
                                 |浦風|になびき、科戸の神   の

○追風(おいて) |そよそよと、| 福 寿円満| |限りなき、            |誓ひの海|の
 
追風     が|そよそよと |吹く   、
                | 福 寿円満|が|限りない、仏が衆生を救おうと誓った|誓いの海|のように

○それ |なら |  で 、  干潟となれば| いと | 易く 、歩みを運ぶ |江の島の、
                                     
<エ>
 
深い海| で は|なくて、浅い干潟になれば|たいそう|簡単に、歩いて渡れる|江の島の、

○ 絵|にも及ばぬ|   |眺め|かな 。
 <エ>
  絵|にも及ばぬ|美しい|眺め|だなあ。

○水は山の影を|銜(ふく)み、山は水の心   に|     |任す    、
 
水は山の姿を|映し    、山は水の心のままに|自分の姿を|映させている、

○   |神仙の            岩屋、  名に|聞こえ|た る|蓬莱洞   。
 
ここは|神仙の降臨したという伝説のある岩屋、その名が|知られ|ている|蓬莱洞である。

○峙(そばだ)つ岩根 |峨峨(がが)と|  し  |て、随  縁 |真如(ずいえんしんによ)     |
 
聳え立つ   岩 は|けわしく   |切り立っ|て、   縁に|
                          |従って  |真理が様々に形を変えて現われること|

     | の   |波の声 、心も澄め|  る|    折からに、
 を象徴する|かのような|波の音に、心も澄ん|でいる|ちょうどその時 、

○海人(あま)の 子|ども|の|うち群れ て|  、磯   馴(そな)れ |小唄も|貝尽くし   。
 
漁師    の若者|たち|が|  集まって|歌う、磯で歌い慣    れた|小唄も|貝尽くしである。

○ 君 が|姿を見そめてそめて、引く|袖貝を|      |振り払ふ 、  恋は(あわび)の片思ひ、
 あなたの|姿を見初めて初めて、引く|袖 を|      |振り払って、
                      |あなたは私を|振る   、私の恋は鮑     の片思い、

○徒(あだ)し| 徒   波|      |さくら貝梅の花貝、その身は   |酢い  |な 、
 
実意のない |うつり気な波|は二人の仲を|裂く  |
                     |さくら貝、梅の花貝、その身は   |
                          |梅     の実のように|酸っぱい|なあ、

○粋(すい)な酢貝は男の心   、こち は|姫貝|、      一筋な、女心(おうなごころ)は、
 
さっぱりした酢貝は男の心を表す、こちらは|乙女|、あなたを思う一筋な、女心        は、

さう   |ぢゃ|ないわいな。
 そんなもの|では|ないですよ。

○いつか    |逢 瀬|の|床臥(とこぶし)に、逢うて離れぬ |(はまぐり)の          、
 
いつかあなたと|逢う日|の|共寝    の時に、逢って離れない|蛤      のように深い仲になって、

○その   |月日|貝 |馬力(まて)貝|と、言ふ      を|頼み    の|妹背 貝
 
その約束の|期日| を|待て     |と、言うあなたの言葉を|頼りに過ごす |男女の仲、

○歌ふ一節(ふし)                        恋の海   。
 
歌う一節を聞いても、まことに弁財天と悪竜の伝説の昔から、この海は恋の海である。

○かの深沢の悪竜(あくりょう)も、妙なる天女の神徳に    、たちまち      |一念  発起し て、
 
あの深沢の悪竜       も、美しい天女の神徳に感化され、たちまち悪行を捨てる| 念願を 起こして、

○永く       誓ひを  |竜(たつ)の口    、  昔の   跡を|ぞ|とどめ|  ける  。
               
|立つ         |
 
永く民を救うという誓いを  |立てたという     、
             この|竜     口明神社に、その昔の伝説の跡を|!| 留 め|ているそうだ。

○幾千代も、尽きせ|  じ  |尽き|  じ  |この島の、磯山松を吹く風 、岩根に  寄する波までも、
 
幾千代も、尽き |ないだろう|尽き|ないだろう|この島の、磯山松を吹く風や、岩根に打ち寄せる波までも、

○さながら|和風楽(かふうらく)、青海波を| 奏す |      なり  。
 
まるで |和風楽       や青海波を|演奏する|ように高雅に聞こえる。

○道理(ことわり)なれ|や |、           名に|し|負(お)ふ、妙  音  菩薩の  |
 
それもその筈   だ |なあ|、この江の島神社は、その名に|!| 恥じない 、妙なる音楽の菩薩である|
                                        |弁財天がご神体であり、

○     |調べの糸 、      |ながく|伝へて|富貴自在、寿命長久繁栄を、
         
《糸》       《 長 く》
 
その奏でる|調べの糸が       | 長 い|ように|
            |縁起の伝説を| 永 く|伝えて、富貴自在、寿命長久繁栄を、

○守ら|せ|給ふ|御神(おんがみ)| の  、広き恵み|ぞ|ありがたき     、広き恵みぞありがたき。
 守っ|て下さる|御神      |であって、
                 |その  |広い恵み|は|ありがたいことである、          。


【背景】

 春過ぎて、今ぞ初めの夏衣

○  春  |過ぎて|今日|             |脱ぎ   更ふる|唐衣|
 《張る》                               《衣》
  
春 が|過ぎて|今日|は立夏、衣更えの日。春衣を|脱ぎ夏衣に替えた|唐|が、

○  身に|こそ|  | なれ |ぬ |夏はき|に| けり
            《褻れ》     《着》
 
わが身に| ! |まだ| 馴染ま |ない|夏は来|た|ことだなあ (新千載集・前大納言頼定)

 誓ひの海

 阿弥陀如来は俗世では国王だったが、王位を捨てて出家し、衆生を救おうという誓願(弥陀の本願)を立て、永い修行の末、四十八の誓願を成就し、仏となった(無量寿経)。ここは仏の深い慈悲を海に喩えた。

○今はまた   |誓ひ|の|海|の                    |渡し守|
 
今はまた、仏は     |海|のような深い慈悲で衆生を救う|
        |誓願|   |を起こされ、        |極楽浄土への|渡し守|となって下さる。


○ 苦しき    |波  に|人 は沈め     |  じ

 
四苦八苦の現世の|波の底に|人を 沈めることはし|ないだろう。(新千載集・巻九・釈教・前大納言為家)

 歩みを運ぶ江の島の

 江の島と片瀬海岸の間の海は、昔も今も引き潮のときは干潟が露出して地続きになる。昔は人がその干潟を歩いて江の島に渡った。
明治24年に、砂浜と江の島を結ぶ簡単な人道橋として「江の島桟橋」という板の橋が架けられた。これが後に県営の木造人道橋「弁天橋」となり、渡橋料「金二銭也」がとられていたという。現在の江の島大橋は鉄筋コンクリート造りの車道橋で、昭和32年に架けられた。

 水は山の影を銜(ふく)み、山は水の心に任す

○水は山の影を|銜(ふく)み 山は波の心   に|     |任す
 水は山の姿を|映    し、山は波の心のままに|自分の姿を|映させている。

○  |底 深ければ|則ち山 又深く、波 動けば|則ち     山 又動く
 水の|底が深ければ、必ず山も又深く、波が動くと、必ず波に映った山も又動く。(本朝文粋)

 随縁真如の波の声

 水は本来、外部から力が加わらなければ絶対的な形を持つはずだが、風などの外からの力によって様々な形の波に姿を変える。そのように、一つの絶対的な真理(真如)が、縁(外部との関係)によって、様々に姿を変えて現象界に現われているものを随縁真如と言う。「縁に随(したが)って姿を変える真理」の意である。一方、波は様々の形を持っているが、その大元は、絶対的な形を持つはずの水である。そのように、様々な姿で現われる現象の根源に存在すると考えられる、一つの絶対的な真理を、不変真如と言う。
 同じように、仏の教えも本来は絶対的な一つの真理だが、教える人と教えられる人との関係やその場の状況などによって、様々に姿を変えて人を導くものである。

 恋は鮑の片思ひ、

○伊勢の海人の| 朝な| 夕な|に|  かづく |  |て ふ
 
伊勢の海人が|毎朝 |毎夕 |に|水に潜っ て|取る|という

○あわびの貝|の   |片思ひ  |に| し て|

 
あわびの貝|のように|一枚貝  |
           |一方的な恋|で|あって|何とつらいことよ。
(万葉集・巻第十一・2798・作者不詳)

 かの深沢の悪竜も

 
江の島の成因と周辺の地名由来について、次のような伝説がある。

 昔、鎌倉の深沢(湘南モノレール・湘南深沢駅近辺)は名前の通り、深い沢(沼地)で、この沢には五つの頭を持った「五頭竜」が住んでいた。この竜は、洪水や山崩れを起こしたり病気を流行させたりして里人を苦しめる悪竜で、人々は非常に困り、子供を生け贄に供えたりしたが、竜は悪行(あくぎょう)を止めなかった。深沢から西へ行く道の付近を「子死越(こしごえ)」(現在の「腰越」)と呼ぶようになったのはこの頃からと言われる。

 欽明天皇13(552)年4月12日、突然起こった大地震と共に、子死越前方の海に一つの島が海中から隆起した。これが江の島である。そして、天から美しい天女が島に舞い下った。竜は天女の美しさに魅せられ、結婚を申し出たが、天女は悪竜の願いをはね付け、洞窟に隠れてしまった。

 しかし、竜は天女を思い切れず、たびたび島を訪れ、これからは悪行を止め、永く人々の為に尽くすと天女に約束した。天女は竜の願いを聞き届け、結婚を受け入れた。やがて竜は年老い、死ぬ時になって天女に「死んでも私は島と里人を守ります。」と告げ、江の島の対岸に横たわり、一つの山になった。これが現在の片瀬山で、竜の口のある所が、現在の竜の口(たつのくち)である。里人はこの山を竜口山と呼び、五頭竜を祭った社(やしろ)が竜口(たつのくち)明神社(湘南モノレール・西鎌倉駅徒歩5分)で、五頭竜の木彫りのご神体がおさめられている。今でも60年に一度、竜神をおみこしに乗せて江の島へ渡り、天女の弁財天とお会いさせている。前回のお渡りは2001年、次回は2061年。

作詞:観世弥次郎
作曲:山田検校






【語注】


春過ぎて、今ぞ初めの
⇒背景
袂が浦 江の島の対岸、藤沢市側の片瀬川(現在の境川)と小動(こゆるぎ)岬の間の海岸を、現在は「片瀬東海岸」と呼ぶが、昔は「袂が浦」の名称があった。
科戸(しなど) 風の神、級長戸辺神(しなとべのかみ)のこと。風に類する種々の語の序詞として使われる。
誓ひの海⇒背景
歩みを運ぶ江の島の⇒背景




水は山の影を含み、背景


神仙の岩屋蓬莱洞 江の島の岩屋洞窟は、古くは蓬莱洞、金窟、龍窟、龍穴、本宮岩屋など、多くの呼び名があった。現在は、第一岩屋と第二岩屋に分けて呼ばれ、第二岩屋の奥に竜神が祭られている。
随縁真如の波の声背景


海人の子 「子」は若い人を親しんで呼ぶ言葉。現代では特に若い女性に対して使われる。

引く袖貝 以下、下線部には貝の名前が織り込まれ、貝尽くしとなっている。
恋は鮑の片思ひ、⇒背景
徒(あだ)しあだ波 「徒し」は形容詞の終止形で、「徒波」と結合して複合名詞になっている。「種なし葡萄」「よしなしごと」などと同じ語法。
酢貝 あわびなどの貝の酢の物。




床臥 鮑に似て少し小さい貝。








かの深沢の悪竜も背景







尽きせじ尽きじ 「尽きせ」は複合サ変・未然形「尽き」はカ行上二段・未然形。
和風楽・青海波 雅楽の曲名。
奏すなり 「奏す」はサ変の終止形。「なり」は伝聞推定の助動詞。
妙音菩薩 江の島神社の奉安殿の中に、二体の弁財天像が祭られているが、ここは『木造彩色妙音弁財天坐像』
のこと。琵琶をを抱えている気品高い裸像で、妙音天女として昔から音楽関係者に信仰されてきた。昔は、十二単(ひとえ)のような衣装をつけていたと言われる。
長くは縁語。






張るは衣に糊を付けて洗い張りをすること。褻れは衣の糊が取れて柔らかくなること。また、衣は着るものである。そこで、張る褻れは縁語である。この歌は伊勢物語初段の「唐衣着つつ馴れにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」の本歌取りである。






























































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