越後獅子

【解題】

 越後獅子という曲は、現在は長唄がもっとも良く知られているが、原曲は地歌だった。作曲者は峰崎勾当だが、作詞者は不明である。越後獅子は、角兵衛獅子とも言う。越後の国蒲原郡の神社の祭礼で演じる獅子舞から転化したもので、月潟村の角兵衛という人が始めたのでこの名があると言う。七、八歳の子供が派手な頭巾や上着、タッツケ袴(相撲の呼び出しのように、裾を絞った袴)を付け、時には獅子頭を持ちながら、とんぼ返りや逆立ちなどの曲芸を演じた。雪深い越後の山村の、正月の出稼ぎであり、小集団で都市を巡り、路上・軒先などで芸を演じ、投げ銭を集めた。江戸後期に流行したが、明治になり、児童虐待防止への理解が広まり、廃止された。現在では月潟村に郷土芸能の文化遺産として保存されている。

 この曲は、角兵衛獅子の口上を下敷きに、越後、或いは日本海側の産物・名所・地名を歌い込んである。辻立ち芸の口上なので、部分的には面白いが、全体として一貫した意味があるわけではない。

【解析】

越路(こしぢ)潟 、お国名物 さまざまなれ|ど、田舎なまりの片言交じり 、
 越路    潟の|お国名物はさまざま だ |が、田舎なまりの方言交じりで、角兵衛獅子の|

○白兎(しらうさぎ)なる言の葉に、  面白がられしそうなことを|    、直江浦の海士(あま)の| 子 が、
 獅子唄に     なる言 葉で、人に面白がられ そうなことを|並べると、直江津の漁師   の|若者が、

七つか八つ目うなぎまで、績(う)むや|網 |その  綱      手とは、恋の心も|米山(こめやま)の、
      <ウ>    <ウ>
 七つか八つ目 鰻 |まで、つむぐ  よ|網を。その赤い糸で結ばれた相手とは、恋の心も|込めた仲   で、

                      ┌───────────────-┐
当帰(とほき)浮気で|黄蓮(おうれん) も、なに  | 糸 魚(いとい)川   |
                         
<イト>         |
                         
《糸》          ↓
 遠いところで浮気で|逢う     のも、どうして|厭う      |だろうか、いや、|厭わず通って、

○  糸 魚の   、もつれもつるる    草浦の油 漆と     交わりて、 末  |
 
<イト>
  《糸》     
《もつれ》
   糸  のように、 縺 れ 縺 れるまで 、草浦の油と漆のように深くなじんで、将来の|結婚を楽しみに

松 山の|白 布(しらぬの)の、  縮みは 肌のどこやらが、見え透(す)く |     国の|風流を、
 待つ  |
  松 山の|白い布     の、越後縮みは、肌のどこか が、透けて見えるが、その越後の国の|風情を、

○    |うつし   |太鼓や笛の音も、弾いて唄ふや     |獅子  の曲 。
 目の前に| 映 し出して、
     |打つよ   |太鼓や笛の音も、弾いて唄うよ、目出度い|獅子舞いの曲を。

○向かい 小山の|紫竹竹 、枝節 揃えて、切りを|細かに|     |十七   が、
 向かいの小山の|紫竹竹の、枝節を揃えて|切り 、
        |音楽 の| 節を揃えて|末尾を|繊細に|奏でるのを、十七才の娘が、

○ 室 の|小 口に|    昼寝 して、        |花の盛りを|夢に見て   そろ。
 納戸の|入り口で|のんびり昼寝をして、自分のこれからの|娘 盛りを|夢に見たいるのです。

○  |夢の占 方(うらかた)、越後の獅子は、       |牡丹は持た  ね   ど|富  貴  |は、
 その|夢 占 い     |
   |  浦や潟の多い  |越後の獅子は、唐獅子のように|牡丹は持っていないけれど、富  貴 草、
                                          |富や地位 |は|

○         |おのが姿に   |咲かせ|    舞ひ納む 、姿に咲かせて舞ひ納む。
 持っていて、富貴な|自分の姿に似せて|咲かせ、華やかに舞い納める、

【背景】

 末松山の

○     |契り   |き|な  かたみに|袖  を|しぼり つつ
 二人で固く|約束しまし|た|ね、お 互い に|袖の涙を|絞 りながら、

○  |末の松山 波 越さ |      | じ   |     |とは
 あの|末の松山を波が越す |ことは決して|ないだろう、そのように、
   |私たち   が別れる|ことも決して|ないだろう|     |と!

                (後拾遺集・巻第十四・恋四・770・清原元輔

○ 君 を  おきて|あだし心を|わが|持た| ば  |
 あなたをさし置いて、           |もし  |
          |浮気 心を|私が|持っ|たならば、

○末の松山 波も越え| な  |  む|
 末の松山を波も越え|てしまう|だろう。そんなことは決してない。(古今集・巻第二十・東歌・1093)

作詞:不詳
作曲:峰崎勾当
箏手付:市浦検校










【語注】

越路潟 「潟」は遠浅の海岸、また、その入江。信濃川と阿賀野川の河口となっている新潟一帯を越路潟と呼んだ。以下、下線部は越後の地名・名産品の名が織り込んである。
しらうさぎなる 上方唄の古書によると「獅子唄になる」を書き誤ったものらしい。
直江浦 現在の直江津の古名。
七つか 「八つ目鰻」を呼び出す序詞。
八つ目うなぎ 阿賀野川は、八つ目うなぎの本場と言う。
うなぎまで、績むや 「ウ」の頭韻を踏んでリズムを付けている。
績む 麻を縒り合わせて糸や縄にすること。紡ぐ。
米山 新潟県にはいくつか「よねやま」という地名があるが、その中に、古くは「こめやま」と呼んだ地名もあるのだろう。
当帰 薬草の名。山地の岩間に野生するセリ科の多年草で根の部分が薬用になる。
黄蓮 薬草の名。
糸魚 いとうお。いとより(鯛に似た魚で高級料理によく使われる)。いとより鯛とも言う。糸魚川と糸魚は頭韻を踏んでいる。もつれは縁語。
草浦 古志(こし)郡草生津(くさうづ)の古名。
末松山 宮城県多賀城市の海岸近くに「末の松山」という歌枕がある。⇒背景
白布 山形県米沢市の白布温泉のことか。
牡丹は持たねど 唐獅子には牡丹が付き物。また、獅子舞の扮装の衣装には牡丹が描かれることがある。角兵衛獅子の衣装には牡丹の模様はない。
富貴 富貴草は牡丹の異名。






末の松山 宮城県多賀城市の海岸近くに「末の松山」という歌枕がある。あった山で、どんなに高い波も、決して越えることが出来ないと言われていた。






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