【解題】
元禄の頃、世間の好奇心を引くような刃傷沙汰や心中などの社会的事件を瓦版に印刷して売っていたが、いつ頃からか、事件の内容を節を付けて歌いながら瓦版を売るようになった。これを『読売り』と言った。さらに、その歌に三味線の伴奏を付けて街頭で歌い歩くようになった。これを『歌祭文』と言った。『出口の柳』の歌詞は、その歌祭文から取られたらしい。この曲の歌詞の背後にどういう事件があったのか、詳しいことは分からないが、後に近松門左衛門がこの事件を歌った歌祭文を取り入れて書いた浄瑠璃『傾城返魂香』を読むと、おおよそのことが分かる。その浄瑠璃の筋を全部紹介することは控えるが、この歌詞は、その浄瑠璃の登場人物である遠山大夫という遊女の心情を歌ったものである。
遠山太夫は、越前の国気比(けひ)(福井県敦賀市)の遊女であったが、『武隈の松』という名画を捜すためにここを訪れた絵師狩野元信と出会い、夫婦になる約束をする。その後、島原(京)、三国(越前)、伏見(京)、木辻(奈良)と転々と廓を変えながら、元信に誠を尽くす。
【解析】
○奉るよ 、 |奈良の都の八重桜 、 |
|昔、平安時代に、奈良の都の八重桜をある人が一条院の宮中に|
奉った時、 |伊勢大輔が、
○ 今日 | 九 重 に| |浮かれ 来て、
|ここの辺 に|
「今日 | 九 重 に|匂ひぬるかな」と名歌を詠んだそうだが、私も同じ、
今日、
京 の都の|このあたりに| |浮かれ女になって流れて来て、
○二度 の 勤めを|島原 の、出口の柳 | 振り分け て、恋と義理との二重帯(ふたへおび)、
二度目のお勤めを|したのは|
|島原遊郭、その|出口の柳が|枝を振り分けるように、恋と義理との二重帯に挟まれて 、
○ 結ぶ 契りは|あだし野の、露の |憂き 身を|誰 故 に、
|あだ |
狩野元信様と交わした約束は|実現せず 、
|あだし野の|露のようにはかなく|辛いわが身を、誰のために|尽くし捧げるのか。
○ |世渡る船の| 甲斐(かひ) も|な | や|寄る 辺 |定め ぬ |
《船》 《 櫂 (かい)》
私はまるで、世渡る船が| 櫂
を |なくしたように、
|生きる甲斐 も|ない |ことよ、繋ぎ止める岸も|定まらない|
○海士小舟 、岸に離れて|便り な や、島隠れ 行く磯千鳥 、
海士小舟のように、岸を離れて|頼り なく 、
|頼りにする人もないことよ、島陰を飛んで行く磯千鳥のように、
○忍び音に 泣く|憂き 涙 、 顔が見たさに|又ここへ 、木辻の 里の|
声をひそめて泣く|つらい涙にむせぶばかり。元信様の顔が見たさに、又遊郭に勤めに|来て 、
|木辻の色里の|
○朝込み に、 |菜種 や芥子の花の色 、
朝遊びの客のお相手をしながら|わが身を振り返ると、菜種の花や芥子の花の色のように、
○移り に けり な |徒(いたづら)に、わが身はこれ|なう、この姿 、
|むなしく |
色褪せてしまったことだなあ| |わが身はこれ、ネエ、この姿よ、
┌──────────────────┐
○ |つれなき|命 長らへて、 |またこの頃 |や|偲 ば |れ | ん||、
<シノ> ↓
辛い気持ちと|裏腹に |命は長らえて、将来は|またこの頃が| |懐かしく思い出さ|れる|のだろう|か。
○ 忍 ぶ に|つらき 目関笠 、 深き思ひぞ|せつなけれ。
<シノ> 《笠》 《深き》
人目を忍 ぶために| 辛 い思いで目関笠を| 深くかぶり、
|元信様への深い思いを|
切 なく |抱きつづけることよ。
【背景】
奉るよ
○一条院 御時 、奈良の八重桜を 人の |奉り て|侍りけるを、その折 |
一条院の御代に、奈良の八重桜をある人が宮中に|献上し |まし
た が、その時私が|
○御前に|侍り ければ、その花を |賜(たま)ひて、歌 詠めと|仰せられけれ
ば 、詠める| 。
御前に|伺候してい た 所、その花を院が私に|下さっ て、歌を詠めと|仰せになったので、詠んだ|歌。
○いにしへの|奈良の都の八重桜 | けふ | 九 重 に|匂ひ ぬる かな
旧都 の|奈良の都の八重桜が、 今日 、ここのあたり |
|新しい都、
京 の| 宮 中 で|美しく咲いていることよ。
(詞花集・巻第一・春・29・伊勢大輔)
「いにしへ」と「けふ」、「八重」と「九重」の対比が一歌の眼目で、この即興の詠に道長をはじめ「万人感嘆、宮中鼓動」したと袋草子は伝える。
移りにけりな
○ 花の 色は|うつり| に | けりな
桜の花の 色は、色あせ|てしまった|ことだ なあ、
私の容色は、衰え |てしまった|ことだ なあ、
○いたづらに|我が身 | 世に|経(ふ)る | 眺め |せ し|間に
|降 る | 長雨 |
|春の長雨が |
|降 る |のを眺めながら、
|我が身が|この世に|生きて行くことについて、
空しく | | 物思いに |耽っていた|間に。
(古今集・巻第二・春下・113・小野小町)
つれなき命
人の「心」が、死んでしまいたいほど悩んだり、悲しんだりしているのに、「命」はその「心」に無関心・無情で、死んでくれない、そういう「心」と「命」の裏腹な関係を「つれなき命」と表現した。『源氏物語・桐壺』で、愛する娘の桐壺の更衣を失った更衣の母君が帝からの使者の靫負命婦(ゆげひのみやうぶ・ゆげいのみょうぶ)に語る言葉の中に、次のような一節がある。
○ | 年ごろ、 |うれしく面だたしき |ついでにて、 |
あなたは|この数年来、若君誕生などの|うれしく晴れがましい|時 に |使者として私の家に|
○立ち寄り|たまひし|ものを、 | |かかる |御消息 にて|見 |奉る、
| お |
立ち寄り|になった| のに、今日は|娘の弔問という|こういう悲しい|お言伝の件
で | |お | |
|会い|する|とは、
○かへすがへす|つれなき |命 |にも|はべる かな。
返 す 返 す| |命とは|
|無情なもの| |で |ございますねえ。
またこの頃や
┌───────────────────┐
○ | ながらへ| ば|また| この頃 |や|しのば |れ | む||
|もし | |
もっと|生き 長 らえ|たならば、 |辛い事の多いこの頃が| ↓
|また| | |懐かしく思い出さ|れる|ことだろう|か。
○憂しと|見 し|世 ぞ|今は恋しき|
辛いと|思っていた|昔が!、今は恋しく|思い出されるのだから。(新古今集・巻十八・雑下・1843・藤原清輔)
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作詞:宇治加賀掾
作曲:杵屋長五郎
【語注】
奉るよ⇒背景
あだし野 徒野。化野。仇し野。京都嵯峨野の火葬場のある野。東山の火葬場、鳥部野とともに有名で、無常の象徴として取り上げられる。
木辻 奈良市東木辻町近辺に木辻遊郭の跡が残っている。
朝込み 前夜に差支えがあって遊郭に入れなかった時、早朝、遊郭の開門を待って入り込み遊ぶこと。
菜種 廓の周囲に広大な菜の花畑が広がっているという情景が「里の春」に描かれている。
移りにけりな⇒背景
つれなき命⇒背景
またこの頃や⇒背景
偲ばと忍ぶは同音反復。
目関笠 顔を隠すために深くかぶる笠。
ながらへば 「ながらへ」は下二段活用「ながらふ」の未然形。「ば」は未然形について仮定条件を表す接続助詞。
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