長恨歌(白楽天)
【解題】 白楽天の『長恨歌』は、箏曲『秋風の曲』や山田流の『長恨歌』の原典となっているだけでなく、その詩句の一部を引用した歌詞も多いので、ここに全詩の白文、書き下し、解析を示した。 【解析】 【一段】 1 漢皇重色思傾国 漢 皇(こう) 色を重んじて| 傾 国 |を 思ふ 漢の時代のある皇帝は |女性の容色を重んじて、絶世の美女|を得たいと思っていた。 2 御宇多年求不得 御 宇 |多年|求むれ ども|得 ず その御治世の間、長年|探していたが 、得られなかった。 3 楊家有女初長成 楊家(ようか)に|女(むすめ) |有り |初めて |長成 す そんな時、楊家 に|娘 が|い て、ちょうど|年頃になっていた。 4 養在深閨人未識 養は れて| 深 閨 に在り |人 |未だ|識ら ず |奥深い部屋で 大切に| 育てられて、 |世間には|まだ|知られていなかった。 5 天生麗質難自棄 |天生 の麗 質 は|自(おのづか)ら|棄て 難し しかし、生まれつきの美しい容姿は|そのまま |見過ごされるはずもなく 6 一朝選在君王側 一 朝|選ばれて|君王の 側に|在(あ)り ある日、選ばれて|天子のお側に|仕えることになった。 7 廻眸一笑百媚生 眸(ひとみ)を 廻(めぐ)らして|一 笑すれば|百 媚 |生ず 美しい瞳 を周囲に回 らして|一たび笑う と、百の艶めかしさが|生まれた。 8 六宮粉黛無顔色 六 宮 の|粉黛(ふんたい)|顔色無し 後宮の六つの宮殿に仕える|美女たち も|色あせてしまった。 9 春寒賜浴華清池 春 寒くして|浴 を賜ふ | |華清 の 池 早春のまだ寒い頃 、 |天子は彼女に|華清宮の温泉に |入ることを許された。 10 温泉水滑洗凝脂 温泉 水 滑らかにして| 凝 脂を|洗ふ 温泉の水は滑らかに 、彼女の艶のある肌を|洗った。 11 侍児扶起嬌無力 侍児(じじ) |扶(たす)け起せ ば|嬌(けう)として|力 無し 侍女たちが彼女を|支え 起こそうとすると|なよなよ として|力がない。 12 始是新承恩沢時 始めて|是れ |新たに| 恩沢を|承くるの時 まさに|これが、楊貴妃が|初めて|天子の寵愛を|受けた 時であった。 13 雲鬢花顔金歩揺 |雲(うん) 鬢(びん)花(か) 顔(がん) 楊貴妃の|雲のように豊かでふさふさした髪 、花のように美しい顔 、 金(きん) |歩揺(ほよう) 黄金 の|かんざし |を装った姿。 14 芙蓉帳暖度春宵 芙蓉(ふよう)の |帳(とばり)暖かにして 春 宵を|度(わた)る ハスの花の刺繍をした|カーテンが|暖かく寝室を包む中で、二人は春の宵を|過ごしている。 15 春宵苦短日高起 春 宵 短きを |苦しみ |日 高くして 起く 春の宵は短すぎて|夜更かしをし、天子は|日が高くなってから起きる。 16 従此君王不早朝 此れより|君王 |早朝せ ず それ以来、天子は|早朝から政務を執らなくなった。 17 承歓侍宴無閑暇 |歓 を承け|宴 に|侍(じ)して| 閑暇 無し 楊貴妃は天子の|寵愛を受け、宴席に|付き従っ て|少しの閑 もない。 18 春従春遊夜専夜 春は 春の遊びに従ひ|夜は 夜を|専(もっぱ)らに|す 春は天子の春の遊びに従い、夜は天子の夜を|独り占めに |した。 19 後宮佳麗三千人 後宮の|佳麗は|三千人 後宮の|美女は|三千人と言うが、 20 三千寵愛在一身 三千 の寵愛は| 一身に|在り その三千人分の寵愛は|楊貴妃一人に|注がれた。 21 金屋粧成嬌侍夜 金 屋 | 粧ひ |成りて|嬌(あでや)かに | 夜に| 侍り 豪華な宮殿で|化粧 を|こらし、あでやかな 姿で|天子の夜に|お相手をし、 22 玉楼宴罷酔和春 玉 楼 宴 |罷み て | 酔ひて |春に和す 美しい高殿で宴会が|終わっても、快い酔い心地が|春に溶け込んでゆく。 23 姉妹弟兄皆列土 |姉妹弟兄 |皆 |土(くに)を|列ねたり 楊貴妃の|兄弟姉妹は|皆貴族となって|土地 を|並べ合った。 24 可憐光彩生門戸 憐れむ べし |光彩の 門戸に| 生ずるを 羨ましいことよ|光 が家の中から門 に|あふれ出るほどの素晴らしさ! 25 遂令天下父母心 遂に |天下の|父母の心をして とうとう|国中の|父母の心を 26 不重生男重生女 男 を生むことを|重んぜず して|女 を生むことを|重んぜ |しむ 男子を生むことを|望ま ない で |女子を生むことを|望むように|変えてしまった。 【二段】 27 驪宮高処入青雲 驪(り) 宮| |高き処 |青 雲に|入り 驪山の麓の離宮、華清宮|は、高い所にあって、青空の雲に|隠れるほどで、 28 仙楽風飄処処聞 仙 楽 風に|飄(ひるが)へりて|処 処 に|聞こゆ 仙人の奏でるような美しい音楽が、風に|乗って |あちこちに|流れている。 29 緩歌慢舞凝絲竹 緩(かん)歌(か)|謾(まん) 舞(ぶ) |糸(し)竹(ちく)を|凝(こ)らし 緩やかな 歌声 、ゆったりした舞のために |絃楽器、管楽器の粋を|凝 らし、 30 尽日君王看不足 尽日(じんじつ)|君王(くんのう) |看(み)れども| 足ら| ず 一日中、 |天子は 楊貴妃をいくら|見ても |見飽き|なかった。 31 漁陽△鼓動地来 |漁陽(ぎよよう)の|△(へい)鼓(こ)|地を動かし て 来たり そんな時、突如、漁陽から |戦いの 太鼓の音が|地を揺るがして押し寄せて来て 、 32 驚破霓裳羽衣曲 驚破す |霓(げい) |裳(しょう)羽(う) |衣(い)|の曲| |虹のような美しい|はかま |羽のような|衣 |の曲|を楽しんでいた |宮廷の人々を 驚かせたのだ。 33 九重城闕煙塵生 九重(きゆうちよう)の|城闕(じようけつ) |煙(えん)塵(じん)|生じ 奥深い |宮殿にも、 戦いの|煙 と塵 が|立ち昇り、 34 千乗万騎西南行 千 | 乗 万 |騎 | 西南 に|行く 千台の|兵車、一万の|騎兵|から成る天子の軍勢は、西南の蜀に|逃げようとした。 35 翠華揺揺行復止 |翠華(すいか)|揺揺(ようよう)とし て|行きて |復た|止(とど)まる| しかし、天子の旗 は|ふらふら と揺れて、進んでは|また|留まった 。 36 西出都門百余里 西のかた |都 門を|出(い)づること|百余里 |都(長安)の城門を|出て | 西のほうに| | |百里余り行った所で 37 六軍不発無奈何 六 軍(りくぐん)|発せず | |奈何(いかん)とも|する無く 天子の軍勢 は|動かなくなり、天子も|どう することも|出来ず、 38 宛転蛾眉馬前死 宛転(えんてん)たる|蛾(が) |眉(び) | 馬 前に死す すんなり とした|蛾のヒゲのような細い|眉の美女は、兵士や軍馬の前で死んだ。 39 花鈿委地無人収 花 鈿(かでん)は地に委(す)てられて|人の|収むる|無し 彼女の花のかんざし は地に捨 てられて、 |拾う | |人も| |ない。 40 翠翹金雀玉掻頭 翠(すい) | 翹(げう) | 金(きん)雀(じゃく) | また、翡翠(かわせみ)の|尾羽|を付けた髪飾り、黄金造り の雀の形の髪飾り、 玉(ぎょく)|掻頭(さうとう)| 宝石で造った|かんざし |も地に捨てられて、拾う人もない。 41 君王掩面救不得 君王 |面(おもて)を 掩ひ て|救ひ |得 ず 天子は|顔 を手で覆ったままで、救うことが|できず、 42 廻首血涙相和流 首(こうべ)を|廻(めぐ)らして|血涙 |相和して|流る |振り返った | 天子の顔の | |血涙が楊貴妃の血涙と|一緒に |流れた。 43 黄埃散漫風蕭索 |黄(くわう)|埃(あい)|散漫 |風 |蕭索(せうさく) 天子の一行は、黄色い |土ぼこりが|飛び散り、風が|空しく |吹く中を 44 雲桟△紆登剣閣 雲 | 桟(さん)|△(えい)紆(う)して|剣閣 に登る 雲の中を通るような|険しい山道 を|うねうねと曲がっ て、剣閣山に登った。 45 峨嵋山下少人行 峨嵋山 下 | |人 行 |少(まれ)なり 峨嵋山の麓の成都は|長安に比べれば|人の行き来も|少なく 、 46 旌旗無光日色薄 旌 旗(せいき)|光無く |日 色 |薄し 天子の旗 も|色あせて、日の光も|かすんでしまった。 47 蜀江水碧蜀山青 蜀 江の水は| 碧にして|蜀の山は|青し 蜀の川の水は|深緑 で 、蜀の山は|青々と美しい。しかし 48 聖主朝朝暮暮情 聖 主 |朝 朝 |暮 暮 の| 情 聖なる主上は、朝な朝な、夕な夕なの|物思い。 49 行宮見月傷心色 行 宮(あんぐう)|月を見れば|心を傷ましむるの色| 旅先の仮宮殿 で|月を見ると、心を悲しませる 色|に見え、 50 夜雨聞鈴腸断声 夜 雨 に| 鈴 を聞けば|腸(はらわた)|断ゆる の| 声| 夜の雨の中に|馬の鈴の音を聞くと、腸が |ちぎれるほど|悲しい音|に聞こえる。 【三段】 51 天旋地転廻龍馭 |天 |旋(めぐ)り|地 |転じ て |竜馭を廻らす| さて、時が|経ち、 |世が|変わって、天子は|都 に帰る |ことになった。 52 到此躊躇不能去 |此(ここ)に|至りて |躊躇して 去ること |能(あた)は ず 帰途、ここ に|やってくると、心が|ためらって、立ち去ることが|出来 ない。 53 馬嵬坡下泥土中 馬嵬の|坡 下(はか) 泥土(でいど)の中(うち) 馬嵬の|堤のほとり 、泥土 の中には、 54 不見玉顔空死処 |玉 顔を見 ず 空しく死せし|処 | もう楊貴妃の|美しい顔も見えず、空しく死んだ|跡だけが残っている。 55 君臣相顧尽沾衣 君 臣 |相 顧(かへり)みて|尽(ことごと)く|衣 を |沾(うるほ)す 天子と臣下は|互いに顔を見合わせ て|すっかり |衣服を涙で|濡らし、 56 東望都門信馬帰 東のかた|都 門を|望み |馬 に|信(まか)せて|帰る 東の方の|長安の門を|目指し、馬の歩みに|まかせ て|帰った。 57 帰来池苑皆依旧 帰り 来たれば| 池 苑 皆|旧に依る 都に帰って来る と、宮殿の池も庭園も皆|昔のままである、 58 太液芙蓉未央柳 太液(たいえき)の芙蓉 |未央(びおう)の柳 太液池 のハスの花も|未央宮 の柳の枝も。 59 芙蓉如面柳如眉 |芙蓉 は| 面(おも)の如く 柳 は| 眉の如し しかし、ハスの花は|楊貴妃の顔 のように見え、柳の枝は|楊貴妃の眉のように見える。 ┌───────────────────┐ 60 対此如何不涙垂 此 に|対し て|如何ぞ |涙 垂れ|ざら| む|↓ これらに|向かい合って、どうして|涙が流れ|ない|ことがあろう|か、 いや、涙が流れて仕方がない。 61 春風桃李花開夜 春風 |桃 | 李 | |花開くの夜 | 春風が吹き、桃や|すもも|が|花開く 夜も、 62 秋雨梧桐葉落時 秋 雨 |梧桐 |葉 落つるの時 | 秋の雨が降って、青桐の|葉が落ちる 時も、思い出されるのは楊貴妃のことばかり。 63 西宮南内多秋草 西 宮(きゅう)|南 苑(えん)|秋草(しゆうそう)|多く 西の宮殿も |南の庭園 も、秋草が |いっぱい茂って荒れ果て、 64 落葉満階紅不掃 |落葉 |階(きざはし)に|満ちて 紅(くれなゐ)を|掃(はら)はず 木々の|落葉が|階段 に|たまっても、紅 葉 を|掃く者もいない。 65 梨園弟子白髪新 |梨園 の|弟子(ていし) 白髪 |新たなり 昔賑わった|梨園の歌舞団の|練習生たちも、今は白髪が|目立ち初めている。 66 椒房阿監青娥老 椒(しょう)房(ぼう)の|阿監(あかん) |青(せい)娥(が) | 老いたり 皇后の 御殿 の|監督の女官たちの、若く |あでやかな姿も|今は年老いている。 67 夕殿蛍飛思悄然 夕(せき)殿に|蛍 飛んで| |思ひ |悄然(せうぜん) 夜の 宮殿に|蛍が飛んで、天子の|思いは|悲しく沈み、 68 孤灯挑尽未成眠 孤 |灯 |挑(かか)げ尽くして |未だ眠 を|成さず ただ一つの|灯火の芯を|かき立て 尽くしても、まだ眠ることが|出来ない。 69 遅遅鐘鼓初長夜 遅遅たる 鐘 鼓 |初めて |長き夜 ゆっくりと鐘や太鼓の時報が響き、これから|秋の夜長の季節。 70 耿耿星河欲曙天 耿耿(かうかう)たる星河 | | 曙(あ)け|む |と|欲する の天 明るい 銀河も|間もなく|夜明けを迎え|よう|と|している 空。 71 鴛鴦瓦冷霜華重 鴛鴦 の 瓦 |冷やかにして|霜 華 | 重く おしどりの夫婦をかたどった 屋根瓦は|冷たく、 |霜の結晶|が重く凍り付き、 ┌──────┐ 72 翡翠衾寒誰与共 翡翠 の|衾(ふすま)|寒くして |誰と共に|か|せ| ん|↓ かわせみの模様を刺繍した|夜具 は|冷え冷えとして、誰と共に| |し|よう|か、 いや、天子には、共に寝る相手もいない。 73 悠悠生死別経年 悠悠たる |生 死 |別れて年を経るも 遥かに離れた|生と死の世界に|別れて年を経ても、 74 魂魄不曾来入夢 |魂魄(こんぱく)曾(かつ)て| 来たりて|夢に|だに|入ら |ず 楊貴妃の|魂 が| |訪ね来 て|夢に| |現れることは| |一度 | |さえ| |なかった。 【四段】 75 臨△道士鴻都客 臨(りん)△(きょう)の道士 |鴻 都の|客 ちょうどその頃、蜀の臨 △ の道士が、長安の都に|来ていたが、 76 能以精誠致魂魄 能く |精 誠 を以つて|魂魄を|致(まね)く| |精神の誠心誠意をもって|霊魂を|呼び返す | 力を持っていた。 77 為感君王展転思 |君王 |展転の 思ひ に|感ぜ し|が為に| 道士は|天子が|夜も眠れず苦しんでいることに|同情した|ので 、 78 遂教方士殷勤覓 遂に | 方 士|をして |殷勤に |覓(もと)め|しむ とうとう、部下の仙術士|に命じて|ていねいに楊貴妃の魂を|捜さ |せることにした。 79 排空馭気奔如電 空を排(はい)し|気を馭(ぎょ)してて|奔ること | 電 の|如し | 仙術士は、空を押し開き 、風に乗って | |稲妻の|ように| |走り回った。 80 昇天入地求之遍 天に昇り|地に入りて| 之を|求むること| 遍し | 天に昇り、地に潜って、 |世界の隅々まで| |楊貴妃の魂を|捜し求めた。 81 上窮碧落下黄泉 上は|碧落 を |窮め|下は|黄泉(こうせん) 上は|青空の果てまで|達し、下は|黄泉(よみ)の国まで行ったが、 82 両処茫茫皆不見 両処 |茫茫とし て|皆 |見えず どちらも|空しく広がっていて、何も|見えなかった。 83 忽聞海上有仙山 忽ちに |聞く |海上に仙 山 |有りと| たまたま、 |海上に仙人の住む山が|あると|いうことを |聞いた。 84 山在虚無縹緲間 |山は虚無 |縹緲(へうべう) の|間に在り 行ってみると、山は虚無が|果てしなく広がっている|中にあり、 85 楼閣玲瓏五雲起 楼 閣 |玲瓏(れいろう)として|五 雲 |起る 高い建物が|美しく輝い て、五色の雲が|立ちのぼっていた。 86 其中綽約多仙子 其の中(うち)| 綽約(しゃくやく)として|仙子 |多し その中には 、しとやかな |仙女が|沢山いたが、 87 中有一人字太真 中に一人|有り|字(あざな)は 太真 | その中に一人、 |字が楊貴妃と同じ太真という仙女が| |いた。 88 雪膚花貌参差是 雪 膚|花 貌 |参差(しんし)として|是 なり その雪のような膚、花のような容貌は、おおむね |楊貴妃に間違いなかった。 89 金闕西廂叩玉△ | 金(きん)|闕(けつ)の西 廂 に 玉(ぎょく)△(けつ)を叩き 仙術士は、黄金 の|宮殿 の西の部屋に行って、玉で造った|かんぬき を叩き、 90 転教小玉報双成 転じて| 小玉|をして | 双成に| 報ぜ|しむ 次に 、侍女の小玉|に命じて|もう一人の侍女の双成に|訪問を伝え|させた。 91 聞道漢家天子使 |漢 家の|天子の使 なり と| 道ふ を|聞く 楊貴妃は、漢の国の|皇帝の使いが訪ねてきたと|侍女が言うのを|聞いて、 92 九華帳裡夢魂驚 九(きゅう)華(か) |帳(ちょう)裏(り)|夢(む) 魂(こん)| 驚く 沢山の 花を刺繍した|カーテン の中で 、夢を見ていた心 が|はっと目覚めた。 93 攬衣推枕起徘徊 衣 を攬(かか)げ|枕を推し |起ち て| |徘徊(はいかい)す 衣服を持ち上げ 、枕を押しやり、立ち上がって、気を静めるために|歩き回った 。 94 珠箔銀屏△○開 珠(しゆ)箔(はく)|銀(ぎん)屏(ぺい)|△(り)○(い)として|開く 宝石 の|すだれ や|銀 の屏風 が|次々 と |開き、 95 雲鬢半偏新睡覚 雲(うん) 鬢(びん)|半ば|偏し て|新たに |睡り |覚めたり 雲のように柔らかい髪 は|少し|くずれて、ちょうど|眠りから|覚めたところで、 96 花冠不整下堂来 花 冠 整へ ず | 堂を |下りて来たる 美しい冠を整えるいとまもなく、御殿から|下りて来た。 97 風吹仙袂飄△挙 風は仙(せん) 袂(べい)を|吹いて |飄(へう)△(えう)として|挙がる 風は仙女となった楊貴妃の袂 を|吹いて、袂は|ひらひら と|舞い上り、 98 猶似霓裳羽衣舞 猶ほ | 霓裳羽衣の舞に| 似たり ちょうど|あの霓裳羽衣の曲に|合わせて舞い踊るかのようだった。 99 玉容寂寞涙闌干 玉 容 |寂寞 涙 |闌干 その、玉のような美しい顔が|寂しげで、涙が|はらはらと落ちるさまは、 100 梨花一枝春帯雨 梨(り)花(か)|一枝(いっし)春 雨を|帯びたり 梨 の花 が|一枝 、春、雨に|濡れているような風情だった。 101 含情凝睇謝君王 情 を|含み|睇(ながしめ)を凝らして|君王に|謝す 万感の思いを|込め、伏し目 がちに |天子に|お詫びした。 102 一別音容両渺茫 一 別 | 音 容 |両(ふた)つながら|渺茫(べうばう) 「一たびお別れして、あなたの|お声とお姿は、両方とも |遠い物になってしまい、 103 昭陽殿裏恩愛絶 昭陽殿 |裏(り)| |恩愛 |絶ゆ あの昭陽殿の|中 で|あなたからいただいた|寵愛は|断ち切られ、 104 蓬莱宮中日月長 蓬莱 宮 中 |日月 |長し| ここ蓬莱の宮の中で、 |長い| |月日が経ってしまいました。 105 回頭下望人寰処 頭を回らして|下のかた|人寰(じんくわん)を|望む処 振り向い て、下界の |人間世界 を|眺めても、 106 不見長安見塵霧 長安を 見ずして|塵 霧 を|見る 長安 は見えず 、塵と霧が立ち込めているのが|見えるだけです。 107 唯将旧物表深情 唯だ |旧 物を|将ち(も)て| 深 情を|表さんと 止む無く|思い出の品を|贈っ て|私の深い愛情を|示そうと思い、 108 鈿合金釵寄将去 鈿(でん) 合(ごう) 金 |釵(さい)|寄せて|将(も)ち去ら|しむ 螺鈿(らでん)の箱 と黄金の|かんざしを|預けて、持って行って |もらいます。 109 釵留一股合一扇 釵 は|一 股を留め|合は| 一扇 かんざしは|一方の脚を残し、箱は|ふたか身の一方を残して、 110 釵擘黄金合分鈿 釵 は|黄金を擘(ひら)き|合は| 鈿 を|分かつ かんざしは|黄金を千切り 、箱は|ふたと身の螺鈿の模様を|分けましょう。 111 但令心似金鈿堅 但だ| 心をして| 金 鈿の |堅きに似たらしめ | ば| ただ|私たちの心を |黄金と螺鈿のように|堅く 結び付けてい| さえ| |すれば、 112 天上人間会相見 天上 人間 |会(かなら)ず|相見 | む 天上か人間世界で、必 ず|再会することが出来る|でしょう」と、 113 臨別殷勤重寄詞 |別れに臨みて |殷勤(いんぎん)に|重ねて |詞を |寄す 方士との|別れに臨んで、楊貴妃は|丁寧 に|何度も玄宗への|伝言を|託した。 114 詞中有誓両心知 詞(し)の中に|誓ひ |有り |両 心のみ |知る その言葉 の中に|誓いの言葉が|あったが、それは|二人の心だけが|知っている。 115 七月七日長生殿 |七月七日|長生殿 天上では牽牛と織女が逢う|七月七日、長生殿の中で 116 夜半無人私語時 夜半 人 無く| 私語 の時 夜更けに、周囲に人もなく、二人でささやきあった時、 117 在天願作比翼鳥 天 に|在りては|願は く は|比翼 の鳥と|作り 天上に|あっては、かなうことならば|翼のつながった鳥と|なり、 118 在地願為連理枝 地 に|在りては|願は く は|連理 の枝と|為らむと| 地上に|あっては、かなうことならば|枝のつながった木と|なろうと|誓い合った。 119 天長地久有時尽 天は長く|地は久しき も|時 |有りて| |尽く 天は長く、地は永久に続くと言っても、時が|経てば|いつかは|滅びるが、 120 此恨綿綿無尽期 此の 恨みは|綿 綿 として |絶ゆるの期(き)|無から | む この二人の恋の恨みは、長く長く 続いて、絶える 時 は|ない こと|だろう。 【背景】 色を重んじて 玄宗皇帝(685〜762)は、西暦712年に27歳で即位、その前半生の治世は「開元の治」と謳われるほどの明主であった。楊貴妃と出会う前、玄宗皇帝は武恵妃という皇后を寵愛しており、また、皇后との間に寿王という王子がいた。寿王は玄宗の第18王子つまり18番目の男子で、玄宗の子供は全部で50人ほどいたという。ところが、武恵妃は病死してしまい、それを嘆いた玄宗は武恵妃によく似た女性を捜すが、なかなか見つからなかった。ちょうどその時、たまたま王子の寿王の妃であった楊玉環を見つけ、息子から取り上げて自分のものにしてしまった。しかし、息子から取り上げた女性をそのまま自分の妃にするのは、世間体が悪いので、いったん玉環を楊太真という名の女性の道士に仕立て上げ、宮廷から下がらせたが、それは表向きで、実際は自分の宮廷に入れた。これが後の楊貴妃である。「貴妃」とは中国の妃の等級の名で、最高位の「皇后」に次ぐ位である。いくら深く寵愛していたとはいえ、息子の妻を奪って皇后に据えるわけには行かなかったのだろう。 楊貴妃は719年に生まれ、17歳で寿王の妃となり、745年、27歳で玄宗皇帝の貴妃となった。その時、玄宗は61歳だった。楊貴妃が亡くなったのは、38歳、その時、玄宗は71歳。玄宗が亡くなったのは、762年、77歳だった。白楽天がこの詩を作ったのは、そのちょうど50年後だった。 傾国 国を傾けるほどの絶世の美女のこと。傾城とも言う。漢書『漢書・外戚伝』に次のような話がある。 紀元前 100年頃、前漢の武帝の宮廷に李延年という芸人が仕えていたが、歌舞に巧みで、武帝に気に入られていた。ある日、武帝の前で、次のような歌を歌って、舞を舞った。 ○北方に佳人 あり。 世に絶して |独り 立つ 。 北方に美人がいる。この世に比べるものがなく、二人といない美人です。 ○一たび顧みれ ば、 人の城を傾け 、再び顧みれ ば、 人の国を傾く 。 一たび振り返れば、領主の城を傾けさせ、再び振り返れば、領主の国を傾けさせる。 ┌────────────────────┐ ○いづくんぞ| |知ら |ざら ん|↓、城を傾くると国を傾くると を。 どうして |あなたは|知ろうとし|ないのでしょう|か、城を傾け 、国を傾ける 美人を。 ○ 佳人は|ふたたび、得 |難けれ | ば |なり。 そんな美人は、二度と |手に入れることは|出来ません|から|ね 。 武帝が、ため息をついて「そんな女がこの世にいるだろうか」と言うと、武帝の姉の平陽公主が、延年に妹がいることを耳打ちした。そこでその妹を召しだして見ると、非常な美人だったので、武帝は深く寵愛した。これが武帝の妾、李夫人である。李延年は、巧みに妹を皇帝に売り込んだのである。 実際に美人が国を傾けた例としては、周の幽王の妃、褒似の話がある。 ○褒似は|笑ふ を|好まず 。幽王(いうわう)其 の|笑ふ事を|欲す 。万 方 |すれ |ども、 褒似は|笑う事を|好まなかった。幽王は 褒似が|笑う事を|願った。あらゆる方法を|試した|が 、 ○故(ことさら)に|笑は ず 。幽王 、 |烽燧(ほうすゐ)・|大皷(たいこ)を|為(つく)り、 どうしても |笑わない。幽王は、以前から、|狼煙(のろし) と|太鼓 を|作 り、 ○ 寇 (あだ)の至る 有れば、則ち|烽火を挙ぐ 。諸侯 |悉(ことごと)く至る 。 外敵 の侵入が有ると、必ず|狼煙を上げた。諸侯は|皆 駆けつけた。 ○ |至れ ども 寇 無し | 。 しかし、駆けつけても、外敵はいない|ので、拍子抜けして帰って行った。 ○褒似 | 乃ち | |大いに|笑ふ 。 褒似は、その時、諸侯とその軍隊の間の抜けた顔を見て、|大いに|笑った。 ○幽王 之 を悦び、 | 為 に 数々(しばしば)烽火を挙ぐ 。 幽王はこれを喜び、それ以後、褒似を笑わせる|ために、しばしば 狼煙を上げた。 ○其の後、 |信ぜず 、諸侯|益々 |亦(また)至 らず 。 その後、狼煙を上げても諸侯は|嘘だと思い、 |次第に|もう |集まらなくなった。 これは『史記・周本紀第四』にある話で、幽王はこのように褒似を偏愛し、従来の后とその子の皇太子を廃して、褒似 の産んだ子を皇太子にした。これが諸侯の離反と外敵の侵入を呼び、その後周が衰退に向かうきっかけになった。このよ うに、その美貌ゆえに天子を堕落させて国の政治を乱し、国を傾けさせた美人を、『傾国の美女』『傾国』『傾城』など という。中国では、代表的な傾国の美女として、褒似の他に、妹喜(ばっき。夏の桀王の妃)、妲己(だっき。商の紂王の妃)、西施(越王句践が復讐のため、呉王夫差に送り込んだ美女)が知られている。 |
作:白楽天(白居易)(盛唐の詩人・772〜846) 【語注】 漢皇 この詩の作者白居易も唐代の人なので、唐王朝に対する遠慮から、漢の時代のこととした。 色を重んじて⇒背景 傾国⇒背景 楊家 楊玄エン(王編に炎)の家。 粉黛 お白いと眉墨で、化粧品のこと。転じて、化粧した女性。 顔色無し 「顔色」は美しい容貌。美しく見えなくなってしまう。 華清池 陝西省の臨潼県の東南にある驪山(りざん)の麓に離宮があり、そこに温泉があった。その温泉を華清の池と言い、皇帝が避寒の地として利用した。 鬢 顔の左右の髪。 歩揺 かんざし。歩くと揺れるものの意。 芙蓉 芙蓉(ハス)は恋・愛情のシンボルとされた。 度 「渡」と同じ。 早朝 中国では、天子は世界を司る太陽の代理であり、それゆえに、早朝、日の出と共に正殿に南面して臨席し、庭に居並ぶ百官の奏聞を受け、重要事項を裁可する。だから、政府のことを朝廷と言う。その天子としての仕事をしなくなってしまったのである。日本でも、天皇の政府を朝廷と呼ぶが、武家の政府は「幕府」と呼ぶ。幕府は、戦場で大将のいる幕屋(テント)の意である。 姉妹弟兄 楊貴妃の従兄の楊国忠は宰相になり、三人の姉妹はそれぞれ諸侯の夫人となった。 漁陽のヘイ鼓地を動かして来たり この反乱は「安史の乱」(755〜763)のこと。玄宗が寵用した側近の安禄山が乱を起こし、玄宗は蜀(四川省)に逃れた。 △(へい) 上が「鼓」、下が「卑」。 霓裳羽衣曲 「霓」は虹、「裳」はスカート。インドから西域を経て唐に伝わった、天人の様子を歌った音楽だったらしい。唐代は国際文化の栄えた時代だった。 翠華揺揺として… 「翠華」は天子の旗。翡翠(かわせみ)の羽で飾ってあるのでこう言う。 「行きて復た止まる」は、軍隊の中に楊貴妃を連れて逃げるのは足手まといだという不満があり、進軍が滞っていた意。 百余里 唐代の一里は約560メートル。長安の西方約50キロメートルの馬嵬で、天子の軍勢は動かなくなってしまったのである。 六軍発せず… 「六軍」は天子の率いる軍勢のことで、一軍は12500人からなる。馬嵬駅で、護衛兵士たちの要求で、玄宗は、楊貴妃とその一族の楊国忠(宰相)を殺さねばならなかった。 馬前に死す 実際には、宦官の高力士という男が、仏堂の前の梨の木の下で、薄絹で首をしめて殺したという。楊貴妃が死んだのは、玄宗と共に長安を出発した翌日、755年6月14日だった。この時、楊貴妃38歳、玄宗は71歳だった。 桟 崖に木の桟橋を渡した険しい山道。「蜀の桟道」は天下の険として有名。 △(えい) 「螢」の「虫」の代わりに「糸」。 剣閣 四川盆地(蜀)の北に位置する要害で、断崖絶壁に守られている。『三国志』で、蜀が魏に滅ぼされた時、激しい戦いがあったことで有名。 峨嵋山 四川盆地の成都の南にある山。麓を長江の支流である平羌江が流れる。標高3077メートル。 天旋り 地転じて 戦況が変わり、玄宗の子粛宗が即位し、安禄山はその子安慶緒に殺されたので、玄宗はまた都に帰れるようになった。 竜馭 天子の乗る馬。その馬を都に帰したとは、天子が都に帰ったという意味。 太液 中国で、皇城にあった池の名。漢代は長安城外の未央宮内に、唐代は城内の大明宮内にあった。 未央 漢の高祖劉邦が長安の竜首山に造営した宮殿。 梨園 音楽が好きだった玄宗は、楽師数百人を「梨園」という庭に集め、歌舞団を養成した。これにちなんで、演劇界、特に歌舞伎界を「梨園」と言う。 椒房 部屋を暖め、邪気を払う為に、壁に山椒を塗りこめたと言う。 娥 際立った顔立ちの美人。 鴛鴦 おしどり。「鴛」が雄、「鴦」が雌。 翡翠 かわせみ。「翡」が雄、「翠」が雌。スズメほどの大きさで、くちばしが長く、頭が大きい。背中と翼が透き通るような青緑に光る。美しい外見から「渓流の宝石」などと呼ばれ、現代でもバードワォッチングのの対象にする人が多い。 △(きょう) 「邯」の「甘」の代わりに「工」。 展転 夜、眠れず、何度も寝返りをうつこと。『詩経・関雎』に「輾転反側」とある。 黄泉 地下の世界。死者が行く所とされる。 字 成人したときに付ける名前。生まれた時に親が付ける名前は「名」と言う。例えば、白楽天の「楽天」は字で、名は「居易」である。 △(けつ) 「戸」の中に「回」の下の一本がなし。 小玉・双成 侍女の名前。 △(り) 之繞(しんにゅう)に「麗」。 ○(い) 「施」の「方」の代わりに之繞(しんにゅう)。 △(えう) 「遙」の旁が偏で、旁が「風」。 昭陽殿 楊貴妃と玄宗が住んでいた宮殿。実際は昭陽殿は漢時代の宮殿である。 蓬莱 東方の海上にあり、仙人仙女が住むと言われる島。 合 蓋のある箱。「飯盒」の「盒」と同じ。 両心のみ知る 螺鈿の箱と黄金のかんざしは、方士が楊貴妃と会った証拠の品ではあるが、方士が偽造した物とも疑われ得る。しかし、楊貴妃と玄宗が七月七日に長生殿の中で交わした睦言は、二人だけしか知らないのだから、方士がそれを玄宗に報告すれば、楊貴妃と面会した確かな証拠になるのである。 長生殿 驪山の麓にあった玄宗皇帝の離宮華清宮の中の宮殿の名。 比翼の鳥・連理の枝 翼が連なっている雌雄の鳥と、別々の木の、木目(理)が繋がった二本の枝。ともに想像上のもので、男女または夫婦の仲が深く睦まじいことの喩えで、「比翼連理」とも言う。 すれ 「あり・す・ものす」は文脈により、柔軟に訳す、の規則により、「試した」と訳した。 |